小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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八十四話










きっと、理子は意図的に説明しなかったんだよな。
メールを送ってたのは誤解を解く前だったが、その後にでも訂正を入れる事は出来たはずだ。

うっかり忘れてたのか、それとも故意なのか。
・・・なんだろうな、絶対に後者だっていう確信があるんだが。

「それでねキンジ、単刀直入に聞かせてもらうけど」

にこやかに笑うカナの髪が、風に煽られてサラサラとなびいた。
抗えぬまま病院の屋上に来た俺は、夏入りたての日差しにさらされながらカナと対峙していた。

視界の端には日干しされている真っ白なシーツ群がフワフワと揺らめいている。
平時なら、あれを使えば気持ちよく眠れそうだなーなんて平和な思考が出来るんだろうが、今の俺にそんな余裕はない。

屋上への階段を昇る時の心境は、さながら死刑台に向かう囚人のような気分だった。
首吊りの縄か、はたまた断頭台のギロチンか、それはまあ人それぞれだろう。

けど俺の場合、カナを含めたアリア・理子・ジャンヌ・ランディの五人が完全武装で待ち構えてるんだ。
全員が嗜虐的な笑みを浮かべ、見せつけるように銃をコッキングしたり、ナイフを舌で舐めたりしてるんだ。
階段半ばで舌を噛み切りたくなったよ。

いっそのこと今から飛び降り自殺でもしたほうが万倍もマシなんじゃないかと思う。
いや、マジで。

―――・・・チャキ―――

「マリアを傷物にしたって・・・・本当?」
「・・・・・」

いつの間にか三メートルはあった距離を詰められ、眉間に銃を突きつけられている俺。
ん、おかしいな・・・・残像すら見えなかったんだが。

なんやかんやと思考しながら、視線だけは絶対にそらさなかったと思うんだけどな。
しかしカナ、『不可視の弾丸(インヴィジビレ)』があるというのにわざわざ銃を見せつけるなんて、らしくないじゃないか。おかげでいつもより十倍怖いぞ。

「どうして黙ってるの? そんなに難しい質問だったかな?」

いや、簡単さ。
ただ、答え方いかんによっては即殺されそうで怖いんだよ。

そもそもだ、いったいどの程度までいけば傷物ってことになるんだ?
傷物の意味は理解出来るが、ヒステリアモードという体質のせいで女絡みの事を避け気味だった俺には、明確な境界がよく分からない。

こういう時の基準ってのは、人によって微妙に違いがある場合もある。
もし、万が一、カナの価値観においてキスも範囲内だったとしたら・・・・

俺はもう・・・・・生きては帰れないだろう。
それどころか、不用意に違うと言って嘘つき認定されれば、いっそ瞬殺して欲しいと思うような地獄が待ち受けている可能性すらある。

「そ、そのまえにカナ。俺もちょっと尋ねたいんだが・・・・」
「?」

だから、俺にはこれしかない。
表情を変えずに首を傾げ、問いを促すカナに、俺は決死の賭け、そして半ば返答にもなりうる質問をなげかけた。

「―――カナにとっては・・・キスも傷物の内に入るのか・・・・・?」
















その時、場に起こった変化による恐怖心を、キンジは一生忘れる事はないだろう。
ビキリと硬まった体、片方だけピクッと吊り上がった口元と眉。

ピースメーカーの銃把(グリップ)から鳴ったメキッという耳障りな音、直後にガチンッと響いた音も。
これらの過程がコンマ一秒以下で行われ、キンジはそれに見事に反応していた。

一瞬で血の気が引いた体を意識する暇もなく、咄嗟に全力で横に飛ぶ。

―――パァンッ!―――

ほぼ同時に放たれた弾丸は、つい一瞬前までキンジの脳みそがあった場所を通過し、屋上の柵を通り抜け、その向こうの景色へと消えていく。

「あっぶ―――!」

ねぇ、と続けようとしたキンジだが、それは叶わなかった。
カナがいつの間にかもう一方の手に二丁目のピースメーカーを手にして、それをキンジに向けていたからだ。

表情は笑ったまま、しかしその目は数秒前よりも十倍は冷ややかだった。
それを認識しただけで足が竦み上がり、けれどここ数ヶ月で磨かれたタフネスは、かろうじてキンジに紙一重の回避行動を可能にしていた。

