小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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二十八話










マリアは走っていた。
急ぎの用事があるわけでも、緊急事態が起こったわけでもない。

ただひたすらに茶番な演技のために、マリアは走っていた。
今の彼女は逃げ惑う少女。

大嫌いな者の気配を察知し、その逆方向へと一目散に逃げる少女。
周囲のことなど目に入らず、ただ必死に走り続ける。

呼吸が荒くなるフリ、足元がおぼつかなくなるフリ。
声が出ないフリ、人が怖いフリ。

降ろした髪に隠れた超小型インカムから聞こえる指示を、黙って遂行するだけ。

≪そのまま直進だマリア、先の角を曲がって「少し進んだ所」で鉢合わせするだろう≫
「はぁ・・はぁ・・・はぁ、はぁっ――」

返事はせず、黙々と目指す。
信用半分疑惑半分。

これがマリアのシャーロックに対する接し方だ。
彼は面白がるためなら曾孫にも平気で嘘をつく、だから決して信用しきってはならない。

もしかしたら何気ない発言が布石であったり、意表を突くための嘘だったりするかもしれないのだ。
あっそう、くらいに信用し。本当かよ、くらいに疑う。

それが丁度いい、だからこそ。

「ぁっ・・・!」
「なっ!?」

こんな事態になっても、マリアは思う。

(あぁ、やっぱり)

と。
か弱さを前面に押し出せとの指令を受けていたため、受身も取らずにそのまま尻餅をついた。

感情の起伏もそれなりに激しくとも言われたので、ちょっとだけ痛そうな顔も演出する。
顔をしかめ、お尻をさすりながらマリアは金一の反応をうかがう。

大した衝撃ではなかったため、ほんの少し後ずさるだけにとどまっていた。
しかし、その顔は異様に赤い。

昨日の焼き増しのように固まって動かない。

「?」
「あ・・・あの・・その・・・下」

ギギギと効果音でもつきそうな感じで顔を逸らし、指さしてくる。
視線を向ければ、転んだ体勢でワンピースの裾が少しめくれていた。

金一の立ち位置からして、バッチリとパンツが見える状態になっていた。

「・・・・」

しかし大した反応もせず、ゆっくりと裾をなおす。
全裸を見られても平然としていた前例がある以上、ここは演技で誤魔化す必要がない。

マリアからすれば、むしろだからどうしたと言う心境でしかない。

≪失敗したかも! やっぱりここは制服に食パンにしておけば良かった!!≫
≪だがそうすると幻想的というテーマが崩れるのではないか?≫
≪うむ・・悩ましいが、既に賽は投げられたのだよ二人とも。我々はおとなしく楽し・・もとい見守ろうじゃないか≫

