小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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七十四話











キンジを見舞った翌日、里香は他の生徒と同じ時間帯に登校していた。

「黒村さん、今日は調子いいの?」
「はい。最近は少しずつ体調が良好になっているので」

隣の生徒と何気ないやり取りを交わし、その姿はまさに虚弱気味な少女そのもの。
引き寄せられるような大人びた空気すらなりを潜め、吹けば飛んでしまいそうな儚さを感じる。

中学初期の頃と同じく、交友関係はどっちつかずの曖昧なもの。
アリアの暴走によって知名度は一時期だけ跳ね上がったが、それも最近ようやく収まった。

アリアがイ・ウーの件で多忙な毎日――もちろん生徒達はそれを知らないが――を送っているため、あの件以来二人は顔を合わせていない。
一部では「あきたんじゃないのか?」などという失礼極まりない説もあったが、結局これだという結論も出ぬままお流れとなったのだった。

ホームルーム開始のチャイムとほぼ同時に教師がやって来る。

「はーいお前ら席につけぇ。五秒経ってついてなかった奴はグランド五十週な」

サラリとじ放たれる鬼畜発言も、この武偵校では珍しくもなんともない。
ましてこの教師は主に強襲科の授業を受け持つ者であれば、むしろこれくらいは甘い方だとさえ言える。

楽しげに談笑していた者達が目の色を変え、ビデオの早送りかと思うような俊敏さで着席する。
この場面だけを切り取って見れば、他校の一般学生達に見習わせたいと大人達が関心することだろう。

「よーし、そんで今日の連絡だがなぁ。なんと、うちのクラスに転校生がやってくるんだと」

ザワリと、微かに教室がざわめく。
事前に情報を掴んでいた人間が一人もいないようで、全員が眉を寄せて囁き合っている。

時期外れということもあるが、生徒に全く知らされないとはどういうことか。

「まぁ俺も今朝知らされたからな。お前らが驚くのも無理はない。だがな、女子共はおおいに喜んでいいぞ。なぜなら―――――」

ニヤリと笑い、視線を集めるように一泊置いた。

「そいつは男で・・・・・俺ほどではないが、イケメンだ!」

・・・・・・・・・・・

沈黙。
ドヤ顔で言い放った教員が、教室に充満した空気を素早く察知する。

ゴッホン! とわざとらしい咳をついて、先ほど自分が入ってきた扉の方へと視線を向ける。

「と、とにかくちゃっちゃと進めるぞ。入ってこい」
「はい」

緊張した様子のない、ハキハキとした声。
ガラリと音を立てて扉が開き、転校生とやらが入室した。

・・・そして、クラスが一瞬で静まり返った。
堂々とした足取りで黒板の前までたどり着き、自分で名前を書き込む転校生。

手慣れた様子で書かれた字はブレがなく、繊細さの中に力強さを感じさせるものだった。
そっとチョークを置いて、その青年は振り返る。

窓から降り注ぐ太陽光が反射し、眩いばかりに煌めく金髪。
シャープな顎のラインに、キリっとした意思の強そうな瞳。

体つきはどちらかと言えば華奢な方だが、弱々しいもやしっ子という印象は欠片も抱けない。
翠玉のような鮮やかな緑色の眼は、見ているだけで自身の心の内を暴かれてしまいそうだ。

背はキンジと同等か少し下くらいだろう。
先ほどの教師の言葉はともかくとして、間違いなく超一流のイケメンだった。

「初めまして。ローマ武偵校からやってきました、シーゲル・ランディ です。よろしく」

そう言って、シーゲルは柔らかな微笑を浮かべた。
賞賛すべきは、そんな仕草を完全に己の魅力として昇華している事だろう。

生半可な人間がやったところでキザな痛い奴認定されるのがオチだが、クラスのほぼ全て(・・・・)の人間が見入っていた。
そんな中で、そのほぼ全てに属さない女生徒一人と教師が耳を塞いで―――――

―――きゃーーーーーーーーーーーっ!!!!!