「うおぉっ!?」

―――パンッパンッパァンッッ!!―――

滅茶苦茶な動きが幸いし、直撃することなく避けていく。
体の各所に掠る銃弾を意識し、今にも失神しそうな気分になった。

「ま、待てカナっ! 落ち着けぇ!」
「私は落ち着いてるわキンジ。けれど、女の子に無責任に手を出して、ただで済むと思っているの?」

二丁の銃を構え、しきりに撃って撃って撃ちまくる。
左の銃で撃ちながら右の銃の弾をリロードし、右の銃で撃ちながら左の銃の弾をリロードする。

絶え間ない弾幕は付け入る隙がなく、ましてや今のキンジに何が出来るはずもない。

―――パパンッパンパンッ! パンパンパンッ!!!―――

「待て待て待てっ! 頼むからちょっと待てぇぇぇ!!」

聞く耳持たないカナの責め苦に、キンジは自身の失策を確信する。
どうやらカナ()の価値観ではキスすら許容範囲外になってしまうようだ。

まあ、実際にはそれ以上の事すらしているという誤解をもたれているのだから、ある意味当然の反応なのかもしれない。
もちろんキンジとてたかがキスなどと言うつもりはない。

当時の状況がどうあれ、ファーストキスを貰っておいて知らんぷりが出来るほどキンジは図太くもないし、女性経験に恵まれてもいない。
だが、しかしだ。

当事者であるマリア本人ならまだしも、何故に周囲の人間にさも当然のごとく殺されかからなければならないのだ、とも思う。
それくらい彼女が好かれているのは分かるし、誤解の内容が内容だから、これくらいの怒りはまあ理解出来る。

でも、せめて本人にうかがいを立てるくらいの手順を踏んで欲しい。
と、要するにキンジは、今の状況の理不尽さに微かな苛立ちを感じ始めていた。

ただでさえ病院生活に滅入り、ストレスが溜まり始めているというのに、連日でこんな目に合されていたら致しかたない反応だろう。
そして今、キンジが何かしらの手段を講じなければ、間違いなく死に際に立たされる。

いや、下手をすると本当に永眠することになりかねない。

(・・・・・・)

ほんの一瞬の逡巡。
キンジは、患者服の薄い生地に取ってつけたようにあるポケットの中に手を入れた。

カサッと、手に触れる感触を確かめながら、渋面をつくる。

―――やるしかない・・・・今やらないと、マジでヤバイ

そう自分に必死に言い聞かせ、半ばヤケになった様子でそれ(・・)を取り出した。
キンジの行動に、カナの銃撃が止まる。

「何かしようとしているの? 今のキンジに、出来る事があるとは思えないのだけど」

ああそうだろうな、と内心で思いながら、キンジは手にしたそれをギュッと握る。
渡してくれた人間に感謝すればいいのか、使わざるをえない状況に嘆けばいいのか。

()でダメなら―――――違う俺(・・・)になればいいだけだ!)

背に腹はかえられないとはまさにこの事。
よもや自分から、こんな風になる(・・)日が来るとは微塵も思わなかった。

しかしそれでも、今のキンジは、なんかこう――――

「一発かましてやらなきゃ、気が済まないんだよっ!!」

もはや若干涙目になりつつ、手のひらを開いてそれ(・・)を見た。
立ち位置からして、カナにはそれが写真であると認識出来る程度だった。

いったい何を、と、問いかけようとしたとき―――――

―――ドクンッ!―――

「っ! これは・・・・!?」

咄嗟に身構え、目を細めてキンジを凝視するカナ。
まるで時間が停止したように、写真を手にしたまま動きを止めたキンジ。

前髪が風に揺らめき、その表情をうかがう事は出来ない。
だが、その身に纏う雰囲気が天と地ほども隔たっていた。

抜身の刀、撃鉄を起こした拳銃、それらを全身に隙間なく向けられているかのような感覚。
・・・・・すなわち、一方的な強者と弱者の立場から、お互いを潰し合う獣への変化を意味していた。

