小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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二十一話










ボストーク号内のとある空間。
普段なら誰も入らず近寄りもしない空間に、二つの人影があった。

一人は右手に銃、左手に剣を持ち、どこか優雅さを感じさせる姿勢で立っている。
もう一人は両膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返していた。

二人がさきほどまで戦い、そしてどちらが勝ったのかは明白だった。

「ふむ、今日はここまでにしよう。もうそれの扱いは完璧なようだね」
「はぁ・・・はぁ・・・・はい。ありがとうございました」

勝者であるシャーロックの言葉に、マリアは何とか顔を上げて返事をする。
二人の周囲には幾千幾万もの銃弾の欠片が落ちていて、それと同じだけの数の剣閃の痕が刻まれていた。

殆どメンバーと交流はしないシャーロックだが、時折こうしてマリアに稽古をつける時がある。
今回はグローブの扱いを熟達させるための仕上げを行なっていた。

そうでなくともマリアは既に充分なほどの練度ではあったが、どうしてもシャーロックでなければ出来ない仕上げだったのだ。
それは、マリアが勝てない相手との戦闘においての使用法。

現にシャーロックは完璧と言ってはいたものの、その身には擦り傷一つついていなかった。
しかし、だからと言ってマリアが傷だらけな訳でもない。

単に息切れを起こしているだけで、マリアにもまた傷など皆無だった。
別にシャーロックが手加減をしていた訳ではない。

むしろ開始直後から二人は全力で戦っていたし、この部屋はそれに耐えうるような特注の構造なのだ。
それでも二人は無傷で、尚且つマリアが敗北したのは何故か。

それは、二人が『条理予知』の使い手であると言う点に全てが集約する。
互いが互いの打つ手を完全に把握し合っている、つまりはどんな手を用いても無意味。

実際にはマリアとシャーロックの単純な力量差には圧倒的な溝がある。
かたや百年の時を生き、幾多の苦難と死線をくぐり抜けてきた最高の名探偵。かたや四半世紀も生きていない成長期真っ盛りの十六歳。

その戦闘技能には天と地の差があるだろう。
しかし、『条理予知』と言う一つの技能だけで、それは解消される。言うなれば無限倍数だ。

仮にシャーロックの戦闘力を千、マリアの戦闘力を百としよう。
しかしどんなに数に開きがあっても、無限倍してしまえば全て帳消しになる。

故に二人は何をやっても互いを傷付けられず、力量で越えると言う現象を起こせない。
だからこそ、この勝敗を決定するのは、『条理予知』で無限倍することが出来ないステータスだ。

そう、すなわち単純な体力の差。
二人の戦いは、いつもマリアの体力が底をつくまで延々と続く。

結果、シャーロックは元気いっぱいの勝利、マリアは汗だくの敗北になる。

「あと二時間もしない内に合流地点につくだろう、休んだら準備をして出迎えてくれたまえ」
「はい・・・了解です」

少しずつ息を整えて返事をする。
いかに感情豊かとは言いずらいマリアと言えど、この時間は相当にキツイものがあった。

なにせ本当に体力がすっからかんになるまで続くのだ。
何があってもそれ以外はなく、常に限界ギリギリまで搾り取られる。

相手の動きを予知出来るとはいえ、それに対処するのは自分自身だ。
気を抜けば痛烈な一撃を見舞われるし、精神もガリガリと削られる。

まぁその御陰で、例えSランク武偵を数十人相手にしようが欠片も動揺しない鋼の精神を持っているのだが。

「部屋に戻ってシャワーでも浴びるといい。体を冷やすのは良くないからね」
「はい。失礼します」

背を向けてドアに向かい、部屋を後にする。
いつもより遥かにゆっくりとした歩調で廊下を歩き、懸命に息を整えていた。

それでも限界まで磨り減った体力が戻るには少しばかり時間を要する。
半ばもたれかかるように壁に寄り添いながら、マリアは自室へ向かった。

その途中、偶然通りかかったジャンヌがマリアの姿を見て目を見開き、慌てて駆け寄る。

「だ、大丈夫か!?」
「すみません、ただ疲れただけです」

マリアの腕を自分の肩に回し、ジャンヌはマリアを支える。
その際に元から緩んでいた髪紐が解け、長い髪がサラリと流れる。

「噂に聞いていた教授との稽古か?」
「はい、まあ」

マリアだけにと聞いて、羨ましがる者は少なからずいる。
イ・ウーには、理子のように強さを追い求めて入った者も多いのだから。

ジャンヌもまた、その一人ではある。
しかし、目の前のマリアの状態を見れば自分ごときが耐えられる物ではないと嫌でも分かる。

むしろこれからは例え誘われたとしても断固拒否するだろう。
偶然にも、今まで稽古直後のマリアを見たことはなかったのだ。

いつも無表情で無感情が常なマリアが苦しそうに息をはいている姿は、不謹慎にも新鮮だと思ってしまった。
蒸発した汗は不快な臭いなどとは程遠く、むしろクチナシの香りがいつもより濃厚なフェロモンの如く周囲に漂っている。

