四十三話
主のいない紅鳴館の地下で、私は淡々と破壊作業をこなしていた。
一台で数十数百万はくだらない機器の数々、彼らが何百年もかけて集めてきた遺伝子のデータ群。
それらを二度と復元・使用が出来ないように細切れにしていく。
持ち運んでいた油を周囲に撒き散らし、火をつけて、跡形もなく消し去る。
どの道今日、ブラドは逮捕されるのだ。
公にされずとも、武偵局などに報告はされるだろうから、近い内にこの館にも調査の手がのびる。
少なからず組織の情報も入っている可能性がある以上、残しておくわけにはいかない。
黒村里香も、炎上に気付いて退避した事にすれば問題はない。
出火場所は立ち入る事の出来ない地下室、知った時には既に一人で対処出来る状況ではなかった。
かなりシンプルですが、逆にだからこそ嘘にされにくい。
監視カメラには黒村里香が炎上に気付くまで熱心に働いていた映像が残されていて、それまで誰かが地下室に入った記録も消去済み。
これなら小夜鳴が何らかの理由で燃やしたか、もしくは偶発的な物だと思われるだろう。
油の容器も見つかれば、ほぼ決定だ。
間違ってもホームズの血を世に出す訳にはいかない。
他の者のであればさほど焦る必要はない、けれど、ブラドに渡したのは私の血液だ。
『条理予知』を受け継いだ私の遺伝子を調べられれば、より厄介な存在が生み出されるのは間違いありません。
しかしあくまで、あれは今回の仕事のための撒き餌にすぎない。
そしてブラドは、私との契約を守りきれない。
故に、渡すつもりなど最初からない。
これが終われば、あとは本人から唯一のサンプルを返してもらうだけです。
今回の私の行動は、全くの身勝手ですから。
計画に差し障りない程度に、ほんの少し触れさせてもらうだけ。
けれどもう一つ、やらなければならない事もあります。
姉さんとキンジさん、あの二人によりパートナーとして寄り添ってもらうために。
「ここまでやれば、充分ですね」
激しく燃え上がり、書類や機器を灰へと変えていく炎。
それに背を向けて地下室から脱出し、私は紅鳴館を後にする。
すでに、三人の戦いは始まっているだろう。
イ・ウーのトップクラスの一人との経験が、彼らを一気に次のステージへと進ませる。
そして、次に現れるのは彼・・・・いえ、彼女ですね。
リシアの報告を聞く限り、もはやズレは完璧に修正された。
話す時のリシアの声が、少しばかり沈んでいた事には、申し訳なく思います。
私の責任が多分にありますからね。
・・・・・曾お爺様との、対決さえ終われば、彼も解放されますから。
その時は、微力ながら応援させてもらいましょう。
目の前にそびえ立つ横浜ランドマークタワーを見上げ、私は思考を切り替える。
微かに聞こえる銃撃の音、それに混じって何かを強く殴りつけるような鈍い音も聞こえる。
常人には聞けないので、周囲の人間は普段通りに道を歩いている。
しかしそれでも、屋上に近い階の人間は気づくだろうし、近くのビルからでも異常を感じる事は出来る。
さほど間をおかず、警察に通報がいくことでしょう。
無駄な犠牲が出る前に、手早く終わらせなければいけません。
「・・・さぁ、仕上げの準備といきましょう」
風にコートが靡くのを感じながら、私は屋上手前の階まで続くエレベーターへと乗り込む。
いつものようにフードを目深にかぶり、漆黒の仮面で顔を覆う。
『血に群がるハイエナの、ご退場だ』
状況は既に、決着へと動いていた。
HSSを利用して小夜鳴からブラドへと変貌した吸血鬼。その圧倒的な力に、キンジとアリアは手を打てずにいた。
事前にキンジがジャンヌから得ていたブラドの弱点、その最後の一つを見つけられないでいた。
しかし、そこに道筋を示したのが、他でもない理子だった。
ブラドに対する根強い恐怖、それを乗り越え、闘う事を再び決意した。
魔臓の場所を知る理子は、自身も参戦すると二人に言った。それをキンジとアリアは承諾し、三人は最後の大勝負に出る。
合図と共に、三人はそれぞれの銃を抜き放つ。
