八十一話
キンジの人生において、まさに究極の選択といって差し支えないだろう。
実力でいえばほぼ対等、しかし戦い方は似て非なる二人。
ただこの場合、キンジが相手に選ぶのはアリアであるべきだ。
無論、パートナーとして手の内をよく知っているから、というのもある。
だがそれだけなら向こうも同じで、そこまで優位に立てる要素ではない。
これは単純に手数の問題だ。
サバイバルナイフ一本のキンジが理子を相手取ったとして、理子にはイロカネによる比喩無しの双剣双銃の戦法がある。
いかにHSS状態とはいえ、非防弾防刃装備で相対するには危ういだろう。
と、戦略的な見解としては、キンジの選択は決まったも同然・・・・なのだが・・・
(結局のところ、生きて帰れなきゃ意味ないんだけどな・・・・・)
チラリとアリアを見れば、今にも獣の雄叫びを上げながらガバメントを大噴火させそうな勢いだ。
戦略とか作戦抜きで、あれとはぶつかりたくないと素直に思わせるだけの気迫。
しかしマリアに頼りきりなんてのは絶対に御免被る。
ジレンマ・・・・と言えるのかはさておいて、非常に悩む選択なのは変わらない。
「キンジさん」
と、熟考中の――実際には数秒も経っていないが――キンジに対し、マリアは淡々と告げる。
「おそらく心理的要因で悩まれてるのかと思いますが、やはりここは戦略的観点を優先してもらいます。本来であれば私一人で対処するのがベストですが、それは許容出来ないのでしょう?」
「・・・ああ、そのとおり」
何もかもお見通しの相方に、苦笑せずにはいられなかった。
欲を言えば、こうなる前にその洞察力を生かしてほしかったのだが。
「それでは、しばらく頑張ってください」
言下に、一階へと続く階段を駆け下り、理子の方へと向かっていくマリア。
それとほぼ同時に、キンジもアリアの方へと駆け上がっていく。
向こうもまた即座に身構え、アリアは犬歯を剥き出しにし、理子は一瞬だけキンジを見て小さく舌打ちした。
双方が激突し、第二幕の火蓋がきっておろされた。
最も早く行動を起こしたが故に、攻撃を繰り出すのもまた一番最初だったのがマリアだ。
階段の半ばで跳躍し、ほとんど床と平行に飛ぶ。
咄嗟に銃口を向けた理子だったが、一瞬の躊躇のせいで、放つ事が出来たのは二発のみだった。
それすら空中で身を捻って躱し、その勢いすら利用して回し蹴りを放つマリア。
横に飛んで避けた理子だが、直後に自分のミスを知る。
突如、手に持った銃が強引な力に引っ張られ、すっぽりと抜けたのだ。
見れば、いつの間にか銃身に絡みついていた極細の糸。
大仰なアクションによって視線を釘付けにされ、その間に忍ばされたワイアーだった。
存在を忘れた訳ではないのに、気が付けば意識を逸らされてしまう。
そうして、悟るのはいつも終わった後という、いつやられても背筋が凍るような戦法。
相も変わらぬ手際に、二重の意味で悪態をつきたくなる。
単純に、マリアが姉の方へと行ってくれればどれだけ楽だったろうか。
くわえて、マリアは必要以上に危害を加えぬよう手加減をしつつ、騒ぎを広めないよう銃の処理を優先してのけた。
頭では分かっていても、実際に実力の差を見せつけられるとキツイものがある。
これだけはマリアに対する想い云々とは別に、戦いに身を置く者としての悔しさだった。
床に着地する頃には予備のナイフを両手に持ち、いまだ地に足をつけていないマリアに突撃する。
正直、先が見えない。
そもそもからしてマリアを傷付けるなんて事をするつもりはないし、出来るはずもない。
自然と全力を出せなくなり、なおかつその状態で上手くマリアを突破し、本来の目標の所へと向かう必要がある。
理子風に言えば、どんな無理ゲーだ、という状況。
避けられること前提で放った突きを、マリアは手刀によって弾いた。
