六十四話
時を僅かにさかのぼり、キンジがたどり着いた聖堂で―――――
「キンジ、帰って。今ならきっと逃げられるわ」
予想通りと言うべきか、アリアは拒絶の意を示していた。
その瞳にもはや不安定な揺らぎはなく、確固たる結論としてそう言っているのだと理解するに充分だった。
だからこそ、キンジもそれほど動揺したりはしなかった。
おそらく、というよりもほぼ確実に、こうなるだろうと思っていたからだ。
連れて行かれる間際の一部始終を見て、そう思わないほうがおかしいだろう。
「それでお前は、ここであいつらと暮らすってか?」
「そうよ。曾お爺様は、あたしを後継者だって言ってくれたのよ。ずっと欠陥品だって・・・・落ちこぼれだって言われてきたあたしに。神様みたいに思ってた人にそう言われた、今のあたしの気持ち――――分かる?」
制服の胸ポケット、そこに入っているだろう手帳の写真を握りしめるように手を置くアリア。
アリアの言葉は、キンジには否定しづらいものだった。
アリアにとってのシャーロックは、まさにかつてのキンジにとっての金一そのものだから。
憧れ、尊敬、この世の全ての敬いに類する言葉を並べ立てても足りないくらいに、羨望しているのだ。
アリアの境遇を七夕の日に聞いたからこそ、即座に言い返す事が出来ない。
しかし、それを言うなら―――――
「だが、かなえさんに罪を着せたのはイ・ウーなんだぞ? そのトップがシャーロックだったんだ、それも水に流すってのか」
キンジの言葉に、一瞬だけ顔を歪めるアリア。
しかしすぐに、眉を吊り上げてキンジを睨んでくる。
「ママの事も、もう解決するわ。ここにいれば十分な証拠が手に入る。なんでママに罪を着せたのか、それも調べる事が出来る。そうでもしないと分からないような裏があるのよ、この事件には・・・・!」
「それじゃあ本末転倒だろうが! 敵の一員になるなんて、囮や潜入ならともかく―――」
「うるさいっ!!」
言葉を途中で遮って、アリアの金切り声が響きわたった。
より一層に鋭い視線がキンジを射抜き、犬歯を剥き出しにして両腕を広げる。
「じゃああんたはっ、このイ・ウー全員を逮捕するとでもいうわけ!? 人類の歴史上、最も強い曾お爺様を倒せるとでも思ってるの? そんなの不可能よっ! 絶対に無理なの!」
「アリア・・・」
それは、たしかにそうだろう。
イ・ウーはいまだにその戦力の半分も失っておらず、こうして入り込めたのは断じてキンジの実力などではない。
くわえて、相手は百年以上を生きるオリジナルの偉人であり、超人達の頂点なのだ。
マリアにすら手も足も出なかった者が、さらにその上をいくシャーロックに挑むなど、誰が聞いても無謀だとしか言われないだろう。
アリアが屈服した理由の何割かも、そうした意味合いが含まれていたのは明白だ。
誰よりも信望してきたからこそ、その絶対的なカリスマに抗えない。
母を助けたい、昔のような幸せな生活に戻りたい。
そう願い焦がれるアリアの叶えるために―――――
この判断は、たしかに合理的と言えるだろう。
「・・・・・無理、疲れた、面倒くさい。アリア、お前初めて会った日に言ったよな」
「・・・?」
しかし、アリアは―――――
否、アリアにだけは、その道を許容させる訳には行かない
ゆっくりと瞬きをしたキンジは、真っ直ぐにアリアを見据えながら言葉をはく。
そこまで言うのならば仕方ない、俺も存分に言わせてもらおうと。
「これは人間が持つ可能性を自分から押し止める、よくない言葉だ―――ってよ」
「っ・・・・」
そう、それこそが神崎・H・アリアという人間なのだから。
無能の落ちこぼれと断じて切り捨てられ、周囲の全てに一人にされた。
しかし、それでも諦めないからこそ強くなり、こうしてSランク武偵へと登り詰めたのではなかったか。
欠陥品などではない、落ちこぼれなどとは絶対に違う。
そんなものは愚かな妬みや嫉みであり、芯から捻じ曲がった人間の僻みでしかない。
そのような奴らにまで認められなければ気が済まないのか?
