八十八話
「というわけで、私は遠からず破滅するそうです」
「・・・・・そうですか」
物騒なことをさらりと言ってのける里香に、返答する声にもひどく抑揚がない。
二人のいる室内は、良く言えば整理整頓されていて無駄がなく、悪く言えば家具が少なくて殺風景だ。
小さな卓袱台を挟んで座る里香と、同居人であるレキ、そして彼女の武偵犬であるハイマキ。
飼い主の隣で体を丸め、ときおり尻尾を振る様は、逞しい見た目とは裏腹に愛嬌に溢れている。
おそらく一般的な女子高生が見れば声を上げて撫でようとする姿も、この場にはそんな反応をする人間がいなかった。
かちゃり、とほぼ同じタイミングで二人が箸を置く。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です」
郷に入っては―――というわけでもないだろうが、両手を合わせてそう言う彼女らの姿は、そこらの日本人よりも堂に入って見えた。
里香がこの部屋に入居してから早一ヶ月。先住人であるレキの食事事情は一変した。
レキの食事がカロリーメイト一択しかないことを知った里香により、僅か二日で強制禁止令をくらったのである。
ある日冷蔵庫を開いたら全てのカロリーメイトが消失していたのを目撃した時は、さしものレキも数秒間だけフリーズした。
代わりに入っていたのは潤沢な食料の数々で、それ以来この部屋の食事は全て里香が管理することになっていた。レキの意見を聞くことなく。
栄養管理は体作りにおける最重要事項の一つ。きょうび小学生でも理解しているやも知れない事だ。
いかに栄養調整食品と言えど、一日三食をこれ一つだけで過ごすなど、限度を越えているなんて次元ではない。
里香からすれば、Sランク武偵ともあろう者がそんな単純なことも不全であるという事実が理解できず、何をやっとるんだ馬鹿もんが、という心境ですらあった。というか実際に似たような説教も味わったレキである。
特にずば抜けて料理が得意というわけでもないが、最低限の技術は修めている里香。
好き嫌いなどという問題が出るはずもなく、二人は実に健康的な―――世間一般からすれば味がないと評するであろう―――食生活を確立していた。
しかしカロリーメイトだけは週に三回ほど間食として食べているあたり、レキも意外と気に入っているのだろう。
食器を片ずけ、レキは隣の部屋へと入る。そこにはポツンと置かれた机に、様々な工具の数々。
小さな工房とでも表現すべき場所で、レキは愛用の狙撃銃であるドラグノフの整備を始めた。
分解し、部品をクリーニングして再び組み上げるまで、平均的な装備科生徒なら自信を喪失しそうな手際で済ませていく。
ここまでならばまだ常識の範疇だが、彼女のこだわりは更にその先を行く。
引き出しに幾つか貯蔵しているらしい弾丸二十発入りの箱を取り出し、その中から最も良い一発だけを使い、他は廃棄という凄まじさだった。
俗に言う不発防止策だが、昨今のエコノミー精神に喧嘩を吹っかけているのではと考えても無理はないレベルだ。
里香でさえ初めて見た時は目を見開いたものだが、今では日常の一幕として受け入れている。
当の里香もリビングで自らの銃をメンテしているが、レキほど徹底したものではない。
衛生科に所属する彼女は、ここ最近は銃を使う事が少ない。元より治療と自衛の両立を優先するのが本懐。熟達しているに越したことはないとはいえ、強襲科や狙撃科に比べると天と地ほどにも使用頻度が離れるのは当然だろう。
―――とはいえ、それでも里香が平凡であるなんて事があるはずもない。
「申し訳ありませんが里香さん。今日もお願いしても?」
「ええ、かまいませんよ」
不意にレキが里香を呼び、それに応えて里香が工房へと入っていく。
机には、実に六十発を超える銃弾。
そしてその中で、三発の弾だけが仲間はずれのように脇へとよけられていた。
等間隔に並べられた五十七発の弾丸を、里香が食い入るように眺める。
すると、一発、二発と手に取り始めた。
「これと・・・・・これ。そしてこれでしょうか」
ひょいひょいと掴んで、先程の三発と同じように机の脇へと移動させていく。
レキはそれを、何を言うでもなく静かに見つめていた。
そうして、結果選ばれたのは六発。合わせて九発の弾丸がレキの元へと渡った。
「ありがとうございました」
「いえ、些細な礼ですから」
そう言ってリビングへと戻っていく里香。
