小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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三十六話










黒煙と悲鳴が渦巻く施設の中で、私は走っていた。

「西口が開いているわ! そこから逃げなさい!」

すれ違う職員達に言葉を投げ、奥へ奥へと戻っていく。
逃げ遅れた人達に肩を貸し、簡易的な治療を施して出口へと向かわせた。

ようやく最奥へと辿り着き、他に残っている者がいないかと素早く視線を巡らせる。
さすがに爆発の中心部に近い所まではいなかったようで、それを確認して元来た道を戻り始めた。

―――ルールは簡単です。スタートから三十分間の猶予の後、私は任務を再開します

思い返すのはフリッグの楽しそうな声。
人を殺める事に微塵の躊躇もなく、石を蹴飛ばす程度の揺らぎもない。

殺しを快楽とするような犯罪者に会ったことはあるけれど、あれは違う。
殺し屋同然の事務的な殺人、しかし中身は殺し屋などと言うレベルじゃないのだからタチが悪い。

―――出口も全て解放しましょう。その間、貴方は好きにすればいい

さすがに数十分もの間、全力で走り続けるのはキツイもがある。
けれど止まる訳にはいかない、百人以上の人の命がかかっているのだから。

―――職員を逃がすもよし、私が任務を再開した時に邪魔するもよし。とにかくあらゆる手段を用いて私の任務を失敗させれば、貴方の勝ちです

既に始まってから二十五分が経過した。
殺された職員以外は全員を誘導し、もうすぐ退避も完了する。

バラバラに逃がすことも考えたけれど、それだと時間が過ぎた後に全員を守ることが出来ない。
何割かは確実に逃がせても、残りは確実に殺される。

だから近場の出口から脱出させた後、一塊になって山の向こうまで逃げ延びるように指示した。
人里まで辿り着ければこちらの勝ち、そうでなければフリッグの勝ち。

誰もいなくなった施設を出れば、肌寒い風が体を撫でる。
研究所から六百メートルほど離れた所に、今も背を向けて走り去っていく職員たちが見えた。

フリッグがいるのは施設の屋上、彼等の姿はもちろん見えているはず。
なるべく距離をおきながら、私はフリッグと彼等の間に入るように陣取る。

残り時間は一分を切った、ここから先は私がどれだけ食い止められるかにかかっている。
ピースメーカを最初から両手に持ち、いつでも応戦出来るように構える。

フリッグと職員達の距離は、もうすぐ七百メートルに達しようかというほど。
あの距離から撃ってくるとは考えにくいけど、私は彼の力の底を知らない。

だから銃なら弾き、近付いて来るなら全力で足止めする。
時刻を確認すれば、あと十秒。

いったい何故、彼がこんな事を持ちかけたのかは分からない。
もしかしたら彼も、なんて考えが出てこなかった訳ではないけど、それはきっとない。

それなら最初から施設の破壊にとどめ、ここを去れば良かった。
彼は任務を確実にこなす気でいる。

それなのにどうして・・・。
けれど、今それを考えている余裕はない。

姿勢を低くし、遠くに見える黒いシルエットに目を凝らす。
あそこから職員を殺そうと思えば、狙撃銃でも持ち出さない限り不可能。

例え持っていたとしても、今から全員を殺すにも時間が足りない。
あと百メートルも進めば、彼らは山道に入る。

そして今から追いつこうとしてもニ・三分はかかるから、確実に始末出来る確率は低い。
この時点で、私の勝ちはほぼ確定しているようなもの。

ルールを聞いた時から、有利な勝負だとは思っていた。
これは私達の実力差からのハンデなのか、はたまた別の理由なのか、それは分からないけれど。

それでも、結果的に彼らを救えるなら異議はない。

残り―――三・・・ニ・・・・一・・・

―――――スタート。

誰かが言った訳ではなくとも、そんな宣言が頭に響いた気がした。
緊張は最高に達し、寒いはずなのに汗が頬を伝う。

大丈夫、やれると、自分に言い聞かせる。
あの距離から攻撃出来るような超能力は、少なくともイ・ウーにはなかった。

だからステルスを行使してくる事はないはず。
来るなら射撃か、近接戦。

数瞬の間に思考が激しく回り、オーバーヒートでも起こしてしまいそう。
そうして油断なく私は構えて―――いるのに・・。

「・・・どうして」

どうして――――彼は動かないのか。
二百メートル離れていてもハッキリと見える、炎を背に浮かび上がる漆黒の影。

身に纏ったコートの裾が風にはためき、確かにそこにいると確認出来る。
しかし、いつまで経っても動かない。

まるで時間が経過したのを知らないかのように、ジッと佇んでいる。
何かの策か、それとも本当にミスを犯しているのか。

もし後者であれば願ってもないことだけれど、そんな楽観視をしていい相手じゃない。
警戒を解くことなく見据え続けるけど、やっぱり動きがない。

どうしようかと判断しかねていた時、不意にチカッと光がまたたいた。
彼の手元から放たれている光、チカチカと、一定のリズムで何度も光る。

「和文・・モールス?」

何故このタイミングで?
考えるよりも早く、ほとんど反射的に脳がそれを解読していく。

―――ゲ エ ム オ オ バ ア

ゲームオーバー・・・?