直後、超大音量の悲鳴・・・・・いや、黄色い叫びが木霊した。
両隣のクラスの生徒達はさぞや驚いたことだろう。

教室内の男子には耳を抑えて悶絶している者が多数出ているが、周りの女子達はそんなのお構いなしに騒ぐ。

「すっごい! 超イケメン!」
「王子様キャラキターーーー!!」
「ランクはどれくらいですか!?」
「趣味は!? 女子の好みはっ!!」
「守られたい! そんでもって二人っきりの時は好きなようにされたい!」
「その微笑みを私だけのものにっ!!」

もはやホームルームなどあったものではない。
他の男子など道端の石ころ同然と言わんばかりの絶賛ぶりに、お約束と言うべきか、男子全員から恨みがましそうな視線がシーゲルに殺到する。

しかし、当の本人はそれを軽く受け流しているようだった。

「静かにしろー。とりあえずあれだ、質問タイムは休み時間にしろよ。これ以上騒いだら『腕立て耐久地獄』な」

ピタリ、と。けたたましかった女子の声が一瞬で静まる。
教師の言い放った『腕立て耐久地獄』とは、まさに呼んで字のごとく、限界まで腕立て伏せをやらせられる苦行である。

これだけ聞けばあまりピンとこないだろうが、実際にやった事のある者達にとっては二度と経験したくない拷問だった。
監視についた教師がいいと言うまで休む事は許されず、ペース配分も言う通りにしなければ鉛玉をくらう。

疲れたフリなどして楽をしようとしても、即座に見破られて背中に重しを乗せられて苦しみが増す事になる。
歴代最高記録が一時間で3000回と聞いた生徒達は戦慄し、稀に敢えて挑戦しようとした者は、一人の例外もなく散って逝った。

さらに恐ろしいのは、この地獄の究極形である『90度腕立て伏せ五回の刑』である。
たったの五回、されど内容が変われば断崖絶壁。

よしんば一回や二回出来たとしても、倒れたりすれば問答無用でリセット。
今まで成功させた者はひと桁しかおらず、その他の者達は肉離れを起こして病院直行の末路を辿った。

まっさかー、などと笑い飛ばせればどれだけ良かっただろうか、これぞ我らが武偵校である。

「よし。 んじゃあランディの席はあそこなー」

と、教師が窓際の空席を指さして言うが―――――

「・・・・・・」

反応がない。
いや、教師の言葉が耳に入っていないようだった。

「ん? おいどうした?」

異変に気付いた教師が声をかけても無反応。
その内、訝しんだ生徒達がまたざわめき始める。

事態が事態なだけに、今度は特にお咎めはなかった。
当のランディは、さきほどから視線を一点に固定させている。

「・・・・・」

まるでそれ以外は目に入らないと言わんばかりの、ガン見と言って差し支えないレベルの凝視っぷりだった。
やがて、示された自身の席とは反対側の、廊下側の席へと歩み出す。

不可思議な展開に眉を寄せつつ、誰もがその様子を見守っていた。
注意するより、ある程度流れに任せた方が事態を把握出来ると判断したから。

進行方向沿いの女子達が熱い視線を向けるが、それすら無視して歩くシーゲル。
壁から二列目の、一番後ろの席。

そこには、絶妙な角度で顔を伏せ、ちょうど教卓の辺りからでは表情が見えないようにしている女生徒がいた。
横の席にいる者が気づいたが、その表情は今まで見たことのないくらいに歪められている。

