十八話
時の流れとは、過ぎてみれば早いもので。
三学期も間もなく終わる。つまりは卒業式だ。
卒業、と言っても過半数の生徒はエスカレータ式に高等部へと上がっていく。受かるかどうかは別として。
しかし僅かでもその他の道に行く者も当然いる。私のように。
他とは少々、と言うより遥かに事情は異なるけれど。
宝崎真理の任期は中学の三年間まで。
他にやる事があると言うのもあるが、このタイミングが一番良いからだ。
曾お爺様と私の計画とそれに基づく推理では、姉さんがキンジさんと接触するのは二年生進級の時期。
つまりそれより前には姉さんは日本に来日する事になる。
中途半端な時期の転校が難しい武偵高に、現状のまま進学する訳には行かないのだ。
故に中学卒業と共にイ・ウーへと帰還する。
当然、表向きの事情は用意している。
「真理は留学するから、卒業したら慌ただしいな・・・」
「既に荷物は送ってあります。まあそれでも、式の後に空港へ直行になりますが」
「そうか、見送りとか騒がしいだろうな」
「事前に不要と伝えておきました。あまり時間の余裕はありませんので」
「準備がいいな」
頭を掻きながら苦笑いをするキンジさん。
これでもかなり改善した方だ。
留学を伝えた直後は、それはもう大変だったと言えるでしょう。
表面上納得しているように見せていても、訓練は上の空。座学も身が入らず、初歩的なミスばかり。
まあ、こればかりは私の不備ですね。
仮りにも一年以上パートナーとしてやってきたものを、突然解散なのですから。困惑するのも無理はありません。
しかしあまりにも腑抜けが過ぎるのも考え物だったので、不本意ながら金一さんに協力を要請しました。
次の日、キンジさんは全身ボロボロになって登校。なんとか調子を取り戻し始めました。
やはり姉弟・・・・もとい兄弟、こう言う時は家族が向いています。
「キンジさんは志望通りに強襲科に行くんですね」
「ああ、少しでも兄さんや真理に近付きたいからな」
暗い表情から一転、意気込みを露わにするキンジさん。
「HSSを少しでも制御出来ればかなり前進するでしょうね」
「ぐ・・・・それは・・」
途端に苦い顔になる。
意外と表情の変化が激しいのは会った時から変わらない。
まだまだ未熟な所は多いけど、このまま勤勉に目指していればそれなりになるでしょうね。
・・・それも、冬には変わってしまうでしょうけど。
計画を頭の中に描き、ほんの少しだけ申し訳なくなる。
自分達の都合に巻き込んでしまう事に、何も感じない訳は無い。
しかしそれでも、全ては最良の選択の結果。
こうする意外に無かったとは言わない。
しかし、最終的な結末を考えればこれで良かったのだとハッキリ言える。
だから、謝罪は心の中だけに留める。
これが最初で最後。後はもう、進むだけだ。
中学校の卒業式。
それは武偵校にしては意外な程にあっさりとした物だった。
他の普通校とさして変わらない式の内容、順序。
三年間ここで一般人としての常識を木っ端微塵にされた者達からすれば拍子抜けだった。
それも無理は無い。ここは付属校、本番は高校だ。
過半数がそこに行くのだから、式は殆ど形式だけものに過ぎなくなる。
これしきの事に金を使うなら一発でも多くの弾丸、一丁でも多くの銃。ここはそう言う場所だ。
故に、式に参加するのも卒業生である三年、そしてそれらの親だけだ。
無駄にどこからか人を招待もしないし、生徒達の送辞や答辞など勿論無い。
徹底的に低予算にして短時間の卒業式の出来上がりと言う訳だ。
むしろ教師達からすれば、面倒だからさっさと終わらせよう、と言う意思がひしひしと伝わってくる。
校長の挨拶も、全国一位と言って差し支えないほど記録的な短さだった。
校門に、卒業証書の入った筒を脇に抱える生徒が溢れている。
涙を流している者など、ほんの一部。
友達が他校に行く者、海外に留学する者。
僅かだが、武偵とは違う道を行く者。
そしてそんな中で、授業中であるはずの在学生達の波に飲まれている二人がいた。
「先輩! 向こうに行っても頑張ってください!」
「武偵になったら、今度こそ先輩のパートナーになります!!」
「真理様〜! お別れなんて嫌です〜〜!!」
「遠山ぁー! 何で止めなかったんだよ!? やっと巡ってきたお前の存在価値だっただろうが!!」
卒業生なら誰もが通るであろう校門に押しかけ、口々に言葉を投げかける。
真理はその中をすいすいと、まるで障害など無いかのように進んでいく。
キンジはその背中を、人混みをなんとか掻き分けて必死にもがいていた。
校門を潜り、ようやく解放される。
さすがに門を越える事は許さんとばかりに、近くにいる教師が目を光らせている。
そのため、在校生達は悔しげに境界線から手を伸ばしていた。