―――ウ シ ロ

後ろ・・・・・っ!

その意味を理解した瞬間、私は即座に振り返った。
数秒前に走っていく姿を確認した、生きようとする背中を見せていた。

山道に入る、その一歩手前の場所に、彼等の姿はあった。
小さな池のように広がる―――血の海の中に。

「そん・・・なっ・・」

気が付けば、私は走り出していた。
ペース配分など微塵も考えていない、がむしゃらな走り。

呼吸の乱れも、張り裂けそうな胸の痛みも意識の外。
どれだけ体が悲鳴を訴えても、それ以上の何かで押しつぶされる。

医療の知識を持つが故に、脳が囁いてくる。
行っても無駄だと、一目見れば瞭然だと。

しかしそれでも、ひたすら走って希望に縋る。
まだ、もしかしたらと。

たどり着いた場所は、まさに地獄の一言で。
あきらかに全員分の致死量、手の施しようのない状態。

そもそも体がバラバラにされて、治療以前の問題である者が大半だった。
そう、バラバラなのだ、例外なく。

銃で撃たれるでなく、鋭利な刃物で切断された後だった。
脳裏によぎる、フリッグの技の一つ。

何を使って、どう振るって、どこに存在するかも分からない。
そんな、それこそ超能力としか形容出来ない彼の技。

しかし、本人はれっきとした物理攻撃だと言っていた。
実体のある武器による、ただの切断に過ぎないと。

詳細はついぞ教えてくれなかった、謎の多い不可視の何か。
忘れていた訳ではなかった、むしろ彼を相手にする上で最も警戒しなければいけないもの。

だけど、認識が甘かった。
物理攻撃だと言われ、実体があると言われた。

その断片の情報から、中近距離の技だとばかり思っていた。
イ・ウーでは遠距離の訓練なんてそもそも出来ないけれど、それ故に先入観を持ってしまっていた。

近距離でしか体験した事がなかったからこそ、それが間合いなのだと錯覚していた。
本当に甘い、甘すぎる私の判断。

それが・・・彼らを殺してしまった。

『お疲れさまでした。 任務完了ですねぇ』

呆然と立ち尽くす私の背中に、あのどこまでもお気楽な声がかけられた。














血の池の前に立ち尽くすカナに、フリッグは言葉を投げかける。
その声はいつもと変わらず、聞くだけではたった今百人以上の人間を斬殺したなどとは誰も思わないような気軽さだ。

『いや〜しかし助かりましたよ』
「・・・・な・・に・・・?」

放たれた謎の言葉に、カナの口から掠れた声が聞こえる。
ショックから抜け出せぬまま、なんとか聞き取って反応したようだ。

『なにせあのまま研究所内でごちゃごちゃと逃げ惑う彼らを始末してたら、もうすこし時間がかかってしまったでしょうからねぇ。カナ、貴方の御陰で手間が省けました』
「なんで・・すって・・?」

いまだ衝撃の中、頭が上手く回らないのだろう。
振り向いたカナの表情は、困惑の一色で染まっていた。

そんな様子を見て、クスクスと笑いをこぼすフリッグ。

『ねえカナ? 出口が複数開いていたにも関わらず、貴方は彼らを一纏めにして移動させた。それは何故です?』
「それは―――」
『大方、分散させれば私から全員を逃がせずに殺させてしまう。私が動き出す前に距離を稼げば、後は自分が食い止めれば十分に全員を逃がせる。そう思ったのでしょう?』
「・・・・」

苦虫を噛み潰したような表情で、顔をふせる。
別に考えを看破された事自体はどうでもいい、それなりに頭の回る者なら簡単に分かる事だ。

例え知られても充分に逃がせるだけの可能性がある―――はずだった。
それが失敗に終わったのだから、返す言葉もない。

『確かに、ハッキリ言って分散されれば私と言えど全員を始末するのは難しかった。だけどそれはないとも思っていましたよ。 何故なら、貴方ならばきっと「全員を救うために絶対にああすると信じていました」から』
「―――っ!!」

