小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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五十四話










キンジが驚愕の真実を聞かされている、ちょうどその頃。
アンベリール号へと向かう船の中で、マリアとパトラは向き合っていた。

去り際によこされたパトラの視線に応え、見たい勝負を諦めて来たのだ。
本来は海に飛びこんだと見せかけてこっそりと観戦する予定だったのだが、あえなく断念したのだった。

しかし、肝心の話は全く始まらない。
といのも、パトラ自身がそんな状態ではなかった。

向かい合わせに座っているものの、先程からずっと頭を抱えてブツブツと何事かを呟いている。

「違う違う違う違う違う違う・・・あれは絶対に違うのぢゃ・・・・断じてそんなことはまったくこれっぽっちもありはせんぞぉぉぉ―――――」

うわ言のように繰り返し繰り返しリピートする。
そんな状態が五分ほど続いており、マリアは何をするでもなく見ているだけ。

さすがのマリアでも、話というのがキスの件であることくらいは分かっている。
もっとも、それ以上は赤点レベルの勘違いをしているが。

「パトラ」
「・・・・・違う、あれは違うのぢゃマリア。あれはその―――――」
「いえ、大丈夫です」

パトラの言葉を手で制し、何も言うなと目で訴える。
その顔はとても穏やかな笑みを浮かべており、とても微笑まし気だった。

その様子に、パトラは非常に嫌な予感を感じる。
なんだその表情は、なんでそんな優しげな顔をするのだと。

それではまるで、友人の幸せを心から祝福する隣人みたいな顔ではないか。
皆まで言うな、ちゃんと分かってるから―――――とでも言いたげな視線を今すぐやめろ。

「パトラ、あなたは私の大切な友人です。心配せずとも、精一杯応援させてもらいますよ」
「やっぱりかぁぁぁ!!」

両の拳をダンッ!とテーブルに叩きつけ、思わず叫ぶパトラ。
こと情事において、マリアほど読みやすい鈍感はいないとパトラは思う。

何気に大切と言われたのは嬉しい限りだが、願わくば友人の部分をそろそろジョブチェンジさせたいところだ。
そうすれば文句なしに人生の絶頂期を迎えることだろう。

しかし、今回の失態は痛恨だったと認めざるを得ない。
よりによって目の前で、異性に唇を奪われるなどと。

おまけに自分は、抵抗らしい抵抗も満足に出来なかった。
まぁ、予期せぬファーストキス、しかも相手が金一のような美青年とくれば無理からぬ事ではある。

そもそもからして、パトラを含めた他の女性陣も、マリアという一点を除けば金一に対して嫌悪など抱いていないのだから。
強くて義理堅く、聡明で誠実、おまけに超の付くイケメン。

そこらの一般女性になら、素でニコポとナデポを発動してしまえそうな男なのだ。
中身は年頃の生娘であるパトラに、不意のキスはダメージが大きすぎるというものだろう。

しかし、ここでめげてはならない。
このままでは確実にマリアの中で金一×パトラの構図が定着してしまい、以降どんなアプローチをしかけてもちょっと過剰なスキンシップ程度にしか思われないだろう。

つまりは、ゲームオーバー。

「よいかマリアよ。これから妾が云()うことをよ〜〜っく聞くのぢゃ」
「?」

キョトンとした顔で首を傾げるマリア。
そんな仕草もまたイイ、と思考の片隅で思いながら、パトラはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「たしかに、さっきはトオヤマの奴とキスをした、それは認めよう。紛れもない事実ぢゃからな。しかし! 妾は断じてっ、あ奴に操を立ててなどおらんぞ! 不意打ちぢゃったから避けられなんだ、抵抗出来なかったのはビックリしていたゆえなのぢゃ! 再三云うが、妾はあの男のことなぞ好いてはおらん!」