レキは九発の弾をドラグノフの弾倉へと収めていき、机に残ってものを足下のカゴに捨てた。
・・・・これが、共同生活におけるもう一つの変化。
いかに不発防止のためとはいえ、やはりコストが危ういのは否めない。
かと言って個人のやり方に口出しをするのもはばかられた結果、里香の提案したのがこの選別だった。
レキとは違う手法で不発する可能性が極めて低い弾を割り出し、それを使用すればどうかというもの。
却下されればそれで引き下がろうと思っていた案は、しかしすんなりと受け入れられた。
第三者から見れば僅かな差であっても、複数回やり続けていればそれなりの変化にはなる。
弾の入った弾倉をドラグノフに装着し、そっと壁に立てかけたレキ。
リビングに視線を向ければちょうど里香も作業を終えたようで、卓袱台にベレッタを置くところだった。
部屋から出て、卓袱台を挟んだ対面に腰を下ろす。顔を上げた里香と視線が交わり、それを見計らったように口を開いた。
「―――夏休みの最終日、私はキンジさんにプロポーズします」
放たれたセリフに、場が硬直―――――したりはしなかった。
ピクリとも反応しなかった里香は、壁にかけられたカレンダーにチラリと目を向ける。
今日が8月23日。つまりプロポーズ実行は八日後ということになる。
「・・・・そうですか。頑張ってください」
特に興味もなさそうに返したが、話はそこで終ではなかったようだ。
「里香さん・・・・・・いえ、マリアさん。あなたはキンジさんとアリアさんをパートナーとして組ませる事に、並々ならぬ執着を持っているはずです」
「・・・・・・・・・」
もはや確信と言って差し支えない追求に、マリアは否定も肯定もしなかった。
そんなこと、既に論ずるような段階ではない。
終始何の感情のやり取りも行われない二人。そんな中で、
「つまり、そんな私が貴方の行動を阻害する可能性が否めない。だから邪魔をしないでほしい―――ということですか」
「はい」
ゆっくりと述べられた言葉に、レキは即座にかつ端的に肯定した。
日頃から何度か口にする、『風』なる存在の命令は、はっきり言えばマリアでもその真意を測れない。
いつ頃からか、ウルスは絶滅の危機と隣り合わせとなって久しく、ほんの僅かでも強い男を迎え入れるのを急務としている。
そこにキンジに白羽の矢が立つのは頷ける。将来性も含め、今の彼ならば充分にその資格があるだろう。
高い質量と純度を持つ色金は意思を持ち、各々の特性に準じた吉兆、時には凶兆を世界にもたらす。
その中で、マリアはアリアの緋緋色金はともかくとして、『風』の特性を知り得てはいなかった。
かの存在が、どんな特性のもとにウルスを従え、何を世界にもたらすのか。
だがしかし、マリアをそれを特に知ろうとは思っていない。
何故ならそれは、彼女の目的になんの影響ももたらさないからだ。
「ご心配しなくとも」
故に、マリアはなんの揺らぎも見せることはない。
自分の道を妨げる存在はどこにもなく、視界に入れば排除すればいいだけのこと。
生まれ持ち、曽祖父より鍛え上げられた推理は答えを導き出す。
目の前の彼女も、そして『風』も・・・・・・目的の妨げにならならない、なり得ない。
「他人の恋路を害するほど、私は無粋な人間ではなりません。キンジさんが貴方を選ぶというのであれば、それは彼にとっての最良なのでしょう」
「・・・・・わかりました」
偽りのない本心からの言葉だっただけに、レキは短くそう言ってシャワールームの方へと消えていった。
そのすぐ後を追いかけるハイマキは、リビングを出る直前に振り返り、マリアを真っ直ぐに見つめてくる。
――――まるで、マリアの真意を覗こうかというふうに。
「・・・・・そう、選ぶのはキンジさん。私でも貴方でもない彼自身」
思念でも伝わってきそうな瞳を通じて、その主へと語りかけるかのように、マリアは独白する。
呟くようなその音量は隣の部屋には届かずとも、オオカミの聴覚をもってすれば容易に聞き届けられる。
「だからこそ、私は貴方の邪魔はしない。おっしゃる通り私は、あの二人にはパートナーでいてもらう必要がある――――いえ、いてもらわなければ困る」
―――しかし、そうであればこそ。
「する必要性のない行為をする暇は、私にはありませんから」
意味がない、とは言わない。それ自体は必要な行動・・・・・・・否、過程だから。
しかしそれは彼等の間で始まり、完結する話であって、自分の関与する場面など何処にもない。