「―――・・・・ああ、カナ」

やがて、ゆっくりと口を開いたキンジには、先ほどまでの焦りや恐怖は微塵も見られなかった。
余裕と、自信と、経験に裏打ちされた、堂々たる佇まい。

「今の俺は、少しばかり気が立っていてね。あまり紳士的な態度を取れそうにない」

手にした写真をポケットにしまい、代わりに取り出したのはバタフライナイフ。
鮮やかな手つきで開かれたそれは、照りつける太陽の光を反射して緋色に輝いていた。

そしてもう一方の手で、懐からベレッタを抜く。
ここ最近の出来事でキンジの警戒心はノイローゼ一歩手前なくらいに高まっており、看護婦や医者に内密で隠し持っていたのだ。

「いくら俺でも、謂れのない罪で殺られるのは御免だからな」

普段とは似ても似つかない鋭い視線を、キンジはカナに向ける。
カナも微笑みを消し、真剣そのものな表情でそれに応えた。

「・・・・私も、別に理子ちゃんの言葉を全て信じている訳ではないわ。特に男女の関係云々に関して言えば、キンジがそんな事をするはずがない・・・・いいえ、出来るはず(・・・・・)がない(・・・)と知っている」

そっと告げられた言葉は、キンジを驚かせこそすれ、大きな動揺を生む事はなかった。
そもそも、マリア相手にそんな事が出来る輩が世界にどれだけいるというのか。

彼女の事を知っていれば即座に分かるはずの思考を、カナが怠っているはずがない。
―――けれど。

「私がこうしているのは、紛れもない真実に対してだから。こんなに抑えようのない気持ちは初めてだけど、不思議と罪悪感を感じないのはどうしてかしらね」

そこでクスッと笑みを漏らしたカナは、剣呑な空気を纏っていたキンジが一瞬だけ拍子抜けするほどに晴れやかな表情だった。

「八つ当たりと言われれば・・・・ええ、認めるわ。キンジには悪いけれど、今は思い切り開き直らせてもらうから」
「・・・やれやれ、とんだ災難もあったものだ。まあどの道、黙ってやられるのはここまでだけどな」
「そうね。今のキンジは簡単には御せない。教授との戦いを経て、またずっと強くなった・・・・」

目を細めてそう言ったカナは、キンジの成長を純粋に嬉しく思っている事がわかる。
しかしそれも数秒のこと。すぐに顔を引き締め、普段の彼女が使う無形の構えをとった。

「私にとっては一石二鳥ね。どれだけ成長したかを見て、ついでに八つ当たりさせてもらうから」
「ついでなんてレベルで済まされるなら楽だけど」

間違いなくそんな生易しい結果にはならないだろう。
苦笑するキンジと、不敵に笑うカナ。

それから数秒の沈黙。
風が二人の間を吹き抜けて、それが唯一時間の経過を伝えてくれるような錯覚を起こす。

遠くに聞こえる車の音も、鳥の泣き声も、いつしか聞こえなくなっていた。
相手の呼吸一つ、瞬き一つさえ鋭敏に感じ取れるほどの緊張の中、二人は駆け出す。

姉弟(兄弟)の対決は一人の観客もいないままに、その熱を上げていくのだった。















あかりと里香の戦いは、少なくとも観戦側の三人が思っていた以上の長丁場となっていた。
様々な事情と思惑により、二人の攻防はさも拮抗しているかのように続いたのだ。

あかりはランクこそDではあるものの、持ち前の粘り強さは評価に値する。
アリアとの戦妹試験で見せた根性によって食らい付き、息も絶え絶えになりながら必死に攻めていた。

対し、里香はただでさえCランク・・・・それも体が弱いという設定の上で戦っている。
手加減をしつつ、ちゃんと周りにも自分が疲労していると見せかけるため、わざと無駄な動きを織り交ぜて体の消耗を図っていた。

それでも地力に違いがありすぎるため、DランクとCランクの戦力差というものを忠実に再現するために里香は別の意味で必死に動いていた。
紙一重で避けられる攻撃を跳んで躱し、受け流せる突撃を正面から防御し、怪しまれない程度に大振りで力任せな攻め方を幾度となく繰り返した。

