五十三話
・・・またこういうのか。
目の前の光景を見て、俺はそう思わずにはいられない。
客に紛れてのカジノ警備。
けっして楽とは言えないが、明確な危険があると確定しているわけでもない。
そう、そのはずだった。
さっきまで和気藹々としていたカジノは、今や戦々恐々とした事件現場になっている。
何故だか参加してきた白雪とレキを加えた俺達三人の前には、頭部がジャッカルの黒い人間のような何か。
白雪が蟲人型とか言ってたが、例によって俺には何のことだかさっぱりだ。
頼むから一般人でも分かりやすい言葉で言ってくれ。
半月型の斧を振り回し、そいつは突進してこようとする。
白雪が素早く御札みたいなのを取り出し、何事か呟いた。
空中に撒かれた御札が、横一列になって燃え上がる。
それぞれがカーブを描きながらジャッカルに迫り、火炎放射器のように炎を浴びせる。
「うっ・・・!」
吹き付ける熱気に、腕で顔を庇いながら身を低くする。
そばではレキが、テーブルの下に隠していたらしいドラグノフ狙撃銃を取り出していた。
「ダメです。あれはおそらく、火に強い」
レキの言葉通り、白煙から出てきた奴はほとんどダメージがなかった。
前にアリアから聞いた話では、超能力にはゲームと同じような属性の優劣が存在し、しかしその種類と組み合わせには実に七十を超える複雑な相性があるらしい。
ジャンヌは氷だったから白雪の炎が有利に働いたが、今回は違うようだ。
そして今の俺でも思いつくようなことが、白雪に分からないはずがないのだが。
「来なさい傀儡! キンちゃんには指一本触れさせませんっ!」
それすら承知の上で、相手をするつもりらしい。
レキも俺も、すぐに銃を構える。
だが、ここからだど援護射撃が難しい事に気付いた。
ジャッカルを中心に、俺達と白雪は対角線上に位置している。
ジャッカルの体を貫通させでもしたら、白雪に当たる可能性があるんだ。
そしてそれに気付かないほど、白雪は冷静さを失っている。
ジャッカルの目玉めがけて二本貫手を放つ白雪。
しかし、外見からは想像も出来ないような素早さで躱され、カウンターの掌底で顎を打ち抜かれる。
壁に激突した白雪は、脳震盪を起こしたようにグッタリとしていた。
「白雪っ!」
駆け出そうとした俺の肩を、レキが掴んで引き止める。
「キンジさん、肩を借ります」
俺の肩を台座にして、レキがドラグノフを発砲した。
ジャッカルの鎖骨あたりを貫通し、ホールの壁に穴を開ける。
衝撃で倒れたジャッカルに、すかさずハイマキが噛みつく。
首や頭や、何箇所も噛まれたジャッカルは、手足を脱力させて崩れた。
ざぁっと音を立てて、黒い砂――おそらく砂鉄だ――になってしまった。
さらにそこから黒いコガネムシが出てくるが、今は白雪だ。
今度こそと思った俺を、またもやレキが引き止める。
「前に出てはいけません、あの虫は危険です」
「虫? 虫がなんだってんだ、それより白雪を」
そのとき、ジャキンと、レキがドラグノフに銃剣を装着していた。
刃渡り二十センチ程の、コンバットナイフのような形だ。
敵を倒したのに、なんで今着剣する必要があるんだ。
「まずは白兵戦で敵の数を減らしつつ、場所を変えましょう。ここは狙撃に適していません」
「敵って・・・」
それはお前たちが今―――――
「弾は残り四発。残弾より敵の数の方が多いのです」
そう言って斜め上、天井の方へと向けられたレキの視線を追う。
「なっ!?」
背筋が凍るってのはまさにこういうことだ。
さっきと同じジャッカル人間が、天井に所狭しと張り付いていた。
不気味極まるその光景に、体が硬直する。
白雪もまだ沈黙したまま、しかし襲おうとはしない。
俺が駆け寄ろうとした瞬間を狙うつもりなんだろう。
見た目と違って、脳みそまでジャッカル並みってわけじゃないらしい。
