小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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二十二話










開いた口がふさがらないというのは、こういう事を言うのね。
年季が浅いとはいえ、武偵としてそれなりに多くの犯罪を解決してきたけど、これほど驚いたのは初めてだわ。

「初めまして、カナ君。イ・ウーのリーダーを務めている、シャーロック・ホームズだ。君を心から歓迎するよ」
「・・・・」

とても友好的な笑みを浮かべながら、生きているはずのない偉人が手を差し伸べている。
シャーロック・ホームズ一世。

世界最高にして最強の探偵、そして武偵の原点となった偉大な男。
何故か二十歳前後にしか見えない若々しい容姿、犯罪者の親玉とは思えない穏やかさ。

その全てが、私の思考を乱してくる。
イ・ウーはその名と存在を裏世界で轟かせながらも、そのトップの情報は巧みに隠蔽してきた。

噂では一部の組織の重鎮だけが知っていると聞いたけれど、ただの一武偵でしかない私にそれを知る術は無かった。
そんな時に来たイ・ウーからの誘いは、まさに渡りに船だった。

これ以上ない好機、躊躇いは一瞬で、すぐに入学すると伝えた。
唯一気がかりなのは、キンジのこと。

あの子は武偵としては勿論のこと、人としても未熟。
私がいなくなったショックで、武偵になる意欲が削がれたのも知っている。

悪いことをしたとは思っている、全て上手く行っても、きっと怒られるわね。
特に「あの子」には、ちょっと会わせる顔がないかもしれない。

滅多に感情を表す子じゃなかったけれど、一度だけ怒った姿を見た時は震えちゃったのを覚えてる。
普段温厚な人が怒ると怖いって話は本当なんだって、あの時ほど実感したことはないわ。

『くっくっく。驚かれるのは分かりますが、そろそろ話を続けませんか?』
「っ! え、ええそうね、ごめんなさい」

思考に耽っていたのを、驚きのあまり硬直していたと思ってくれたらしい。
まあ、実際それもあるのだけれど。

シャーロック、ここでは教授と呼ばれている彼の手を握る。
変装や特殊メイクなどの類ではなく、紛れもない本物の感触だった。

偶然そっくりな人物と言う線もない。
こんな凄まじい威厳を放つ人物がくだらない真似事をする意味がない。

こうして対峙しただけで悟る、自分よりも格上だと。
これは相当、骨が折れそうね。

「構わないよ、私を見た者は大抵が君のような反応をするからね。後ろの彼も例外ではなかった」

そう言って、視線を私の後ろにいるフリッグへと向ける。
[傷無のフリッグ]。彼か彼女かは別として、これも相当な大物だ。

Sランク三人を纏めて倒しただけでも脅威だと言うのに、彼の本当の恐ろしさは別にある。
二つ名が示す通り、彼は公に姿を現した日から一度も傷を負っていない。

どれだけ罠を張り巡らせようと、まるで風のようにすり抜ける。
どれだけの弾幕を張ろうとも、まるで踊るように全てを避ける。

まさに暖簾に腕押し、柳に風。
男なのか女なのか、子供なのか老人なのかも明らかになっていない。

黒づくめなその姿も相まって、まるで影のようにふわふわと掴みどころがない。
一時期はRランク武偵の派遣も検討されたほどの特一級の犯罪者だ。

そんな者すら従うイ・ウーの戦力は計り知れない。
下手をすればあっさりと命を落とすだろう。

『そりゃあそうでしょう。偉大なる名探偵とお会い出来て驚かない者などどこにいましょうか』
「君はむしろ驚きと言うより歓喜という方が適切だっただろう。それはもう見ているこちらが微笑ましくなるほどに飛び跳ねて―――」
『うぉっほん!』

教授の言葉を遮るように、大袈裟な咳をするフリッグ。
見えないはずなのに、彼が教授をジト目で見ている感じがするのは気のせいかしら。

『今はどうでもいいでしょう? それより言っておかないといけない事があるはずですが?』
「ふふ、そうだね」

とても楽しそうに笑う教授は、妙に子供っぽい印象を受けた。
そう言えば彼の人物像を描いた本にも、時折子供のような一面を見せる部分があると書いてあったと記憶している。

