三十七話
先日のゲーム以降、無事に修正は出来たと言えるでしょう。
帰還後は丸一日部屋に閉じこもり、出てきた彼は纏う雰囲気が変わっていた。
カナでいる時間が前よりも遥かに増し、むしろそうでない時が少なくなった。
リシアの所にもよく足を運んでいるようで、何かあったのかとよく聞かれる。
彼女曰く、前よりも刺々しくてちょっと怖い、とのこと。
特に知られて困るような事ではなかったので、かいつまんで事情を説明した。
すると、滅多に見られないリシアの激昂を目にすることになった。
「なななんでそんな事になるんですか!? ああっ、あの人が可哀想じゃないですか!!!」
口調こそ相変わらずなものの、明らかな不満と怒りを滲ませる。
人見知りな彼女がここまで他人の事で怒るのも珍しい。
根っからの優しい性格とはいえ、親しくない者の事で本気になれる人間などそうはいない。
金一さんはカナの休眠時にはよくここに訪れるので、二人はそれなりに親しいのだろう。
前に見た時はかなり硬さが抜けて喋っていたようだし、彼の人柄もあるのでしょうね。
ましてやお互い治す事に長けている者同士、共感する物も多いはず。
「教授もあんまりです!! だだっ誰ですか! 彼にそんなゲームを持ちかけたのは!!?」
「私ですが?」
「何でですかぁぁ−ーーー!!?」
彼女が勢いよく立ち上がり、その拍子にイスが倒れる。
怒りを通り越して涙目で詰め寄ってくるリシア。
そんな様子も可愛らしいのは彼女の幼さが原因でしょうか。
それにしても、ここまで怒るとは。
人の感情は『条理予知』を持ってしても苦手な部類に入るため、未完成な私は特にそれが顕著だ。
親しい人間が悲しんでいるのに憤る、というのは分かる。
その原因が同じく親しい人間だとなおさら、というのも、まあ一応。
しかしそれを加味した上でも、些か過剰反応だと感じるのは気のせいでしょうか?
人の好意に関する知識は乏しいため、考えてもシックリくる物が見当たらないない。
「リシアは、そんなに彼の事が心配なのですか?」
「うううえぇおうわえぁぇ!?!」
故にこうして直接聞き出す以外の方法が分からない。
そしてこんな反応を見せれられれば、理子に聞いた基準でしか判断せざるをえない訳でして。
「ふふ、そうですか。どうかお幸せに」
「はは話が飛びすぎですぅ!?!!」
微笑ましいほどに真っ赤になって腕を振り回すリシア。
しかし決して周囲の医療道具に被害を出さない所はさすがと言うほかない。
ふむ、これは理子の言うところの『ツンデレ』なる物でしょうか。
少々聞いていたものと違う気もしますが、好意に素直になれないと言う点では合致している感じがします。
理子・・・と言えば、先日の一件ですが。
ジャンヌに対して何かしらのリード宣言をしていたようですし、何か競争でもしているのでしょうか?
予想外どころではない行為に思わず固まってしまいましたが、冷静に考えても判断しづらいですね。
あの二人はいつも競うように揉める事が多いですし、それをいちいち把握するのは面倒だったので。
しかし女性同士のキス、となると、どう言う意味があるのでしょう。
また漫画やそれに類するなにかしらに載っていた儀式か何かでしょうか。
親愛の表現、であれば頬で事足りるでしょうし。
・・・・そういえば、理子の持つ異様に薄い本の中に、同性が恋愛をするという内容の物がありましたね。
しかも、現実にそういう方々がいるのだとか。
空想ならともかく、実際にあのような生産性のない行為をする方がいると聞いて衝撃を受けたのを覚えています。
しかしまぁ、これは考え過ぎでしょう。
理子は事あるごとに理想の男性とか夢見る乙女とやらについて語りますし、そんな様子は今まで微塵も見せなかったわけですから。
きっと感極まって間違えてしまったんでしょう、涙で視界が霞んでいたでしょうし。
しかしそうすると最後の一舐めが説明できませんが、深くは考えないようにします。
「そそそそんなんじゃありません!! だって私は!!」
「私は?」
「わた・・し・・・は・・・〜〜っ!」
突然さらに赤くなって頭を抱えるリシア。
必死に頭を振っていますが、具合でも悪いのでしょうか。
「だだだだって私は・・・・・ですしぃ。彼だって・・・・・・・・ですからぁ」
それがどうしてぇ、と。
囁くような小声で何やら葛藤している様子。
これも恋する乙女の悩みなのでしょうか、こんな時はどうしてあげればいいでしょう。
頭でも撫でてあげればいいのか、黙って待っていればいいのか。
それなりに真剣に悩んだのですが、突如顔をガバッと上げたリシアに―――――
「もう知りません!! ママっマリアさんの馬鹿ぁー!!」
と、追い出されました。
・・・難しいですね、乙女の恋心は。
横浜郊外の、昼でも薄暗い印象を受ける不気味な洋館。
鬱蒼とした森の奥に存在するそれは、幽霊屋敷と呼んで差し支えない。