告げられた言葉に、カナは落雷に打たれたかのような衝撃を味わった。
生かす事が出来たはずだった、本来なら。

後ろで無残な最後を迎えた、その内の何割かは。
超えられなかった、彼の技の限界。

分散させていれば、それを超えるはずだった者達が確かにいたのだ。
しかしそれは出来なかった、紛れもない・・自身の判断のせいで。

そして、それすら彼の思惑通りだったと言う。
どんな状況でも誰もを救わんとする精神を、見事に利用された。

最初から、彼にとっては結果の決まったお遊びでしかなかった。
元の原因がカナの判断にある以上、ルール違反でもなんでもない。

正当な出来レース、誰もが納得済みのヤラセだ。

『まあ結果的オーライって事で教授には告げ口したりしませんから、そこは安心してくださいよぉ。貴方はイ・ウーにおいて今や不可欠な人材ですから』
「・・・・だ・・」
『?』

かろうじて聞き取れるかどうかの、囁くような低い声。
いつしかカナの肩が震え、拳が強く握られているのに気付く。

その直後、恐ろしいまでの形相でフリッグを睨んだカナ――――いや、金一がフリッグに掴み掛かった。

「お前は! 何なんだ!!」

地面に押し倒し、胸倉を掴んで叫ぶ。
その目には涙を浮かべ、怒りに染まった鋭い視線をぶつける。

「貴様はあの技を物理攻撃だと言ったな!? 実体のある武器だと! あんな距離から一瞬で人を八つ裂きに出来る武器が何処にある!!?」

HSSを解除してしまう程の、激しい怒り。
思考の渦の中で引っ掛かった疑問を、そのどす黒い感情に乗せて吐き出す。

確かに、金一の問いは正しい。
いかに遠距離から人間を切断出来たとしても、腑に落ちない点は存在する。

出来ると仮定しても、一瞬で全ての過程をこなすなど出来るだろうか?
何の準備もせず、やろうと思った瞬間に、手に持った何かを五百メートル以上離れた人間に届かせるなど、それこそ狙撃銃並みの武器でもなければ不可能だ。

それを実体のある切断武器でこなすなど、物理法則を度外視しすぎている。
要は、金一はフリッグが予め仕掛けを施したのではと考えているのだ。

三十分の猶予を与えると言いながら、それが過ぎた瞬間に終わらせられるような何かを。
もしそうなら、話は全く違う方向へと変わってくる。

ゲームのルールの範囲内なら全ては金一の判断ミスだが、ルールが最初から破られていたのなら別だ。

「お前は俺が彼らを誘導している間に悠々と仕掛けを施した。俺が彼らを救おうとしたのを、彼らが必死に生きようとするのを笑って見下しながら! 違うか!?」

普段の彼からすれば、どうしようもなく冷静さを欠いている。
疑問自体は的を射ているが、状況証拠だけで他には何もない。

フリッグがしらばっくれれば、それで終わりなのだから。
そしてそれ以上に、なによりも―――――

『・・・仮にそうだとして、どうしようと言うんです? もう彼らは死んでいるのに』
「!!・・・くっ!」

そう、何もかも無意味だ。
死者は生き返らない。何をしても生き残った者の自己満足でしかない。

『それにですねぇ、どの道貴方が効率的な判断をしていれば何割かは助かったのは変えようのない事実ですよ。どれだけ怒ろうと叫び散らそうと、ね』
「・・・う・・・くぅっ・・!」

より一層顔を歪めた金一は、そっとフリッグの上から退く。
両手で顔を覆い、背中を丸めて呻き声だけをもらす。

体全体が震え、金一がどれだけ悔いているかを物語っている。

『誰もを救う―――実に素晴らしい。貴方はそれを実行してきたし、時と場合によってはこれからも出来ることでしょう。ですがねぇ、いつでもどこでも貴方一人で出来るほど、簡単じゃないんですよ』

体を起こし、コートについた土をはたき落とす。
語りかけるその言葉は、いつもと違ってひどく無感情で冷淡だった。

まるで自分に言い聞かせているようにすら聞こえる。
もっとも、今の金一にはそれに気付く余裕はなかった。

「俺は・・・・俺はっ」

爪が食い込むほどに強く拳を握り、地面を殴りつける。
何度も何度も何度も、殴った自分の手が傷ついても止まらない。

悲しみすら滲ませる鈍い音が、周囲に静かに響いていく。
鉄くさい死臭が漂うその場所で、それは日の光が二人を照らすまで、いつまでも聞こえていた。

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