彼が事件を解決するために用いた方法の数々にも、その傾向は顕著に見られる。

「話が脱線してしまったね。君にはこれからイ・ウーのメンバーとして多くの犯罪に手を染めてもらう事になるだろう。つい先日まで武偵だった君にはしばらく抵抗も感じるだろうがね」
「お気遣いどうも、なるべく早く慣れるようにしますわ」

何故、と言う気持ちは当然ある。
最高の探偵と謳われた彼が、どうして犯罪者となっているのか。

けれど、今考えても答えが出るはずもない。
何か理由があるとしても、私にそれを理解できるかも分からない。

そしてなにより、関係ない。
彼が表舞台から姿を消してからの年月の間に、何かが彼を変えたのだとしても、犯罪者であることに変わりはない。

ならば、私は犯罪者の逮捕に尽力するだけだ。

「とはいえ、何もすぐに仕事があるわけでもないよ。今はこの組織について知ってくれたまえ。彼を君につけるから、知りたいことは彼に聞くといい」
『おや、丸投げですか? 少しは仕事したらどうです?』
「しているさ。誰も見ていないところでね」
『便利な言い訳ですねぇ』

クク、と笑いながらフリッグは背を向けた。
話は終わったらしく、扉を開けて廊下へと出て振り返る。

『それでは行きましょうか、カナ。
「ええ、よろしく頼むわね」

教授に一礼してから部屋を出る。
迷いなく歩いていく背中を追いながら、私はこれからの事を考えて思考に耽るのだった。















カナが使う部屋と主な施設を見回った後、フリッグとカナは修練用の空間に来ていた。
周りには多くのイ・ウーメンバーがそれぞえの研鑽に励み、時には複数人が組んで手合わせをしている。