苦虫を噛み潰したような、不機嫌なのを隠しきれないような。
まるで、会いたくな(・・・・・)かった奴(・・・・)にでも出くわしたかのような・・・・

「ああ・・・やっと・・・・・やっと会えた」

不意に、シーゲルが呟いた。
その顔はどこか恍惚としていて、長年の夢が叶った子供のように見える。

喜色満面のイケメンフェイスは、それを視界に納めた女子達のハートを一発で射止めていく。
しかしそれも、そのたった一人の女生徒には効果がない。

やがてその女子の横に辿り着き、足を止める。
クラスが驚いたよういざわめき、その空気すら眼中にないように―――――

―――スッ・・・―――

と、跪いた。
今度こそ教室が震撼した。

突如やって来た超イケメン転校生。
威風堂々たる姿勢と溢れる気品は、王子というよりはそれに仕える騎士を連想させる。

そんな彼が、一人の女生徒を前に膝を折ったのだ。
その格好はまさに、主にかしずく(しもべ)そのものだった。

「―――っ」

顔を伏せていた女生徒―――――里香の顔が盛大に歪む。
最悪の展開に巡ってしまった、出来れば何かの冗談であって欲しいとでも言うように。

そんな里香の様子に気付いていないのか、シーゲルはそっと里香の手を取った。
まるで家宝でも扱うかのように丁寧で、優しい仕草。

しまった、と里香が思った瞬間には既に遅かった。

―――チュッ・・・―――

僅かに湿った、柔らかい感触が手の甲に当たった。
ビキッ!と、里香の体が硬直する。

騒いでいたクラスが、不気味なくらいに静まり返り。

「もう離れないよ。僕の・・・・愛しい女神」

なんてセリフに、トドメをくらって。

―――えええええええええええええええええぇぇぇぇぇえぇぇええぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーー!!!!!

爆発した。
校舎がビリビリと揺れ動いたような錯覚を起こすほどの激音。

今度こそ、付近のクラスから生徒が覗きに来てしうほどの騒動となってしまった。
何事かと見に来る教師勢も、この光景には唖然としたらしい。

朝一番に報告された転校生が、見た目地味な女生徒の前で跪いているのだから、無理もないだろう。
むしろ一目で状況を察するような強者がいれば紹介して欲しいくらいだ。

「・・・・・・はぁ・・」

そんな中、真横からくる無駄に熱い視線を受けて、里香は抑えきれない溜め息を漏らした。
さっさと手を放せと言いたいが、こんな大勢の前で目立つ行為は避けたい。

究極的なまでに手遅れな感じが否めないが、それでも里香は普通の一般生徒と言うスタンスを崩すつもりはない。
とんでもないデジャヴを感じるが、今回ばかりは徹底すると決めたのだった。

だというのに・・・・・・

「ふふ、相変わらずつれないね。そんなところも素敵だよ」

などと、聞いてるだけで砂糖を吐き出しそうな言葉を、真顔で言うものだから。
それを耳ざとく聞き取った女子連中はキュンとした表情でシーゲルを見つめて、里香に嫉妬の視線を送ってくる。

どう対処すれば・・・というより、もはや考えるのも億劫な事態である。
教師が沈静化に乗り出すまで、里香はひたすら無視を決め込んだのだった。














昼休み、食堂奥のラウンジにて。

「くぅぅ・・・・まさかあいつが戻ってくるなんてっ」
「まったく、尻尾を巻いて他の組織に流れていればいいものを、態々追ってくるとはな」

と、手に持ったスチール缶を握り潰しながらそう言ったのは、向かい合う形で座る理子とジャンヌ。
四人がけのテーブルには里香も同席しており、食後の紅茶を飲んで一息ついているところだった。

はたから見れば金銀髪の美少女二人に、黒髪地味少女が混じった珍妙パーティー。
たまに注がれる視線は受け流し、三人は『キモ野郎報告&対策会議(理子命名)』を開いていた。

「しかしあれだな。里香もこの状況を推理出来なかったのか? 知っていれば色々と仕込めていただろうに」

ジャンヌの疑問も最もである。
里香――――マリアが武偵校に潜入していることは、イ・ウーの一定以上のメンバーにはわりと広まっていた。

彼女ならそれに応じて対策を練る事は容易い事のはずであり、今日のような不意打ちを受けるのは不思議と言える。

「・・・・・実は」

珍しく歯切れの悪そうな、重々しい雰囲気で口を開く里香。

「今朝顔を見るまで、あの人の事を忘れていまして・・・・」
「「・・・・・・」」

さもありなん。
あんまりと言えばあんまりだが、二人の関係を思えば致し方ないだろう。

再三に渡って言うが、『条理予知』はあくまで予知が如き推理であって、決して未来予知能力ではない。
足し引き算が出来なければ掛け割り算が出来ないように、前提となる情報があってこそ初めて推理は機能する。

極論言ってしまえば、推理能力は情報がなければ何の役にも立たないのであって、人が持つ能力の中では受動的な部類と言えるだろう。
故に、存在そのものから忘却した人間の行動など推測出来るはずもないのだ。

