小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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五十五話










アリアをアンベリール号へと運んだ後、マリアはボストーク号へと帰還した。
パトラの必死の引き止めも虚しく、あらゆる拘束術をさらりと躱して脱出したのだ。

余談だが、誤解については保留という形になった。
幾度となくループする話し合いにおいて、マリアはさすがに食い違いに気付く。

自分たちには決定的に噛み合っていない認識が存在し、それが今の状況を作っていると。
大きな前進ではあったが、ここで問題が浮上する。

この場での二人の食い違いと言えば、他でもないパトラの想いだ。
それを知らないからこそ、マリアはパトラの否定をどこまでも照れ隠しと解釈する。

つまり、それを解消するにはその想いを知ってもらわないと始まらないわけで。
そこに思い至ったパトラは、大いに悩むことになった。

場の勢いで言ってしまうか、しかしこんな流れで言っていいものか。
顔を上げては下げ、上げては下げ。

そんな事を繰り返しているうちに、マリアがそろそろ時間だからと席を立ったのだ。
ここまで来て保留など、パトラにとっては生殺しもいいところである。

しかし元から今回の事をさほど重要視していないマリアにとっては別であり、颯爽と去ってしまった次第である。
あまりの途中退場にパトラが声にならない雄叫びを上げていたが、マリアの耳には届かなかったそうな。

そうして、マリアは今シャーロックの部屋へと足を運んでいた。
思えばここに帰還するのも数週間ぶりであり、リシアとも電話ごしにしか話していない。

後で寄らなければと思考の隅で考えつつ、シャーロックの部屋へと入った。

「ただいま戻りました」
「おかえりマリア。近況はどうだい?」

話の出だしはいつも通り。
この二人にとっては意味の無いやり取りであるはずなのに、それを欠かした事は一度もない。

マリアは最初こそ意味がないと突っぱねた事もあったが、これも話の流れなのだと今では思っていた。

「誤差の修正も良好、危惧するべき要素も今のところ見当たりません」
「それはよかった。まぁ、君に限って心配はいらないとは思っているがね」

パイプをくわえ、一息吸う。
そのまま単に煙をはいただけなのだが、何故か輪っか状になって出てきた。

その後も数秒間、二人は黙していた。
何かを噛み締めるような、感慨に耽っているかのような空気を漂わせる。

目を閉じて沈黙するシャーロックに対し、マリアが口を開く。

「・・・・いよいよ、ですね」
「ああ・・・」

たったそれだけの応酬だったが、二人には十分だった。
ここに至るまでの、長い、長い時を自然と振り返る。

特にシャーロックにとっては、百年以上の永きに渡る戦いだったのだ。
それ以上生きている存在などこの世には数知れないが、人間にとっては途方もない時間だ。

己の人生で、最後にして最高の役目を終える時が近づいている。
それに何の感慨も沸かない人間などいようか。

「君には、言葉では言い尽くせないほど世話になったね。感謝している」
「それは私のセリフですよ」

ゆっくりと瞼を開いて向けられる視線は、とても穏やかなものだった。
世界を抑止する組織のトップ二人としてではなく、ただの一個人としての彼らがそこにはいる。

「それでも、辛い思いをさせてしまった。幼い子供が家族から引き離されるのは、とても酷なことだっただろう」

いまさら掘り返してどうこうなる事ではないが、それでもシャーロックは言葉を止めない。
大切な者と引き裂かれる気持ちは、誰より味わってきた。

それがどれほどの孤独で、悲しい事か、嫌というほど理解している。
特に彼の場合、共に同じ時代を生きた者が自分を置いて老い、朽ちていく様を見てきたのだから。

人より永く生きるというのはつまりそう言う事であり、過ぎた長生きは苦痛でしかない。
永遠の命などというものを求めた人間は星の数ほど存在するが、人が考えるほど素晴らしいものではないと身をもって感じたのだ。

生物の寿命はその命の分相応の時間。
人間より永く生きる者は、それこそ人外の存在だけで充分なのだ。

「軽々しい謝罪などするつもりはないが、どうか感謝だけはさせて欲しい」

本当に、ありがとう。
そう言うシャーロックには、いつものような飄々とした空気は微塵もない。

瞳は真っ直ぐにマリアを見据え、その真摯な思いを伝えてくる。
染み渡るように響く彼の感謝を前に、マリアはゆっくりと瞬きをした。

彼の言葉を、自身の奥深くに刻み込むように。
長く共にいた者との別れ、それはもうすぐそこまで来ている。

思い返せばげんなりするような無理難題を押し付けられた記憶がほとんどで、お世辞にもいい思い出に溢れているとは言い難い。
けれど、そんなしんみりするような連想は似合わない人物であるのも事実だった。

しかし今は打算や探り合いなど欠片もない、心からの発露。
こんな時に、どういった言葉をかければいいのか、マリアにはよく分からない。

思いのままにと言えば簡単だろうが、肝心のそこが上手く掴めないのだから。
そしてそれはシャーロックも理解しているようで、雰囲気を変えることで話をやんわりと終わらせる。

