小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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六十話










胸を撃ち抜かれたカナを抱えて、キンジは叫んでいた。

「カナ! おい、カナ!」

必死に呼びかける間にも、カナの体からは力が抜けていく。
撃たれた場所は心臓。

とめどなく溢れる血液を止める術はなく、唖然とその光景を見ているしか出来ない。

「キンジ・・・これ・・・を・・」

震える声でカナ――――いや、金一が差し出したのは、アリアのガバメントだった。
パトラが隠し持っていたのを見つけていたらしい。

当のアリアは、アンベリール号の舳先に立ったまま呆然としていた。

「アリア、なにしてるんだ! 早く身を隠せ!」

キンジの声にも反応することなく立ち尽くしているアリアの腕を、半ば強引に引き寄せる。
抵抗らしい動きも見せず、そのままペタンと尻餅をついた。

完全に放心状態だった。
それも、無理からぬことだろう。

完璧な存在として敬愛し、ずっと心の支えにしていた人物。
写真まで肌身離さず持ち歩き、己の目指す目標としても、崇拝に等しい感情を抱いていた。

それが、自身の家族をバラバラにした組織のリーダーだったなどと、とても受け止め切れるものではない。
キンジが歯噛みしながらイ・ウーを睨みつけた、その時。

「・・・!」

視界の端に、それを捉えた。
イ・ウーからアンベリール号に向かって、海中から迫る白い船跡。

「え・・・」

どうして――――とでも言うようなアリアの声の直後、アンベリール号が激震に揺れる。
爆音と共に吹き上がる水柱、甲板が傾いて足場がより不安定になる。

水飛沫が雨のように降り注ぎ、白雪の悲鳴が背後で響く。
パトラの入った柩にしがみつくようにして、なんとか姿勢を保っていた。

「白雪!」
「私は、大丈夫! 今のは・・!?」
Mr(マーク)60対艦魚雷(シックスティ)だった。イ・ウーが撃ち込みやがった!」

パトラによって中途半端に爆破されていたアンベリール号だが、今のがトドメになったようだ。
かつて見たアンベリール号の構造を必死に思い出し、ここから脱出する術を探す。

そして、船尾側に救命ボートがあったのに思い至って、白雪にそれを下ろすように指示する。
白雪が頷いてその場を離れた、その次の瞬間。

ガツンっと柩のフタを蹴り開けて、パトラが這い出でてきた。
ビキニ同然の薄布状態のまま周囲を見渡し、金一の姿を捉えた瞬間に物凄い勢いで駆け寄ってくる。

慌てて銃を構えようとするキンジに目もくれず、パトラは金一に飛びついた。

「お、おい!」
「キンイチ・・あぁ、キンイチ・・・・!」

血の気の引いた顔でパトラが銃創に手を当てると、そこから青白い光が漏れ出した。
ほぼカンだが、キンジはそれが傷を癒す術の類だと推察する。

アリアの背中の傷も無くなっていた事から、パトラがそういう術を使えるのは明白だ。
顔色からして助かるかどうかは五分五分といった様子だが、今はそれに賭けるしかないだろう。

今は捕まえるなんて考えている余裕はない。
再び視線を移せば、シャーロックとフリッグが船橋から甲板へと降り立ち、全長三百メートルはあるだろう原子力潜水艦の上を渡ってきている。

