六十六話
これはもう、最悪としか言えないだろう。
「はぁ・・・・はぁ・・・」
荒く呼吸を繰り返すアリアは外傷こそ無いものの、疲労困憊って様子だ。
その手にあったガバメントは片方が刀にすり替わっていて、俺と同じ一銃一刀の状態になっている。
肝心のガバメントは俺の後ろの床に転がっている。
言うまでもなく、俺が弾き飛ばしたんだ。
「思ったよりしぶといな、アリア」
「はぁ・・・はぁ・・・・当たり前よ・・・・・あんたなんかに、やられるわけないじゃない」
挑発的な俺の言葉に、気丈に睨みながらそう返してきた。
油断なく構える姿は、しかし確実に重心が不安定になってきている。
さすがにヒステリアモードのさらに1.7倍のベルセ、戦力は圧倒的だった。
あのアリアをほとんど一方的に攻めてる。
制服の所々が擦り切れてはいるが、体力にもまだ余裕がある。
勝つのは時間の問題だろう。
そう・・・・・ただ勝つだけなら、出来るんだ―――――
(ダメに決まってるんだがな、そんなんじゃ)
だから、俺は時間をかけてでもベルセを慣らすことにした。
初めてで難しいってんなら、この場で制御を習得するしかない。
分の悪い賭けだし、アリアがどれだけもつかも重要になってくる。
適度に抑えながら、出来るだけ早く使いこなすしか手はない。
ものの数秒で決断した俺は、正面からアリアに突っ込む。
本来なら真っ向勝負を仕掛けるには無謀極まる相手だが、ベルセにとっては例外だ。
ベレッタの三点バーストで、アリアの両武器と利き腕を狙う。
もちろんそれをアッサリ受けるわけはなく、姿勢を低くして床を滑るように回避するアリア。
そのままこっちに向かって駆け出し、片手だけのガバメントで撃ち返してくる。
それを『銃弾撃ち』と『銃弾切り』を併用して対応し、次の瞬間に俺達は肉薄する。
振るわれた刀の一閃を頭を傾けることで躱し、その隙にバタフライナイフでがら空きの胴を狙う。
それを見越して向けられていたガバメントが、俺の右肩を捉えていた。
咄嗟に目で引き金が引かれるタイミングを計り、その射線上に向けてベレッタを撃つ。
顔から十センチと離れていない場所で二発の銃弾が衝突し、視界がその半分を火花で覆われる。
その間に右足を蹴って横に跳び、アリアの側面に回ろうとした。
しかし考えていた事は同じらしく、俺達は火花の散った場所を中心に時計回りに動いた形になる。
赤紫色の瞳と視線が交差し、けれどそこに映る感情はどんなものだったか。
それを考える暇などなく、瞬時に軌道を変えて迫るアリア。
刀とバタフライナイフで打ち合い、ガバメントとベレッタで撃ち合う。
傍から見れば互角の戦いに見える。
だが、実際には徐々に俺の方に天秤が傾き始めている。
アリアの疲労は戦闘に支障が出るレベルにまで達しているし、逆に俺の攻撃は危険な部位を狙うようになってきている。
ベルセの制御は大分掴めてきたが、抑え込むにはもう少しかかる。
あと少し、あと少しだけ耐えてくれアリア。
刃と刃が互いを弾き、飛び退くようにして距離を取った。
アリアと俺の息遣いだけが、もはやそこらじゅう弾痕まみれになった聖堂に響く。
「・・・・・・本当に、強いわねキンジ。これ程だなんて思ってなかった」
「そりゃ今の俺は普段以上だからな、そうそう負けはしねぇよ。お前にも、誰にもな」
少しばかり余計なことを口走りながらも、不敵に笑ってみせる。
言外に、その負けない対象にシャーロックも含めてるんだ。
マリアより強かろうが知ったことか、あいつは絶対にぶん殴らないと気が済まない。。
こればかりはベルセでもノルマーレでも関係ない。
どの道あいつ男だしな。
人のパートナーを横からかっ攫っていった事といい、マリアの事といい、ヒステリアモード云々差し引いても無性にムカツク。
「・・・・やっぱり、あたしの目は狂ってなかった。けど―――――もうそれも必要ないのよ!」
それは俺にというより、自分に言い聞かせるような響きに聞こえた。
刀を振り上げて飛びかかってくるアリアに対し、俺はベレッタで刀を弾こうとする。
そして引き金を引く瞬間、ほとんど同時にアリアは刀を振り下ろした。
「っ!」
それは、俺を斬るには早すぎるタイミング。
そして同時に、俺の弾を斬るには最適なタイミングだった。
両断された弾がアリアの背後に飛んでいくのを視界に収めながら、構えられたガバメントに向けてバタフライナイフを突き出した。
鈍い金属音を立てて、切っ先が銃口に突き立てられる。
このまま撃てば、どちらもただでは済まないだろう。
このまま引き分けかと思われた、その矢先―――――
―――タ オ セ ッ ! タ オ セ ッ ! タ オ セ ッ !