あかりが知ったら泣いて塞ぎ込んでしまいそうな里香の努力が身を結び、里香の頬に玉のような汗が伝っていた。
もっとも、あかりはそれ以上に汗だく状態で動いていたが。

そして―――――

―――バキンッ!―――

「あうっ!」

持っていたナイフを弾き飛ばされ、苦悶の声を上げたのはあかりだった。
体勢を崩し、上手く力が入らず地面を転がる。

疲労困憊の体は言うことを聞かず、荒い呼吸の音が聞こえるだけだった。

「はっ、はぁっ、はっ・・・うぅ・・・」

なんとか立ち上がろうとするも、途中で力が抜けて再び倒れる。
動け動けと頭で叫んでも、それが叶う事はない。

そんなあかりの視界に影が差し、顔を上げればそこには小さく肩で呼吸をしている里香の姿があった。
スッと向けられたナイフの切っ先が光り、この場の勝者を周囲に訴えているかのようだった。

「ふぅ・・・まだ続けますか?」
「・・・・」

何も言わずに、あかりは静かに項垂れた。
顔を上げ続けることさえ億劫なほどに疲れ果て、思いつく限りの戦術の全ても通じなかった。

戦意を折るには十分すぎる結果で、あかりは無言で敗北を認めた。

「それでは」

だからこそ、里香はトドメ(・・・)に入る。
クリーンヒットを取った方が勝ち―――最初に確認しあったルールなのだから。

里香が腕を振り上げる気配を感じ、痛みに耐えるために目をぎゅっとつぶる。
これまでの暴言の数々からして、最後は痛烈な一撃をみまわれる事は想像に難くない。

意識を刈り取るくらいのものをくらったって文句は言えない、とさえ思っていた。

―――ゴツンッ!!―――

「いだっ!?」

脳天に叩き込まれたグーパンに、あかりは頭を抱えて地面に突っ伏した。
ある意味、完全な不意打ちだった。

もっとヤバイ一撃をもらうと思っていただけに(痛みだけなら十分だが)、あかりは無様に地面でプルプルと震えた。

「・・・・・・あっ、そ、それまでっ。黒村の勝ち・・・だよな?」

我に返ったライカが判定を下すが、いまいち自信がなさげだった。
他の二人も微妙な顔をしていたが、クリーンヒットという意味では間違いない。

悶絶しているあかりを見れば一目瞭然で、一応の決着となった。

「うぅ・・・・ま、負け・・・たっ・・・」

悔しさというよりは頭の痛みに涙を貯め、あかりは倒れ伏した。
体中が軋むような倦怠感に襲われ、それを少しでも紛らわそうと仰向けに寝転がった。

片手で頭を抑えつつ空を眺める。
その視界の上から、顔を覗かせるような形であかりを見下ろす里香が見えた。

勝負する前とも、戦っている最中とも全く変わらない無表情で、違う所といえばそれになりに汗をかいているところくらい。
あかり自身はそれと比較にならないくらいの汗でベタついているが。

(・・・・なんか、不思議な人だなぁ)

火照りきった体とは逆に冷静になった――というよりボンヤリとした――頭で、あかりはそう思った。
話した事があるといってもアリアに関することばかりで、簡単なプロフィールくらいしか知らない。

家の事情もある程度は調べていても、それは里香という個人を知ることには繋がらなかった。
ただひたすらに無表情で、口数が少なく、考えがまるで読めないという印象しかない。

そしてなにより、今のあかりが里香を不思議と評した訳は―――――

(あたし・・・こんなに満足してる)

負けた悔しさも、里香に対して抱いていた嫉妬も、いつの間にか消えていたこと。
自身の驕りを指摘された時のショックすら、なり代わるようにして満ち足りた気分に変わっていた。

いうなればそれは、混じり気のない全力を出したことによる、一種の達成感。
結果として負けたとしても、あの時こうしていればという後悔がまるで残らない善戦の余韻。

同時に、そう思えるくらいに里香が強いと認めている自分に気がついた。
むしろ調子づいている事を指摘し、説き伏せてくれたことに感謝の念すら抱いている。

色々と含め、里香に対する悪感情は綺麗サッパリ消えているのだった。

(なんだろう・・・・この人、ちょっとだけ・・・)