―――違うだろう・・・・そうじゃないだろう。
「それなら俺も言うぜ。イ・ウーなんざ時代遅れの海賊だ。お前の曾爺さんは長生きしすぎて、頭がボケてこんな事やってるんだよ!」
「・・・曾お爺様を・・・侮辱しないで・・!」
目をキツく閉じ、もういっぱいいっぱいと言う感じで叫ぶアリア。
それはまさに、カナの一件の時と真逆の立場だった。
「お前の妹もそうだ。小さい頃に拉致られてこんなイカれた場所に引きこもってるから、おんなじような犯罪者に成り下がったんだっ!」
「やめて・・・やめてっ!!」
両手で頭を抱えて、激しく首を振る。
見ないようにしていた現実、少しでも先延ばしにしていたもの。
フリッグがどれだけの犯罪を犯したかはどちらもよく知る事実であり、それがマリアだったとはつまりそういう事だ。
ただのEランク武偵であるキンジがほんの少し調べただけでも、フリッグの悪名は世界中に轟いていた。
大金盗難に大量殺戮、ある国が秘匿していたとんでもない宝を盗んだなんて噂も枚挙にいとまがないほどだ。
存在自体が眉唾とされていたジャンヌなどとは違い、大体的に全国指名手配された本物の特一級犯罪者。
ざっと見ただけでも、人生を三回やり直してもお釣りがくるような罪状が列挙されている。
その内の何割かが、神崎かなえに着せられたものなのだ。
それを、キンジは容赦なく指摘する。
アリアの決意を崩すために、心にもない言葉すら使って。
今の彼はベルセ―――――女を奪う事に全てを費やす者であるが故に。
「武偵として、見逃すわけにはいかないぞ」
「今さら武偵ぶらないでよ!」
見開いた赤紫色の瞳を向けて、怒り任せに叫ぶ。
「ずっと辞めたいって言ってたくせに! あたしはこれでいいのっ! ママも助かって、マリアも曾お爺様もいる。あんたは面倒事から開放される。それでいいじゃない! だからもうっ、あたしの事は―――っ、忘れて・・・・・」
涙混じりに、そう言うアリアを見て――――
キンジは、ただ見つめているだけだ。
「たしかに、武偵なんか辞めたいさ」
「・・・・」
「でもな、俺はこうも言ったはずだぞ。不本意だが今は武偵だ、だから一度した契約は必ず守る」
あの夕焼けのヘリポ−トで、あの夜の七夕祭りで。
パートナーであろうと思えた瞬間を思い出す。
あの時の花の咲くような笑顔は、今でも鮮明に覚えているから。
「パートナーの失態は俺の失策でもある。寝返ったのを見て見ぬふりなんか出来るわけないんだよ」
だから追い立てる、責め立てる。
いつものノルマーレであったなら、決してとらないようなやり方で。
「―――もうパートナーなんかいらないっ!」
聖堂に響くア二メ声。
それはとても悲痛な色で、とてもあの常時勝気な破天荒娘とは思えない弱々しさだ。
「あんた―――ずっとパートナーやるの嫌がってたくせにっ! いまさら、こんなっ、無理矢理・・・」
「お前がそれを言うかよ。無理矢理が十八番な世界代表のくせに」
鼻で笑って、アリアの主張を封殺する。
拒絶されればされるほど、キンジの仲の黒い感情が勢いを増していく。
それは次第に、とにかく力づくで奪えと頭の中で囁やきすら聞こえてくるようだ。
それを必死に抑えながら、キンジは理性を総動員して言葉を紡ぐ。
「お前のパートナーは俺だ、シャーロックじゃない。だから―――――奪い返す」
「っ!」
頭に血が上ったか、それとも別の理由か。
アリアの顔が赤くなり、次いで俯いて肩を震わせる。
