十九話
「言い訳はそれで終わりですか?」
マリアの自室にて、尋問裁判が行われていた。
被告人は[銀氷の魔女]ことジャンヌ・ダルク30世、そして[砂礫の魔女]ことパトラ。
判事兼長官は神崎・H・マリア。
ベッドの横に腰掛け、床に正座する被告人二人を冷めた瞳で見下ろしている。
二十分に及ぶ説明の際、ずっと正座させられていたジャンヌとパトラの足は既に悲鳴を上げていた。
ただでさえ二人は、生まれてこのかた正座など一分たりとも経験してこなかった身である。
それをカーペットも敷かれていない金属の床に直で座っているのだ、そろそろ感覚がおかしくなってきた感じさえする。
顔は常に引き攣り、しかし僅かでもずらそうものなら絶対零度の視線を向けられるのでそれも不可能。
氷を操るステルスであるはずのジャンヌでさえ、身も凍るような冷徹な眼光である。
「そ、そうだ・・・・もう全部話した。だだから許してくれ・・」
「そうぢゃ・・・もう限界なのぢゃ・・・・・足が・・動かん」
もはや良いと言われても動けないのではないか。
そんな恐怖が二人を襲う。
「つまり、そんな下らない理由で言い争った挙句に帰還早々私に面倒な仲裁をさせた、と」
「そ、それは・・・」
「う・・む・・」
ぐぅの音も出ないとはまさにこのこと。
実際に二人が争った理由は下らないの一言につきる。
いや、むしろ理由なんて言える程のものですらないのだ。
マリアが今日帰還すると知っていた二人は、自室で迎えようと考えて鉢合わせした。
そして、二人は研鑽派と主戦派である。
つまりはいつもの小競り合いだ。
いがみ合うのは結構だが、するなら他に行けとマリアは思う。
なぜわざわざ自分の部屋で開戦するのだ、争うならいくらでも場所はあるだろう、と。
「まあ、私もちょうど頼みたい事があったので、協力してくれれば許しましょう」
「本当か! もちろん協力しよう!」
「うむ、他でもないマリアの頼みぢゃからのう、聞いてやらんでもない」
嬉々として協力を申し出るジャンヌ、どこまでも上から目線なパトラ。
対照的な態度の二人だが、その目には明らかな安堵の色がうかがえた。
日頃から教授に無理難題を押し付けられるマリアのことだ、そんな無茶な事は言い出しはしないだろう。
二人の共通見解であり、事実、これまで何度か頼まれる事はあっても本当に些細なものばかりだった。
しかし、今回ばかりは運が悪かったとしか言えないだろう。
二人には知る由もないやり取りが教授とマリアの間にあったのだと言う事を。
「ありがとうございます。と言っても特に二人に何をして欲しい訳ではありません、ただ居てくれればいいので」
「? それはどう言うことだ?」
投げ出した足を懸命にさすりながら、疑問符を浮かべるジャンヌとパトラ。
ジャンヌの問いにマリアは答えず、懐から箱を取り出す。
言わずもがな、先程シャーロックより授かった装備の入った箱だ。
いかにもオリジナル装備だと主張するような名称をシャーロックが言っていたが、マリアは聞き流していた。
しかしそれを知らない二人は眉を潜めて見守るだけ。
箱からグローブを取り出し、両手に嵌めるマリア。
その手を二人に向けて掲げ、目を瞑って集中する。
「そ、それはなんだ?」
「島国で買ったものかえ?」
「違います、少し静かにしていてください」
二人の言葉を制し、どんどん集中力を高めていくマリア。
内蔵されたワイヤーに含まれるイロカネ、その存在を強く認識出来る。
それを自身の意思と直結し、操作を試みる。
マリアはステルスの極意は既知の範囲だが、イロカネの操作はこれが初めてだった。
シャーロックからはステルスを行使する感覚と大差ないとは聞いていたため、予想よりすんなりと成功する。
「お、おいマリア・・・いったい何を・・・?」
「何をしておるのぢゃ?・・・ま・・・・まさかとは思うがそれは・・」
そして、さすがに異常に気付き始めた二人の額に、嫌な汗が出始める。
二人とも中位以上の能力者であるため、マリアの手に嵌ったグローブから妙な力を感じ取ったのだ。
ワイヤーそのものは見えていない二人だが、頭の中の警報がガンガンと鳴り響いている。
大別すればカンの一種だが、これは能力者特有のカンとでも言うべきか。
人ならざる力に対して、ある程度鼻が効くのだ。
