七話
結論から言うと、ひどく退屈な日々だった。
生徒の平均レベルが低いのは当然の事ではあるが、授業の内容も私にとっては今更な事しか学ばない。
実技も例に漏れず、最初はひたすら体力作りに終始する。
そんな中で、彼らのレベルに合わせるどころか目立たない様に中堅程度の成績を維持し続ける必要がある。
規則性が無いように点数を上下させ、ある程度科目の得手不得手も演出しなければならない。
潜入任務の経験はあれど、少しばかり勝手が違っていた。
三年と言う長期であることも含め、油断は出来ない。
勿論、必要以上に人間関係は作らず、せいぜい班分けさせられた時に最低限会話が出来る程度に留める。
その影響か、クラス内では大人しい、寧ろ若干内気な人間として認知されている。
私の事を苦手としていたり、陰口を叩く者も少なからず居るが、私にとっては好都合だ。
知人程度の認識、適度な嫌悪。
あからさまに人と関わらなさ過ぎるのも、かえって浮いてしまうものだ。
さて、監視対象である遠山キンジはと言うと、これもまた普通の一言だった。
成績は中の上ほどか。
周りと比べても中々必死に訓練に取り組んでいるし、友人関係もそこそこ築いている。
体質のせいか、女子の友人は数人しかいない。
それなりに充実しているとは思うが、逆に言えばそれだけだ。
これだけ見ていると、ただ単純に武偵に憧れる一人の少年にしか見えない。
HSSでの戦闘なら一度だけ見た事がある。
あれならSランクの武偵とも互角以上に渡り合えるだろう。
しかし、単純に強さなら前にも言ったように兄の方が数段優れている。
私がここに来たのは彼の戦闘力ではなく、姉さんのパートナー足りうる何かを知るためなのだ。
そんな平行線を辿りながら一年半の時が過ぎた。
今は二年の秋に入り、肌寒い毎日が続いている。
そんな中、事件が起きた。
別に誰かが死んだとかテロが起きたとかではない。
遠山キンジのHSS、その存在が知られ、女子の間に広まったのだ。
曰く、「二年の遠山キンジは色仕掛けで迫るととても強くなり、何でも言う事を聞いてくれる様になる」だそうだ。
これだけだと女に弱いただのムッツリスケベにしか聞こえないが、この話はまたたく間に女生徒達に広がり、彼は彼女らのパシリの如き扱いを受けるようになった。
いや、もう女子達は下僕くらいに思っているだろう。
事実、彼氏に振られた、或いは告白してフラれた女子にフッた相手を痛めつけろと言われ、勿論拒否したが抱きつかれて少し誘惑されるとたちまち男のもとへ行って叩きのめすと言った事を何度もやらされていた。
他にも、他校や地元の不良やチンピラにセクハラされたからシメて来いなどと押し倒されながら言われ、溜まり場にいた不良達およそ百人を一人で沈黙させたりなど。
今や「女子に逆らうと遠山がやってくる」などと言われて恐れられているくらいだ。
姉さんのパートナー以前に、義を重んじる遠山の人間としてどうなのだろう。
もはや完全に女子の飼い犬にされてる遠山。
本人は不本意以外の何者でもないようだが、それならもう少し耐性を付けるなりなんなりして学習しようとは思わないのか・・・・
「ちょっと!さっきから呼んでんでしょうが!!」
「・・・はい?」
廊下を歩いていた私に、突如後ろから怒鳴り声が聞こえた。
思考に没頭しすぎて、無視した形になってしまったらしい。
・・・レベルの低い空間に一年以上いたせいで気が緩んでるみたいだ。
そう思いながら振り向いて相手を見る。
「はぁ・・・また貴方ですか。今日は何用ですか?」
そこに居たのは、私を何故か過剰に敵視しているクラスメイトの女子だった。
確か石井とか言う名前だった気がする。
ほぼ毎日飽きることなく嫌味を言ってきて、その度に無視し続けるとやがて逆切れして帰っていくと言う、何がしたいんだか解らない人だ。
行動原理をいちいち推理するのも億劫な人種はいるものだ。
今日は何人か取り巻きを連れている様子。
「集団で虐めでもしに来たんですか?」
「ふんっ、粋がっていられるのも今の内よ!今日は徹底的にいたぶってやるんだから!!」
「なんか・・・雑魚キャラっぽい台詞ですね」
全部で六人だが、どれも赤点ギリギリの不良連中だ。
学校に認知されている範囲の私の力量程度でも何とか出来る。
「これでもそんな事言えるかしら?ほらっ、出番よ!!」
「やれやれ、女の子に手を上げるのは出来ればしたくないんだけどな」
「・・・あ」
前に出てきた人物に、思わず間抜けな反応をしてしまった。
「・・・なんで・・・・よりによって」