「こうなる予感・・・・してたわ。だから言葉で追い返したかった・・・・・傷付けたくなくて・・・」
「俺が負ける事前提かよ。そのへん教えてやらなくちゃいけないみたいだな? おチビさん」
不敵に笑うキンジ。
「イ・ウーで超人のお勉強する前に、身の程を教えてやるよ」
「・・・・言ったわね」
スカートの中の銃へと手を伸ばす。
そこには、キンジが渡した二丁のガバメントがある。
「先に抜けよアリア。レディーファーストだ」
「じゃあ―――――遠慮なく!」
言下に素早く発砲してくるアリア。
キンジは冷静に、ベレッタで二連射して『銃弾撃ち』で防ぐ。
アリアとキンジの使う銃弾では、威力の優劣で『鏡撃ち』が使えない。
四方に弾け飛んだ弾丸が、室内に飾ってあった花を散らせる。
花びらが舞う中、アリアのツインテールが宙を泳ぐ。
互いの譲れないものをかけたもう一つの戦いが、ここに幕を開ける。
青く煌めく海原に、幾多の銃声が響き渡る。
互いの長い髪が、潮風に揺られて軌跡を描く。
相手の両手を外側に弾き、開けた胴に撃ち込もうとする。
しかしそれは半歩横にズレて回避され、お返しのように胴を狙った攻撃が視界の端で迫る。
最小限の動きでそれを躱し、距離が少しばかり離れた瞬間に『不可視の弾丸』を撃ち放った。
その数は十発、今ピースメーカーに入った残弾の全てだった。
だが、それはマリアの目の前で斬り落とされて無惨に落下する。
先程から、これの繰り返しだった。
踏み込んでは打ち、離れては撃ち、そして防がれて。
それを都合八回、なんの変化もなく続けている。
「それで、見極めは終わりましたか?」
「・・・・・」
こちらの意図を完全に理解した様子で、彼女はそう言ってくる。
それに、俺はどう返す事も出来ない。
もちろん、何の意味もなく同じことを繰り返している訳ではい。
むしろ、この戦いにおいて最も優先して取り組まねばならない事だ。
それは、彼女が振るう不可視の斬撃の正体を暴くこと。
未だその原理も間合いもタイミングすらも掴めない、それでいて攻防一体という悪夢のような技。
これの仕組みの理解なくして勝つことは、ほぼ不可能に近いと言っていい。
だからこそ、なるべく被害を受けずにあれを使わせ、見極める必要があった。
そして、今現在の結論から言えば全く分からない。
向こうもそれを承知で先の質問なのだから、なんとも意地の悪いことだ。
最も可能性が高いとすれば、やはりワイヤーの類だろう。
切り口に微かだが規則性があり、近距離も遠距離もこなすとなれば有力な候補となる。
しかし、この説には決定的な欠陥があるのだ。
特に今のような状況下、船の甲板という開けた空間が良い例だろう。
ワイヤーとは遮蔽物の多い閉鎖空間において最もその効果を発揮するものであり、要は引っ掛ける場所がなければ成り立たない。
かつての研究所の一件でもそうだが、彼女の技は全く時と場所を選ばない。
物理法則を完全に無視するかのような、正確で的確な設置場所なのだ。
この時点でワイヤーではないと思われ、しかしそれ以外には思いつかないのが現状だ。
他に数百メートル先の目標を即座に斬殺する物理武器など聞いたこともなく、超能力とは別の意味で人間の技の領分を逸脱しているだろう。
内心焦りが募るのを抑えられず、顔に出さないのが精一杯だ。
「そこ」
「くっ!」
ベレッタの一発が右膝に撃ち込まれ、表情が歪むのを感じる。
しかし痛みに止まっている暇はなく、今度はもう一方の銃が火を吹いた。