イ・ウーは微速前進でアンベリール号へと近づいてきて、キンジ達が二人とかち合うまで五分とかからないだろう。
一世紀前のイギリスの英雄、イ・ウーの頂点。

あのフリッグすら付き従えるような、超人・怪物達の親玉。
そんな人物を相手に、今の状況下で戦わねばならない。

冷や汗が滲み、体が強張る。
カナすら一瞬で沈めたような化け物と、どうやって相対すればいいと言うのか。

キンジは思わず歯軋りをして、戦況を再度確認する。
白雪は戻ってきても戦えるようなコンディションではないし、アリアはそれ以前の問題。

カナとパトラは言うに及ばず、実質戦力らしい戦力は自分一人だけという悪夢。
ヒステリアモードとはいえ、相手はイ・ウーのトップツーだ。

フリッグ一人でさえ歯が立たないというのに、二対一などもはや茶番に等しい。
そして、ついにボストーク号とアンベリール号が接舷(せつげん)した。

ごすんという鈍い音と共に甲板が揺れ、危うく体勢を崩しそうになるキンジ。
しかし、アンベリール号の舳先では火災が起きていて、とても乗り移れるような状況じゃない。

二人の進路には炎の壁が立ちふさがり、こちら側には来れないように思えた。
そう、思っていた矢先。

「これは・・・?」

視界の端を、雪が舞っていた。
いや、これはどちらかと言えば氷の粒――――ダイヤモンドダスト。

見る間にその数を増やしていくそれは、紛れもないジャンヌの魔術。
それが炎の壁を貫いて押し退けるように、向こう側から吹き抜けた。

そうして炎をくぐり抜け、舳先へと降り立った二人。
その背後には、ダイヤモンドダストだけに飽き足らず、砂金で出来た階段らしきものまで見て取れた。

その光景を前に、ヒステリアモードのキンジは理解する。
超人や天才達が、際限なく己の力と才を共有し合う組織。その果てには当然、その全てを集約した完成形とも言うべき者が存在するはずなのだと。

そしてそれこそが、イ・ウーの最強にして頂点。
化け物染みた連中ばかりが集う無法者集団を統括するその人間こそ―――――

目の前の・・・シャーロック・ホームズその人に違いない。


「―――そろそろ、会える頃だと推理していたよ」


その、たった一言に・・・
キンジは全てを封殺された。

声を聞いただけで伝わってくる、絶望的なまでの格の違い。
あのフリッグすらをも凌駕する――――莫大な圧力。

これが本当に人間なのかと、改めて問い詰めたくなるほどだった。

「卓越した推理は予知に等しい。僕らはこれを『条理予知(コグニス)』と呼んでいるがね。つまり僕らはこれを全て、予め知っていたのだ。だから、カナ――――いや、金一君。君の目的も、心の葛藤も、僕には全て推理出来ていた」

まるで生徒に教える教師のような口調で喋るシャーロック。
それを受けて、金一は小さく何かを呟いてからガフッと吐血した。

キンジがなけなしの読唇術で読み取った結果、『そうかよ』と。

「遠山キンジ君。君も僕の事は知っていると思う。いや、これは傲慢ではなく仕方のない事だと思ってくれ。なにせ僕はあらゆるメディアにおいて、嫌と言うほど世界中で取り上げられているのだからね」

ほんの微かに肩を竦めながらそう言う。
和やかな雰囲気を放ってはいるが、それを悠長に満喫しているのは彼一人だけだった。

「しかし、ここには僕を紹介してくれる者がいないようだからね。非常に可笑しな事だが、あえて僕は君に言わなければならない」

こんな状況でなければお遊びかと疑うほどに遠まわしな言い方。
そうして一拍おいて―――――

「初めまして。僕は、シャーロック・ホームズだ」

そう、名乗った。














一目で分かる。
これはチャチな偽物なんかじゃないと。

こんなとんでもない圧力を放つ奴が、コスプレなんて真似をする意味はない。
ヒステリアモードによって底上げされた全ての感覚も、そう告げている。

そっくり俳優だとか、イ・ウー最新式のモノマネロボだなんて優しいオチは期待出来ないだろう。

「アリア君」

不意にかけられた、その言葉に。
アリアの体が、ビクンと跳ねた。

そんなアリアに、シャーロックは優しげな微笑みを向ける。

「時代が移ってゆけども、君は変わらないね。僕が君の曾お婆さんに命じた淑女の髪型を、きちんと守ってくれている。僕は君が現れると知っていたからこそ、それをホームズ家に言い伝えたのだよ」