そして、イロカネに対して多少の知識を有するパトラに至っては、マリアが手にしているのがそれだとの判断がついてしまった。
この場合知らない方が良かったのか、気付いて良かったのかは定かではない。
「心配せずとも危険はありません。先程教授にいただいたこれの練習に付き合って貰うだけです。ある程度の操作に慣れるだけですので、戦闘をするわけでもないですし」
そう言った直後、ジャンヌとパトラの体が突然宙に浮いた。
「んなっ!?」
「な、なんぢゃ!?」
いきなりの展開に驚く。
反射的にもがこうとしたが、何故か手足の自由が効かない。
まるで縄で拘束でもされているようにピクリとも動かないのだ。
「なる程、人を持ち上げる程度なら問題はないと。これだけで相当な利点がありますね」
「一人で納得しないでくれ! どう言う状況だこれは!」
「マリア! やはりそれはイロカネぢゃな!?」
「ご名答です、正確には色金合金のワイヤーを内蔵したものですね」
そう言いながら、フラフラと二人を部屋の隅から隅まで移動させたり、床から天井へと上下させたりする。
ある程度勢いをつけても二人の体に負担はなく、しかしかなりの拘束力を有しているのが確認出来る。
「目に見えない極細のワイヤー、しかも見た限り理子の髪のように動きは自由自在か・・・・とんでもない物を貰ったな」
「まったくぢゃ、頭脳と銃一つだけで脅威ぢゃと言うのに」
二人はされるがまま、宙を漂い続ける。
段々と慣れてきたために、いつもの調子を取り戻し初めていた。
しかしその時、マリアがボソリと呟いた。
「・・・このワイヤー、切断力が目玉だと教授が言ってましたね」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
一瞬で、二人の顔が青ざめた。
「教授曰く、弾丸すらスッパリ切れる特製の作りに仕上げたと眩い顔でおっしゃってましたけど、本当でしょうかね?」
口元に拳を当てて考え込むような仕草をするマリア。
しかし、当の二人はさらに顔色を悪くする。
体が小刻みに震え、冷や汗が止まらない。
何かを言うべきだと分かっているのに、言葉が出ない。
下手な発言をすれば、キャベツのみじん切りの如き姿になりかねない。
実は最初から許す気などなかったのでは、とさえ思えてくる。
「二人はどう思います?」
「い、いや・・・それは・・・」
「ど・・どうかのう・・・?」
首をかしげて問いかける様は、こんな状態でなければ可愛らしいと思えた筈だった。
既に髪を頭の後ろで纏め上げたマリアは、武偵校にいた時より遥かに表情を視認しやすい。
それ故に、見える。
口元が僅かにつり上がっているのが。
楽しんでいるのだ、この状況を。
面倒な事をやらせた二人に、はらいせをして満足している顔だ。
その事に、少なからず二人は動揺していた。
マリアは多少気に障る事があっても、さして反応を示すような事はなかった。
それを、こんなハッキリとした仕返しをしたのは初めてだったのだ。
武偵校で過ごす日々は、マリアに確かな変化をもたらしたと言う事なのだろう。
しかし、そこまでの考察をする余裕は二人にはなかった。
自分達はそこまで彼女を怒らせてしまったのかと、ますます人生の終わりを感じている真っ最中である。
「意外にこの操作って繊細なんですよね、二人の体がハムのように柔らかく感じてしまうほど感触が危ういです。」
「なんっ―――!?」
「じゃと・・・!?」
体の震えは臨界点を越え、完全な硬直へと変化する。
二人の脳内では、見たこともないはずの豚の解体映像が再生され、段々とその肉が自身の姿へと変化していく。
筆舌し難いスプラッタなシーンを自ら想像してしまい、軽く吐き気を催してしまった。
何となくワイヤーが体に食い込み始めているのは気のせいだと心の底から信じたい。
「ま、待て! 話し合おう!」
「そうぢゃ! 暴力を振るうだけでは人は解り合えんぞ!?」
目の端に涙を浮かべながら必死に懇願する。
余りの恐怖に、二人は自身の能力を使うと言う選択肢すら頭から消し飛んでいた。
もっとも、行使した所で抜け出せるかどうかは別の話だが。
「仮りにもイ・ウーのメンバーのセリフとは思えませんね。特にパトラ、アナタが人と解り合う時なんてあったんですか?」
「あ、いや・・・・それは・・・」
思わず口を噤んでしまうパトラ。
