六十九話
「うそ・・・・だろ・・・」
キンジは思わず呟いていた。
シャーロックに撃ち込んだ黒い武偵弾。 その威力は対戦車擲弾にも匹敵しようかというほどのものだった。
炸裂弾の熱風が頬を撫で、その熱量がどれほどのものかを伝えてくる。
それこそ人間相手に使ってよかったのかと思ってしまうには充分だった。
「―――ここまでが『復習』だよ、キンジ君」
にも関わらず、シャーロックは存命していた。
ジャケットとシャツは無惨に破けているものの、あの凄まじい爆発に見合うだけのダメージがあるとはとても思えない。
そして、キンジを驚愕させたのはそれだけではなかった。
(間違いない・・・・・なってやがるっ・・・!)
シャーロックから感じる、先程までとは違う特有の空気。
その変化を、キンジはこれ以上ないほどに知っていた。
ヒステリアモード―――――遠山家のみが生まれ持つはずの特異体質、その変化時の雰囲気と似通っていたのだ。
そしてこれは、つい先程知ったばかりの派生系――――ヒステリア・アゴニザンテ。
死に際にのみ発現するヒステリアモードに、シャーロックはなっているのだ。
ヒステリアモードになった事自体はさほど重要ではない。
ブラドもコピー出来ていたのだから、シャーロックが持っていても不思議でもなんでもない。
問題は―――――
(そういや・・・こいつ死にかけなんだっけか・・)
そう、その引き金である。
なんとか思考を割り振る事に成功したキンジは、即座に答えにたどり着いた。
そもそも寿命が近かったからこそ、アリアをトップに仕立てようとしたのだから。
ほぼ常時死に体な上に、さっきのような代物をぶち込まれれば、嫌でも死に際に立ってしまうというものだろう。
「ここからは、これから君達が戦うであろう難敵の技を『予習』させてあげよう。 なにせ僕は、この学校の先生なのだからね」
そう言って上の服を脱ぎ捨てたシャーロックの体は、一流のアスリ−トも真っ青なほどの完成された肉体だった。
引き絞られた筋肉に、肌には多くの古い傷痕が見られる。
その時、空間が音を立てて振動し始めた。
ICBMの下部、ロケットの噴射口から白煙が吹き出してきている。
今すぐとはいかないまでも、発射の準備には取り掛かっているようだった。
時間が残り少ない事が窺い知れる状況で、しかしキンジに焦りはなかった。
ベルセの血流が昂るにつれて、そういった思考が除外されていく。
対峙するまでは微かに見えていた勝機すら、今は水泡に帰したにも関わらずだ。
ブラドやパトラに金一、そしてマリアすら超える、間違いなく今までで一番の強敵。
それがヒステリアモードになったのだから、万が一にも勝ち目はない。
だというのに、キンジは微塵も臆してはいない。
一対一で戦いたい、全力で目の前の男を叩き潰したい、ただそれだけの思いに満たされる。
諸々の理屈など鼻で笑い、手の中のバタフライナイフを握りしめる。
シャーロックが割れかけのステッキを振り上げ、そのまま床に叩きつけた。
ガシャァン! と音を立てて砕け散り、その中から出てきたのは一振りの刀。
僅かに反った刃は、素人目に見ても名刀と理解させるに足る輝きを放っていた。
やや細身で、直刀に近い形状のそれは――――スクラマサクス。
「予め言っておくが、銘は聞かない方がいい。詳しくは言えないが、これを持つ者に刃向かったと知られては、君の一族が末代まで誹りを受けるおそれがあるからね」
「興味ねぇから安心しろ。どうせエクスカリバーとかラグナロクとかそんなんだろ」
心底どうでもいいと感じたキンジが適当な剣の名を上げるが、意外にもそれに対するシャーロックの反応は驚愕の表情だった。
まさに「どうして分かった・・・?」とでも言いたげな顔。
「ははっ、すごい推理だ。君には探偵の素質があるね、僕が保証するよ」
「あんたも案外適当な奴だな」
ロケットの噴射炎で照らされ、室内の明るさが増していく。
白煙の量がみるみる増して行き、あと十分もすれば視界が塞がれそうだ。
「時間もあまり残されていない。一分で終わらせよう」
「奇遇だな、俺もそれくらいで決めるつもりだ」
直後、同時に二人が駆け出した。
かん高い金属音と共に、剣とナイフが火花を散らす。
―――バチィィッ!―――
「っ!」
不意に放たれた光によって、キンジは吹き飛ばされた。
反射的にバックステップで威力を殺したが、腕に痺れが走る。
動かせないほどではないが、少しばかり動きが落ちるだろう。
