小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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九十一話










「ネコミミメイド希望!!」
「・・・・・・」

高らかに宣言した理子の前で、マリアは何と反応すればいいのかわからなかった。
食堂での騒ぎから数時間、ご褒美の件で理子に呼び出されてやって来たのだ。

かと思えば問答無用で変装を完全分解され、元の金髪碧眼状態になった(もちろん制服はそのまま)マリアへの第一声が・・・・・・これである。

「それはつまり・・・・・その手に持っている服に着替えればいいと?」

視線を理子の両手に移せば、そこには白いエプロンが装着された黒いワンピース。一言で言えばメイド服。
さらに横のソファーに目を向ければ、自身の髪と同じ色のネコミミが付属したカチューシャやら、装着方法の不明な尻尾やらが置かれていた。

その他にも眼帯に包帯に首輪に鎖と。少なくともマリアの知識圏内ではこの場における用途が見いだせないアイテムの数々が散乱していた。

「イエーッス! ぶっちゃけどれを付けようか今でも迷ってるんだよ〜。ヴィクトリアンかフレンチか、紺か黒か、はたまた白かピンクか、犬か猫か、まさかの狐や兎か! 昨日一晩考えに考え抜いて、やはり王道から始めるべきだと神は言った!」
「・・・・・・そうですか」

理解に及ぶ領域ではないと結論したマリアは、話を半ば右から左へと流していた。
そもそも着せ替えなど見せてどう褒美になるのか、メイドなんていくらでも見ているのではないか、という思考もいったん置いておく。本人が満足している感じならば問題ない。

「というわけでさっそく! レッツ(いざ)レボリューション(革命へ)!!」

言うやいなや、理子はマリアに飛びついた。
反射的にマリアが避けたことによって、ダイブ体勢のまま地面と顔面キッスとなる。

「いだっ!」
「構造さえ見せてもらえれば自分で着替えられます。まったくの初めてというわけでもないですし」

かつて理子に無理矢理に秋葉原へと連行された過去を思い出しながら、理子の手からメイド服を取って隣室へと引っ込んだ。
あわよくば生着替えという願望を容易く葬られた理子は、しかしその頬の緩みを微塵も消しはしなかった。

「ふふへへぇ〜。マリアのメイド姿ぁ〜・・・・・・・じゅるり。おっとっと」

自他共に認める容姿がそれはもう見事なまでに台無しとなり、顔を引き締めようとしてもだらしない顔がピクピクと痙攣するだけであった。率直に言って非常に気味が悪い。
テーブルの上にある撮影機材等をせっせと準備しつつ、頭の中はこれからマリアに要求する事柄でいっぱいだ。

制服のポケットには日中に考えたセリフがこれでもかと言う程に書き連ねてあるメモが入っており、内容を思い出して授業中に鼻から愛が溢れそうになったのは記憶に新しい。
昨日はアリアによって酷い目にあったが、それも今日のご褒美と言う名の楽園で帳消しになるというもの。

「あ、そうだった・・・・・・・ね〜、マリア〜」
「―――なんでしょう?」

扉越しに声をかければ、ほんの僅かな間を置いて返事がきた。
耳をすませば衣擦れの音がかすかに聞こえ、思わず特攻をかけたい衝動に駆られた。

そんなことをすればどんなバッドエンドが待ち受けているか想像に難くないが、こればかりは命を賭ける価値があるのではないかと、一瞬だけ本気で脳内会議を開いた理子。
極めて僅差でバッドエンドルートではなくトゥルーエンドルートが可決され、なんとか命を拾ったのだった。

「メイドになったらちゃーんと言葉遣いもそれっぽくしてねぇ? 語尾にニャンとかつけてくれたら言うことなし!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・善処します」

今度は激しく間が空いたが、なんとか言質を頂戴することに成功。なみなみ理子のテンションは振り切るのであった。
ソファーに飛び移って年甲斐もなく跳ねまわる理子は、まるで母親に新しい玩具を買ってもらった子供のようだった。

―――そして、遂にその時はやってきた。

ゆっくりと開けられていく扉を見たとき、理子にとって人生で一番永く感じる数秒間が流れていく。
スローになった視界の中、自分とは印象のやや異なる金髪が僅かに靡くのを瞼の裏に焼き付けた。

