小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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六十一話











痛々しいほどの静寂が流れていた。
茫然自失としたままの四人と、それぞれ意味合いの違う笑顔を浮かべる二人。

白雪が戻ってきても、この場のただならぬ雰囲気に口を出せないでいた。

「う・・そ・・・・・だって・・・そんな・・・・」

呻くようなアリアの声だけが、風に流れて響いている。
ただでさえ混乱の極地だった頭は、すでに許容限界を振り切れている。

死んでいたはずの妹が、敬愛する先祖と共にいた。
それも、仇だと思っていた人物こそが当人だったなどと。

何処かの映画のような展開、現実味を感じられないのも無理はない。
キンジの時とは違い、アリアにとっては八年ぶりの再会なのだ。

人の悲しみは時間に比例するものではないが、積み重ねたこれまでが覆されれば事情は変わる。
これ一つだけのためではなくとも、ずっと戦ってきた。

生きていた事に対する喜びと、それらが綯い交ぜになり、まともに言葉が紡げないでいた。
そんな心中を察するように、マリアが歩み寄る。

すっと手を動かし、アリアの手を握った。
ピクリと体を動かし、その手を見るアリア。

ゆっくり、ゆっくりと握り返し、その感触を確かめるように。
昔よりも大きくなった掌ではあっても、伝わってくるものは変わっていなかった。

とてもよく知っていて、これ以上ないほどに焦がれていた手触り。
一秒、二秒と経つほどに、アリアの瞳から涙が滲んでいく。

未だに信じられない部分はあっても、これだけは間違いないと断言出来る。
いつもは中途半端で曖昧な直感も、この時だけは明確に解答してくれていた。

――――また、会えたと

「・・マリア・・・・マリアぁっ・・!」

抱えられたまま、上半身だけ抱きつこうとする。
それを察して、シャーロックはそっとアリアを降ろした。

たちまち全身で飛びついて、力一杯に抱き締めた。
それに応じて、マリアもそっとアリアの背に腕を回す。

「―――本当にっ・・・嘘じゃないわよね・・? 生きてる・・・・のよね・・?」

顔を少しだけ離し、一心に見つめながらそう問うた。
何かの夢なんじゃないか、あるいは幻やイタズラの類なのではないか。

そんな一抹の不安が拭いきれず、本人の口から聞きたかった。
そう言うアリアに対し、マリアは笑顔を絶やさずに答える。

「うん。ちゃんと生きてるよ、姉さん」

額をコツンとくっつけて、腕により力をこめて抱く。
お互いの熱を感じられるように、生きていると実感させるように。

それだけで、アリアには充分だった。
何故生きているのか、どうして姿を消したのか。

そんな事はもう、どうでもよかった。
生きていた、また会えた、それ以外には何もいらない。

心を満たす安心感は、最後に母に抱きしめられて以来の安らぎを与える。
こんなにも心地の良い思いをしたのは、本当に久しぶりだったのだから。

「姉さん。一緒にイ・ウーに行こう?」

だからこそ、その言葉にさほど違和感を感じなかった。
戸惑いはまだあれど、心がみるみる傾いていくのをアリアも自覚していた。

「で、でも・・・」
「姉さん、もういいんだよ」

アリアの言葉に被せるように、マリアは言葉を続ける。

「もう辛い思いをしなくていい。姉さんばかり苦しまないでいいの」

それは、甘い―――甘すぎる毒。

「曾お爺様の言う通り、姉さんはホームズの本当の後継者なんだから。落ちこぼれでも欠陥品でもない、姉さんこそが次代のホームズなんだよ」

一人ぼっちで戦ってきた少女にとって、麻薬にも等しい誘惑。

「母さんも助けられる。もう一度――――皆で一緒に暮らそう」
「―――っ!!」

まさに王手詰み(チェックメイト)
何度望んだか分からない、どれだけ叫び求めたか知らない願い。

それが、目前に差し出されているのだから。

「曾お爺様もいてくださる。もう誰も、私達の邪魔なんて出来やしないから」