(雷―――か。まぁ『予習』とか抜かしてたから時点で想定内だな)
再び踏み出そうとしたキンジだが、その周囲を深い濃霧が包み込んでいた。
それを突き抜けるようにして、何かがキンジの肩を貫いていった。
防弾ベストを付けているにも関わらず、さも当たり前のように、だ。
素早く傷口に手を当てれば、手が水で濡れた感触が伝わってくる。
―――今度は、水・・・
対処を考える暇など与えないと言わんばかりに、ヒュン、という音が足下を通過していく。
直後に激痛が走り、屈んで確かめれば臑に刃物で薄く切られたような傷があった。
重量を感じなかったあたり、鎌鼬のようなものだと推測する。
雷、水、風と、何処かのサーカスかと思うような超能力のオンパレード。
よろりと立ち上がったキンジ目掛けて、シャーロックが霧を払って突撃してくる。
咄嗟にナイフで切り結ぶが、シャーロックの剣は見た目にそぐわぬ重量を有していた。
弾き返されたナイフを手放さないようにしながらも、横方向に思いっきり吹っ飛んだ。
壁に叩きつけられ、肺の中の空気を吐き出すキンジ。
視界が霞む中、シャーロックが追撃を仕掛けてくるのが見えた。
「っ、なめんな!」
気合を振り絞り、一歩踏み出す。
左胸を狙って突き出された剣に、刃の腹を添うようにナイフを滑らせる。
擦れた部分からギャリィィッと耳障りな音が響く中、剣の切っ先がキンジの左脇腹の下を通過する。
そしてキンジのナイフは、滑るようにシャーロックの手元へと向かっていく。
「っ」
思わぬ反撃、だったのだろう。
シャーロックの顔に驚きと、剣を手放すか弾くかの逡巡が浮かんだ。
その瞬間、キンジはナイフを持った手を捻って切り上げた。
―――ガキィィンっ!―――
シャーロックの手から剣が離れ、回転しながら宙を舞う。
一瞬の間、世界が止まったような錯覚に陥る。
キンジがそのまま、振り上げた手を今度は思い切り振り下ろす。
シャーロックは後ろに飛んで回避し、器用に一回転して着地する。
それとほぼ同時に、少し離れた場所の床に剣が突き立った。
ほぼヤケクソ気味の反撃の直後で、キンジはしばし動きを止める。
その時、室内に流れるモーツァルトの『魔笛』が・・・・・
華麗なソプラノ・パートに入る。
すなわち―――――独唱曲に。
「ふむ。まさかこれほどとはね・・・」
呟かれた言葉は、なぜか感嘆の響きを有していた。
口元に手を当て、まるで素晴らしい物でも眺めるかのような視線をキンジに注いでいるシャーロック。
それに妙な違和感を抱きつつも、キンジは呼吸を整える。
「このオペラが独唱曲になる頃には、君を沈黙させるつもりだった。しかし君は僕の予想を遥かに超えた力で今こうして立っている。そう、『条理予知』すら乗り越えて、だ」
その言葉に、キンジは予想する。
おそらくシャーロックは、ヒステリア・アゴニザンテは知っていてもベルセは知らないのだろうと。
さすがに1.7倍も戦力に違いがあるのだから、予想が狂っても無理はない。
例えそれが、世界最高の名探偵の推理だとしてもだ。
「君が思っていたよりも力をつけていた事は知っていたが、いやまさかここまでのものになっていたとはね。僕の推理を世界で初めて狂わせた。これが知られれば君は一躍有名人になるだろうね」
「俺はそんな、多くの人間に認められるほどの男じゃねぇよ」
幾分か理性が落ち着いたキンジは、肩を竦めてそう答える。
「偏差値低めで荒っぽい学校にいる、ただの高校生で、ついでに落ちこぼれなんだよ」
ちゃき、と。
バタフライナイフを手の中で閉じて、ポケットにしまった。
「・・・何故、武器を収めるんだい」
「別に。ただ、これで貸し借りなしってことだ」
不敵に笑うキンジは、先程の状況を正確に理解していたのだ。
濃霧に包まれて攻撃を受けたあの時、キンジを仕留めるチャンスは幾度もあった。
それをしなかったシャーロックは、つまりその回数だけ待っていたということ。
武器を失った相手に対し、これがせめてものお返しということだ。
キンジの意図を読み取ったシャーロックは―――――
恥ずかしそうに赤くなって、目をそむけた。
その様子に、キンジは違和感を覚える。
既視感とも言うべきそれは―――――
(・・・・ああそっか。赤くなった時のアリアに似てるんだな)
やはり血の繋がっている者同士という事だろう。
容姿は微塵も似通っていないというのに、その雰囲気は意図せず姿を重ねてしまうものだった。