そうして初めて、里香自身を見る事が出来たあかりは、ほんの微かな既視感にとらわれていた。
どこが、とも、何が、とも言えない。

それは他人に説明するには不確かすぎて、言葉に出せば絶対に要領を得ないだろうと確信出来るほどに漠然としたもの。
それでも、あかりにはある人物(・・・・)と重なって見えるのだ。

「間宮さん」
「えっ? あ、ひゃいっ!」

突然の呼びかけに反応が遅れ、ほとんど奇声染みた声をあげてしまうあかり。
思わず顔が赤くなってしまうが、里香はその様子が見えてないかのごとく無反応だ。

「大切な用事があるので、私はここで失礼させていただきます。救護科(アンビュラス)には連絡を入れておきますので、念のため行ってください」
「えと・・・・はい」

矢継ぎ早しに話す里香に、あかりは口を挟む暇はなかった。
あかりが了承したのを確認すると、「それでは」と言って背を向けて歩き出す里香。

あ、と声を漏らしたあかりだったが、なぜか引き止める言葉が出てこなかった。
いや、そもそも引き止めてどうするのかが自分でも分からず、伸ばした手は虚しく宙をフラフラと漂う。

それはライカ達も同様だったらしく、心配そうな顔であかりに駆け寄ってきた。
こうして、乙女の戦い(?)はなんだかんだと好ましい形に収まり、ここに幕引きとなるのだった。















キンジは今、複雑極まる歓喜を味わっていた。
カナの『不可視の弾丸(インヴィジビレ)』の弾道を予め推測し、『鏡撃ち(ミラー)』でもって反撃していく。

僅かな動きでそれを避けつつ銃撃を重ねてくるカナの弾を、全て弾き返す事は不可能だ。
しかし撃ち漏らした分はバタフライナイフによって斬り伏せ、合間を縫ってベレッタの弾倉交換もこなしていく。

―――あのカナと・・・渡りあってる・・・!!

それは、ほんの一年前の自分が逆立ちしたって叶わなかった快挙。
それに対する喜色が半分。そして、武偵をやめようとしているにも関わらず喜んでいる自分に対する呆れが半分だった。

もちろん、状況は本当にギリギリのラインで保たれた拮抗だ。
既にキンジは全力全開で戦っていて、カナはまだ大なり小なり余裕を残している事も分かっている。

それでも、もう一方的にやられていた頃とは違う。

「まだよキンジ。気を抜いてはだめ」

そして、そんなキンジの感慨を、カナは正確に読み取っていた。
言葉の直後に、カナは銃撃の勢いもそのままにキンジの懐に侵入した。

キンジすら滅多に見たことのない、カナのアル=カタだ。
しかし、それで驚きこそすれ、隙を生じるほどキンジも(やわ)じゃない。

繰り出された左手の一撃を身を捻ることで躱し、もう一方がくる前に反撃に出た。
バタフライナイフを横薙ぎにふるい、体を引いて避けられた瞬間にベレッタの三点バーストを放つ。

それらに対し、カナは両手一発づつの『不可視の弾丸』で対応した。
四発の弾丸が衝突し、その内の一発が弾道を変えて残りの一発とぶつかる。

結果、全てがあらぬ方向へ飛び去っていく。
それを合図にしたかどうかは定かではないが・・・・・

銃弾の音がピタリと止み、同時に二人も距離をとって停止した。

「予想以上よ。驚いたし、嬉しいとも思う」

―――けれど。

「これらが全て、あの二人にとっての予定調和だったのだとすれば・・・・これ以上に恐ろしい事はないわ」

そう言うカナの瞳には、冗談抜きの恐怖が見てとれた。
あの二人―――というのが誰なのかは、今更聞くまでもない。

「教授が亡くなり、世界はまた大きな荒波に呑まれるでしょう。その時、残ったあの子が何をしようとしているのか。そう思うと、私は不安で仕方がなくなる」
「・・・・・あいつが世界征服でもしようとしてる、とでも?」

イ・ウーにはかつて、教授――――シャーロックに代わって組織を牛耳り、世界を我が物にしようとした主戦派(イグナティス)と呼ばれる派閥があった。
シャーロック亡き今、その残党は世界に散らばり、各々の思惑を胸に活動しているに違いない。