そう言って、さも当たり前のような気安さで近づいていく。
染み付いた本能的に、銃口を僅かに上げようとしたら―――――

「―――用心するといい。刃物を弄んでいると、自身の手まで傷付けてしまうものだ」

そう、明らかに俺に向けて言ってきた。
背を向けて、俺の姿なんて欠片も見ていないはずなのに。

これが・・・偉人ってやつか。
俺達みたく子孫なんかじゃない、唯一無二のオリジナル。

「アリア君。君は強く、美しい。ホームズ家において最も優れた才能を秘めた少女だ。なのにその能力を認められず、落ちこぼれ、欠陥品と罵られる日々は、さぞかし辛かっただろう。だがね、僕は君を――――僕の後継者として迎えに来んだ」
「・・・ぁ・・」

か細い、ひどく弱々しい声がアリアの口から漏れる。
ようやく現実を認識し始める事が出来たような、そんな声だ。

「おいでアリア君。そうすれば、君の母親は助かるから」
「っ!」

その瞳をめいっぱい見開いて、アリアが硬直する。
ヒステリアモードでなかったとしても、分かる。

今ので、一気に動いた。
アリアの心が、あちら側に。

そんな反応すら予測済みとでも言うように笑い、シャーロックはアリアを抱き寄せた。

「さあアリア君。好機とは、逃して後悔する事が多いものだよ」

そのままヒョイっと、お姫様抱っこした。

「曾・・お爺様。で、でも―――――」

そこでアリアが―――――
初めて、ほんの微かな逡巡の気配を見せた。

その視線は、遠慮がちにフリッグへと向けられている。
ここに来てから、不気味なくらいに何も発言せずに、影のごとく佇んでいた人物。

そうだ、まだそれがあったんだ。
かなえさんが助かる、それはアリアにとってとてつもない魅力だろう。

だが、アリアにとってイ・ウーはそれだけじゃないんだ。
大切な妹を殺した、その仇のいる組織。

いくらそのトップが敬愛する祖先であったとしても、簡単に看過出来るものじゃない。
いや、むしろ事と次第によってはアリアの取るべき態度は変わるかもしれないんだ。

トップであると言う事は、シャーロックがフリッグの行動を黙認していた可能性がある。
それはつまり、アリアが妹を失った一因がシャーロックにもあると言えなくもないのだから。

