小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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二十四話










カナを連れて入った医療施設で、カナは倒れた。
正確には、自身で処置できると言ってカーテンの奥で作業をしている際に、ベッドの上で眠ってしまった。

倒れた音に中を覗けば、穏やかな寝息を立てていた。

『これはどうしたものでしょうね』

見る限りでは処置はまだ途中。
しかしすぐに起きる気配はない。

私は、前に一度「この時期」に遭遇したことがある。
あの時は本当に何をやっても起きず、死んだように眠り続けていた。

常時HSSになれる代償、それが大脳への大きな負担だ。
それを彼は一週間から最大で二週間ほどの睡眠によって回復するのだと、キンジさんに教えられた。

もとよりその時期が近かったのだろう。
そして今回のHSSの反射神経をフル活用する弾幕戦で早まってしまったと言うことになる。

『カナにとっても少し予想外だったと解釈するべきでしょうね』

しかしこのままにする訳にもいかない。
ひどい傷は負わせていないとはいえ、肉体の疲労は相当なはず。

『仕方ない――――リシア、出てきてもらえますか?』

私は近くにあったロッカーに向かって声をかける。
その途端、物言わぬはずの長方形の箱がガタンゴトンと揺れ始めた。

やがて扉がバタンと開き、その中から人影が転がり出てきた。

「は、はいぃぃ! おおおお呼びでしょうかっ!?」
『この人の治療をお願いしたいんですよ』

出てきたのは黒髪ショートヘアの小柄な少女。
前髪をキッチリと真ん中から分け、ピンでしっかりととめている。

服装はいかにも自分は看護師ですと主張するナース服であり、ナースキャップに白のワンピースという実際の現場では廃れつつあるスタイルだ。
本人曰く、「これこそ看護師の王道であり伝統であり、なにより誇りの象徴です!」らしい。

ナース服に関してだけは強気になるのですが、普段は極度の人見知りで、私を含めた僅かな者としかまともに会話が出来ない。
そんな彼女がこの施設の管理運営を任されている主任であり、イ・ウー秘蔵の医療のスペシャリストである。

名を、フリーシア・ナイチンゲール。
かのフローレンス・ナイチンゲールの子孫であり、彼女はその五世にあたる。

ナイチンゲールの一族は代替わりの最中に超能力者と交わり、彼女もそれをしっかりと受け継いでいる。
リシアは生物が持つあらゆる感覚を麻痺させる能力を持ったステルスであり、推定Gも20と高い。

彼女は主にこの力を治療時の麻酔代わりに使用し、患者の痛覚を麻痺させるなどして治している。
受け継がれ、時代毎の技術と知恵を取り込みながら進歩してきた彼女の一族の医療技術は、世界の数十年先を行っていると言われている。

「こここ、この方ですか? たたたしか今日新しくははは入ったていうかか方ですよね?」
『そうですよ。大した傷はありませんが疲弊していますので、貴方の力で癒してあげてください』
「りょりょ了解です! マリ―――あわわすいません! フリッグさんの頼みであれば! そそそそしてなにより傷ついた人が目の前にいて見逃すのは一族のははは恥です!!」

意気込んでガッツポーズをするリシア。
言っていることは感心するのですが、まずは人が入ってくる度にロッカーに隠れる悪癖をどうにかして欲しいものですね。

不在かと思って患者が帰ってしまうケースも多いでしょうに。
患者に居留守を使ってしまうことは恥ではないのでしょうか?

この子はイ・ウーの中で唯一、犯罪者ではないメンバーだ。
彼女の能力は触覚を麻痺させて武器を扱えなくしたり、視覚や聴覚を麻痺させて戦えなくしたりと、意外に恐ろしい能力だ。

しかし、当の本人が犯罪など出来る性格ではない。
彼女の一族は徹頭徹尾、人を救う為に生きる。

もちろん例外は存在するが、物心ついた時より人の命の尊さや儚さを説かれ、それ故の美しさを語られる。
そんな一族の、当代最高の天才と言われた彼女が、何故イ・ウーにいるのか。

それは、彼女が偶然にもイ・ウーの世界の抑止力としての存在意義を知ったからだ。
彼女はその意義を正確に理解し、自らここへ入学した。

―――たとえ皆にそんな自覚がなくても、争いを抑えてくれている人達の傷を治してあげたい。

あまりにも純粋無垢な言葉だった。
たしかに、ここの者達にそんな意識は欠片もない。

あくまで本人達は破壊と殺戮、そして自らの力を高めることのいずれかのみに従事している。
自分が治した者が、また他の人間を傷付けると理解した上で、リシアはここにいるのだ。