「なんか・・・最後まで注目されっぱなしだったな」
「そうですね。・・・まぁそれも、今日で終わりです」
「そう・・・・だな」
どうにも湿っぽい空気から抜け出せないキンジ。
真理はいつもと変わらず、殆ど感情を見せない。
少しくらいは寂しそうな顔をしてくれても良いんじゃないかとキンジは思う。
まあ実際にそうなったら、自分は大いに慌てるだろう。
心の中でその場面を想像し、吹き出しそうになる。
自分で思っておいてなんだが、これはないと。
「それでは、私はこれで」
「ああ・・・・じゃあな!」
「はい」
種を返し、スタスタと歩いていく。
最後に僅かに見えた口元が、優しく微笑んでいたような気がした。
驚きつつ、キンジも柔らかい笑みを浮かべる。
そして、その背中に再度呼びかける。
「真理!」
返事はなかったが、立ち止まって振り返ってきた。
周りの視線も気にすることなく、キンジは大声で話し続ける。
「いつか、俺がお前と肩並べられるくらいの武偵になったら!!」
それは何気ない約束。
親しい人間と、少しでも繋がりを保ちたいと思う人の願い。
「そうしたら――――」
少女にとっては、残酷なまでに叶う事のない、二度目の約束。
「―――また二人で、パートナー組もうぜ!!」
見開かれる瞳。
出会ってから、数える程度にしか見れなかった驚きの表情。
キンジにしてみれば、してやったりな気分もある。
滅多に見れない顔を、最後にさせてやったと。
言った言葉に偽りは無い、紛れもない本心からだ。
それでも、少し得をした気分になる。
そして真理は数秒経った後、体ごと振り返って眼鏡を外した。
まるで示し合わせたかのように、風が二人の間を駆ける。
舞い散る桜吹雪の景色の中、キンジは見る。
それはまさに花の咲くような――――極上の笑みだった。
「っ――――!」
周囲で見ていた生徒が、瞬時に固まる。
一様に驚愕の色を見せ、誰もが口を開けない。
まるで普通の女の子のように、歳相応な笑顔。
原因であるキンジすら、固まって動けなかった。
その顔は桜に劣らず色づいて染まり、視線は真理にだけ向けられる。
あの笑顔が、世界でただ自分にだけ向けられている。
それだけで、いつもとは違う何かが、胸を打った気がした。
そして不意に、真理が口を開いて―――――
「――――――」
何かを・・・呟いた。
そして再び背を向け、歩き出す。
桜を散らす風に遮られ、周囲の人間には聞こえなかった。
しかし、確かにキンジはそれが聞こえた気がしたのだった。
最後にフッと笑い、同じく背を向ける。
もう、お互いに振り返ったりはしない。
道は別れ、始まったのだ。
いつの日か、また交わるその日を信じて歩く。
叶うことのない、その日を信じて。
「お帰りマリア、三年間ご苦労だったね」
「いえ、それなりに楽しめましたから」
「それはなによりだ」
武偵校からイ・ウーに帰還し、私は曾お爺様の部屋にいる。
特に報告するような事はないけれど、話す事はある。
「それで、遠山キンジはどうだったかね?」
「意見は変わりません、未熟の一言です。武力的にも知力的にも、及第点とは言えません。HSSもあまり使いこなす意欲が感じられません」
「そうか・・・」
特に感情を表すでもなく答える。
曾お爺様も静かに聞いているが、残念そうにするでもなく、目を閉じて聞くだけ。
「・・・ですが」
「なんだい?」
続く私の言葉に、目を開ける。
楽しんでいるように口元を歪め、興味津々と言った感じだ。
全くもって意地が悪い人だ。
どうせ私が何を言うかも、全部知っていて言わせるのだから。
こうなる事も、どうせ三年前から推理していたのだろう。
やはり私は、まだまだ曾お爺様には遠く及ばない。
「姉さんのパートナーが彼でなければいけない、と言うのは・・・・なんとなくですが、分かった気がします」
「ふふっ、そうか」
嬉しそうに破顔する。
本当に子供っぽい笑顔だ。
イタズラ大成功とでも書いた旗が、きっと似合うに違いない。
「これで君も少しは荷が降りただろう、計画も順調に進んでいる」
「理子はもう武偵校に?」
「ああ、君によろしく伝えて欲しいと言っていたよ。時折連絡もするともね」
「そうですか」
余談ではあるが、曾お爺様の正体について、理子はもう知っている。
元々時間の問題ではあったのだ、これ以上ない程に有名な人なのだから。
むしろ最初に会った時に気付かなかったのが奇跡と言える。
それだけ疲弊していたのだから仕方がないけれど。
前に恐る恐ると言った感じで私に確認してきた時は、何を今更と言った空気が流れたのをよく覚えている。
当然、私が曾孫である事も知った。最初は驚いていたけれど、特に何か変化があったりはしなかった。