思わず片手で頭を抑えて溜め息を吐いてしまう。
その隙に、取り巻き連中が私の周りを囲む。
「フンッ、今更謝っても遅いわよ。調子に乗りすぎたアンタが悪いんだから!」
そんな私の反応を勘違いした様で、下種な笑みを浮かべる。
前に理子から聞いた死亡フラグとやらを大量生産しているようだ。
「さぁやりなさい―――遠山!」
「不本意だけど、か弱い女性の頼みだ。無碍にするわけにもいかないんだよ、少しだけ俺に捕らわれてくれないかい?お嬢さん」
「・・・はぁ」
もう一度大きな溜め息を吐いて、私は本来接触する予定のなかった遠山キンジと対峙するのだった。
・・・最悪だ。
今の俺の心情を一言で表すのならこれ以外にはない。
優秀な武偵である兄さんに憧れ、同じく武偵になる事を目指して武偵校に入った。
成績は飛びぬけて優秀って訳じゃないが、少しずつ力を付けていくのを体で感じて、武偵を目指す気持ちは日に日に増していくばかりだ。
体質のせいで女子とはあまり接点は持てないが、男の友達は結構出来て、まさに充実した生活だった。
この体質を知られるまでは・・・・。
最初はちょっとしたからかいが始まりだった。
女子と接点も持ちたがらない俺を、女子達は俺がうぶな男なんだと思い、体をわざと密着させてからかって来たんだ。
その拍子に、一人の女子が、「サービスした代わりに購買でパン買ってきてくんな〜い?」と冗談混じりに言ったのが災厄の始まりだった。
その時、女子の膨らみ始めの胸の感触に、既にHSS、ヒステリアモードになっていた俺は快く了承。
さらには自分で代金を支払って奢るなんて事までしてしまった。
それに女子達は最初はビックリしていたが、やがて次々と色んな要求をしてくる様になった。
本人達からすれば、面白いから程度の要求も幾つかあったのだろうが、ヒステリアモードの俺は全ての要求をことごとく遂行していった。
それからはもう雪だるま式に要求が増えていく。
暴力沙汰に話が行くのにも、そう時間はかからなかった。
男に振られたからのして来いとか、ナンパがしつこいから追い払えとか。
しまいには調子に乗ってる奴がウザイからシメて来いとか言うようになった。
なんていうか、女の腹黒い側面をまざまざと見せられ、俺の精神はズタボロだった。
中学生と言えば、異性を本格的に意識し始める時期だ。所謂中二病とかそんな奴の発症期間だな。
男友達なんかは誰が可愛いとか誰が好みとかの話が多く、それを聞いてるとつくづく思う。
―――お前ら、幻想抱きすぎだ・・・・と
そりゃあ全員がそうだなんて言うつもりは無い。
だが、少なくとも最近友達の一人が気になり始めている女子。
アイツはやめとけ、完全に猫被ってるから。
優しげな笑みを浮かべていても、内心じゃいつも一緒にいる子の事をブス呼ばわりしてるんだぞ?
気になってた男子がその子の事を好きだと知って、ノートとか隠して捨てたり、上履きに画鋲入れたり。
そのくせ平然と笑って接してるんだぞ?絶対後悔するって。
なんて事が言える訳もなく、俺はパシリも同然な扱いを受けているのだが。
そんなある日、同じクラスで俺をパシリにする常連の中でも五本の指に入る女子から呼び出された。
全くもって行きたくないが、後でどうなるか分からないからな。
俺だって抵抗しなかった訳じゃない、当然最初の頃にもうやめてくれと言い、遠ざけた事もある。
しかしその時は本当に酷い目にあった。詳細は勘弁してくれ、本当に思い出したくないんだ。
欝な気分になりつつも、呼び出された場所に行く。
そこで命令されたのは、一人の女生徒をシメろ、との事だった。
周囲を数人の女子に囲まれ、胸元や太ももを見せられながら抱きつかれ、俺はあっけなく堕ちる。
しかし、今日の俺には希望があった。
「ふふん、いつもながらチョロイわね。じゃあさっさと行くわよ」
「・・・・悪いが、それは出来ないな」
「はぁ!?」
「か弱い女性に手を出すなんて、いくら君の頼みでも出来ないよ」
そう、今日のターゲットが女だと言う事だ。
ヒステリアモードは女に弱い。もっとに言えば女至上主義で、徹底的に女の為に行動する。
それはつまり、女に手を出すことは出来ない。
余程の事が無い限りは無理だ。
コイツの事だから、どうでまたウザイからとか、そんなしょうもない理由だろうしな。
「ったく使えないわね!じゃあ動けないように縛るだけでいいわよ、後は私達がやるから、いいわね!」
「ふむ・・・まぁそれならしょうがないかな。気は進まないけどね」
あっさり突破された!?