九割が研鑽派の人間だが、今日は主戦派の者も数人だが足を運んでいる。
理由はカナの実力を測るためだ。

最後にこの場所に訪れるのは予め決められていた事で、多くの者が先んじて見に来たと言う訳だ。
二人が入った瞬間、どよめきが広がる。

研鑽派は値踏みするような、主戦派は見下すような視線が多い。
しかしそれすら二人は気にすることなく歩いていく。

中央に向かって進む二人を中心に人が遠ざかり、やがて全ての者が空間の端に寄った。
これから行われるのは模擬戦。

良く言えば新人の歓迎、悪く言えば組織内での立ち位置の格付け。
気まぐれに進み出た者と戦い、その勝ち負けによって立場が決まる。

ジャンヌや理子のような最下級に負ければ雑用兼パシリも同然。
ブラドやフリッグのようなトップと渡り合えば一気に幹部級。

強さこそが絶対の地位。
弱ければ勿論、特殊な技能もなければ研鑽派にすら見向きもされない。

教師と生徒が時と場合で入れ替わる学校、それがイ・ウーだ。

『さてとカナ、貴方の力を我々に見せていただきましょう』
「とても分かりやすくていいわね、臨むところよ」

僅かな戦意を瞳に灯し、警戒を高めるカナ。
現状では自分と同等かそれ以上と判断出来るのは目の前の一人だけ。

しかし力を巧みに隠している者がいるかもしれない以上、それらに隙を突かれては危険だ。
今後の為にも、カナはこの場でそれなりの格を付けられねばならない。

油断は禁物、常に全力の気構えで周囲に気を配る。

『それでは始めましょうか。では皆さん、存分に歓迎してあげましょう、我らの新たな同胞を』

フリッグの言葉と共に、群れの中から幾人かの影が躍り出る。
鎖を巧みに操る者、双剣を構えて疾走する者。果ては風を操る超能力者(ステルス)もいた。

全員が研鑽派の人間だ。
主戦派は今回観戦に徹するらしく、壁に背をあずけて高みの見物をしている。

駆ける者達が、カナに肉薄せんと迫る直前―――――

「あら、こんなもの?」

カナの手元で何かがきらめき、同時に全員が吹き飛んだ。
まるで見えない鈍器にでも殴り飛ばされたかのように。

それだけでは終わらず、連続してカナの手元が光る。
二度、三度と続く度に宙を舞う者達の体が追い打ちをかけたようにガクガクと仰け反る。

やがて地面に倒れ伏した時には、既に彼等の意識は失われていた。

『ほお・・・それが噂に聞く『不可視の弾丸(インヴィジビレ)』ですか。なるほど、本当に見えませんねぇ』

感心したように、しかしどこまでも面白そうに呟くフリッグ。
ポケットに手を突っ込んで、完全に観客モードだ。

「貴方は来ないのかしら? 世に轟く[傷無]の実力はとても興味があるのだけれど」

冗談ではなく本心。
どれだけ甘く見積もっても、今この場でフリッグは間違いなく上位に位置する者だと嫌でも感じる。

むしろアレで中堅と言われれば眩暈を感じるだろう。
とても武偵一人に対処出来るものではないと。

『物事には順序が大切かと思いましてねぇ、最初から私が行くのもどうかと思っていたのですが』
「私は一向に構わないわ。むしろ今程度ばかりじゃ眠くなってしまいそうよ」

軽い挑発、これで乗ってくる者は瞬殺出来るし、強い奴が現れれば上々。
カナは両手に銃を潜ませながら悠然と立つ。

溢れ出す強者の圧力に、この場にいる過半数が自身の敗北を悟る。
無論フリッグもその様子を感じ取り、頭に手を置いて芝居がかった大袈裟な動きで溜め息をついた。

『ふぅー、どうやら殆どリタイアみたいですねぇ。このままではこちらの面目が丸潰れだ』
「ふふふ、そうね。ちょっとがっかりだわ」

可笑しそうに微笑むカナに向かって、フリッグが歩を進める。
ざわめきが増した室内、多くはどちらが勝つかを論ずる声だった。

主戦派の者すら興味深気に身を乗り出し、一瞬たりとも見逃すまいと凝視している。
任務や教授との稽古以外では殆ど戦闘を行わないフリッグ。

それを見れる機会を望むものは数多い。
この中の何割かは、そういう期待を持ってこの場にいたのだ。

中央で六メートルほど距離をおいて向き合う二人。
張り詰める空気を先に破ったのはカナだ。

チカチカと、手元が瞬いて見ない弾丸がフリッグの右肩と左太ももに迫る。
キンッ、と鋭い音が空間に響く。

「っ!?」

驚きに目を見開いたのもカナだった。
確実に相手を捉えていたはずの弾丸、しかしそれは届かなかった。

避けられたのではない、防がれた。
それも、弾丸を縦に真っ二つに両断されて。

勢いを削がれた弾丸の欠片が、カランと音を立てて地面を転がる。
その間、フリッグは身じろぎ一つしていない。

『おお、怖い怖い。見えない銃に狙われていると言うのはなんとも身の竦む思いですねぇ』

わざとらしく自分の肩を腕で抱き、ブルルと体を震わす。
感情を逆撫でするような仕草だが、カナの思考はフリッグの謎の武器に向けられていた。

(私と同じ不可視系の技? それにしたって予備動作がなさ過ぎる)

カナの不可視の弾丸にしても、発射の瞬間に手がブレて見えたり手元が光ったりするもの。
しかし向こうにはそれが無かった。

綺麗に切断された跡を見れば刃物の類である可能性はあるが、それなら尚更何も見えないのはおかしい。

『次はこちらから行きますよ』

そう言って、懐からゆったりと銃を取り出したフリッグ。
それを見て、カナは大きく動揺することとなる。

(っ!・・・ベレッタ90Two!!)