「その通りだ。さぁアリア君――――君のイ・ウーだ」

そっと離れた直後に、再びシャーロックにお姫様抱っこで持ち上げられるアリア。
その時にはもう、先程のような迷いは見せなかった。

だが、一度だけキンジのいる方へと振り返った。
その目が何を言っているのか、推し量る事は出来ない。

それでもアリアな何も言葉にせず、ジッとキンジを見ているだけだった。
そんな様子を見たシャーロックが―――――

「君達はまだ学生だったね。ならばこれから『復習』といこうか」

それを最後に、舳先から飛び上がった。
人には越えられないような距離と高さを、一足で飛び越えたのだ。

マリアはそれに続くように、こっちは何かで引き上げているように見える。
そうして、二人の圧力から解放されたからか、ようやくキンジは正気に戻る。

アリアを、また攫われた。
いや、今回はもっと深刻だろう。

シャーロックに後継者と認められ、死んだはずの妹と再会し―――
そしてなにより、かつてのように暮らせるのだと言われた。

逆らい、拒む理由はキレイサッパリ消し飛んだのだ。
攫われたというより、奪われた。

「アリア!」

アンベリール号の舳先まで駆け寄って叫ぶ。
パートナーを持っていかれた、自分の目の前で。

二度目の失敗、前よりもひどい体たらくっぷりだった。
歯軋りしながらも何となく感じ取る。

そっちに行ってはダメだと。
あいつらは危険だ、行かせてはならない。

そうは思っても、何も出来ない自分がいて。

「アリアァァァーーーーーー!!!」

もう一度、キンジは叫ぶしかなかった。

ドクンッ! と。

今までにない灼け付くような感覚を、胸の奥に感じながら。













なんだ、この感覚は・・・?
ヒステリアモードになる時と似ているが、少し違う。

そもそも、俺は既にヒステリアモードになっていたはずなんだから。

「シャー・・ロック。心臓を撃ち抜いたぐらいで・・・・俺を制したつもりかっ・・・」

背後から聞こえた声に振り向けば、兄さんが起き上がろうとしているところだった。
その胸からは、まだ血が流れたままだというのに・・・。

「キンイチ、やめぬか! まだ癒えておらんのだぞ!?」
「これで・・いい。これ以上は、治すな」

パトラの静止も聞かず、立ち上がった兄さん。
三つ編みを振り解き、中の鎌を投棄した。

身軽になり、顔を上げた兄さんの――――その鋭い目。

「っ!」

分かる。
今の兄さんは、ヒステリアモードになっている。

カナにもなれず、性的興奮も感じる要因がない現状で、いったいどうやって・・・

「いいかキンジ。HSSには、成熟や状況に応じた派生系が存在する。今の俺は―――ヒステリア・アゴニザンテ」

知らなかった、そんなものがあったなんて・・・。
父親にだって聞いたことがない、今まで一度も。

「ダイイング・ヒステリアとも言い、死ぬ前に子孫を残そうとする本能を利用して発現するヒステリアモードなのだ」

それってつまり・・・命と引き替えってことじゃないのか?
そんなにしてまで戦うのか、兄さんは・・・

「そんなになってまで・・・兄さん」
「いいかキンジ。日本国籍の船の上で、奴は未成年者略取の罪を犯した。これはシャーロックを合法的に逮捕する、唯一無二の好機なんだ!」
「だけどっ・・!」
「好機の一瞬は、無為な人生にも勝る―――――それが今だっ!」

こんな時でさえ、兄さんの姿は勇ましく、凛々しかった。
つい昨日会った時とはまるで違う、全く別の覇気を纏っているように見えた。

それは、ただ犯罪者を捕まえようとするものとは違うと、不思議と感じる事が出来る。
それが兄さんを支えていて、今も微塵も衰えない意思を形作っているんだと。

詳しい内容なんて分からない、だけど―――――
それが、今の兄さんの信じる『義』であることは伝わってくる。

「キンジ。今のお前も、もう通常のヒステリアモードではない。先程の叫びで確信した」
「え・・・?」
「通常のヒステリア・ノルマーレではなく。今のお前はヒステリア・ベルセ。女を奪うヒステリアモードになっている。目の前で女を、他の男に奪われた事によってな」