レキは狙撃手で、俺は通常モードのまま。
この状況をどうくぐり抜ければいいのか、まるで分からない。
そんな時、不意に連続で響く発砲音。
マズル・フラッシュになぎ払われるように、ジャッカル人間が二・三人ほど落下した。
「ほらバカキンジ! 何ボーッとしてんの!」
ホールの入口で、足下に落ちてきた敵に弾をぶち込んでトドメをさす。
ジャッカルとうさぎの関係を逆転させるような剣幕で、ばんざいの姿勢でバカスカと撃ちまくる。
そうやって俺達の所まで悠々とたどり着いたのは他でもない、バニガールの格好をしたアリアだった。
「こういうのは敵が降りるのを待つんじゃなくて、自分から上るのよ!」
テーブルを台にして、アリアはシャンデリアにしがみついた。
身軽な動きでよじ登ったと同時に、レキの名を呼ぶ。
それに応えるように、レキの銃弾がジャンデリアの金具を掠めた。
衝撃によってシャンデリアが回転し始め、アリアはひたすら撃ち続ける。
次々と落ちてくるジャッカル人間達を、レキが銃剣で刺していく。
俺も仕方なしに、近くにいた奴の足をベレッタで撃ち抜く。
目を見張るような早さで数を減らし、ついには残り一体になった。
「ォォオーーーーン!!」
ホルンのような遠吠えを上げたかと思うと、近くの窓を体当たりでぶち破って逃走した。
アリアが重量を感じさせない静かな音で着地し、窓を見て眉を寄せる。
「んもう、せっかく客を逃がしたのにゴレムも逃げたんじゃ、マズイわね」
「ゴレムって・・・あいつらの事か? 白雪はムシヒトガタとか言ってたが」
「なにあんた、知らないで戦ってたわけ? このドべ! 小学校からやりなおしなさい!」
小学校でゴレムとやらの教育がされてるんならな。
「日本ではヒトガタ、シキガミとか言われてる。要は紙切れとか砂とか石で出来た、超能力で動く操り人形よっ」
ああ、物語とかでよくあるあれか。
また一段とファンタジーに近づいたな。
「リモコン操作のモンスターってわけか」
「そうよ。落ち着いてるじゃない」
「慣れたんだよ、悲しいことにな」
「それじゃあ―――――」
ニヤリと笑みを作るアリアに、俺は苦笑する。
「――――やりますか」
と、セリフを続けてやって。
ジャキンと、ベレッタのスライドをコッキングした。
さぁ、追撃の準備だな。
「ほほほ、きおったきおった。なんとも容易いことよのう」
己のゴレムを追って水上バイクを駆るキンジとアリアを見て、パトラは深い笑みを浮かべた。
イ・ウーの次期後継者などと言われていても、自身の手にかかればこんなもの。
やはり真の王に相応しいのは自分だと、何度目か分からない確信を得る。
『さ〜て、ここからが私としては見物ですねぇ。本格的な兄弟の対峙を前にして、当人の心境はどうですか?』
「・・・お前の知ったことではない」
水中に潜む船の中、三人はそれぞれの目的のために動く。
フリッグは野次馬同然の見学だが、パトラと金一にとっては重要な事だ。
片や、イ・ウーの王となるに必要不可欠なキーカードの入手。
片や、大事な弟を危険から遠ざける警告。
どこまでもふざけ半分なフリッグに、金一の表情は険しくなる一方だ。
パトラはその様子を見て、内心でニヤつくのを必死に堪えていた。
(そうぢゃそうぢゃ、もっと怒れもっと嫌え。そのぶんキサマが後悔するだけぢゃからのう、ほっほっほ)
ライバルが脱落するのは願ってもないことだと、パトラは違う意味で金一にエールを送る。
もっと険悪に、もっと犬猿の仲になれと、呪いこそしないが精一杯の願いを込めて念じる。
そろそろキンジ達の水上バイクが停止する頃合。
パトラはまず単騎で出て、背後からアリアを狙撃する。
それと同時に船を水上に出し、兄弟のご対面という段取りだ。
そばの壁に立てかけておいた狙撃銃、WA2000を手に外へと出る。