発砲の瞬間、轟いた雷鳴にアリアの体が竦む。
弾の一つが大きく狙いから逸れたが、ここにはHSS状態のキンジがいるのだ。
自分が撃った弾をアリアの弾に当て、軌道をズラして狙いを修正するという離れ技をやってみせた。
三発の銃弾は、見事にブラドの左右の肩と右脇腹にある目玉模様に命中する。
そして、それとほぼ同時に、ブラドは空中を見上げて叫ぶ。
胸の谷間から超小型銃を取り出す、理子の姿。
多少の体勢の違いはあれど、その光景はまるで、かつてブラドを倒したマリアと似通ったトドメの一撃だった。
「―――四世!!」
ほぼ同時に響く発砲音。
大きく開かれたブラドの口、その中から見える長く分厚い舌。
その中心に見える目玉模様に、正確に弾丸は突き刺さった。
「ぶわぁーか」
ブラドの顔を踏みつけて背後に着地した理子は、ブラドに向き直ってべーっと舌を出した。
対するブラドは、体から溢れる血を失って無様に倒れ伏す。
力を失い、自ら武器として使っていた基地局の巨大なアンテナがのしかかってくる。
呻き声を上げながら下敷きになり、弱々しい声を上げる。
苦しげにピー、ピーと口笛を吹き、配下の狼を近くに呼び寄せる。
そうして日陰をつくらせ、曇りであるにも関わらず日光から身を守っていた。
「・・・どうするアリア。ブラド、潰れちまったぞ」
問いかけるキンジに、アリアはガバメントをホルスターに収めて腕組みをする。
「どうにも出来ないでしょ。あの鉄柱はあたし達にはどうも出来ないわ」
「そりゃ、そうだな」
「あれはブラドが自分で持ってきたんだから、自業自得よ!」
それを聞いて、苦笑いをしながらキンジはブラドに近付いて様子を見る。
ルーマニア語で呪詛らしきものをブツブツと吐き続けるのを見て、これなら死なないだろうと結論する。
ベレッタを収めて顔を上げれば、横浜県警のヘリが向かってくるのが見える。
あれにレスキュー隊でも頼めばいいだろうと思いつつ、キンジは理子へと視線を向けた。
いまだにブラドを倒したのが信じられないらしく、唖然と突っ立っているだけだった。
「やったな、理子」
そんな理子に、キンジは声をかける。
「初代のリュパンも倒せなかった吸血鬼が、ごらんの有様だ」
歩み寄ってきたアリアが、キョトンとした表情で見てくる。
「さっきも思ったけど、リュパン一世とブラドって本当に戦ってたの?」
「そうらしい」
キンジが答えれば、アリアはふーんと言って理子に視線を移す。
「なんか理子、初代を超えるとかなんとか言ってたけど。ならあんた、今超えたわね」
初代すら倒せなかった怪物を倒した。
これはもう、誰にも否定出来ない事実だ。
初代も双子のジャンヌ・ダルクと共に戦った以上、キンジとアリアがセットでいても条件は対等。
文句の出しようのない成果だった。
目を見開いてこちらを見る理子。
何度か口を詰まらせるように開けたり閉じたりして、ようやく言葉が出ようとした――――その瞬間。
その目が訝しげに細められたのを、二人は見た。その視線は、二人の背後。
何事かとキンジがチラリと後ろを向けば、先程よりも近くなってきた県警のヘリ。だが、すぐにキンジも異変に気付く。
こちらに向かって飛んでくるヘリの、その周辺。
キラリと光る何かが、空中に存在した。
そして直後、事態は起こる。
ヘリの後ろに付いている姿勢制御用のテールローター、それが機体尾部ごと斬り飛ばされた。
「なっ!?」
「うそ!」
「っ!!」
思わず驚愕の声を上げたキンジとアリア。
理子だけは、何かに気付いたかのように息を呑んでいた。
テールローターを失い、ヘリがクルクルと回転しながら落下しそうになる。
しかし次の瞬間、機体がガクンと空中で静止した。
そしてそのまま、まるで巨人の手で投げ飛ばされたかのように、ヘリは放物線上に飛んでいく。
三人が呆然と見つめる中、ヘリは横浜港の方へと飛んで行き、巨大な水飛沫をあげて水面に突っ込んだ。
「な、なによ・・・あれ。どうなってるの!?」
困惑しきったアリアがそう叫ぶが、誰も答えはしなかった。