周囲を囲む鉄柵は真っ黒な鉄串を空に向かって突き上げ、奥には茨の茂みが続く。
どんよりとした霧が屋敷を包み、時折コウモリが羽ばたいている。
ホラー映画の撮影現場にでも使われそうなその場所、名を『紅鳴館』。
人の住んでいる気配が外観からは感じられないこの館の中に、二人の姿はあった。
「ほう、それではリュパン四世が十字架を取り返しに来る直前から、ここでハウスキーパーとして働きたい。と言うことですか?」
「そうです」
向かい合って座る二人の人物。
一人は武偵校で非常勤講師を務めている小夜鳴 徹。
ブランドのスーツとネクタイを着込み、スラっとした細身で長髪の若い美青年である。
誰に対しても敬語で礼儀正しいこともあり、武偵校では女子に人気のある人物だ。
「具体的にはその作戦が始まる二日前から三週間ほどの契約でお願いします」
「それはありがたいですね、ちょうどハウスキーパーの二人が休暇を取りたいと言ってきていまして。前々からもう一人くらい増やそうとも思っていたんですよ」
常人ならそれだけで好印象を抱くような、爽やかな笑みを浮かべる。
しかし対面に座る女性、マリアには微塵の変化もない。
相手が自分を嫌っているか好いているかなど問題ではない、要は話が上手く通るかどうかだ。
理子の作戦がいつ始まるかは、前々から推理出来ている。
小夜鳴は知らないだろうが、どの道潜入するのがキンジとアリアの二人なら時期など関係なくバレる。
中のブラドに予め警告はされているのだし、知ったところで変化はない。
だが、小夜鳴は歓迎的でも肝心のブラドは簡単には行かないようで。
「・・・・あー。申し訳ないんですが、ブラドから要求がありまして」
「・・予想済みです、内容は」
「探せば代わりの見つかる役をやらせるのだから、相応の対価をよこせ。だそうです」
肩をすくめて苦笑いをする小夜鳴。
マリアも、タダで事が進むとは思っていない。
ブラドはこちらから対価を示せとは言うが、何を求めているかは透けて見える。
懐から小さな小瓶のような物を取り出すマリア。
その中には、微かに黒ずんだ赤い液体が入っている。
それを見た瞬間、小夜鳴の目がギラリと妖しい光を放つ。
「・・・それは?」
「分かっているでしょうに。貴方がたの好きな血ですよ、オルメスの」
聞いた瞬間、小夜鳴の端整な顔が歪む。
隠しきれていない歓喜が溢れ出るようだった。
「これで文句はないでしょう?」
「ええ・・・ええ、ある訳がありません。ブラドもご満悦のようですよ」
二人の間にある低いテーブルの上に、小瓶が置かれる。
それを、まるで国宝でも扱うかのように丁寧に持つ小夜鳴。
酔いしれるかのような恍惚とした光を灯し、その頬は興奮のためか僅かに赤く染まっている。
「それでは、三日後にまた来ますので。諸々の手続きはお任せします」
「ええ、喜んで引きけましょう。今日は記念すべき祝日になりそうです」
いまだ小瓶を見つめたまま答える。
放っておけばいつまでもそうしていそうな小夜鳴を放置して、マリアは紅鳴館を後にするのだった。
理子が武偵校に戻ってきた。
その再会はあまりにも唐突で、出来れば他にやり方は無かったのかと言いたかった。
アリアはすぐさまドンパチやり始めるし、理子はなんでか本気出さないし。
その時・・・・その・・なんだ。
たまたま偶然ヒステリアモードだった俺は、それを食い止めることに成功した。
あんな事件を起こした理子がこうしてここにいる理由。
それは、既に司法取引を済ませたからに違いない。
なんとかアリアをなだめる事が出来たが、その次にはとんでもない事を理子は言い出しやがった。
「キーくん、アリア。一緒にドロボーしようよ!」
おい、京都行こうよじゃねーんだぞ。
なんて事を考えていたのが一週間前の話だ。
今俺達の目の前には、ホラー映画にでも出てきそうな不気味な洋館が存在している。
なんかコウモリっぽいのがバサバサと飛んでるし、ここの上空だけ暗雲がたちこめている気がする。
こう言うのが基本的にダメなアリアは、既にビクビクしながら周囲を見回していた。
大丈夫かよおい、これからここで働くんだぞ俺達。
理子が言い出したドロボーと言うのは、簡単に言えば理子の大切な物を取り返すというものだった。
なんでも母親から貰った物らしく、それを聞いた時にアリアと一悶着あったんだが。
アリアと違って理子の両親は既に他界しているらしく、逆にアリアがバツの悪い思いをする羽目になった。
その後の理子の泣き落しにより、なし崩し的に俺達はここにいる訳だ。
「正午からご面会の予定をいただいていた者ものです。本日よりこちらで家事の手伝いをさせていただく、ハウスキーパーの二人を連れて参りました」
出てきた管理人に対し、やや引き攣った顔で話す理子。
その姿は金髪ヒラヒラの少女ではなく、俺のよく知る人間の顔だ。