肩を貸しながら、マリアの歩調に合わせてゆっくりと歩く。
息遣いだけが聞こえる中、チラリとジャンヌはマリアの横顔を見る。

髪紐が解けてストレートに下ろされた姿は貴族の出と言う事も相まって、可憐な淑女のような雰囲気を感じさせる。
それに加えていつもキリッと引き締まっている表情が、今はひどく弱々しかった。

微かに八の字に潜められた眉。
少しだけ下がった瞼の奥にある、疲労を訴える瞳。

いつもは威風堂々とした騎士の如き彼女が、今のジャンヌには守るべき儚き姫のように―――――

(って! 私は何を考えているんだ!?)

不可思議な思考に陥りかけていたジャンヌはブンブンと首を振る。
その様子に、マリアが首を傾げていた。

「どうかしましたか?」
「いぃや!? 全然全くもってどうもしてないぞ!!」
「・・そうですか」

疲労によって考えるのが億劫になっているマリアは、それ以上追求しなかった。
『条理予知』とて万能の力ではない。

シャーロックのように成熟した大人ならともかく、マリアのように肉体の成長が不完全な状態では、少なからず脳に負担がかかる。
しかし別に使いすぎれば障害が出ると言う訳ではない、せいぜい少し疲れる程度のものだ。

考えすぎて疲れた眠い、と言うくらいのものである。
二人はそのまま無言で歩き、やがて目的地に辿り着く。

ドアを開けて中に入り、ベッドに座ることで一息ついた。

「ありがとうございました」
「気にするな、むしろ水臭いぞ」

やんわりと微笑んで、清潔な乾いたタオルを差し出す。
受け取って顔や首周りの汗を拭い、胸元を少し緩める。

マリアは今、武偵校で使っていた制服を流用して着ていた。
三年間で着なれたというのもあるが、マリアは基本的にファッションにあまり執着がない。

使うものは使うの節制主義、あれこれと使い捨てるような事はしない。
だからと行って理子の所業を悪く思っている訳でもない。

理子のファッションに対する執着っぷりは、かつての境遇からくるものだ。
ある意味ではその執着こそが、今の自由に対する精一杯の喜び方とも取れる。

ゲームが好きなわりに数字を用いたシリーズタイトルが大嫌いなのも、自身の四世と言う、理子にとっての蔑称に対する嫌悪の表れ。
それを理解した上で何かを言うほど、マリアは潔癖ではない。

「そう言えばもうすぐだったな、例の遠山の長男が合流するのは」
「ええ、理子からも万事上手くいったと報告がありました。伊・ウーに参加する意思も持っていると」
「そうか、それはなによりだ」

満足そうに頷くジャンヌ。
彼女のように研鑽派の者達にとって新しい人間が入るというのは、子供が新しいゲームの発売を楽しみにする感覚と酷似している。

新たな技能を持つ者がやってくれば、さらに自分たちの力を研鑽し、高めることが出来るから。
単純な戦闘経験から、ステルス以外の人間の範疇の技能まで。

簡単な例では理子のような変装・変声術だ。
特殊な条件を必要としない技能は、特に歓迎される。

まぁ、一度研鑽派に接触すれば主戦派に目を付けられる事になるのだが。

「ならばマリアも休まねばならないな。どうせ迎えの役目はお前なのだろう?」
「はい」

やはりな、とジャンヌは苦笑いする。
ここのトップは、どうも曾孫を頼りすぎな気がする。

数多いるイ・ウーの構成委員の中で、マリアほどこき使われている者もいないだろう。
本人達に自覚があるかは別として、だが。

「少し眠った方がいい。新人の前で欠伸でもしてしまったら格好がつかないからな」
「ふふ、そうですね」

こうしてたまに見せる笑顔に、同性ですらドキリとさせられるのは見た者だけの秘密だ。
ましてや今は先ほどのイメージが上乗せされ、ジャンヌは惚けたように見入ってしまった。