逆に言えば、里香に・・・・いや、マリアにとって彼という人物はそれだけ関わり合いたくない人種であるという事なのだ。

「まあ、あいつ昔っからウザかったからねー」
「出来れば二度と視界に収めたくないからな。斬るにしても、デュランダルが穢れてしまう」

滲み出る嫌悪感を隠そうともせず、酷評会は続く。
ちなみに、当の本人は昼休み開始と共に数多の女生徒達に誘われ、いずこかへと消えていった。

文句無しのイケメン、それもランクは探偵科のSランクだと言う。
もしかしなくても、今頃は女子に囲まれたウハウハな食事を取っていることだろう。

僅か半日で女子には大人気、男子には大不人気だ。

「理子が入る前だったから詳しくは知らないけど、相当に鬱陶しかったんだって?」
「ああ。あの頃は私も里香とそこまで親しくはなかったが、はたから見ていても斬りたくて仕方がなかった」

当時を思い出してか、ジャンヌの顔が不快そうに歪む。
里香は遠い目で窓の外の空を眺めていて、会話に参加しそうな雰囲気ではなかった。

「勝手に騎士の誓いなどと言って手の甲に口付けしたり、身の回りの世話をしようとしたり、しまいには里香に近づく男達に立ちはだかって「僕の姫に近づくな!」とかほざいていたな」
「うっわー・・・・」

ドン引きする理子だった。
今となっては里香に対する自分達の想いも大概だと自覚してはいるが、当時十歳にも満たなかった筈のシーゲルはもはや不気味の域だろう。

マリアと違い、彼は年齢を偽って一年に居る訳ではない。
紛れもなく三人より一個下の後輩であり、しかしイ・ウーに所属した期間で言えばマリアとほぼ同時期だという。

しかし、実際には理子が来た日より二年ほど後、十一歳の時にイタリアに超長期任務で送られたっきりだ。
時折戻って来てはいたが、まるでタイミングを計ったかのようにマリアは任務で不在と言う奇跡。

理子とジャンヌは、これがシャーロックの仕業・・・・というか御陰だと密かに考えている。
いかに数少ない同年代のメンバーと言えど、マリアが彼を好意的に思ってないのは明らかだった。

出会った最初こそ親しくなろうと声をかけていたものの、彼の態度が気色悪くなるうちに嫌悪するようになっていたのだ。
実力もつき、今のように論理的思考が確立するに連れて、マリアはあからさまに彼を避けるようになった。

それに気付いていたのか否か、それはともかく、彼は付き纏うのをやめようとせず。
そんな時に、まるで神が救いの手を差し伸べたかのごとく長期任務の到来と言う訳だ。

あの時はさしものマリアでさえ微かな笑みを浮かべ、パトラまで混じって四人で宴会を開いたくらいである。

「ああー、話してたらイライラしてきたんだけど。今から潰しちゃダメかな?」
「落ち着け理子。いかにあのゴミクズとはいえ、それでも我ら二人より実力が上であることは変わりない。ここは慎重に策を労して、まずは精神的にいたぶるべきだ」
「そっか、そうだね。もう二度と里香に触れようなんて思わないくらいに調きょ・・・げっふん! お話ししないと」

ニッコリ笑う理子、ニヤリと嗤うジャンヌ。
次第に「くっくっく」と忍び笑いすらおっぱじめ、周囲の生徒が戦慄している。

そんな中、不意に里香がピクリと体を揺らした。
その視線が空から外れ、ゆっくりと食堂内へと戻される。

やがて、それは一人の生徒へと固定された。
理子とジャンヌもそれに気付き、視線を辿って――――――息を呑んだ。

正確には、表情は変えずに内心で焦った。
何故、どうして。

そんな疑問が渦巻く一方、まあ当然かと思っている部分もあった。
その生徒は、食堂の入口でキョロキョロと視線を巡らせていた。

やがて三人の姿を目にとめて、早足で近付いてくる。
長い髪がピョコピョコと跳ねて、小動物を思わせる挙動。

その瞳は相変わらず気の強そうな光を放ち、視線は里香に定まって動かない。
他の景色など目に入っていないような一直線な進行で、ものの二十秒も経たぬ内にテーブルの前に着いた。

「・・・・里香」

呟くように呼ばれた名前に、里香は「はい」とだけ答える。
しかし、言葉は続かない。

何かを言いたげに口を開いて、また閉じる。
時折、理子やジャンヌに視線を走らせるものの、踏ん切りがつなかないようだった。

だから、里香はあえて、こう言った。

「お久しぶりですね。息災なようでよかったです―――――アリアさん」 

一週間ぶりの姉の姿を、見据えて・・・・・・

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