「さ、君も準備があるだろう。他のメンバーは既に荷造りを終えたようだしね。フリーシア君にも会うのだろう?」
「・・・・はい」

そんな気遣いに、マリアは・・・・
感謝するでも、安堵するでもなく―――――

なぜだかとても、悔しいと思った。

こんな時になっても、自分の思考の根本はどこまでも論理的で。
これからの段取りや行動は描けるくせに、気の利いた言葉の一つも出せやしない。

何かを言うべき場所のはずだ、伝えるべき時のはずだ。
そう感じてはいるのに、頭がそれについて来ない。

最近、よく感情が豊かになったと言われる。
たしかに笑みを作るようになった、行動に私情が挟むようにもなっただろう。

しかしその実、それは全くの逆なのだ。
前より顔に出すようになっただけ、表現する機会が増えただけ。

感情そのものは、年どころか月を追うごとに削れていくのをマリアは感じていた。
イ・ウーのトップの右腕として、誰よりも多く、様々な依頼をこなしてきた。

その中には、組織の情報を過剰に流そうとしたメンバーの抹殺なども少なくはない。
時には、知人程度には親しくなった人間も混じっていた。

それでも、殺すことに大した迷いはなかった。
何故ならそれが、最良の選択だから。

そう、いつもこれだ。
歳を重ねるたび―――――そしてなにより、『条理予知』が完成に近づくに連れて。

常に考えるのは最良の選択、その一点のみ。
それに害する何者かを排除するのに躊躇いなど生まれない、むしろ自ら望んで引き受ける。

人殺しに何も感じなくなったのはいつだっただろうか。
誰にでもある単なる慣れだと、最初は思っていた。

人間とは良くも悪くも慣れる生き物で、裏に生きる者とはそんなものだろうと。
しかし、マリアはそう言った人間も含めて多くを見た。

もう慣れたと人を殺め、心をすり減らして奥底で苦しむ者を。
こういうものだと無理やりに押し込めて、挙句に自壊した人を。

結論からして、慣れた人間が心を病むことなどありはしない。
本当に慣れたなら、元から気にしてなどいないからだ。

人を殺して病んでいく人間は、実際には苦しみもがいているからだ。
そして、だからこそ、マリアは自身がそのどちらとも違うと感じていた。

最初こそ感じていた苦しみは既に感じない、それでも感情が消えていくのを自覚する。
すり減るのではなく、消滅していく。

まるで無駄を省き、常に最善を尽くすために最適化していくように。
パソコンが、日々よりよくシステムの更新を繰り返していくように。

これでいい、これこそが最善なのだと。
まるで宗教の狂信者のように、一点の曇りもなくそう思っている。

母と姉に対して罪悪感はあれど、後悔はもうしていない。
感情が、心が、論理的思考に喰われ、塗りつぶされていく。

初めてそれを自覚したとき、マリアが覚えたのは恐怖だった。
しかし、それを表に出した事は一度もない。

自分の存在が計画の支障になるのが嫌だった。手助けをするためにこの道を選んだのだから。
背を向けて扉へと歩いていく間に、マリアは必死に考える。

心からだろうが論理的思考からだろうがどっちでもいい。
ただ今この時、自分だからこそかけられる言葉があればと。

そう遠くない未来、きっと自分は喰われる。
だから最後に、私の言葉を伝えられれば―――――

(・・・あ)

そして、ふと思い出した彼の言葉。
あれこそが彼の心のわだかまりだと言うならば、一つだけ残ってる。

マリアだからこそ、晴らせるものが。
伝えるべき、心が。

ドアノブに手をかけた所で立ち止まり、マリアは息を大きく吸った。
振り返り、キョトンとした顔のシャーロックと視線がぶつかる。

その時、マリアは自分が正しかったと思えた。
どうも、ここで振り返るとは思っていなかったみたいで。

それはつまり、ほんの少しだけ、彼の推理を狂わせる事が出来たことを意味していた。
ほんの些細な変化でしかないのに、これ以上ないくらいの達成感を感じた。

これだけでも、価値のある瞬間だと思える。

「曾お爺様・・・・一つだけ、先の言葉に補足があります」
「・・・なんだね」

先の言葉、というのがどれだか分からないのだろう。
珍しく、表情に困惑が見て取れるような気がした。

それが存外に可愛らしく、このまましばらく見ていたい気分になる。
大丈夫、まだ自分は消えていないと感じる。

そう思って、マリアはふと笑みを浮かべた。
それがさらに不思議なようで、目を丸くしている姿は愉快の一言だ。

「私は確かに、母や姉と離れて寂しいとも悲しいとも思いました」

選んで歩いた道とはいえ、当時のマリアはたった八歳だったのだから。
それで何も感じない方がおかしいというもの。

「帰りたいと何度思ったか知れませんし、一人で泣いた日も多かったです」

・・・けれど。
一拍おいて、マリアは一度口を閉じる。

しっかりと刻んで欲しいから、忘れないでいてもらえるように。
彼にとっても、そして、自身にとっても―――――

きっとこれが・・・・・最後だと思うから。

「私にとっては・・・・貴方もまた、大事な家族の一人です」
「っ・・・!」

今度こそ、明確な驚きをもって身を固まらせた。
それと比例するように、マリアの胸の内を何かが満たす。

まるで壊れた容器のように、溢れてはこぼれて消えていくけれど。
それは紛れもない、彼女の心からの喜びだった。

やがて、シャーロックの顔がとても柔らかな笑顔へと変わる。
包み隠さない歓喜と愛をもって、もう一度、その思いを告げる。

「・・・ありがとう、マリア。君と共に暮らす事が出来て僕は――――幸せだったよ」
「はい、私もです」

共に笑顔を向ける二人は、さながら実の親子のようだった。
愛する娘を、愛する父を。

それぞれ讃えるように、慈しむように。

二人は、この時たしかに――――――


今この時まで生きたことの幸せを―――――感じていたのだった。

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