何だよコイツ、こんな時だけ妙に頭が回るじゃねぇか!
まさか妥協案を提示してくるとは。確かにこれなら直接手を下さないのでギリギリ許容範囲と思わなくもない。
希望が脆く崩れさった。
内心絶望で支配されていると、不意に出番だと言われた。
いつの間にか本番まで行っていたらしい、思考に耽っていても体が自動で動くなんて・・・・
前に出て、相手を見る。
栗色の長い髪に、瞳がかろうじて見えるくらいに長く垂れ流されている前髪。
よく見ると細長い縁なしの眼鏡をかけているのが見え、後ろの髪は首の後ろで纏められている。
コイツは確か同じクラスの・・・・えっと・・・・・・・誰だっけ?
多分だが・・・宝崎とか言う名字だった気がする。
成績は平凡で、特にこれといった特徴がなく、まさに地味の一言に尽きる奴・・・・だったような。
それだけならかえって浮くような気もするが、何故か彼女はそんな事はなく。
思い返せば、それなりに人と話す事もある奴だ。
だけど、思い出そうとするまで存在を忘れてた様な・・・
無意識に意識しないようになる人間なんだ。
本人に言うと失礼だが、自分でも不思議になるくらいに大した感心が湧かない。
そう思っている内に、宝崎は周囲を囲まれ、今まさに俺が取り押さえようと踏み込む瞬間だった。
―――すまん宝崎! 後で謝るから!!
思考と行動が滅茶苦茶になりつつも、一瞬で背後に回り込み、肩に手を伸ばし――――
・・・次の瞬間、視界が反転し、背中に強い衝撃が走る。
気づけば俺は、天井を眺めていた。
「・・・・な・・・に・・?」
俺の、間抜けな声がやけに響く。
いつの間にか騒がしかった廊下が静まり返っており、視界の上の方に宝崎の何処か呆れた様な目をした顔が見えた。
「・・は?な、なん・・・・で・・」
首謀者の女がやっと状況を理解したのか、後ずさりながら掠れた声を出す。
因みに俺は背中にくらった衝撃と、あまりの驚きのせいでヒステリアモードはすっかり解けている。
「はぁ・・・やっぱり・・・私もまだまだ、ですね。」
小声で何か呟いた後、右手で頭を抑えてやれやれと首を振る宝崎。
その仕草は、まるでやってしまったと後悔している感じがした。
「遠山の余りの情けなさに呆れ、つい反射的に返り討ちしてしまうなんて・・・未熟にも程がある・・」
なんか失礼な事を言われた気がするが、言い返せない。
俺が情けないのは俺自身が一番よくわかっている。
だが、今はそれよりも宝崎だ。
あまり自慢みたいなな事は言いたくないが、ヒステリアモードの時の俺はかなり強い。
武偵としてはひよっこ以前の俺が、少なくとも現役のAランク武偵と互角以上に闘えるくらいにだ。
だから当然、高校どころか中学生にヒステリアモードの俺が、しかもあんなにあっさりと返り討ちにされるなんて、正直考えもしなかった。
ましてや、成績も平凡でクラス内でも目立たない華奢な女の子に、なんて・・・・
「さて、まだやりますか?正直、そろそろ私も貴方がうっとおしいと思ってた所なので丁度良い機会ですね」
「ヒッ!」
僅かに怒気が込められた声に、完全に怯えている。
周りの仲間も腰が引けて、何人かは既に逃げ出したみたいだ。
ギャラリーも唖然とした表情で宝崎を見ている。
三年の先輩ですら敵わなかった俺に、ああもアッサリと勝ったのだから当然かも知れない。
「いい加減、自分の身の程を教えてあげましょうか?」
「い・・いや・・・・いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
とうとう泣き叫びながら走って逃げていった。
それを合図に、残っていた他の連中も蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。
残ったのは、アイツが逃げていった方向をボゥッと見据える宝崎と、それを見ているギャラリー。
そして・・・いまだに無様に床に寝転がっている俺だった。