先の一撃をは比べ物にならない、まるで小規模な爆発のような銃声が響く。
辛うじて躱したが、流れ弾が当たった甲板の手すりが爆ぜて抉り取られた。
冷や汗が背中に流れるのを感じながら、追撃をさせぬよう『不可視の弾丸』で牽制する。
S&W M500――――世界最強を争う大型回転式拳銃。
彼女があれを扱うのは初見だが、その威力は推して知るべしだ。
一方で発射後の弾速の下降が著しく、それなりの距離をおけばさほどの驚異ではない。
しかし、今のような近距離でくらえばそれこそ防弾装備の上からでも意識を刈り取られるだろう。
アル=カタ戦において、これほど使われたくない銃はそう多くないと言っていい。
バランスのベレッタと必殺のM500。
彼女の戦闘スタイルを鑑みれば、驚異的な組み合わせと言えるだろう。
それに加えて近中遠距離併用可能な斬撃、まさに一部の隙もない。
超能力や狙撃銃でならという安直な手が通用しないのは明白。
キンジの相手はこれすらも凌駕するというのだから、正直今にも心が折れそうだ。
フリッグとミアと真理が同一人物で、その正体は教授の曾孫でアリアの妹。
これだけでも思考を放棄して膝をつきそうなものを、こうして戦えている自分が不思議で仕方ないくらいだ。
やはり、以前の俺とは違うということ。
同時に、やはりこれでいいのだと確信できる。
本当の道を見つけられた、歩み出す事が出来たのだと。
そして、そのきっかけは他でもない、キンジと―――――目の前の彼女だ。
君に恥じることのない自分でありたい。
それは今となっても微塵の揺らぎすら見せず、確固たる決意として胸の内にある。
どうか見て欲しい、今の俺を―――――
少しでもマシになったと自信を持って言おう、かつてと違うと、胸を張って見せつけよう。
そのために―――――
「パトラっ! 投げろっ!」
「っ!」
突然の叫びに目を丸くしたパトラだが、すぐに意味を察してくれたようだ。
その傍らに置いてあった物を、こちらに放る。
それを視認しても、やはりマリアは妨害しようとはしない。
俺は両手のピースメーカを放棄し、宙を舞ってきたそれを掴み取る。
最初から連結済みのそれは、風を巻き上げながら俺の手の中で踊る。
無形ではない、腰を落として明確な構えを取る。
日の出の光を反射し、濃紺の刃を妖しく輝かせる大鎌―――――『サソリの尾』を手に俺は口を開く。
「ここからが本番だ。その技の正体、暴かせてもらう」
「どうそご自由に。出来るものなら、の話ですが」
直後、ベレッタの連射とM500の一発が同時に襲いかかってくる。
だが、ヒステリアモードの反射神経にはそれほどの脅威ではない。
迫る弾丸の全てを、スコルピオで叩き斬る。
切断してしまえば威力など関係なく、弾は虚しく落ちるだけだ。
手首の動きだけで変幻自在に操り、音速を超えた切っ先が水分の凝結させ、円錐水蒸気を断続的に発生させる。
俺の周囲を囲むように舞い散るそれは、まるで桜の花びらのごとき形状で宙を漂う。
刃の全方位防御。
これも拳銃の弾丸などでは破れない、攻防一体の技術だ。
銃が効かないなら刃で。
単純ではあるが、今の俺に出来るのはこれくらいだ。
全力を注ぎ、かならずや一矢報いてみせる。
「―――この桜吹雪、散らせるものなら―――」
キンジが言っていたように、本当に君が俺を尊敬してくれていたのなら―――――
「散らせてみろっ!!」
それに恥じることのないように、俺は強くあり続けたい。
そして、いつの日か―――――
俺は、君と・・・・・