息継ぎもせず、一息に言い切ったパトラ。
ぜぇぜぇと方で呼吸をして、マリアの反応をうかがっている。

マリアは口元に拳を当てて思案するように目を伏せている。
十秒、二十秒と時間が過ぎていく。

知らず、パトラの頬を汗が伝う。
情報を吟味しているのか、やたらと間が長い。

待つ身としては一時間にも二時間にも感じられる長い時間だった。
そして、納得がいったというようにポンと拳を掌に置くマリア。

「なるほど、そういうことでしたか」
「分かったのか!」
「はい」

喜色を浮かべて立ち上がるパトラに、同じく笑みを返す。

「これが理子の言うところのツンデレというやつですね」
「・・・・」

ドサリッ、と。
床に崩れ落ち、両手をついて項垂れる。

駄目だこいつは、手に負えない。
何がなんでもパトラを恋する乙女にしないと気が済まないらしい。

むしろそっちなら既に間に合ってるくらいなのだが、いかんせん究極レベルの朴念仁。
こちらの本心などなんのその、といった具合だ。

しかしそれでも、それでもっ! 引いてはならない時があるのだ。
挫けそうな心を叱咤し、なんとか立ち上がるパトラ。

何をやってんの?と言わんばかりの無垢な瞳を懸命に見据え、これから始まる戦いに覚悟を決める。
ここまで来れば徹底交戦あるのみだ。

いざとなれば、そのときは―――――

「覚悟するがいいマリアよ、妾の覚悟をみくびるでないわ!」
「はい?」
「ゆくぞ!!」

そう言ってストンと椅子に座り直し、高速で脳を回転させる。
―――それから、長い長い二人だけの舌戦が幕を開けたのだった。














「ふざけんじゃ――――ねぇ!!」

気付けば俺は、そう叫びながら飛び移っていた。
作り主が離れていったせいか、砂となって崩れていく船。

その向こうに消えようとした兄さんを、逃さないために。
ナイフを突き刺し、落ちないよう体勢を整える。

もう、ほとんどヤケだった。
正直なところ、まだ頭がグチャグチャで訳が分からない。

イ・ウーのトップが死にそうで、アリアがその後継者に選ばれただの。
兄さんはイ・ウーを倒すために、内部分裂を起こす機会をうかがっていただの。

トップの死と同時にアリアを殺すか、俺達を使って今のトップを倒すかに賭けていただのと。
一度にあまりの大暴露をされすぎて、ヒステリアモードなのに頭と心がパンクしそうになった。

だけど、兄さんがアリアを殺す道を選んだんだと思い至った瞬間、これだ。
よじ登って甲板に降り立ち、数メートル先にいる兄さんを見る。

そして、その目が―――――
ひどく、怒りに燃えていた。

まるで鬼か龍に睨まれたような、とにかく人外の前に放り出されたような気分だ。
こうやって兄さんが怒るのは、俺が自分の身を危険にさらした時ぐらいだ。

まさに今のような。
だが、負けない、逸らさない。

もう、俺は越えてしまった、踏み込んだんだ。

「兄さん、本当は分かってるんだろ!」

だから叫ぶ。
精一杯にぶつけて、引き止めるんだ。

「自分が間違ってる事、自分を誤魔化してるってこと、分かってるんだろ! 正義を謳うなら、誰も殺すな! 弱い自分を隠すなよ! 誰もを救う―――――それが武偵だろ!! あんたが言ったことだろうがっ!」
「キンジ・・・それは、俺も百万回は考え、悩んだ事なのだ。義の本質は悪の殲滅にある。弱き民を、罪なき世界を守るために。少ない犠牲はやむを得ないのだ。お前も、それを学ぶ頃だ」
「そんなやり方で守られてて・・・いいわけないだろ!!」

それに、それにだ・・・兄さん。

「同じことを―――――『あいつ』の前で言えるのかよ!?」
「っ!」

怒り一色だった兄さんの顔が、目に見えて悲痛に歪む。
そうだ、これこそ、兄さんの心を動かすのに必要不可欠だ。

「百万回でダメだったんなら千万回悩めばいいだろ! 断言してやる・・・あいつなら、百回も悩めばその間に解決出来るってな!」

あいつの本気なんて欠片も拝んだことはないけどな。
だけど、それでも! 

「あいつは、あんたを尊敬してた! 言葉に出しはしなかったけどな、俺には分かる! いつも眩しそうに、羨ましそうにあんたを見ていたあいつを俺は知ってる! 伊達に一年以上もパートナーやってたわけじゃないんだよ!!」