いくらキンジがHSS状態だと言っても、こんな超常現象を説明出来る筈がない。
可能性としては何かの超能力だろうが、あんなとんでもない事をやってのけるような化け物が近くにいるとは考えたくもなかった。
そして、そんなキンジの思いを裏切るように、屋上に拍手の音が鳴り響いた。
三人がハッとなって同時に背後に振り向く。
するとそこには、まるで夜の闇がそのまま人型に切り取られて置いていかれたような、全身黒づくめの人物が立っていた。
足も手も顔も真っ黒、唯一他の色と言えば、仮面にある赤い三日月のような模様だけ。
横からではなく上から削れているその模様は、口が不気味に笑っているように見える。
その姿を捉えた瞬間、三人の背筋が瞬時に凍る。
理子は最初から知っているとして、キンジとアリアも直感的に悟った。
目の前の存在が、自分達とは桁外れな次元に位置するものだと。
つい今しがた倒したブラドでさえ、これの前では塵芥に等しい。
こんな存在と闘うくらいなら、もう一度ブラドとの戦いをやり直しと言われた方が何倍もマシだとさえ思う。
『いや〜見事見事。まさかブラドを倒すとはねぇ、さすがオルメス四世とそのワトソン。ああ、峰・理子もなかなかに頑張ってたねぇ〜』
軽薄そうな、さして特徴のあるわけでもない男の声。
口調も見た目に反してフランクで、それが逆に不気味さを増長させていた。
「今の・・・あんたがやったの?」
アリアは体を奮い立たせ、なんとかそう問うた。
現れたタイミングからしてそうとしか考えられないが、出来れば違って欲しいとも思う。
『そうそう、ちょこっと君達とお話したかったからさぁ。邪魔な外野には退場してもらったってわけ』
そんな期待はにべもなく切り捨てられ、可笑しそうに目の前の男・・・だと思われる人物が答えた。
声は間違いなく男なのに、何故だか確信が出来ない。
変声術なら完璧なのに、わざとらしい作り物感がひしひしと伝わってくる。
まるでたちの悪いピエロのように、フワフワとして捉えようがない。
「俺達に用でもあるっていうのか?」
幸いにして、キンジのHSSは継続している。
今の状況を深く探るべく、相手の話にとりあえず乗る事を選んだ。
『そんなところだねぇ。まぁ正確には挨拶かな? 一生懸命探してくれてた子にさぁ、そろそろ名前くらい教えてあげないと可哀想かなぁって思って?』
「?」
あからさまに意味深気な言葉を選んでくる。
そんな中で、理子は表情を歪めながら、しかし動く事も話す事も出来なかった。
そして、大袈裟な動きでこしを九十度に折り、右手を胸の前に置いて礼をする黒い男。
『初めまして、神崎・H・アリア。遠山キンジ。私は世間ではフリッグと名乗らせてもらっている者です』
「っ! [傷無のフリッグ]!? あんたが!」
フリッグの名乗りを聞いた途端、アリアの目に闘志が燃え上がる。
それを見て、キンジは瞬時に察した。
そして同時に、不味いとも思った。
「ママの懲役のうち、340年分はあんたの罪!! 理子とブラドも纏めて、あんたも証言台に立ってもらうわ!!」
犬歯を剥き出しにして、今にも飛びかかっていきそうなアリア。
しょうがないと、キンジは思う。
たった一人で、実に四分の一の年数を占める特大の獲物が自ら現れたのだ。
理子とブラドも含めれば、一気に神崎かなえの刑の三分の一以上を消化出来る事になる。
アリアにとって、これ以上ない千載一遇のチャンスだ。
しかし、現実問題として、それは不可能だ。
フリッグと名乗った相手は、どう甘く見ても今のキンジ達に勝ち目のある相手ではない。
元々の実力は勿論のこと、今は武器すらないのだ。
ブラドという強敵をやっとこさ倒し、三人共が疲労困憊の状態。
今この場で奴に戦いを挑もうなど、自殺行為以外のなにものでもない。
『おぉっと、これはまた威勢がいいねぇ。今の状態で私を捕らえられるとでも?』
「上等よ! やってやろうじゃない!!」
「待てアリア!」
挑発に乗って駆け出そうとしてアリアの肩を、キンジが掴んで止める。