マリアのつけているグローブには防刃防弾処理も施されており、近接戦闘での応用も想定されている。
―――そう言えばあのグローブって、教授が名前つけてたはずなんだけどなぁ・・・・・
などと、懐かしい記憶と共に埒もない事を考える理子。
あれはマリアが武偵校――中学の頃の話だ――に行っていた頃、マリアが入手したイロカネを武器として加工していた時の事だ。
シャーロックが嬉々として考えていた筈なのだが、結局マリアはそれを聞き流していたようだ。
教授亡き今、あのグローブの名を知る者はこの世の何処にもいない。
なんとも憐れな話だと思ったが、今はこれ以上無駄な思考をしている暇はない。
両手と髪に持つナイフ四本によって次々と攻撃するが、そのどれもが躱されるか、手刀で弾かれたり受け流されたり。
何の糸口も掴めないまま、理子は勝ち目のない戦いに身を投じるしかなかった。
キンジですら意外なことに、アリアは早々にぶっ放すような暴挙には出なかった。
それはそれで嬉しい事なのだが、逆に意外すぎて一瞬の隙が出来てしまったのは不可抗力としか言えない。
キンジに対抗するようにアリアは階段を駆け下りて、その間に武器を銃から刀へとチェンジする。
左右から切りつけられ、キンジは咄嗟に身を屈めて階段の踏み板に左手をつく。
頭上を刃が通り過ぎると同時に手に力を入れ、バネのように跳ね起きてナイフを振るうキンジ。
狙いは刀のハバキ。
刀を弾き飛ばせれば、その瞬間だけアリアは無防備になる。
それを狙ったのだが―――――
「甘いわっ!」
なんと、キンジに弾かれる前に自ら刀を放棄した。
驚愕するキンジの腕を空いた左の手で掴み、そこを中心に体を半回転させた。
側面に回り込んだ状態で、キンジの脇腹目掛けて肘を打とうとする。
だが、HSSの反射によってキンジは対応してみせた。
アリアに回り込まれたと同時に強く足を蹴り上げ、掴まれているのとは逆の手を踏み板につく。
結果、片手倒立の形で移動したキンジの脇腹は、既にアリアの攻撃が入る位置にはなかった。
それだけにとどまらず、下半身を捻って回し蹴りを放つキンジ。
回避が間に合わないと判断し、掴んでいた手を放して胸の前でクロスさせるアリア。
飛ばされる方向に予め跳躍することで衝撃を減らしつつ、踊り場に着地した。
それを確認するよりも前に、キンジは再び駆け出していた。
刀を捨てたアリアには銃しか武器がない。
どうして最初に撃たなかったのかは疑問だが、いつ方針を変えるか分からない以上、絶対に撃たせない姿勢で臨むべきだ。
視界の端でマリアと理子が交戦しているのが映ったが、そっちに意識を割いている余裕はない。
銃を取り出す暇がないと判断したらしいアリアが、即座に近接格闘の構えをとる。
直後、キンジはナイフを投擲した。
「っ!」
意表を突かれつつも、アリアは体を右にズラして回避する。
その隙に懐へと入ったキンジは、腕と制服の襟を掴み、背負い投げの体制に持ち込む。
こんな時でさえ女に直接攻撃する事を徹底的に回避する自分に内心で苦笑いしながら、体を半回転させて力を込めた。
勢いよく持ち上がるアリアの体。
弧を描いて宙を舞うなか、しかしそのまま黙ってやられてはくれない。
持ち前の身軽さを活かし、思いっきり背を反らして足を上げる。
そのまま、体が床に叩きつけられるより前に足を着地させた。
その足を軸に身を捻り、キンジと正面から向き合う体勢になる。
今度はキンジが目を見開くことになり、しかも致命的な隙を作ってしまった。
「もらったわよ、キンジ!」
絶対必中を確信し、勝者の笑みを浮かべるアリア。
まさに渾身と言っていい力を込めて、トドメの膝蹴りを見舞おうとする。
HSS状態のキンジの目をもってしてもブレて見えるほどの一撃は、気絶まではいかなくとも相当なダメージを与えると容易に想像出来た。
(避け―――られない!)