言外に込められたその意味を、オオカミであるハイマキが理解するとは思えない。
だが、まるで意思確認を終えたとでも言わんばかりに身を翻したその後ろ姿を、マリアはしばらくの間見続けるのだった。
所変わってキンジの部屋、そこではキンジと粉雪が向き合って話し―――――いや、睨み合っていた。
どうしてこんな事になっているのか、説明するのはそう難しくない。
「まだ言いますか! 一度ならず二度までも、私の『託』を侮辱するとは!!」
「こっちこそ何度言えばわかるんだ。当たるかどうかじゃなくて、そんなことにはさせないって話なんだよ」
抜身の短刀を両手に構えながら牙を向く粉雪に対し、キンジも穏やかとは言えない眼差しで応戦している。
―――始まりは、粉雪が里香に話した『託』であった。
いずれ必ず破滅する。それが里香の――――マリアの運命であると粉雪は語った。
当の本人は平然と、それこそ不気味なくらいに無感動に頷いていたものの、キンジにとっては衝撃的な宣言であったのは間違いなかった。
何事もなかったかのように去っていくマリアを止める間もなく、キンジは仕方なしに自室で詳しい話を聞く事にしたのだ。
・・・・・・・その結果が、ご覧の有様だった。
「きぃーっ! やはり武偵は不信心の塊です! 義務とはいえ、人の親切を無下にするとは何事ですか!」
「どこが親切だよどこが」
実質、あなたはその内死にますよ、と言うようなものだ。
破滅、という表現では一概にそうとは言えないが、どう考えても楽観視できるような展開ではない。
そんなわけあるかと一笑にふしこそすれ、そうなのかありがとう、などと頭を上げる輩などそうはいまい。
―――まあ、今回に限っては似たような、それでいて淡白な反応で済ませた当事者ではあったが。
「お前には分からないけどな、あいつに限ってそれはないんだよ。絶対ないない」
首を振って強く主張する。
そうあって欲しくないという願望も多分にあるが、そんな場面は想像できないというのも大きい。
ほんの僅かな可能性としては、世界中に存在する組織とやらに集中砲火をくらう、というのも考えないでもないという程度だ。
・・・・・だが、あのシャーロック・ホームズは言っていた。
これから世界に狙われるのは、シャーロックから緋弾を継承したアリアだと。
マリアもマリアで重要な関係があるとほのめかしてはいたが、やはりどうもしっくりこない。
「それにお前自分で言ってただろ、よく当たるって。ていうことは外れた事もあるんだろ」
「うっ・・・・・・・それは・・・・」
痛い指摘に、粉雪は押し黙った。
自分の発言なだけに否定できず、恨めしそうにキンジを睨むばかり。
「し、しかしですね。外れたのは状況の細部であって、吉兆か凶兆かまでを読み間違えた事は・・・・・・・・・・ほんのちょっとしかないです」
「同じだろうそれ・・・・・・」
呆れ混じりの溜め息をはけば、目の端に涙を浮かべながら射殺さんばかりの眼光を向けてくる。
話が平行線になりつつあるのを感じつつ、どうしたものかとキンジは思考する。
―――正直、この際『託』が外れているかどうかは大した問題じゃない。
元よりマリアに関しては、金一と話したように危惧すべき可能性が浮かび上がっていたのだから。
遠くない将来、穏やかではない出来事が待っているのは想像に難くない。
考えるべきなのは、事が起こったとき、どう切り抜けるかだ。
キンジは思う。
自分も、そして兄にしろアリアにしろ、これ以上マリアが罪を重ねるのは防ぎたいと願っている。いや、そうはさせないと決意している。
だが現実問題として、マリアが行動を起こしたとき、現状で何とかするのは不可能に近い。
『条理予知』を扱う彼女を相手にする以上、それこそシャーロック・ホームズと再戦するくらいの気構えで臨むべきだろう。
シャーロックと違ってマリアにヒステリアモードは使えまい。しかし代わりに、彼女には老いによる弱体化がない。
それがプラスマイナスゼロになるかは不明だが、少なくともシャーロック戦のような短時間で終わる確立は極めて低い。
それに何より、彼女は色金の力を存分に使ってくるかもしれない。
これまで何度も戦闘中の話題に上がり、自分達を面倒極まりない戦いに引きずり込んだ原因である色金だが、意外にもその力の殆どが未知数のままだ。