「っ! ぐっ・・・・」
あまりにも唐突に、ベルセの血流が息を吹き返す。
その膨大な奔流を受けて、思わず苦悶の声が漏れた。
そして、それが最悪の事態を引き起こす。
突然に苦しんだ表情を浮かべた俺を見て、アリアが不覚にも驚いて集中を僅かに緩めてしまったのだ。
その隙を、ベルセの俺が見逃すはずもない。
即座にベレッタで刀を撃ち弾き、足払いをかけて床に叩きつけた。
「うぐっ!」
くぐもった声を上げ、アリアは仰向けに倒れる。
それに一切の情け容赦なく、俺はアリアに向けて銃を構えた。
防弾制服に守られた、心臓目掛けて―――――
(おい、ふざけんなよ!)
確かに、死にはしないだろう。
意識は完全に刈り取られるだろうが、少なくともこの場は勝ちを得る事が出来る。
だけど、それじゃあ意味がないんだよ。
アリアを取り戻すってのは、そういう事じゃない。
イ・ウーの人間になるっていう間違いを自覚させて、自分の意思で、もう一度、立ち向かうようにしなきゃいけないんだ。
相手が敬愛する先祖だから、それで母親が助かるから。
どれだけ魅力的でも、ずっと願っていた事でも。
それに縋るってことは、今までのあいつを否定することになる。
苦しい道を捨てて簡単な道に逃げる・・・・それこそホームズ家で言われた通りの欠陥品に成り下がってしまう。
それだけは駄目だ、絶対に!
それをさせないために、俺はここに来たんだろうがっ!!
(アリアッ!!)
―――ダァァンッッ!―――
ベレッタの銃声が、不気味なくらいに遠く聞こえた。
分からない―――という事態が人にもたらす感情は、大抵において四つに別れる。
まず最も多いのが、『面倒だ』という感情。
それは大半の場合怠惰な人間に芽生えるものであり、理解出来ない現状にまず怒りを覚える。
屁理屈や不満を並べ立て、しかしマトモな解決策を模索しようともせずに最終的には放り投げる。
社会という枠組みから見れば、まず大成しそうにない典型的な例だと言える。
それとは真逆の二つ目が、『知りたい』という感情。
一言で言えば知識欲、向上心などと表現するもので、人を成長させるために不可欠と言って差し支えない。
仮に全く同じ学習能力を持った人間が二人居たとして、どちらが同じ学問で勝ちを得るかと実験すれば、間違いなくこの感情がより強い方が勝るだろう。
好きこそものの上手なれという言葉があるように、人間の物事に対する能力は言ってしまえばやる気一つでいかようにでも変わるのだから。
そして三つ目の感情、これは単純にどうでもいい、つまり『無関心』だ。
知らなくても死にはしない、知らなくても生きていける。
正論であると共に言い訳でもある論理で、結局のところどっちが正しいかは判断が難しい。
そして、最後の四つ目の感情。
それは―――――『恐怖』だ。
単に勉強が分からないといった日常的なものから、幽霊や怪奇の不可思議といった曖昧なものまで。
人は自分が知り得ていないものや、理解の埒外にあるものに恐れを抱く事がある。
前者でいえば、勉強が出来ない自分が将来ちゃんとやっていけるのか? という不安。
後者で言えば、そんな物に関わって自分の身は安全なのか? という怯えに繋がる。
人から見れば下らないものや深刻なものまで様々だが、当人達からすれば等しく恐ろしいものだ。
だからこそ、人は暗闇だのオバケだのを怖がり、忌避するようになる。
あるわけがないと頭で分かっていても、それ以上に『ないという保証もない』という事実のほうが強く影響するのだ。
それらの理屈を纏めた結果、人は『知らない』という事が時にとても恐ろしくなる。
「キンイチ! キンイチぃ!」
「なるべく出血を抑えてください! まずは止血が最優先です!」
朧気に暗闇を漂ってる中、どこからか知っている声が聞こえてきた。
私は・・・・どうしたのでしょう?