アリアの様子を見たシャーロックは、しかしなんの動揺も焦りも見せない。
それどころか、今までとは趣の違う笑みを浮かべた。

それはまるで・・・・子供がイタズラを成功させる直前に向けてくるような、無邪気さを持っていて。
言葉はなくとも、待ってましたと言わんばかりの表情で―――――

「ああ、そう言えばまだ、『彼女』の紹介がまだだったね」

彼女。
奴は今、たしかにそう言った。

それはつまり、あのフリッグが女である事を示していて。
あくまで勝手な先入観だったんだが、少なからず驚いた。

それと何故か、後ろでパトラと兄さんが息を呑むような音が聞こえた。
反応が同じでも、二人の意味合いはそれぞれ違うようにも感じたが。

「アリア君、そして君達にも。この舞台のための――――ビックゲストだよ」

俺達に振り向いて、小粋なウィンクをよこしたシャーロックが、片手をフリッグに向けて仰いだ。
この場の全員の視線を、自然と集めさせるように。

そして、その視線に応えるかのように―――――
フリッグが、自らの両手を―――――仮面とフードにかけた。

再び俺は、あの時の感触を胸に抱いていた。
一度目は理子の前で、二度目はブラドやフリッグと戦った屋上で。

この感じは、もう分かっている。
これが襲ってくる時は、決まってアリアに何かが起こる時だと。

そして、今回のはこれまでで一番ヤバかった。
いや、少し違うか。

ヤバイ、というのは間違いで、それでも凄まじい予感がしたんだ。
見聞きさせて良いのか悪いのか、それが判別出来ない。

だから俺は、黙って流れに身を任せるしかなかった。
そうして、思い出すのは七夕の祭りの日。

アリアに見せてもらった、家族三人の幸せそうな写真。
どっちがどっちだなんてほとんどカンだが、それでも何とか見分けが出来た・・・・と思う。

どことなく片方は気が強そうで、もう一方は気弱そうなイメージを感じたからだ。
言うまでもなく前者がアリアで、後者がマリアって子だろう。

なんで髪と目の色があんな事になっちまったのか知らないが、アリアの成長の鈍足っぷりは舌を巻くほどだ。
そして、目の前の光景はその真逆を行くものだった。

写真と同じ、金糸のような亜麻色の髪。
サファイアのような紺碧色の瞳は、空とも海とも見て取れる。

アリアのようなあどけなさを僅かに残しながらも、平常時の白雪のような―――いわゆる『ちょっと成長し始めた女』のごとき魅力を醸し出す・・・その少女。

そう、あの日の写真の姉妹が、もし歳相応の成長を遂げていたなら―――――
きっと、こんな風になるんだろうと・・・そう思うような姿を、していた。

後ろでポニーテールに纏められた長い髪が、風に靡いて宙を泳ぐ。
いまいち感情を読み取らせないような、どこか空虚さを映したその目は、俺の記憶を強く刺激した。

そうして、俺の頭の中で全てのパズルがガッチリと嵌った。
あぁ・・・・そうか。 そういう―――――ことだったんだ。

「――――え・・・・・・?」

アリアの声が、とても遠くに聞こえる。
意図せず漏れてしまったような声で、これでもかというくらいに力が抜けきっていた。

「なっ・・・」

そして、ほとんど同時に兄さんの声も聞こえた。
驚きのあまりまともな反応が出来ない、程度の差はあれどちらも似たような理由からだろう。

そして、それは俺にも言えることだった。
かろうじて思考だけはこうして動いているが、言葉を発する事が出来ない。

初めてアリアの妹の話を聞いたとき、感じていた違和感。
それはまさに、これだったんだ。

死体も見つからず、致死量の血液だけで消失した妹。
遺伝子によって能力をコピーするために、持っていかれたのだと思われていた。

けれど、肝心な可能性を見過ごしていた・・・・いや、心の何処かで目を逸らしていたのかもしれない。
まさに俺は、兄さんという実例を目の当たりにしていたってのに!


死んだと思わせて、実はイ・ウーのメンバーとなって活動していたのだと。


それも兄さんとは違い、完全にシャーロックに恭順する形で。
きっとアリアと同じく、敬愛の対象だったんだろう。

その深い蒼を宿した瞳が、俺たちを順に見渡していく。
パトラに、兄さんに、そして――――俺に。

またしても、痛烈な刺激が脳を襲う。
まるで軍用のスタンガンを直接頭にぶち当てられたような感覚。

その視線が外れると同じタイミングで、アリアの震えた声が静かに聞こえてきた。

「―――マ・・・・マリ・・ア・・・?」

問いかけていても、聞き取れるかどうかはかなり怪しいくらいの掠れた声だった。
それでも、彼女には十分に聞こえたらしく、その視線が交差する。

ピクリとアリアの体が震え、その目には微かに拒絶の色があった。
ありえない、そんなはずがない。

そうだと理性が訴えているのに、突然に降って湧いた希望に縋るのを抑えられない。
そんな、複雑極まりない心中を如実に物語っていた。

そんなアリアを見て、彼女は―――――
あの日、俺達を完膚なきまでに叩きのめした奴と同一人物だってのが信じられないくらいに―――――

柔らかく、愛おし気な笑顔を浮かべた。



俺は一瞬、二年前のあの日にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。

暖かな日差しの元、桜舞い散る道の上で

あいつが見せてくれた、あの時と同じ笑顔が

そこに・・・・あったから。


「久しぶりだね・・・・お姉ちゃん」

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