例え私がホームズの一人でも、私達の関係は変わらないと。
真っ赤になりながらそう言ってくれて、無理に空気を紛らわせようとしている姿がとても可愛らしいと思ったのは、私とジャンヌだけの秘密だ。
そして、これから武偵校に通ってキンジさんと接触する。来年には姉さんと対峙するだろう。
ブラドからの解放を望んで。
「やはり、今の理子では敵いませんか」
「そうだね。峰君も努力はしたが、さすがに年季が違う」
一週間程前、ブラドが再度ここにやって来たと報告を受けた。
狙い通り、今度はイ・ウーに参加する意思を持って。
そして、理子はブラドに決闘を仕掛けた。
結果、やはり敗北。
たとえ理子に伸びしろがあるとしても、現状でブラドに単騎で挑むのは無謀だ。
しかし、そんな無謀すらも計画の内。
ブラドは理子に取引を持ちかけた。
オルメス四世、つまり姉さんを倒せば解放すると。
理子はそれに応じ、武偵校へと向かった。
何もかも、私達が考えたシナリオ通り。
申し訳ない気持ちはある。
しかし、いつか理子にとって望んだ未来へと導くにはこれしかないのも事実。
理子がブラドを倒すには、どれだけ長い時間がかかるか分からない。
なれば、誰かの力を求める他ない。
それも強引にではなく、理子が助けて欲しいと思える場面で、助けて欲しいと言える人物によって。
そして同時に、不完全とは言えイ・ウー内でも屈指の強さをほこる吸血鬼を倒す。これは、キンジさんと姉さんを大きく成長させる経験になるだろう。
「それはそうと、君に渡したい物があってね」
そう言って、曾お爺様は引き出しから一つの箱を取り出した。
机の上にゴトンと置かれたそれは、漆塗りされた鍵付きの箱。
「また妙な銃でも持たせるおつもりですか?」
「むしろより良い物だよ。本当は二年前には出来上がっていたんだが、今回の任務中には必要のない物だったからこうして保管しておいたと言う訳だ」
「そうですか」
今回の、という事は、これから必要になるのだろう。
懐から取り出した小さな鍵、それを私に差し出してくる。
受け取って、さっそく箱の鍵を開いた。
カチャリと小気味の良い音をたてて、鍵が外れる。
フタを開けて、中を覗くと―――
そこには、ひと組のグローブがあった。
「これは?」
「それは以前君が手に入れたイロカネを用いて作った糸を内蔵したグローブでね。もちろんグローブ自体も防弾防刃処理を徹底した、君の新しい武器だよ」
曾お爺様の説明を聞きながら、私はグローブを手にはめる。
指先に僅かに尖った爪のような部品が付いていて、手の甲には厚みのある五角形の装飾が施されていた。
そして、そこから指の背を伝って爪まで糸が張られ、部屋の光を微かに反射している。
それでいて、見た目に反する軽量感と違和感のない付け心地を両立させていた。
「ようするにワイヤー搭載のグローブと解釈していいんですね」
「それだけではないさ。色金合金のワイヤー、つまりは君の意思で操る事も出来る」
得意気に話す曾お爺様。
さながら工作の時間で作った自信作を、母に自慢する子供のように。
きっと出来上がってから、私に話すのが楽しみだったんだろう。
とっくに理解している事は分かっている筈なのに、延々と説明を続けている。
まぁ、それは別として。
確かにこれは有り難い物だと思う、使い勝手の良さも状況毎の応用も幅広い。
隠密性重視の任務が多い私にとっては、非常に魅力的な武器だ。
少しだけ練習する必要はあるだろうけど、これなら銃と併用することも出来そうだ。
「ありがとうございます。遠慮なく使わせていただきます」
「ああ、是非そうしてくれ。もう下がっていいよ、他にも挨拶しなければならない者もいるだろう」
「そうですね、では失礼します」
部屋を出て、自室へと向かう。
ジャンヌはそこで待っているだろう。
三年ぶりではあるけど、きっと変わっていない。
厳格そうな雰囲気を持ちながら、可愛いものに目がない。
そんな典型的な弄られ気質も健在だろう。
パトラは、相変わらず威張っているんだろう。
今回は帰って来た直後には会いに来なかった。
しかし、これが初めてではないので心配はない。
彼女にだって役目はあるし、彼女自信の用事だってあるだろう。
実は近い内に追放処分だなんて口が裂けてもいえないけれど・・・・。
などと思考に耽っている内に、部屋に着く。
鍵はかかっていないので、ドアノブを回して扉を開けた。
「ただいま帰りまし・・・・」
部屋に入る途中で、思わず踏み止まった。
視界に入った光景が原因だ。
別に荒らされていた訳ではない。
ただ、ジャンヌとパトラがお互いに睨み合って対峙していただけ。
バチバチと火花を散らせ、一歩も譲る事無く向き合っている。
「・・・・はぁ」
漏れる溜め息を、抑える気力は出なかった。