幸い気づかれる前に正気を取り戻し、咄嗟にドアの方に体ごと向けて隠すことに成功した。

「で、では私は行くぞ。研鑽派の者と先約があるからな」

もちろん、嘘だ。
この場を去るための方便、今のマリアなら気取られる事はないだろうと祈りながら歩を進める。

「はい、また後ほど」
「ああ」

内心でホッとしつつ、ジャンヌは部屋を出た。
















ジャンヌが部屋を出た後、私はシャワーを浴びてからベッドに横になった。
すぐさま眠気が襲い、その前になんとか目覚ましをセットして一時間ほど眠った。

起きてすぐさま仕事用の黒づくめの服装に着替え、甲板へと出る。
もちろん仮面は付ける、金一さんにはしばらくの間正体は明かさない。

たとえマリアとして出たとしても、HSS状態の彼なら気付く可能性はとても大きいからだ。
故に体型も身長も誤魔化す事が出来るフリッグの格好で出る。

口調もいつも通りランダム、これからはこの状態でいる時間が増えるだろう。
既にメンバー全員に対して私の情報に関しての口止めはしてある。

不審に思われないように、フリッグに関してならともかくマリアに繋がるような言葉は控えろとだけ。
時が来れば明かすが、それは今ではない。

殆ど海面すれすれに浮上しているボストーク号。
近くに高い岩礁があり、その上に人影が見える。

三十メートル以上はあるそこから、影は何の躊躇もなく飛び降りた。
殆ど音もなく降り立ったそれは、私と同じく黒いコートに身を包んだ女性。

三つ編みの長い髪は風に靡いて、柔和そうな長いまつげの目は見るだけで惹きつけられる。
まるで視線そのものに引力を持つかのような視線は、男女関係なく人の心を掴むだろう。

優しげな微笑みは荒んだ心も潤し、生半可な罪人はそれだけで更生してしまうかもしれない。
カナの事は話に聞くだけで実際に見たのは初めてだけれど・・・なるほど、これは本当に規格外な美しさだ。

「こんにちは。貴方がお出迎えかしら?」

その声はまさしく美女のそれ。
理子の変声術も真っ青な豹変ぶりに、少しだけ笑ってしまいそうになる。

『そうそうその通り、初めまして遠山金一・・・いや、カナ。イ・ウーへようこそ、我々は君を歓迎するよ』

丁寧口調な、それでいてどこか遊んでいるような男の声。
例えるならピエロ、のらりくらりと詮索の言葉を躱す時によく使っている。

「ありがとう、名前をお聞きしてもいいかしら?」
『おぉっとこれは失礼。私はフリッグと呼ばれている者だ。君ほどの武偵なら名前くらいは聞いた事があるんじゃないかな?』

名乗った瞬間、僅かに見開かれる目。
しかし、すぐに元通りに微笑んだ。

しかし、その目には獲物を見つけた狩人の光。
犯罪者を前にした時の武偵の目がそこにあった。

「貴方がフリッグ・・・とんだ大物に迎えられちゃったわね」
『いやいやとんでもない、私などこそこそと逃げ回るしか能のないこそ泥ですよ』
「とてもSランク武偵三人を一度に仕留めた者の言葉じゃないわね。謙遜する殿方は素敵だけれど、やり過ぎは禁物よ」

世間話のように、和やかな雰囲気を装って話す。
なるほど、やはり有能な人だ。

こうしてみても、とても演技には見えない。
心から友好を望んでいるように見えるし、事実警戒されている気がしない。

だが、それはあくまで「私の感覚」が訴えているものであって、「私の思考」はそうは言ってない。
推理では間違いなくこの人が潜入目的で来ていると出ているし、曾お爺様も同じだ。

常人には体験出来ない感覚、むしろ曾お爺様でさえ味わった事はないだろう。
曾お爺様は直感も備わっている故に、推理する前に怪しいと見抜く事が出来る。

しかし私にあるのは推理力だけで、直感で見破るなんて芸当は出来ない。
だから人を前にした時はまず推理して警戒すべきかどうか検討し、判断する。

表面上で感情が怪しくないと言っても、推理で怪しいと出ればそちらを優先する。
感情と論理の齟齬、世界で私だけに起きうる明確すぎる接触不良。

だから感情を論理で圧殺した行動を取る度に脳にストレスが貯まり、負担がかかる。
曾お爺様は直感という、感情を多分に含んだ感覚と共有して推理することで、感情と論理の調和を見出している。

『ここで立ち話もなんです、中で教授がお待ちなので入りましょう』
「ええ、そうね」

中へと繋がる扉をくぐり、先立って曾お爺様の部屋へと進んでいく。
ここで攻撃されるなんて可能性は皆無に等しい、だから背を向けることに躊躇はない。

「まさかこんな物を拠点としていたなんてね、さすがに驚いたわ。」
『そのわりには落ち着いて見えますねぇ、予め情報は掴んでいたのでしょう?』
「ふふ、さあどうかしら」

楽しげに笑っているのが見なくても伝わる。
本当に、『条理予知』がなければ騙されていただろう。

末恐ろしい人と言うか、将来有望と言うか。
年下の私が言うのもなんですけど。

その後もとりとめのない会話を交わしながら、曾お爺様の部屋に辿り着く。

『ここが教授の部屋ですよ』
「そう。どんな人物か、とても楽しみだわ」
『それは必ずご期待に添えるでしょう。ええ、きっとね』

本心から含み笑いをしつつ、いつものようにそっとドアを叩いた。

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