それはきっと、さっきの妙な感覚こそが変化の証だったんだろう。
煮えたぎるような黒い感情が、底から湧き上がってくるような・・・

「能力はノルマーレの1.7倍と高いが、その性質から思考が攻撃一辺倒になってしまう。他の男に対する怒りや憎悪が引き金になっているからだ。女に対しても荒々しい態度になりがちで危険が多く、制御は不可能ではないが非常に難しい。初めてでのお前では・・・・っ、どうやらこれ以上説明している時間はないようだ。あと一メートル船体が沈んだら飛ぶぞ、合わせろ!」

そう言った兄さんに。
俺は、唖然と目を見開くしかなかった。

合わせろと、兄さんは確かに言った。
それはかつて、どれだけ願っても叶わなかったこと。

昔から組んでみたいと思っていたが、実力が違いすぎて聞き入れてはもらえなかった。
当時の俺は、いつか兄さんに認めてもらいたくて必死に鍛えていたのを覚えている。

そんな兄さんが、自分から言ってきたんだ。

「あの二人を倒すのは、俺でもお前でも不可能だ。だが二人でなら、ヒステリアモード二人がかりでなら可能性がある!」

初めて、兄さんに認められた気がしたんだ。
俺のことを信頼し、共に戦う意思を示してくれた兄さんに―――報いたい。

これが最初で最後になろうとも、全力で応えたいと思った。
さっきまで竦み上がっていた体に力がみなぎり、これ以上ない闘志が沸き上がる。

そしてちょうど、ギリギリ飛び移れそうな深さまでアンベリール号が沈みつつある。
まるで俺達の前に現れた広大な道のようなイ・ウーの先に、あいつらの背中が見える。

「行くぞ。まずはアリアを救出し―――――」

かつてと同じく、仲間を決して見捨てない強い意思を持った兄さんが構える。

「――――シャーロック・ホームズを、逮捕する! 続けっ!」

言下に、超人的な跳躍を見せる。
そして俺もヒステリアモードの全力で力の限り地面を蹴った。

アリアを、パートナーを取り戻すために。
きっと今までにない戦場になるボストーク号へと。

俺達は、踏み込んだんだ。














アリアを抱きかかえたままのシャーロックと、マリアは肩を並べて歩く。
いまだ興奮冷め止まぬらしいアリアは、ずっと片手をマリアと繋いだままだ。

「・・・来ました」
「ああ、分かっているよ」

ポツリとマリアが呟き、シャーロックが応える。
アリアだけがその意味を測りかねていたが、ふとこちらに向かってくる気配に気付いた。

まだ百メートル以上離れているが、こちらに向けられる激しい闘志は尋常ではない。
常人なら感じただけで気絶しかねないような、圧倒的な圧力を秘めていた。

「どうしますか? 私でも十分に対処出来ますが・・・・」

気付かれないようにアリアを一瞥し、マリアが問う。
あくまでこの舞台はキンジの能力を成長させるためのものであり、金一は退場させる予定なのだ。

万が一にもアリアに負傷があってはならないため、順当に分業するかという意味合いだ。

「いや、これは僕の晴れ舞台でもあるからね。基本的には僕がやるよ。君には『差異』が生じた時の対処を任せたい」
「・・・了解しました」

シャーロックの言葉に微かな間を置きながらも、そう答える。
アリアはいまいち意味を理解しかねているようで、首を傾げて二人を交互に見る。

「えっと・・・なにを――――」
「シャーロックっ!!」

アリアの言葉を遮り、金一の怒号にも似た声が聞こえてきた。
反射的に振り向いたアリアの視界で、見覚えのある閃光が瞬く。

金一より放たれた『不可視の弾丸(インヴィジビレ)』。
それは三人から十メートルほど離れた距離でギィンッ!と火花を散らして弾かれた。

マリアは何もしていない。
シャーロックがアリアを抱えたまま、『銃弾撃ち(ビリヤード)』と『不可視の弾丸』を混ぜ合わせた技で対処したのだ。

それも背を向けたまま、抱えたアリアに違和感も感じさせずに。
しかし、迫る二人の攻撃はそれだけでは止まらない。