いつのまにかここにいて、それを疑問に思うことなく浮かんでいた。
自分が突っ立っている事を知り、さらには視界が明瞭になってきている。
そうでした・・・・・ここはボストーク号の甲板。
今日限りでお別れする、私の第二の故郷といって差し支えない場所。
憧れだった偉大な先祖である曾お爺様と暮らし、多くの友人と出会った場所。
そうして、曾お爺様がその人生に幕を下ろす場所。
そして、今は・・・・・・・そう、差異の対処をしているはずだった。
そこまで思考して、やっと目の前の光景を認識する。
さきほどまで戦っていたはずの金一さん。
彼が血溜まりの中に倒れ、その命の灯火を今にも消さんとしている。
両脇にパトラとリシアが座り込んで、憔悴しきった顔で懸命に助けようとしていた。
その姿に・・・ひどく、違和感を覚えた。
私は―――――いつ彼を倒した?
彼が私の技を見破ったのは覚えている、さすがだと思った。
必ず辿り着くとは思っていたけれど、予想以上に早かった。
それを賞賛するとともに、何故か妙な息詰まりを覚えたのも記憶に残っている。
最後に見たのは・・・・そう、彼が私の包囲網を突破しかけた時。
別にしてやられたという訳ではなく、突破されても問題ないと判断した。
あの時の金一さんなら、体術だけで充分に制圧させられると。
そしてそれを実行しようとした、はずなのだ―――――
「あぁ・・・こんな・・・・・キンイチッ」
「出血箇所が・・・多過ぎるっ。このままじゃ!」
けれど、この結果はどうしたことか?
明らかにオーバーキル、生存は絶望的だ。
ただ制圧するだけだったなら、リシアの技術でいかようにでもなった。
でも、これはマズイ。
いかに技術的には十二分であっても、圧倒的に人手が足りない。
時間的にあと二十分あるかないか。
そんな重傷を負わせようとした覚えは欠片も無い。
だけど、こうなった原因は察しがつく。
最後に見た彼の表情。
それを捉えた瞬間、急速に意識が沈んでいったのを辛うじて覚えている。
それと入れ替わるように、何か思考が独立して働き始めたような、とにかくおぞましい感覚が発生したのも。
―――彼は危険、予想以上の変化はむしろ計画の障害になりかネない。
―――許容範囲外の存在は排除スルべき、そして今ガ絶好の好機だ。
―――抜ケた穴は他デ埋めれば問題ハ無イ。
―――幾ラデも代わリはイルのだかラ・・・・・
「っ!」
頭を振って思考を振り切る。
いつのまにか、体中に汗をかいていた。
さきほどまでの戦闘で火照っていたはずの体が、妙に肌寒い。
息を呑み、落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。
とにかく、今は金一さんの命を繋ぐ事が最優先だ。
リシアとパトラがいなければ、彼は今頃とっくに絶命していただろう。
彼女たちが必死に設けた時間を、無為にするわけにはいかない。
さすがにこれは成功確率が低いけれど、他に手段がないこともまた事実だ。
「パトラ、リシア」
「っ、マリア・・・」
「マリアさん・・・・」
手は止めず、驚いた様子で作業を続ける二人。
パトラは術を行使するだけなので私を見ているが、リシアは手元が狂わないようにこちらを一瞥しただけ。
「止血の進行状況は?」
「え・・・・あ、出血の勢いが激しくて・・・・まだ二割程度しか」
これほどの負傷は想定していなかったため、今のリシアは常備している最低限の道具しか持ち合わせてはいない。
設備が整っていれば二人だけで乗り切れたでしょうが、ないものねだりをしても仕方のないこと。
むしろ今こうして生きているだけでも既に奇跡の域と言っても過言ではなく、それはリシアの手腕があってこそ。
もちろん、金一さん本人の異常な生命力のおかげでもあります。
「なら、手付かずの場所は全て私がもたせます。その間に二人は処置をお願いします」
「なに? そのようなことが・・・」
パトラのセリフが終わらぬ内に、私は全神経を集中させる。