使用例を四人しか見た事がないキンジが知りえる限りでは、念力のような力がおそらくデフォルトで備わること、超能力の上位に位置する力であること、また緋弾に関しては時空を繋げるなんて能力までついている、ということだ。
お前らはいったい何がしたいんだよと叫びたくなるような内容だが、ほぼ間違いなくこれだけではあるまい。
と、ここまでの考察をものの五秒程度で展開したキンジは、もう一度盛大な溜め息をはいた。
そして、それが目の前の粉雪には全く別の意味で伝わったらしい。
「くっ、そこまで堂々と嘲りますか! もういいです! なら『託』が現実になった瞬間、己の浅はかさを呪うといいです!!」
「いや、だから・・・・・」
「それにです。当人があんな反応であるから伝え損ねましたが、あの死神の影が近くにある以上、Cランクの彼女に対処が出来るとは思えませんっ!」
「死神・・・・・?」
聞捨てならない単語に、キンジは眉を寄せた。
「そうです! あの見るだけで怖気が走るような銀色の仮面。そしてその奥から覗く血も涙もなさそうな冷徹な瞳。あのような素顔をしていたのは意外の一言でしたが、あれに狙われているのだとしたら、最早絶体絶命としか言えないでしょう」
「・・・・・・・・・・ん?」
半ば芝居がかった身振り手振りで体を震わす粉雪。
語られた内容に、しかしキンジは盛大に白けた気分になった。ちょっとまておい、という具合に。
「・・・・・あ〜、粉雪。もしかしてお前の言ってる奴ってもしかして・・・・・」
「そう、裏の世界に僅かでも関わる者ならば知らずにはいられない、かの有名な世界的殺人鬼――――あのフリッグです!!」
「・・・・・・・・えっと」
とりあえず整理しようと、キンジは頭を抱えた。
まず粉雪は黒村里香、つまりマリアが遠くない未来、その身に破滅が降りかかるという内容の『託』を受けた。
その『託』とやらがどう言った感覚で伝わるのかは知りようがないが、本人の言い方からしてビジョンのような物が浮かぶのではないかと思われる。ついでにいえば予言紛いのものも聞こえるのではないだろうか。
もしそうなら中身は勿論マリアに関する内容なわけで、つまり現時点で粉雪はマリアの素顔を拝んでいるということになる。
そして、中にはマリア扮する里香の映像もあり、そもそも『託』は里香に宛てて降りたものだ。
加えて本筋が対象の破滅なんていう物騒な内容。
・・・・・・・結論。
(粉雪は・・・・・里香とマリアをイコールで繋げられなかった・・・・・ってか)
ここでまたしても溜め息など漏らそうものなら更に面倒な事になっただろうが、キンジは鉄の忍耐力にっよって抑え込んだ。
憶測だが、少なくとも今回の『託』では個人の名前が告げられたりはしなかったのだろう。
伝えるべき相手が里香だという認識だけがあり、偶然なのか本人の目の前で降りたため、あの場で言えたということ。
もし実家で降りようものなら、今頃探し回っていたのかもしれない。
まさかこんな所で、マリアの完璧な変装が功を奏する事になるとは。
(ただまあ、里香が裏の世界に関係しているってくらいは勘づかれただろうけどな)
フリッグの事を知っているのならば、それに狙われる人間がただの凡庸な武偵だとは思うまい。
幸い、これ以上二人が接触するような機会も少ないだろう。とりあえずは一安心だと言って良い。
―――と、思っていた次の瞬間だった。
「あっ、お姉さま。おかえりなさいませ!」
「・・・・・・は?」
刹那、キンジの思考が完全に停止した。
いやいや何を言ってるんだこの娘はしょうがないなぁもうアッハッハ、と脳が現実逃避する案を真剣に吟味しているが、時間という概念は無情なまでに留まるという事を知らない。
「お荷物お持ちいたします。一緒に夕餉を作りましょうね」
「う、うん。そうだね」
ギギギギ、という音でも出そうなぎこちなさで首を横に動かせば、そこにはマイ幼馴染みの姿。
微笑みを浮かべて妹と話しているが、どこか声に元気がないように思える。
キンジには天変地異が起こっても向けないであろう笑顔で粉雪がリビングを出ていけば、訪れるのは気のせいとは言い難い沈黙だった。
「・・・・・えっと、おかえり白雪」
「あ・・・・・うん、ただいま、キンちゃん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
・・・・・・・・・・詰んだかもしれない。
キンジは心の中で、今月最大の絶望と戦い続けたのだった。