それは忘れもしない、己の道に苦悩する自分の背中を押してくれた一人の少女。その彼女が愛用いていた、ただ一つの銃だ。
ただの偶然だと分かっていても、今この場で見たいものではなかった。

『ボーっとしている暇はないですよ?』
「! くっ!!」

放たれた三発の弾丸。
それは的確に頭と両膝を狙ったものであり、左右どちらかに回避するしかない。

同時にそれは、動きを限定された事を示す。
一瞬の時間差で回避以外の動作が間に合わないと判断し、やむなく右に跳んだ。

しかし、カナが動くと全く同時にフリッグの銃口も同じ方向に動いていた。
まるで最初から「そうすると分かっていた」かのように。

空中にいるカナに向かって新たに放たれた四発目の弾丸。
しかしカナは冷静に、不可視の弾丸を放った。

それは正確にフリッグの撃った弾と正面からぶつかり合い、激しい火花を散らす。
それぞれがあらぬ方向へと飛び、その間にカナは床に足をついた。

『さすが最上位の元Sランク武偵。今ので仕留められると思ったんですがねぇ』
「嘘が下手ね。遊びにもなってないくせによく言うわ」

軽口を叩き合いながらも、カナは内心穏やかではなかった。
銃技もそうだが、なにより不可視の弾丸を防いだ何か。

それが分からない以上、容易に接近するのは危険だ。
かと言って自分の攻撃手段は両手の銃とあと一つだけ。

誰にも見せたことのないそれを、あくまで模擬戦でしかないこの場でさらけ出すのは躊躇われた。

『不快に感じたのなら謝罪しましょう。お詫びと言ってはなんですが、これは避けられますかねぇ?』

そう言って、銃を握った右手を体の左上へと振りかぶるように持ち上げる。
直後、体に対して平行になるようにしながら振り子のように右手を振り、無造作に四発発砲した。

もちろん弾は床に当たり、それぞれ無茶苦茶な方向へと飛んでいく。

「何を・・・っ!!」

咄嗟に頭を右に逸らしたカナの頬に、チリッと痛みが走る。
そこには、「背後から頬を掠めた」弾丸による一筋の傷がついていた。

その瞬間、カナはフリッグの意図を悟る。
しかし、その時には既にカナの周囲三方向から弾丸が迫っていた。

コンマ一秒の差で対応し、両手の銃で二発、残りの一発を「髪で弾いた」。
翻ったコートの裾がフワリと舞い、空間に静寂が訪れる。

いつしか高みの見物を決めていた全ての者が、二人の戦いに見入っていた。
いまだ一歩も動いていないフリッグと、その驚異的な技に初見で完璧に対応したカナ。

どちらも規格外、もはや格付けの模擬戦など無意味としか思えない。
間違いなくイ・ウーでも屈指の実力だった。

『はっはっは、すごいすごい。まさか今のを防がれるとは、いや中々どうして底が知れませんねぇ』
「いまのはさすがにヒヤッとしたわ。わざわざ「死なない程度に威力を殺して」から撃ち込まれなければ当たっていたでしょうね」

そう、本来なら当たっていた。
それを、あえて対応出来るギリギリの時間に対象に当たるように設定したのだ。

ただ当てるためだけに撃ったにしては、発砲からの時間差が長すぎた。
それこそ、まるで気付いてくれと言わんばかりにだ。

そして、つまりはそれだけの時間と回数、あの弾は跳弾し続けていたのだ。
自然と威力は半減以下、例え反応出来ずに頭に当たっていても死なない程度に加減した。

卓越した銃技を持つ者は、壁や床にわざと跳弾させて弾道を読みにくくする事がある。
しかし使ってもせいぜい一回や二回が限度、三回も出来れば神技だ。

超一流の狙撃手達の中ではこれを跳弾射撃(エル・スナイプ)と呼ばれる事がある。
二回跳弾させれば二重跳弾射撃(エル・エル)と言われるが、これはそんなレベルではない。

「さしずめ無限跳弾射撃(エル・インフィニート)ってところかしら、恐ろしい技を使うわね」
『褒め言葉として受け取っておきましょう。さあ、サービスタイムは終わりです』

そう、まだ始まったばかりだ。
ギリギリまで加減され、しかも「四発だけ」だったからこそ対応出来た。

ベレッタ90Twoの装弾数は17+1発。
単純計算で最大あれの四倍以上が一度に襲ってくるのだ。

まだ残っているはずの弾倉を捨て、フルの弾倉を装填する。
だらんと腕を垂らし、壊れた人形のように首を傾げて言い放った。

『貴方は何発、耐えられますか?』

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