優しくも、しかし夢物語だけを追っている子ではない、と言うこと。

『まぁ少なくとも数日は眠ったままでしょうから緊張しなくていいですよ。ちょくちょく様子も見に来ます』
「ははははい! 了解です」
『よろしく頼みましたよ』

返事を背に受けながら、曾お爺様の部屋へ行くために施設を出る。
形ばかりの報告、どの道結果などお見通しだっただろうに、だ。

それでも私の反応を直に見たがるあの人は、やはり子供だ。
思わず溜め息をつくのも、もはや幾千幾万回を越えている。

足取りが僅かに重くなるのを感じるのは、気のせいではなかっただろう。












マリアが部屋に入った時、シャーロックは何処かに連絡をしていた。
マリアが入室した直前にそれを切り、いつもの微笑を浮かべながら口を開く。

「ご苦労だったねマリア、彼の能力はどうだったかな?」
「やはりとても高いですね。少なくともあの場にいた者達は例外なく彼を認めたでしょう」

仮面を外して答えるマリア。
マリアの返答にシャーロックは満足気に頷き、手に持った古風なパイプを口にくわえた。

息を吸って、どこか優雅にはく。
その、妙に意味深な間がマリアに嫌な予感を抱かせた。

いつもなら、用があれば伝え、なければ下がっていいと言うはずだ。
だが、これはマズイ。

何がと言われれば首を捻るしかないのだが、いかんせん今のマリアには情報が足りなさすぎた。
推理とはあくまで情報を知識によって紡ぎ合わせる作業。

逆に言えば情報が何もないと文字通り何も出来ない。
組織のトップとして世界の数多の情報を常に更新し続けられるシャーロックと、そうでないマリアでは大きな差があるのだ。

そして過去、こう言う展開は何度か経験している。
これは、何かを企んでいる時に出す特有の間だ。

いつも通りの優雅な動作の中に、どこかソワソワしたような空気が混じっているように感じるのも気のせいではない。
思わず渋面になりそうなのを堪え、マリアは行動する。

「まだ何か?」
「うん? ああ、そうだったね」

まるで今気づきましたと言わんばかりに動き出し、こころなしかニコニコ笑っている。
しかし何を取り出すでもなく、何かアクションを起こすでもない。

言うなれば何かを言い出そうとして、そのタイミングを図っているような。

「そうだ、君も疲れているだろう? 久しぶりに大浴場にでも入って疲れを癒すといい」
「え?」

唐突に言われた、何の脈絡もない話題。
並々マリアの警戒心は増幅し、信号がイエローからレッドにシフトする。

別に覗きだとかそう言った方面の心配はしていない。
彼は既にそんな欲とは乖離した存在であり、マリア自身仮に見られたとしても動じない。

むしろこの二人はマリアが伊・ウーに来た当初、つまりマリアが八歳の頃には何度か一緒に風呂に入った間柄でもある。
もとより自身の体に対する貞操概念が薄いマリアにとって、目の前の人物はそういう危惧の対象からは最初(はな)っから除外されているのだ。

「何を企んでいるんですか?」

むしろ懸念しているのは、入っている間に仕込まれるであろう何か。
それを自分の部屋か、それとも既に浴場に仕込まれているのか。

余談ではあるが、ボストーク号はシャーロックに奪われて以降、様々な改造・改装を施されている。
性能面は勿論のこと、話題の大浴場と言った娯楽施設も含めてその箇所は多い。

中にはシャーロックがイタズラをするために用意した、それこそマリアも知らない仕掛けも数多く存在する。
忍者屋敷よろしく仕掛け扉などを始め、吊り天井や落とし穴、果ては自走する人体模型の収納空間まで。

思い起こせば八歳の時、ここに来た当初の夜中に探検をしていた時、人体模型に延々と追いかけ回されて泣きわめいたのが、マリアにとっては黒歴史であった。
あの時は『条理予知』も不完全以前の段階であり、感情も今よりは遥かに豊かだった。

それ故の失態。
おちょくっているのかと聞きたくなるほど玩具レベルのそれにビビるなど、今では天地が引っ繰り返ってもありえない。

「人聞きが悪いね。可愛い曾孫を気遣っているだけじゃないか」
「少なくとも現状で、あなたの言葉に対する信用は皆無と断言します」

目を僅かに鋭くし、さりげなく身構えるマリア。
今回は背を向けた直後に仕掛けるのか、それともドアに何かあるのか。

それとも天井や壁、もしくは床下から何かが飛び出して来るのかもしれない。
幾百幾千の可能性を予想し、その全ての対策を瞬時に脳内で構築する。

読み合いと言う点においては同等とはいえ、仕掛ける側と仕掛けられる側という立場では僅かに不利だ。
先手を打てず、ただこちらはひたすら受身に回るしかないのだから。

「手厳しいな。確かにこれまで何度かイタズラをした事は事実だ。しかしだからと言って二十四時間そんな事を考えている訳ではないよ」

いや、考えているだろう。
頭の中でマリアは呟く。

目の前の人物はどんな時でも遊び心を忘れない、それこそヤンチャな子供の化身なのだ。
緋緋色金に選ばれし者の子供っぽさを侮ってはけない、マリアはそれを身を持って実感している。