一目でそう感じたキンジは、せめて直撃の瞬間に少しでも身を引いてダメージを削ろうと構えた。
風切り音すら立てながら、アリアの全力のスマッシュがキンジに命中・・・・・
―――ズルッ―――
「へっ・・・?」
「は・・・?」
しようと、したのだが。
ほんの刹那の一瞬、二人の時間が止まったようだった。
アリアの一撃はキンジに当たるどころか、半端な位置で力を失っていた。
そしてアリア自身、十分に込めた筈の力がすっぽりと抜けている事に気付く。
・・・・いや、実際にはそれだけではなかった。
込めた力というよりも、込めるのに必要な足元の感覚が消えていた。
スローモーションになった視界の中、アリアはゆっくりと視線を下げる。
そこには、ついさきほどまで力強く床を踏みしめていたはずの足。
そしてそれは今、まるでバナナの皮でも踏んだのかと聞きたくなるほど、見事に宙を舞っていた。
それと同時に、自分が床とほぼ平行に、顔を下に向ける形で滞空している事を認識する。
直後、自身がゆっくりと落ちていくの感じながら、アリアはキンジを睨みつけた。
―――覚えてなさいっ
視線だけでそれを伝え、もう一度自分の足へと目を向けた。
そこに、いつの間にか絡まっていた|銀の糸をかろうじて視認し、やっぱりかと内心で溜め息をついた。
迫り来る床を、どこか悟りを開いたような心境で見つめる。
あまりにも突然の出来事に、もはや受身をとる時間は残されていない。
コンマ1秒と経たずにやってくるであろう痛みを想像し、アリアは泣きたくなるのだった。
―――ベシンッ!!―――
「みぎゃうっ!!」
「・・・・うわぁ」
目を背けたくなるような音を立てて床に激突したアリアを、何とも言えない表情でキンジが見下ろした。
腕で庇う事も、身を捻ってダメージを軽くする暇もなかった。
それほどまでに見事な不意打ち。
結果、アリアは顔面から踊り場とキスすることとなった。
さすがにそれだけで気絶はしなかったようだが、この場合は気絶した方が万倍幸せだったかもしれない。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
痛みに呻きながら激しくのたうち回るパートナーを見て、キンジはそう思わずにはいられなかった。
気丈にも落下の寸前に睨んできたのは尊敬に値する、とだけ言っておこう。
「お疲れ様でしたキンジさん。とりあえず二人ですね」
「・・・・マリア」
かけられた声に、キンジは苦々しい表情で振り向いた。
そこには、片手で理子を引きずりながら階段を登ってくるマリアの姿。
実の姉にすら容赦のない元パートナーに、戦慄を覚えずにはいられない。
ここまでくるとアリア達の方が被害者に見えてくる。
「発砲も無し、派手な物音も特に上げていません。考えうる限りベストな状況ですね」
「そう・・・なんだけどな。マリア、君はもう少し手加減をしてあげても良かったんじゃないか?」
助けてもらっている立場で言うのもなんだと思ったが、それでも言わずにはいられない。
理子は目を回して気絶していて、アリアもピクピクと痙攣している。
やらなければ殺られていたとはいえ、同情するなと言う方が無理な光景だった。
「これでも最小限の被害まで抑えていますよ。それに、まだ終わったわけではありませんし・・・・ねっ」
「うっ!?」
言葉の途中で二階の方を一瞥したマリアが、突如としてキンジの胸倉を掴み、窓から外へと放り投げた。
一拍遅れて、両手にアリアと理子を抱えてマリアも飛び降りた。
地面に難なく着地し、キンジが視線を上に向ける。
するとちょうど、不意打ちを打とうとしてマリアに勘づかれたジャンヌと、ダメージから復活して好機をうかがっていたシーゲルが窓から飛び出すところだった。
第二波の敵に、抱えた二人を地面に降ろしたマリアが先手を打つ。
右手を振るい、イロカネ合金のワイヤーがジャンヌとシーゲルを襲う。
「何度も同じ手はくわんぞ!」
デュランダルを大上段に構えたジャンヌが、刃に氷を纏わせて思い切り振り下ろした。
瞬間、二人に向かっていたワイヤーが凍りつき、動きを止められた。
もちろん、それで完全に封じられるならば誰も苦労はしない。
マリアが意識をほんの少し集中すれば、即座にガラスの割れたような音と共に氷だけが砕け散った。
だが、少なくとも二人が無傷で着地し、なおかつ目標に向かって駆け出せるだけの時間は稼げた。