「放してキンジ! あいつを捕まえればママの刑が一気に減るのよ!!」
「それは分かってる! だが今の俺達じゃ無理だ!」
もはや破れかぶれにも見えるアリアを必死に止める。
万が一にも殺されようものなら、一生神崎かなえを助ける事が出来ないのだから。
懸命に静止しようとするキンジ。
その努力を、粉々にぶち壊すような言葉をフリッグははいた。
『くっくっく、ママの刑を〜っかぁ。君と私の因縁はそれだけじゃないけどねぇ?』
「っ! どう言う意味よ!!」
『あっれぇ? そこのリュパンから伝言、伝わってなかったぁ?』
「―――っ!!」
理子とアリアの体が、同時にビクリと反応した。
二人ともその意味合いは違えど、まさか・・というように目を見開く。
キンジの頭でも同時にパズルが完成し、背筋に冷や汗が流れた。
まずい、あの時と同じだと。
聞かせてはいけない。
今度こそ、いや、これこそ聞いてはいけないんだ。
もう殆ど手遅れに等しいとしても、聞いてしまえば後戻り出来なくなる。
『じゃあ仕方ない。直接聞けばいいかなぁ』
ゴホンと咳をして、両手を腰に当てるフリッグ。
微かに前屈みになって首を傾げながら、まるで呟くようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
『妹さんはぁ―――』
「アリア、聞くな!」
必死に叫ぶキンジの声は、既に届いてはいなかった。
風の音も、遠くに聞こえる車や人の喧騒も。
まるで世界にアリアとフリッグの二人だけになったかのように、他には何も聞こえなかった。
アリアの意識は全てフリッグへと注がれ、その黒い仮面の奥から吐き出される、長年求めていた答えへと集中していた。
『げ・ん・きー?』
時が・・・止まったかのようだった。
アリアも、キンジも、理子も、誰もが時間の流れを忘れたように固まった。
クスクスとフリッグの笑い声だけが聞こえ、しかしふと、あぁとフリッグが両手をパンと合わせた。
『あ、ごめーん。そう言えば妹さん死んじゃったんだっけ? 一緒に買い物に行った時にはぐれちゃったんだよねぇー』
ビクッと、アリアの肩が跳ねる。
その手は強く拳を握り、皮膚を突き破らんとするほどに爪が食い込む。
『せっかく楽しんでたのに不幸だったよねー、なんせあの時の犠牲者って妹さんだけだったんでしょぉ? ピンポイントすぎて逆に笑っちゃうよねー、キャッハッハッハッハ!』
ケタケタと腹を抱えて笑うフリッグに、キンジすら強い怒りを覚えた。
大切な家族を失った悲しみを、こうも足蹴にする神経は狂っているとしか思えない。
理子でさえ唖然と見ているような狂行を、長々と続けていた。
そして遂に、踏みにじられた本人は限界を迎える。
最後に放たれた言葉が、それをこれ以上ないほどに後押しする結果になった。
『ま、全部私がやったんだけどねぇー! アッハハハハハハ!』
「・・・ぅぁぁあああああああああぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁ!!!!」
猛獣の咆哮にも引けを取らない、アリアの叫びが木霊する。
キンジですら反応しきれなかった猛スピードで駆け出し、風のように接近するアリア。
その手には銃も刀もない、完全な徒手格闘。
それでも、今のアリアには充分だった。
目の前のこいつが、大切な家族を、妹を殺した。
それだけでは飽き足らず、母にまで罪をなすりつけて苦しめている。
脳裏に浮かぶのは、はにかむような笑顔で約束を交わした妹の姿。
体は弱いけど頭が良くて、いつもお互いの得意分野で争っていた。
負けた数も勝った数も同じで、何をするにも二人で一緒だった。
目の端に滲み出る涙、しかしその目には溢れるような悲しみと殺意を灯して飛びかかる。
「お前ぇぇぇぇっ!!」
『そうそう、それでいい。少しだけ、遊んであげるよ』
真正面からドス黒い感情を叩きつけられ、しかしフリッグは平然と迎え撃った。
決して交わらぬ二つの道―――――その最初の衝突の火蓋が、切って落とされた。