「君はたいした快男児だよ。 僕がこんな気分になったのは、ライヘンバッハ以来だ」
「こっちはバッハじゃなくてモーツァルトだけどな」
流れる独唱曲に耳を傾けながらキンジが言えば―――シャーロックが小さく吹き出した。
それを、眉を寄せて見るキンジ。
アリアもまた、時々変な所で笑う時があるからだ。
これも血筋なのか分からないが、先祖も子孫も揃ってよく分からないツボがあるらしい。
「キンジ君。この場で言うのは不適切かもしれないが、僕は君を気に入った。マリアの事もそうだが、君は実に面白い子だよ。そのフェアプレー精神に応えてあげたいところだが、申し訳ない。この独唱曲は、僕の最後の使命――――『緋色の研究』についての講義を始める時報なのだよ。紳士たるもの、時間にルーズであってはいけないからね」
聞き慣れない言葉に、キンジは内心で首を捻る。
対して、静かに瞼を閉じたシャーロックの周囲に・・・・ボンヤリと・・・
緋色の、光が見え始めた。
見間違いでも比喩表現でもなく、シャーロックの体が光始めたのだ。
「さぁ、始めよう。僕の生涯、その全てが集約されたとも言えるものだ。どうか心して聞いて欲しい」
そう言って、シャーロックが銃を抜いた。
アダムス1872・マーク?――――かつての大英帝国で陸軍が使用していたダブルアクション拳銃だった。
そのマガジンを取り出し、一発しか入ってなかった銃弾を取り出した。
「これが、緋弾だ」
それは、シャーロックの発する光よりも濃密に輝く緋色の弾。
血のように、薔薇のように、あるいは炎のように揺らめくそれは、無機物とは思えないような何かを感じさせるのだった。
「さて―――」
パトラとリシア、二人の金一に対する冷たい視線が幾分か和らいだ頃、不意にマリアが呟いた。
それは比較的小さい声だったが、偶然にも誰も喋っていなかった事から全員が聞き取った。
或いはそのタイミングを計っていたのであろうマリアは、波に揺れ動くボートの上で平然と立ち上がる。
集まる視線の中、淡々と言葉を発する。
「そろそろ事態も大詰めでしょう。私達は引き上げます」
「!」
一番大きな反応を示したのは、やはりというか金一だった。
パトラは仕方ないといった様子で無言を通し、リシアはせっせと荷物をしまう。
「待ってくれマリア、俺にはまだ話したい事が――――」
「残念ですが、こちらにもまだ準備があります。ここから移動するための足を用意しなければなりません」
元よりマリアは、他の者達と違ってICBMを使用する予定はなかった。
他のメンバーと違って特定の組織に属する意思がない彼女は、不用意に組織が管理する領土に踏み込む訳にはいかない。
リシアも同伴する以上、危険は極力控えるえべきなのだ。
そうなれば自然と、彼女の行き先は限られてくる。
「リシア、行きますよ」
「あ、はい」
「ま、待って―――――」
背を向けてボストーク号に引き返そうとするマリアを、体を無理やりに起こして手を伸ばす金一。
「―――リシア」
「ああああの、ごめんなさい!」
「―――っ! ぐっ!?」
リシアが謝りながら右手を金一に向けた瞬間。
まるで世界の重力が捻じ曲がったかのような感覚に陥り、金一は倒れた。
どれだけ立とうとしても、視界がグルグルと揺れ動いてバランスが取れない。
三半規管が正常に機能しない、明らかな異常事態。
リシアの超能力により、平衡感覚が狂わされたのだ。
おまけに触覚も弄られているらしく、手にうまく力が入らない。
こうなっては、いかな金一といってもお手上げだ。
精神論ではなく、肉体の構造的に行動不能にされた。
「ぐ・・・マリ・・・ア」
それでも、最後の足掻きとばかりに手を伸ばす。
振り返って金一を見据える瞳は、やはりいつも通りに無感情のまま。
先の戦いの最後に感じたような危険な空虚はないものの、それで不安が消える事はない。
行かせてはいけない、手放してはいけない。
そう思っても、しかし体は言うことを聞かない。
再び背を向けて去っていくマリアに、リシアが残った者にお辞儀をしながら慌てて追いかける。
パトラが僅かに迷う素振りを見せたが、うつ伏せに倒れて藻掻く金一を見て、結局は動かなかった。
事態を細かく把握していない白雪は、ただジッとマリアの背中を見ているだけだった。
昇り始めた陽の光に照らされ、マリアの亜麻色の髪が煌めく。
幻想的にさえ見られるその光景は――――――どこか、今にも消え去ってしまいそうな希薄さを感じるのだった。