回線をオンにしたまま耳元で騒ぐ三人。
指令がないなら黙ってろと言いたい。

「す、すまない! 昨日といい今といい、恥ずかしい思いをさせてばかりで」
≪ウブな純情少年キターーーーーーーーー!!!!≫

わたわたと手を振ってしきりに謝る金一。
彼のインカムはオフ状態なので聞こえてないが、あまりに大音量で叫ぶ理子の声に、マリアの顔が僅かに歪む。

それを見て何を勘違いしたのか

「な、泣くな! 気持ちは分かるが・・全部事故なんだ!」

などと言った。
むしろマリアにとっては泣きたくなるほどの茶番なのだが、実際に涙など出ようはずもない。

そう言えば最後に泣いたのはいつの事だったかと、マリアは頭の隅でうっすらと考えていた。

「そ、そのだな・・今日は君に謝りたくて会いに来んだ。さっきも言ったが、昨日も今日も本当に申し訳なかった」

深く頭を下げる金一。
その姿には先程までの挙動不審さはなく、ただ純粋な誠意を感じられた。

「かと言ってこれで許してもらおうなどとは思っていない。君の気が少しでも晴れるなら煮るなり焼くなりしてもらっても構わない」

頭を下げたまま、言葉を紡いでいく。
疑念など抱く余地すら与えない、真摯な言葉。

マリアは一瞬、もういいと言葉に出しそうになった。
これは全部あの―――見た目は大人、頭は子供な名探偵に仕組まれた茶番なのだ。

そんなものに振り回され、貴方が頭を下げる必要はないのだ、と。
しかし、ここで声を出せば全てが水泡に帰す。

そうすれば回り回って正体がバレるきっかけになるかもしれない。
どの道、この茶番は最後までやり通さなければいけないのだ。

マリアはスッと立ち上がり、金一に歩み寄る。
いまだに頭を下げたままの彼の肩に、そっと手を置く。

頭を上げて欲しいと伝えるように、軽く押し上げるように力を入れる。

「・・・なにか決まったか?」

これは、罰が、という意味だろう。
マリアは無言で首を横に振る。

元より何とも思っていないというのに、何を罰しろというのか。
たとえ恥ずかしいと思っていても、ここまで誠実に尽くした彼を許さない理由が分からない。

これは個人差だろうが、少なくともマリアはそう思った。

「・・・許してくれるのか?」

こくりと頷く。
それに金一はホッとしたような、しかしどこか複雑そうな顔を見せる。

許してもらえた嬉しさ反面、何もお咎めなしな事が少し不満なようだ。
責任感の強い彼らしい反応だと、内心で笑みをこぼすマリア。

「その、何かやって欲しい事とかないだろうか? 何もしないと言う訳にも―――」

食い下がろうとする金一を、マリアは半眼で睨んだ。
何か文句でも? と無言の圧力を放ちながら。

「あ、そっ・・・・・いや、なんでもない」

正確に読み取り、ガックリと項垂れる。
元Sランク武偵としての威厳など、欠片も存在しなかった。

こうして一連のやり取りに区切りがつき、マリアはさっさと退散しようと思った。
謝罪は受け取り、金一の頑固は圧殺した。

これで彼も心置きなくここでの生活を遅れるだろうと。
ペコリと頭を下げ、横を通り過ぎて立ち去ろうと―――――

「あっ・・ま、待ってくれ!」

して、咄嗟に手を掴まれて失敗した。
か弱い少女を演じろという指令。まさか呼び止められるとは思っていなかったこと。

その二つが合わさり、ビクリと震えてしまった。
戦う時の反射も合わさり、咄嗟に手を振りほどいて距離を取る。

その様子に、またも己の失態を悟った金一。

「あいや、驚かせてすまなかった。実はその・・・まだ話があって・・」
「?」

演技ではなく本心から疑問符を浮かべるマリア。
謝罪も受けて、許すという意思も伝えた。

それで終わりのはずだった、しかし心当たりがない訳ではない。

(まさか、曾お爺様の言葉を律儀にこなそうと・・)

友人が出来れば云々という会話があった。
それに伴い、本気でコミュニケーションを取ろうというらしい。

金一ならやりかねないと予想はしていたが、出来ればそっちは諦めて欲しかった。
なにせそんな事になれば、またこんな茶番を繰り返すことになるだろう。

叶うならこの一回っきりにしたいマリアにとっては避けたい事態だ。

「あ〜その・・・・・そう、まずは君の名前を教えてくれないか?」

首を傾げる。
それは声を出して言って欲しいと言う事をさすのか。

「あ、もちろん声に出さなくていい。これを持ってきたんだ」

そう言って金一が取り出したのは、小さなメモ用紙とペンだった。
これを使って意思疎通を図ろうと言うのだろう。

(いつの間に用意してたんですか・・・)

昼の会話から殆ど直行で始めたはずだ。
こんなものを用意する時間は無きに等しかったはず。

≪ふむ、なかなか用意周到だね金一君≫
≪おのれやはりそう言う魂胆か! デュランダルの錆にしてくれる!!≫
≪ムッツリスケベだー! ここにムッツリスケベがいますよー!!≫

うっとおしいことこの上ない通信を無視して、そっと受け取る。

「そう言えば俺も名乗ってなかったな。知っているかもしれないが、昨日からここに入学した遠山金一だ。 言っておくが、男だ」

男、の部分を強く強調して締めくくる。
コクりと頷いてから、マリアはメモに向き直る。

ここで名前を教えるべきか否か、しばし思考する。
べつに教えるだけなら偽名で事足りるが、これ以上関わりを持つのは得策ではない。

しかしこの場は教えないと話が進まない、終わるにしてもきっかけを掴まなければ。
そう思い、紙に即席で考えた名前をサラサラと書いて見せる。

「ミア――と言うのか。よろしく」

頬を和ませる金一。
ものの二秒弱で考えた名前などとはとても言えまい。

その後も何か続くのかとマリアは思ったが、どうも進まない。
あー・・とか、その・・とか繰り返すばかりで、どちらかと言えば話題を探しているように見える。

無いのならさっさとさよならしたいマリアは、また自分から切り出す事にした。

―――終わり?
「いやまだだ、なんというか・・・そうだな・・」

慌てて否定するも、咄嗟に話題が出てこない。
あまり普段から人と世間話をする訳ではないのは、金一も同じだった。

若くして武偵として活動に勤しんでいたため、同年代と話す事も少ない。
人と話す機会と言えば、大半が任務のブリーフィングや事件関連の噂のことばかりだった。

潜入任務も少なからずこなしたが、その時とはまた違った感覚だった。
加えて今、金一は極度の緊張状態に陥ってる。

そのため思考が上手く回らず、判断が鈍っているのだ。

「そう! 昨日入ってきたばかりで話相手がいなくてだな、出来ればたまにでも話をさせて・・・くれないかな・・・と」

我ながら苦しいとは重々承知だった。
そもそも話し相手として選ぶには少しばかり難があるだろう。

どこにいるかも察知出来ない、声も出せないうえに対人恐怖症。
関わるにしたってもう少し良いチョイスをするべきだ。

なによりここはイ・ウー。教育機関の側面があるとはいえ、決して友達づくりのための学校ではない。
友人が欲しいなら他に行け、と言われても仕方のない発言だっただろう。

≪ブッブー! はいダメー! もうちょっと気のきいた事言えないのかなー?≫
≪しょせんはムッツリだ、不埒な思考で頭が満杯なのだろう≫
≪あっはっはっはっは! とても面白い展開になってきたね、どうするんだいマリア?≫