マリアもまた、そんな一人かもしれないという可能性は否定しきれるものじゃない。
もっとも、キンジはマリアがそんなしょうも(・・・・)ない事(・・・)に熱を上げる人間ではないと知っている。

「まさか」

そして、それはカナも同じことだ。
たしかに、マリアはフリッグとして数え切れない犯罪を犯した。

殺人の数だって三桁に達し、いずれはその報いを受ける時がくるかもしれない。
だが、それとこれとは話が別だ。

世界征服なんてもの、ハッキリ言えばするだけ損だ。
仮にそれを実現するだけの武力があったとしても、本当に大変なのは達成した後。

一国の独裁だってまともに大成しない世の中で、その何十倍もの国を、人を、社会を束ねるなんて、もはや人の領分を完全に逸脱している。
要は出来る出来ないじゃなく、絶対に長続きしない。

むしろ達成までに気の遠くなるような時間をかける分、人生の無駄遣いだとさえ言えるだろう。
そんな、ちょっと考えれば中学生でも分かりそうな結論を、あのマリアが理解出来ないなんてのはそれこそ天文学的確率だ。

「それでもね、キンジ・・・・あの子が何かをしようとしているのは確実で、私達はそれを知らず、またそれが世の人々を結果的に害するものであった時、それを阻止する術を持っていないのよ」
「それは・・・・」

なんとなくバツの悪い気分になったキンジは、咄嗟に言える言葉を持たなかった。
ほぼ無意識に、避けていた事だから。

「あの子は無意味に人を傷付けたりはしないけれど、逆にその必要性があれば迷いなく実行する冷徹さを持ち合わせているのもまた事実なのよ」

そしてその時の犠牲が、何の罪もない一般人でないという保証はどこにもない。
だから・・・・

「理子ちゃんのメールの件もそうだったけど、私はキンジに言っておきたかった。キンジがこれ以上、あの子に罪を重ねて欲しくないと思うなら―――」

それは、元パートナーとして?
それとも、単純に親しい友人として?

或いは・・・・・

「遠くない将来―――私達が持てる全てを()して、マリアと相対するかもしれないのだと」
「っ・・・・」

何を馬鹿な、とは言えなかった。
それは、マリアがフリッグだと分かった時から予想出来たこと。

それでなくとも、既に幾度か戦っている自分達がいるのだから。
そしてその全てに敗北し、触れることすら叶わない力量差というものを知った。

ブラドやパトラ、シャーロックのように弱点らしい弱点も持たず、キンジ達と同い年である事を考えれば、これからまだ発展を遂げるだろうというのは想像に難くない。
そんな相手といつか戦うという、想像するだに恐ろしい忠告。

「教授がいない今の世界で、マリアを個人で制圧出来る者。少なくとも、私の知る限りでは一人もいない。だから用心しておいて。来たるべき時に、あなたの力は必要になるはずだから」

曲がりなりにも、シャーロック・ホームズの推理を世界で初めて覆し、その身に一撃を入れた唯一の人間だから。
シャーロック程には『条理予知(コグニス)』を完成させていないマリアの攻略に、キンジは中心的戦力となるだろう。

「・・・・俺は・・・」
「あなたの気持ちは・・・・痛いほど分かるわ。それでも、常に可能性に備える必要はあるのよ」

起こってからでは全てが遅い。
せめて気構えだけはしておけと、僅かに曇った表情でカナは言う。

―――・・・ガチャ―――

「「っ!」」

その時、不意に屋上の扉が音を立てて開いた。
別に無人なわけではない以上、誰かが屋上にやって来る可能性は十分にあった。

問題は、誰かが来るという事にキンジはおろかカナでさえ気付けなかったという事実。
反射的に身構えた二人を目にして、突然の来訪者は平然と口を開いた。

「・・・思ったより穏便な空気ですね。もう少し凄惨な状況になっているかと思ったのですが」
「「な・・・」」

よりにもよって・・・・と、思わずにはいられなかった。
そこには、つい今しがた敵対の可能性を危惧し合っていた相手。

マリアの登場に、キンジとカナの思考はほんの一瞬だけ凍ったのだった。

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