もう一度放たれた『不可視の弾丸』がシャーロックに弾かれたとほぼ同時、今度はキンジが発砲する。
その狙いはシャーロックではなく、弾かれた弾丸の方。

『銃弾撃ち』で弾かれた弾を、さらに『銃弾撃ち』でもう一度弾いて軌道を修正したのだ。
常人には決して捉えられない、音速世界での絶技。

しかしそれすらも、シャーロックは弾き返して見せた。

それから始まったのは、まさに人類史上でも常軌を逸した弾幕戦。
二丁同時の全弾フル射撃による十二連撃の『不可視の弾丸』に、相次ぐ空中リロード。

キンジによる『銃弾撃ち』と『鏡撃ち(ミラー)』の混成射撃。
それらを全てシャーロックが弾き、二人も負けじと弾き返す。

銃弾の弾き合いという、人間の限界を越えた者達による超常決戦だった。
かつてマリアとカナが戦った時とは違い、ここは壁や天井のない開けた空間。

その条件下で、一発の弾丸をこの場に留まらせておくのには限界がある。
弾丸の嵐は累乗的にその数を増やしていくが、それにもいつか終わりが来る。

そんな真っただ中を、キンジと金一は走り抜ける。
カナの時とは違い、まるで阿修羅のような気迫を見せる金一の姿に、アリアは目を丸くしていた。

「そろそろにしようか」

不意に、シャーロックがそう呟いた。
それを合図に、シャーロックとマリアがほぼ同時に跳び上がった。

七メートルほどあった船橋まで、一足に。
それと同時に、キンジ達の射撃が止まる。

降り立ったシャーロックが彼等の方を向いていたので、自然とアリアも同じ方向に向くのだ。
今撃てばアリアに当たるため、二人は手出し出来ない。

「姉さん」
「え・・?」

そして、マリアがアリアの手をそっと握って声をかける。

「耳を塞いで。こう・・」

握ったまま手を動かし、耳に添えるように誘導する。
言われるまま耳を塞いだアリアを見て、マリアも同様に手の平を耳に当てる。

それを確認したシャーロック。
その胸が、瞬時に膨らんでいく。

スーツのネクタイが破れ、まるで風船のごとく大きく膨らんだ。
かつてブラドがキンジに用いた、『ワラキアの魔笛』。

大音量で不快音を聞かせ、性的興奮を萎えさせる事によってヒステリアモードを強制解除させる。
いわば、『HSS破り』とでも言うべき技。

これで、金一は今回の戦いから退場する。
キンジはこれを経験した故に咄嗟の対処が出来るだろうが、金一はこの技の存在すら知らないのだから。

マリアの視線が、自然と金一の―――――治りきっていない胸の銃創に注がれる。
動けば動くほどに出血量が増し、このまま長く戦えば本当に命が危うい。

彼にはまだこれからがある・・・・ここで死んでもらうわけにはいかないのだ。

「・・・おつかれさまでした」

ポツリ、と。
誰にも聞こえなくらいに小さな声で、マリアが呟いた。

その一瞬、二人の視線が交差する。
それすらも遮るように、マリアは静かに目を閉じた。

自分の横で、シャーロックの『ワラキアの魔笛』が発せられる気配が伝わってくる。
さんざん苦痛を味あわせた、絶望を叩きつけた。

自分でそれを決断しておきながら、今の自身の心境が滑稽に思える。
どこかホッとしている、つっかえが取れたような気分でいる。

あまりに身勝手な考え、自己中心的だろう。
自嘲気味に笑いそうになるのを堪え、その時を迎える。

これでいい、もう終わるのだと――――――


「兄さんっ! 耳を塞げっ!!」

「―――っ!?」


直後に、信じられない言葉を、掌の向こうから辛うじて聞き取った。


―――イ゛ェアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアア!!!!


次の瞬間、『ワラキアの魔笛』が―――――空を揺らした。

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WA ベレッタ M92FS《緋弾のアリア》キンジモデル
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