術を用いて単身海中を移動し、水上バイクの背後、ある程度距離を取った場所から狙いを定める。
ゴレムを倒して一区切りついたと思っているらしく、なにやら揉めているようだった。
その、あまりに無知で無防備な背中目掛けて、パトラは容赦なく引き金を引く。
―――タァァ・・・・ン―――
遠雷のような音が周囲に響き、すぐにまた静寂が訪れる。
確かに当てた、スコープごしにそれを確認する。
水上バイクから海に落ちていくアリアを見て、パトラはほくそ笑むのだった。
「なんと脆弱な、とてもマリアの姉とは思えんのう」
船を水上に上げるように遠隔で操作しながら、素早く水中を移動する。
仮死状態となったアリアを見つけ、用意していた柩を呼び寄せて中に入れる。
キンジ側にいた狙撃手への警戒も怠らず、浮上する船の上に自身の姿に似せたゴレムを配置しておく。
既に残り一発なのは、ゴレムの視覚と聴覚を通して知っている。
これで狙撃の脅威は排除され、パトラも悠々と上に行けるのだ。
見れば、上ではちょうどキンジと金一が対面しているところだった。
姿を現すにも丁度いい頃合だろう。
もう一度、柩に収まったアリアを一瞥するパトラ。
双子の姉妹だけあって、顔だけは十二分に似通った造形をしている。
「妾が王になるのも、もうすぐそこぢゃ。ほほほ」
遠くない未来に思いを馳せる。
海面から出ていくパトラを出迎えたのは、冷静と驚愕、相反する感情をそれぞれ宿した兄弟と――――
そして、愛しき姫をその内に隠す、漆黒の仮面だった。
「アリア!」
背後から狙撃され、海に落ちたアリア。
それが、今度は黄金の柩に入った状態で海面から出てきた。
それと一緒に現れたのは、最低限の部位だけを隠した黒髪の女。
さっきレキに撃たれたゴレムとは違って本物の、兄さんがパトラと呼んでいた奴だ。
「1.9タンイだったか? 欲しかったものの代償、たかくついたのう。小僧」
黄金の冠や腕輪で飾ったパトラは、口元に手を当てて楽しげに笑う。
「たしかシンキュウとやらに必要なものじゃったか? 餌にして誘ってみれば、ほれ、簡単に食いついてきおった。アリアという最高の手土産を持ってな。こんな所でその小さな船が故障とは、不幸よのー。おかげできっちりと狙えたわ。ほほっ、しっかりと呪っておいた甲斐があったというものよ」
笑いながら、兄さんのいる船へと上がっていく。
まるでそこに見えない階段でもあるように、ゆっくりと。
そしてその甲板の上には、もう一人の敵がいた。
ついこの間、ブラド戦の後に突如として現れ、圧倒的な力量差を見せつけられた相手。
たしか、フリッグとか言ったか。
イ・ウーのメンバーである仮面の人物と、イ・ウーにいたという兄さん。
そのことから、パトラもまたイ・ウーの人間だと推察出来る。
それだけでなく、俺がまんまとこの女にはめられたという事も。
俺が単位不足なのは、武偵校の掲示板に張り出されていた。
それを利用し、ちょうどその分を取得出来る依頼をコイツが用意し、誘き出された。
ご丁寧に、奴らからすれば仇敵であるアリアを連れて。
どこかでおかしいと、気づくべきだった!
「ほ」
不意に、パトラが何かに気付いたというような顔で―――――
「そういえば、一人も殺しておらぬ」
などと、突拍子もないことを言った。
くるりと、こちらに片足だけ踏み出すように振り返ってくる。
「祝いに贄がないというのもちと寂しいからのう。ついでぢゃ、お前ここで死ね」
両手を俺に向かって突き出し、ピアノでもひくように指を動かし始めた。
「妾が直々にミイラにして、柩に送ってくれよう。ほほほ、小僧、光栄に思うがよい」
ニヤニヤ笑いながら、そう言ってくる。
・・・なんだ、これは?
体が汗ばみ、そこらかしこから水蒸気のようなものが出始めた。
手から、喉元から、顔からでさえ。
なんだ、なんなんだこれは!