他でもない、理子が起こしたシージャックの唯一の犠牲者である兄さん。
そのHSS状態での姿の、カナだった。
とは言っても、変装術だけでカナの美しさは表現しきれるものじゃない。
上辺だけの偽り、身が伴ってないまやかしだ。
まあ今はそんなことはいい、問題は管理人の方だった。
細身に着込んだスーツとネクタイ、女子に人気を得そうな爽やかな笑み。
ニコリと笑えば、その白い歯がキラーンと光りそうな、イケメン講師の小夜鳴だった。
「い、いやー。意外なことになりましたねー・・あはは・・」
向こうにとっても予想外だったらしく、苦笑いを浮かべている。
館に入ればより不気味な装飾の数々が姿を現し、アリアはより一層ビクビクしながら進む。
少し広めの一室に辿り着いて、全員が上等そうな椅子に腰掛ける。
まぁ、相手が先生だったからといってやることは変わらないだろう。
管理人に見つかればマズイと言う状況に変化はなく、変に緊張するほうが危うい。
「小夜鳴先生、こんな大きな屋敷に住んでたんですね、ビックリしましたよ」
「いやー私の家ではないんですけどね。ここの施設を使わせてもらう事が多くって、いつのまにか管理人みたいなのを任されるようになったんですよ」
はははと和やかな空気で会話する。
どうやら武偵校の生徒ということでも問題はないらしい、予定通り雇ってもらえるようだ。
その後も、カナの顔をした理子がさりげなく館の主人、ブラドの事を聞き出そうとする。
どうもブラドはとても遠い場所にいるらしく、俺たちがいる間に帰ってくるのはほぼないみたいだ。
心のなかでガッツポーズする俺は悪くないだろう、なんせ散々化け物とか絶対に勝てないとか言われたんだ。
「仕事の制服はそれぞれの部屋にありますので、サイズに合ったのを着てください。 あ、仕事の内容はもう一人の子に聞いてもらえればいいですから」
「え・・・もう一人?」
それは誰が発した言葉だっただろうか。
俺とアリア、それにもう一人ハウスキーパーがいるのか?
聞いてないぞ、募集はニ人だけだったんじゃないのか。
さりげなく理子の方を見るが、あっちも困惑しているようだった。
下調べの段階ではそんな人間はいなかったんだろう。
「えっと、募集は二人だけだったんじゃ?」
「ああ・・いえね、前々からもう一人増やそうとは思っていたんですよ。それで元々の子達が休暇を申し出てきた時と同じ時期にバイト希望の子が見つかりましてね、ちょうどいい機会ですから三人雇ってしまおうと思った訳です」
なるほど、確かにこの屋敷は広い。
ハウスキーパー二人だけでは手の回りきらない事もあるだろう。
少しばかり想定外だが、この程度なら誤差の範囲内なはずだ。
後はその一人がどんな人間かってのも重要になってくるな。
「ちなみに、その方はどんな人なんですか?」
これは俺の言葉だ。
これから働く者同士、気になるのは不思議じゃない。
だから当事者の俺かアリアが聞くべきだと思った。
「ああ、そういえば彼女も―――――」
小夜鳴の言葉の途中、室内にコンコンと控えめな音が響いた。
それはこの部屋の扉から聞こえ、どうやら誰かがノックしたらしいと分かる。
「丁度いいですね、直接紹介した方がいいでしょう。入って来てください」
「あ・・はい、失礼します」
か細い声が聞こえたかと思うと、ガチャリと扉が開く。
とてもゆっくりとした動きで開いて、見えたのは黒髪黒目の少女だった。
肩まで伸びた髪に、目が隠れるくらいに前髪が長い。
前も後ろもパッツンのおかっぱで、ハッキリ言えば地味の一言に尽きる子だった。
「実は彼女も武偵校の生徒なんですよ。 確か衛生科の一年でしたよね?」
「あ、はいそうです。衛生科一年の黒村里香と申します。初めまして」
そう言って俺達にペコリと頭を下げる。
なんつうか・・・・普通だ。
動作も雰囲気も第一印象も、全てに至るまで普通だ。
まるで普通と言う字をこの世に具現化したような女の子だった。
武偵校に入ってからというもの、こんな普通の女子に会ったのは初めてだ。
なんでだろうな、それだけでこの子とは仲良くなれそうな気がしたぞ。
武偵校の生徒ってのは少し注意が必要だが、一年ならそこまで心配はいらないだろう。
「ああよろしく。探偵科二年の遠山キンジだ」
「強襲科二年の神崎・H・アリアよ」
「よ、よろしくお願いします」
白雪みたいにペコペコと頭を下げる。
けれどそれは特定の人間に対するものではなくて、年上に対する恐縮みたいなやつだ。
うん、普通だ。
なんでこうホッとするんだろうな。
これなら警戒はいらないだろうと、何気なく理子を見た―――が。
(お・・・・おい? どうしたんだあいつ?)
幸いなことに、小夜鳴とアリアと黒村は話をしているようなので気付いていない。
だが、俺はバッチリ見てしまった。
カナの顔をして、自然と凛々しい顔となっていた理子が。
林檎の如く赤く――――ヤカンの如く沸騰しているのを。