それでいて、何処か距離を置くような感覚も気付いていた。
まるで、自分はこうはなれないと、そう言っているような。

だけど、結局は聞かなかった。
誰にだって、他人に言いたくない事の一つや二つはある。

それが、他人にどうこう出来る事じゃない場合なんてありふれてるだろ。
あいつはそうやって、いつも・・・なんというか・・。

世界から一歩引いているような、そんな奴だった。

「それなのに、また諦めるのか! あいつに背中押されて一度立ち直っておいて、また逃げるのかよ!!」
「キンジッ・・・」

眼光はますます鋭くなっていく。
けれど、今の俺にはひどく弱々しいものに感じられた。

溢れ出してしまいそうな感情を、必死に押さえ込んでいるような。

「お前は――――たった一人の兄に逆らうつもりか」
「・・・あんたはもう、俺の兄さんじゃない」

俺の兄さんは、そんな弱くて、もたついた心でいるような奴じゃない。

「俺の憧れていた、強く、正しい兄は。あの日、この海でアンベリール号と共に沈んで死んだんだ。正義だの可能性だの、知ったことじゃない。俺は―――――」

ベレッタを抜き放ち、正面から狙う。
ありったけの戦意をぶつけながら。

「兄さん・・・いや、元武偵庁特命武偵、遠山金一! あんたを、殺人未遂罪の容疑で逮捕する!!」

俺の宣戦布告を受け取った兄さんは。
静かに目を閉じ、ゆっくりと口を開く。

「・・・いいだろう。まだ俺も、確かめていないことがある」

目を開けて、俺を見据える。
一時だけ迷いを振り切り、俺と対峙したのだ。

「見せてみろ。アリアでなった、お前のHSS。もう一度だけお前を試し、お前達二人の絆に・・・賭ける」

銃も抜かず、構えもとらない。
だがそれは、見たままだけの話。

たしかに今、兄さんは構えている。
『不可視の弾丸(インヴィジビレ)』を放つための、無形の構えを。

―――パァン!―――

直後に響く発砲音。
兄さんの手元が光り、腹部に激烈な衝撃が走る。

「っ!」

呼吸がしづらい、意識を手放しそうだ。
それでも、歯を食いしばって耐える。

「・・・なぜ避けない」
「わざとだよ」

強がりなんかじゃない。
俺は、今まで頭の中だけにしまっていた仮説が、正しい事を確信する。

「見えたぞ、『不可視の弾丸』!」

目を見開き、驚いた様子の兄さん。
ヒステリアモードの動体視力で捉えた情報はたしかだ。

アリアが兄さんの銃をピースメーカーだと見破ってくれていたからこその結果だけどな。
だからこそ、俺は次の一手を模索するんだ。

「さすが俺の弟、と言いたいところだが。だから何だと言うんだ。これは例え俺であっても躱せない一撃。お前が持つ技の中に、不可視の弾丸を防ぐ術はない」

兄さんの言うとおり。
だけど、兄さんがそうであるように―――――俺も、あんたの知ってる俺じゃない。

多くの強者と戦い、あらゆる手段で勝ちをもぎ取ってきた。
無いなら作る・・・今、ここで!

―――人間の技が、人間に破れぬはずがない。

これも昔、あいつが言ってた言葉だ。
ああそうだ、まさにその通りだった。

俺は今日、絶対に破れないと思っていた技を・・・・越える!

「眠れキンジ。弟が兄より優れることなど、ありはしない」

言下に、再び繰り出される『不可視の弾丸』。
視界が、一瞬でスローモーションにきり変わった。

船の残骸が砂となって周囲に吹き荒れ、それが俺に道を示してくれる。
銃を持っているであろう兄さんの、手元。

それが・・・・見える。
手に払われて軌跡を描く、砂の動き。

それと同じく、同様の動きで俺は撃つ。
不具合のある三点バーストのセレクターで。

ほぼ同時に二発が撃ち出されるそれで、俺はトリガーを引いた。
響く銃声はほとんど同じ・・・だが、一瞬だけこちらが遅い。

俺の胸の中心を狙って飛んできた銃弾は―――――
盛大な火花を散らせて、俺の弾と正面からぶつかった。

そうして、二つの弾は巻き戻しをするかのように軌道を逆行する。
兄さんの弾は、元あった場所の銃口へ。

俺の弾は、二発目とぶつかってそれぞれ別の方向へと。
ブラドとの戦いで使った『銃弾撃ち(ビリヤード)』、その改良版だ。

相手の銃弾をそのまま撃って弾き返す、まさに攻防一体。
名付けるなら、『鏡撃ち(ミラー)』ってところか。

銃を破壊され、兄さんが驚愕に顔を歪めた瞬間―――――
俺達の足下が、完全に崩れた。

海に落ちていく俺達。
極限の緊張から解放されたからか、意識が朦朧としてくる。

兄さんの威圧を、あんなに正面から受け止めたのは初めてだったからな。
そりゃ・・・へばるのも無理ないか。

・・・・ごめん、兄さん。
俺だって分かってるんだ、あんたが正しいってことくらい。

俺の言ってる事はただの綺麗事で、それこそ現実を見ていない奴の言葉なんだろう。
それに、俺はあいつの事を引き合いに出した。

兄さんだって辛いのは分かっていて、卑怯な手を使ったんだ。
きっと深い部分を抉っただろう、身を引き裂かれるような思いだったに違いない。

それくらい、俺達にとってあいつは大きい存在なんだから。
それに・・・なによりも・・・

自分でした誓いすら破った俺に、あいつを語る資格なんて――――ないんだ。
本当に、ごめん。

でも、それでもさ。
アリアが死ぬなんてことだけは、絶対に許容出来ないんだ。

ハッキリとした理由なんて思いつかないし、自分でも時々なにやってるんだって思うけどさ。
それでも・・・・あいつのためなら、兄さんと戦うことになってもいいって思うんだ。

兄さんを―――――子供の頃からの憧れを失って、俺はこれからどうすればいいのか。
それはきっと、これから見つけて行けばいいと思うから。

それに、さ―――――

あんな小さい身体で戦ってる女の子を、一人にして泣かせて、あげくに勝手に世界の犠牲なんかにしたら。
なんとなくだけど、あいつに張り倒される気がするんだよな。

兄さんは知らないだろうけど、怒ると怖いんだよ、あいつ。
一回だけしか見たことないけど・・・・・正直、兄さんと戦うより万倍怖いくらいだ。


まぁ、そんなことだからさ。



―――――これで、いいんだよな?



「――――真理」

-55-
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