しかし、このままでは堂々巡りなのも事実だ。
あくまでしらばっくれるシャーロック、頑として動かないマリア。

変化のない平行線、どちらかが譲歩しなければ状況は進まない。

「・・・・わかりました、受けて立ちましょう」

このままスルーして部屋に戻るという選択肢はない。
そんな事はとっくの昔に実戦した。

しかし、最高の名探偵には当然お見通しなのだ。
無視してさっさと眠ろうと油断していた所を、部屋に入った瞬間に上から黒板消しが落ちてきた。

チョークの粉は付いていなかったので服が汚れることはなかったが、見事に脳天に直撃。
その時は、なんとも筆舌し難い敗北感がマリアを襲った。

真正面から打ち破ってやりたい。
これはマリアの中に存在する数少ない感情の中でも、一際強い使命感にも似たものだった。

「ふふ、そうかね。ゆっくり休むといいよ」

その反応すら予測済みなシャーロックは、笑顔をより深くする。
細心の注意を払って扉を開け、いつもと同じ調子で、しかし慎重に出ていくするマリア。

そしてこれから、実際には十分に満たない、しかしマリアにとっては長い長い心理戦が幕を開けたのだった。


















「・・・・やられた」

暖かい湯船に体を沈めながら、私はそう呟いた。
曾お爺様に仕掛けられた罠、それを回避するために細心の注意を払ってここまでやって来た。

そして服を脱ぎ、浴場に入って、体を隅々まで洗って湯船に浸かって尚、何も無かったのだ。
それはもう見事なまでの平穏。

ただ、私が無駄に警戒して精神力を削っただけ。
そう、やられたのだ。

何も仕掛けず、しかし仕掛けたフリをする。
それが今回の作戦だったのだ。

自走する人体模型を始め、多くの玩具をあちこちに隠している曾お爺様。
今回も、それらを使ったイタズラを仕掛けるのだと思わされていた。

先入観を利用した心理攻撃、またしても空回りだった。
こうしてジッとしていても、何も出てくる気配はない。

私の部屋に仕掛ける可能性もあるが、既に警戒している私に効くとは思っていないだろう。
脱衣所も浴場も念入りに調べた。

結果、今回は何もない。

「・・・・ふぅ」

溜め息がこぼれる。
何度やっても、どうやっても勝てないただ一人の存在。

悔しいと思うのも、勝ちたいと願うのも、曾お爺様の他には一人もいない。
私に明確な感情を幾度も抱かせる、たった一人の人物。

他の人と話していても感情は出るが、そこまで起伏の激しいものではない。
曾お爺様に負けた時ほど、あの焦がれるような思いは出てこない。

―――君にもいつか、パートナーは現れるさ。何故なら君も、一人の『ホームズ』なのだから

いつか言われた言葉。
正直、ピンと来ないものだった。

出来るかどうかと言うより、そもそも必要なのか? と言う考えが大きい。
姉さんは分かる。まさにホームズの特性を引継いでいて、パートナーがいれば力を何倍にも高めるだろう。

でも、私は違う。
イ・ウーと言う世界最高の育成学校で鍛えられた私は、個人戦力として確固たる技能を身に付けた。

かつて曾お爺様がワトソンを必要としたのも、一因としては『条理予知』が不完全だったからとも言える。
今の曾お爺様にパートナーが必要かと問われれば十中八九、否だ。

『条理予知』は万能の力ではなくとも、至高の力であることは事実。
これ一つだけで万事に対応出来る無限の応用性であり、圧倒的な実力差すら帳消しにする。

いまだ戦闘面のみとはいえ、私もこの力をそれなりに使えている。
現実としてイ・ウーでも曾お爺様意外に負けるつもりは無いし、世界でもそこそこは渡り合えると自負している。

逆に言えば今さら他人と組むという発想がそもそも沸かないし、そんな機会があるとも思えない。
しいて言えば、これからは金一さんとは組む事があるだろう。

最初の任務の引率兼監査の役割を任されるかもしれない。または共同任務で一緒になるかもしれない。

「まぁ、考えても仕方なのないことですね」

思考を打ち切って湯船から出る。
イタズラがないのなら、今度こそ部屋でゆっくりと眠りたい。

どの道、カナが金一さんとして目覚めるには数日を要する。
それまで特に用事はないだろう、久しぶりに「あそこに」でも行こうか。

今後の予定を頭の片隅で考えながら、脱衣所に続く扉を開けた。
ガラガラと音を立てて開いていく。

そして直後、今まさに服を脱ごうとしていたらしい人物と目が合った。

「なっ・・・」
「・・・」

同時に硬直した私達。
一秒、二秒と過ぎていく時間が、何倍にも長く感じた。

その時、私の頭の中はたった一言で埋めつくされていた。


――あぁ・・・・・やられた。



目の前にいるカナを・・・・いや―――――
金一さんを見ながら、私はそう思わずにはいられなかった。

-25-
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