観客たちはそれぞれの意味で盛り上がっている。
いい加減に回線を切って欲しいとせつに願う。

マリア側から切れない事もないが、それにはインカムに触れねばならない。
そんな不自然な行動を取るわけにもいかないので、やむなく茶番を続行する。

とは言え、そろそろマリアも限界だ。
こんな事をいつまで続ければ気が済むのか、面倒なんて次元ではない。

振り回す側もそうだが、振り回される側も含めて、マリアはだんだんと苛立ちを感じていた。
しかし表面には決して出さず、ただ終幕への一手を講じる事にする。

―――気が向いたら。
「あ・・・そ、そうかっ。ありがとう」

嬉しさ半分、落胆半分。
またしても複雑そうな顔をする金一に、マリアの苛立ちが強くなる。

どうにも理由がハッキリしない感情を弄び、今度こそ身を翻した。

「あ、ミア!」

呼び止める声にも足は止めない。
全力で走り、さっさと見えた角を曲がって立ち去る。

最初こそ追いかけてくる足音が聞こえたものの、金一は昨日ここに来たばかりだ。
対してマリアはもう五年以上前からここで住んでいるため、シャーロックの秘密の仕掛け以外なら知らない所はない。

地の利は圧倒的で、ものの数秒でマリアは金一を振り切った。
それでもしばらく走り続ける。

不可思議な苛立ちを吐き出すように、あるいは吹き飛ばすように。
そんな中、ふたたびインカムから声が聞こえた。

≪マリア、最後にやっておいて欲しい事がある≫

少しだけ真剣さを帯びたシャーロックの声。
その指令を聞いた時、まるで意図が分からなかった。

しかし、考えるのが億劫になっていたマリアは、特に問いただすでもなくそれを実行した。















「はぁ・・・はぁ・・・はぁ」

呼吸を整えながら見失った背中を探す。
しかし分かる、もう彼女を見つけるのは無理だと。

一応、目的は達成したと言えるのだろう。
謝罪も述べて、少し処遇に不満はあるが許してはもらえた。

また話せるかもしれない所までは持っていったし、成果は上々と言えるだろう。
だが―――――

「・・・はぁ」

思わず溜め息をついてしまった。
あれだけ意気込んだにも関わらず、情けない姿を見せてしまった。

きっと向こうからすれば挙動不審にも程があっただろう。
自分でも情けなくくらいに言葉が詰まり、何度も死にたくなった。

名前を聞き出せた時は普通に接することが出来たが、内心で歓喜したのは悟られなかっただろうか。

「・・・ミア」

そっと彼女の名前を呟く。
白いワンピースに白の日傘帽子、それに加えて素足という、なんとも不思議な風貌をしていた。

まるで海辺の砂浜にでも散歩してきたような格好。
絵に書かれた風景からひょっこり抜け出て来たかのような不思議な空気を纏っていた。

髪と目の色も相まって、まるで違う世界の存在と出会ったような幻想的な再会だった。
薄暗い空間に存在する純白、その中から除く二対の空。

場違いなほどに浮いていて、雲のようにフワフワと掴みそこねそうな存在。
咄嗟に掴んでしまった腕は、驚くほどに細く華奢だった。

女の子なのだから当然かもしれないが、彼女はそれ以上に儚く感じてしまう。
自然と、掴んだ方の手を見つめてボーっとしていた。

≪金一君、聞こえているかい?≫
「っ! あ、はい教授」

突然やってきた通信に、なんとか平常心を保って答える。
随分とタイミングがいいな。

≪彼女の居場所が君から離れているようだからね、終わったのかと思って連絡したんだが≫
「ああ、そうですか」

卓越した推理とは本当に応用が効くな。
ここにいる間に少しでも教えてもらうのもいいかもしれない。

≪それで、どうだったかね?≫
「一応最低限の目的は達成したかと、また話せる可能性も皆無ではありません」
≪それはよかった。彼女は気難しいから、問答無用で逃げられる場合もあったんだが≫

確かに、一度謝罪のみでさよならしてしまうところだった。
あの時に掴んでいなかったら、名前も聞き出せなかっただろう。

≪ご苦労だったね、今日はもう自由にするといい。己を研鑽するもよし、他の人間と交流を深めるも自由だ≫
「わかりました」
≪頑張りたまえ。いろいろとね≫

少し意味深な言葉を残して切れる。
きっとミアの事も含めた発言だろう。

インカムを外し、特にあてもなく廊下を進む。
すると、少し先の床に微かに光を反射する物が落ちていた。

「なんだ?」

近づいてしゃがみ、それを拾い上げる。
どうやらピンのようだ。

黄色い、おそらく女物の。

「!? これは・・・」

その時脳裏に再生される、ミアの姿。
全てが純白で纏められた服装の中で、唯一色の違った小物として彼女の髪に付けられていた。

手の中にあるのはまさに、ミアが付けていた髪留めだった。

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