両手を前に突き出し、そこにはめられたグローブへと。
普段よりも深く深くイロカネと同調し、己の一部に等しくなるまで入り込む。
通常は目視が難しいワイヤーが、今はボンヤリと光ってその姿を宙に映し出していた。
それを見て、二人は私がやろうとした事を察してくれたらしい。
指先から伸びるワイヤーが、金一さんの体の裂傷に向かって伸びていく。
それは傷口の端に突き刺さり、そこから螺旋を描くようにして傷を縫っていく。
一つの傷を塞いだワイヤーはそのまま他の傷を縫うために移動し、それが十本同時に進行していく。
裂傷の数は百にも達しようかという程、大小も様々だ。
私の役目は、リシアが完全に傷口を塞ぐまでの時間稼ぎ。
手が届いていない部分の傷を一度全て縫止め、出血をほぼ完全に止める。
そこから順にリシアが治療していき、確実に一つ一つ消化していくのだ。
パトラは心臓の穴を塞ぐ事に全力を注ぎ、血の巡りを改善する。
このやり方ならほぼ確実に助ける事が出来る・・・・けれど―――――
「っ、く・・・」
問題は、私自身だ。
ワイヤー一本でさえ、十近い傷を同時につなぎ止めている状態。
元々が切断の能力を持つワイヤーなだけに、力加減一つ間違えただけで細胞や神経までズタズタにしかねない。
それを都合十本、九十ヶ所以上の管理を一手に引き受けているのだ。
傷つけないように慎重に、なおかつ傷をしっかり塞げる適度な力加減を保たなければならない。
それに必要な集中力、そして費やす精神力は普段の数十倍から数百倍にも匹敵する。
それになにより、イロカネとの同調は精神に危険を及ぼす。
飲み込まれないように、しかし十分な制御を可能にするギリギリを常に見極める必要がある。
額から滝のような汗が滴り、顎先まで垂れて落下する。
超能力を使う時などとは及びもつかないほどの消耗の速さ。
久しく感じた事のない、曾お爺様との戦い以外での疲労感。
リシアの処置の進行に合わせ、一つずつ結びを解く。
リシアの処置の鮮やかさは、こんな時でなければ魅入ってしまっていたかもしれないが、今はそれすら焦れったく感じてしまう。
知らず、視線が金一さんの表情をうかがっていた。
いっそ安らかにすら見えるほどの顔は、しかし気色を失ってまるで死体のよう。
死なせてはいけない、まだ彼には――――――
このままいけると理解しているのに、焦る気持ちが止まらない。
鼓動がドクドクとうるさく喚き、操作の集中に支障を及ぼす。
なんとか余計な思考を追い出し、指先だけに意識を向ける。
「残り三割です! マリアさん、もう少しだけお願いします!」
「・・・了・・・・解・・」
聞こえてきたリシアの声に、なんとかそれだけ返す。
呼吸が荒くなり、指先が震えてきた。
思いつきの超精密操作は予想以上に精神を削り、あっという間に限界を迎える。
こんな使い方、きっと曾お爺様だってしたことがないだろう。
イロカネは超常の力を発揮する危険な物体。
それを、まさか人の命を繋ぐために使用する事になろうとは。
まぁそれも、悪いことではないでしょう。
彼みたく全ての人を救いたいなどとは思ってませんが、知り合いが死ぬのも後味が悪いですし。
「・・・・・・・・細かい事は知りませんが・・・・選んだのでしょう・・・?」
ほとんど息をはいているだけに等しいような声は、他の二人には聞こえない。
「やった私が言うのも・・・・なんですけど。それなら・・・・ここで死ぬつもりもないでしょうに・・・」
ですからホラ、さっさと起きてください。
「これ・・・・・けっこう、疲れるん・・・ですよ・・」
心臓に穴を開けられても、貫きたいものがあるんでしょう?
なら、こんなところで寝てる場合ですか。
まぁどの道、今回はもうやることないでしょうけど・・・・。
それでも、あなたを生かすために頑張ってる二人もいるんですから。
美少女二人に想われて、男冥利に尽きるというものでしょう。
生き返らないともったいないですよ?
ですから―――――
「さっさと起きてください・・・・・・女装男子」