能力による強化を惜しみなく発揮し、恐るべき速度でシーゲルが迫る。
「はぁっ!」
「っ!」
ナイフで受け止めようとしたキンジだが、ふと背中を走った悪寒に従い、紙一重で避けた。
―――ズガァァンッッ!!―――
地面とシーゲルの剣が触れた瞬間、抉られる地面。
オマケとばかりに襲いかかった衝撃に飛ばされ、キンジの体が宙に浮く
体を一回転させて体勢を整えようとするキンジだが、相手はそれを許してはくれない。
キンジのすぐ横に躍り込んだジャンヌが、デュランダルを下から切り上げた。
―――ガギィィンッ!―――
間一髪でナイフを滑り込ませ、再び飛ばされるだけに留める。
さらなる追撃をしようとするジャンヌとシーゲルだが、彼らの進撃はそこまでだった。
駆け出す寸前だったシーゲルの目前にマリアが立ち塞がり、咄嗟に迎撃する暇もないままに足を払われる。
それでもなんとか剣を振るったはいいが、先ほどと同じように難なく受け止められた。
無論、シーゲルだけに構っているのではない。
左手だけでシーゲルの剣を受止て、そのまま振り回そうとするかたわら、右手のグローブからワイヤーを伸ばし、ジャンヌのデュランダルを持ち手ごと拘束する。
「なっ!?」
死角から襲った拘束に驚くジャンヌを、そのまま引き寄せる。
結果、左手でシーゲルを、右手でジャンヌを捕らえ、遠心力を増すように勢いよく一回転。
近くにあった木の幹に向けて、最初にシーゲルを、次にジャンヌを投げつけた。
空中で身動きが出来ないまま、二人はそのまま激突する。
「ぐはっ!」
「うぐっ!」
「げふっ!?」
シーゲルが叩きつけられ、ジャンヌがシーゲルに激突し、シーゲルは木とジャンヌでサンドイッチにされた。
ドサリと倒れ伏す二人だが、シーゲルの方がダメージは無駄に多いはずだ。
能力によって強化をしていても、常に身体能力全般を強くしているわけじゃない。
能力そのものは強くとも、その動力源である精神は有限である。
より高い効率化を測るため、その時に応じた限定的な強化を心がけているのだ。
それでも咄嗟に体の耐久力を高めていたのは、一重に経験の賜物と言える。
・・・・・そして、訪れる静寂。
戦いの終わりを感じ取って安堵の溜め息をつくキンジ。
「終わり・・・かな?」
「ええ。お疲れ様でした」
お疲れと言いつつ、マリア自身は呼吸一つ乱していない。
格の違いに苦笑を漏らしつつ、キンジは周囲をざっと見回す。
折り重なって呻くシーゲルとジャンヌ、気絶してうつ伏せに倒れている理子とアリア。
退ける事は出来た・・・・ものの、これからどう誤解を解けばいいのか。
キンジがどれだけ言ったところで、信じてもらえる可能性は極めて低い。
普通に考えてマリアが言えばいいのだが、肝心の本人はそもそも論点がズレているし。
どうしたものか、と悩んでいるキンジの耳に、それは不意に聞こえてきた。
―――カチ・・・・・カチ・・カチ・・・―――
「ん?」
聞き覚えのあるような音に、キンジは発生源を探す。
すると、気絶していると思っていた理子が、震える手でなにやら携帯を操作していた。
「う、うぅ〜・・・・こ・・れ・・でぇ・・・・」
呪詛でも吐き出しそうな呻き声を上げながら一つ一つボタンを押し、やがて作業が完了したらしく、ニヤリと笑みを浮かべた。
何故だか、その笑みはキンジに底知れぬ怖気を刻むものだった。
それを感じ取った訳ではないだろうが、ちょうど理子がキンジに視線を向けた。
「これで・・・終わったと・・・思うなよ。理子達を倒しても・・・・すぐに第二第三のあたし達が現れて・・・・必ず・・・お前・・・を・・・・」
セリフの最後の方で、ピッとボタンを押した理子。
そのままガクリと地面に突っ伏し、動かなくなった。
「・・・・・」
今度こそ、全員が沈黙する。
そんな中、マリアだけが右手を動かし、四人に向けてワイヤーを伸ばしていた。
「とりあえず身動き出来ないようにしておきましょう。説明するにしろ、起き抜けに暴れられたらそれも出来ませんし」
「あ・・・ああ、そうだな」
なんとかそれだけを返し、四人が縛られる様を眺めるキンジ。
入院中で体が鈍っていて、かつ満足な装備もしていなかった。
その上での先の戦闘は、普通なら賞賛されこそすれ、非難などされるはずもない働きだったと言える。
しかしそれでも、キンジはどこか遠い目をしていたのだった。