いつも「妾こそファラオじゃほっほっほっほ!」などと豪語してやりたい放題な彼女に言えるような事ではない。
「・・・まぁ、そろそろ慣れてきたので今回はこれで終わりにしましょう」
「「・・・へ?」」
唐突な終了宣言に、素っ頓狂な声をあげる二人。
それらを無視して、マリアはそっと二人を床に降ろす。
使い手ですら視認しにくいワイヤーは、マリアの意思に従ってグローブの甲へと収まっていく。
全て巻き終わったのを確認し、ポカーンとした表情のままの二人に向き直る。
「ときにパトラ、お願いしていたブラドへの呪いは?」
「う、うむ・・・それはバッチリじゃ」
「よろしい」
一つ頷き、立ち上がる。
ジャンヌとパトラの体がビクリと跳ねたが、気にせず近付き、二人をそっと抱きしめる。
「お、おい・・」
「なにを・・」
展開の速さについていきない二人は置いてけぼりだった。
微かに頬を初めつつ、しかし手はせわしなく宙をさまよう。
「改めて、ただいまです。ジャンヌ、パトラ」
「・・・・・ああ、おかえり」
「うむ、よくぞ帰ったの」
それぞれ手が互いの背に回され、しばしの抱擁を交わす。
極悪犯罪者達の本拠とは思えない、和やかな空気が室内を満たす。
しばらくそうした後、そっと三人は離れた。
「ところでパトラ、非常に申し上げにくいのですが」
「ん? なんぢゃ?」
ふと思い出したように口を開くマリア。
次いで出たセリフに、周囲の時間が停止することとなる。
「教授から言伝を預かっていまして、今週限りで貴方を伊・ウーから追放すると」
「・・・・・・・・は?」
「なに?」
先程までの暖かな雰囲気はどこへやら。
元通りの無表情で、言いにくいというわりにはサクっと発言したマリア。
またしばしの沈黙。
しかしその意味合いはまるで異なるものだった。
「・・・な」
「「な?」」
ようやく口に出したパトラの言葉は、マリアとジャンヌ曰く魂の叫びのごとしだったそうな。
「なんぢゃそれはぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」
≪えー、新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。この中の生徒には中学時代より武偵となるべく研鑽してきた者が多くいると思います。中途入学の方も少なからずいると思いますが、良き武偵となるべく、日々精進して―――――≫
中学よりはまともになった入学式。
やっぱりあの時とは違って直立不動で立ち続ける者が多い。
チラホラと見かける気の抜けた生徒は、おそらく一般中学出身の奴らだろう。
こうして見ると、真理の言っていた意識の有無ってのがハッキリと見て取れる。
話をちゃんと聞くかどうかは別として、こう言う機会すら忍耐を鍛えるために利用しているんだ。
武偵は常在戦場、肝心な時に気を抜いてたからやり直しなんて効かない。
(そんな俺も、今まさにやり直しの効かない状況なんだよな・・・)
周囲から向けられる視線に、俺は頭を抱えたくなる。
この場所にいるのは、ごく一部の例外を除いて、他校から来た他人ばかりだ。
なのに何故俺が注目されるのか、原因は俺のランクのせいだ。
(よりによって試験でヒステリアモードになっちまうなんて・・・)
そう、なってしまったんだ。
真理と別れた数日後にあった、ランク測定込みの試験で。
久しぶりに幼馴染みとバッタリ再会してぶつかって覆いかぶさってあれこれに触れて一発KOだった。
ガラの悪い奴らに追われてたそいつを助けて甘く慰めてそのまま試験に直行したんだ。
そんでもって生徒も教官もまとめて倒しちまったもんだから、現在俺は強襲科一年ただ一人のSランクだ。
他の科目にも一人いるらしいが、今はそんなことはどうでもいい。
とにかく一刻も早く、この針の筵のような視線の嵐から解放されたい。
隣の奴なんて首ごとこっちに向けてガン見してるぞ。
こいつ絶対中途入学だろ、あからさま過ぎるにも程がある。
いや、それを加味してもやりすぎだ、いっそ自殺行為だ。
日常から授業中に銃ぶっぱなすような鬼教師達が目を光らせてるってのに。
頼むからやめてくれ、お前だけが撃たれるならともかく、この距離だと俺に流れ弾が当たるだろ。
(前途多難だな・・・・)
いつでも緊急回避できる姿勢を保ちながら、俺は溜め息をはくしかなかった。