「――――パトラ、それはルール違反だ」
兄さんの声と同時に、水蒸気が止まる。
少し不機嫌そうなパトラの視線が、兄さんへと向けられる。
「るーるぢゃと? いまさらそれを持ち出すか」
「イ・ウーに戻りたいのだろう。ならば、守れ」
「・・・・気に入らんのう」
パトラの言葉が合図だったかのように、甲板の上にいたジャッカル人間達が船をこぐ櫂を一斉に兄さんに向ける。
長槍のように鋭い先端をしたそれを、兄さんは意にも介していなかった。
「―――アリアに仕掛けてもいいが無用な殺しはするな。俺が伝えた教授の言葉、よもや忘れたわけではないだろう」
「っ・・・」
ピクリと眉を動かし、口をへの字に曲げるパトラ。
「お前がイ・ウーの頂点に立ちたいことは知っている。だが今は教授こそがトップだ。その座を継承したいのなら、今は従う必要がある」
「〜〜っいやぢゃ! 妾は殺したい時に殺す! 贄がのうては面白うない!」
駄々っ子のように腕を振り回し、つけた腕輪が音を鳴らす。
フリッグはそんな様子を、ただ黙って眺めているだけだった。
仮面をしているから、どんな表情かはもちろん分からない。
「そんなことだから退学になったんだ。 まだ学ばないのか。」
「妾を侮辱するか!? 小僧のかわりに、貴様を贄にしてもよいのぢゃぞ!!」
ギンッと兄さんを睨み、パトラはカジノを指さした。
「・・・そうだな。 ピラミッドのそばでお前と戦うのは、賢明ではない。」
「そうぢゃ! あれがある限り、妾の力は無限大ぢゃ。分かったら殺させろ! でなければ、お前を柩送りにするぞ! それでもいいと云うか!?」
激高しながらも、何故か仕掛けようとしないパトラ。
さらに言えば、さっきからその視線がフリッグと兄さんを行き来しているように見えた。
そんなパトラに兄さんは、すっ―――と詰め寄った。
水の流れのように自然で、誰も何の反応も出来ない歩き方だった。
そして、パトラの顎を人差し指でくいっと上げさせると―――――
「――――っ!」
いきなり・・・キスした。
『・・・ヒュウー』
これには流石に驚いたようで、フリッグが口笛を吹いた。
表情が見えずとも、唖然とした空気が伝わってきた。
パトラは数瞬の間だけ硬直し、それから弱々しくもがき出した。
しかし先に腰の力が抜けたらしく、崩れ落ちそうになる。
それを、いつの間にか兄さんが手を回して支えてやっていた。
「―――これで赦せ。あれは、俺の弟だ」
そう言う兄さんから、さっきとはまた別種の・・・手強そうな雰囲気を感じられる。
あれは・・・HSS! 兄さんがそう呼んでいた、ヒステリアモード。
さっきの接触で、パトラの動きを静止すると共に、兄さんはなったんだ。
初めて、見た。
兄さんが、女性との交わりでヒステリアモードになるところを・・・。
女性を傷付ける形でならない事が、兄さんの不文律だったはずなのに!
一方、キスされたパトラは目に見えて顔を赤く染めて、兄さんから一歩離れた。
「き、キサマ・・・妾を、使ったな? 好いてもおらぬくせに・・・!」
「―――哀しいことを言うな。打算でこんな事が出来るほど、俺は器用じゃない」
真っ直ぐに見つめながら言った兄さん。
より一層に赤くなったパトラの表情は、羞恥とも怒りとも取れる複雑なものだった。
そして、すーはー、と何度か深呼吸した。
「なんにせよ、そのお前とは戦いとうない。勝てるには勝てるが、無傷ではすまんからのう。今は教授になる大事な時ぢゃ。手傷は負いとうない」
ポイッと兄さんに何かを投げ渡し、パトラは背を向ける。
最後にまた、フリッグへと何か言いたそう視線を移し、海へと飛びこんでいった。
視線を投げられたフリッグも、やれやれと言う風に肩を竦ませながら飛び降りた。
それに続くように、後部デッキからジャッカル人間達がアリアの入った柩を担いで追う。
「!」
水面下に沈んでいく棺を追おうとした俺に―――――
「止まれっ!!」
「っ!」
兄さんが一喝した。
これが、本能ってやつなんだろうな。
アリアを助けたいと、こんなにも思っているのに。
たった一言で、金縛りにあったように動かなくなった。
逆らったら、間違いなくやられる。
そう思わせるだけの圧力があったんだ。
そしてこの場には、兄さんと俺だけが残された。
「―――[緋弾のアリア]・・・か。儚い夢だったな」
柩が消えていった海面を見据えて、兄さんは口を開いた。
そうして、俺は聞くことになる。
未開だったイ・ウーの実情、アリアの隠された秘密。
そして、俺がどれだけ大きな渦に巻き込まれていたのか、その事実を。