ふわりと広がるスカート、そこから伸びる黒ニーソの脚線美と、チラリと覗く絶対領域。M500なんて怪物拳銃を軽々とぶっ放しているとは思えない細い手首には白いお袖留めが巻かれ、その細さをより強調している。
王道を求むが故にシンプルなデザインで攻めた(また、理子的には非常に遺憾であるが、胸元が開いているタイプではない)のだが、そうであるからこそ素材の良さが引き立つというもの。その点ではもはや論を交わす必要すらない。

普段と違ってストレートに下ろされた髪が大人っぽい雰囲気を醸し出しながらも、ほんの僅かに赤らんだ頬が超弩級のギャップ萌えを実現している。
そしてなにより目を引くのが、ヘッドドレスの後ろでぴょこんと存在を主張する耳と、スカートの中から垂れ下がり、本人が動くと同時にユラユラと揺れ動く尻尾。

そして極めて受けが――――リボンの代わりに付けられた、金色の鈴。
マリアが一歩歩く度にチリンと小さな音が室内に響き、それが理子の中で筆舌し難い感情となってうねりまくっていた。

「・・・・・あの・・・・これでいいでしょうか? ご、ご主人・・・・様?」

疑問形であるのは、ご主人様なのかお嬢様なのか、扱いを判断しかねているからだ。
かつて理子に引きずられて入った場所では男女それぞれ区別していたが、何故か理子は店員に訂正させてまで自分をご主人様と呼ばせていたのだ。

本人曰く「ご主人様の方が跪かせてる感じがするから」などという非常にオヤジ臭い思考なのだが、そういう感性に無縁なマリアはまあそんなものかと納得してご主人様呼びにしたのである。
・・・・・それはさておき、今の状況を思い返してみよう。

頬を赤らめつつ賢明にメイドを演じようとするマリアは、真っ直ぐに理子(主人)を見つめている。
おまけに疑問形で言葉を発したせいか、無意識に首を傾げつつの呼びかけになった。

それでもって理子は現在ソファーの上に立っていて、つまり視線の高さはマリアより上だ。
よって自然と、マリアは理子を見上げるように・・・・・・ぶっちゃければ少々上目遣いに見るという形になっていた。

よって理子の視界には、ネコミミと尻尾と鈴を完備した金髪碧眼の美少女メイドが、紅潮した顔で首を傾げつつ上目遣いに自分をご主人様と呼ぶ。そんな絶景が広がっているわけで――――

「――――ぐ・・・・・・がっは!」

胸を抑え、よろめいてソファーから崩れ落ちる理子。
一瞬だけギョッとしたマリアだったが、間一髪で主人を支える事に成功した。

「だ、大丈夫ですかご主人様?」
「うぐふっ! だ、大丈夫・・・・・・・じゃない、かも・・・・・・」

苦しげにそう言った理子を、マリアは床にそっと座らせた。
荒い呼吸を繰り返す理子を自らの身に寄せて背中をさするその姿は、まさにかいがいしいメイドそのものだった。

伏せた理子の顔が、ドン引きするほどだらしなく緩んでいる事は知る由もない。

「ああ・・・・・マリア。理子はもうダメかもしれない・・・・・」

主に精神的に、かつ自制的に、さらに最後の一線的に。

「そんな・・・・・気をしっかり持ってくださいご主人様。貴方はまだこんなところで終われないでしょう」
「もう、ダメなんだよ・・・・・・心がつかれちゃうんだよ。ああでも、お母様に抱きしめられた時のような、あんな感じの温もりが味わえたなら、また頑張れる気がする。激しくそう思う」

それはもはやメイドの領分なのか激しく疑問だが、マリアにそれを判断する知識はなかった。
一瞬の間の後、マリアはそっと理子を抱き締めた。

「私で代わりを務めるなどおこがましいですけど。どうかこれで我慢してくれませんか」
「ううん、全然大丈夫。むしろもっとギュッとして欲しいなぁって」
「かしこまりました。ご主人様」

マリアの胸に顔をうずめる形で抱きつく理子は、内からこみ上げてくるものを抑え込むのに多大な精神力を要した。

(あ、やばい。押し倒したくなってきた・・・・)

秒刻みで膨らんでいく欲望と戦いながら、天にも昇る至福を一分、二分と味わっていく。
ものの三分で自制心が限界に達しかけたので、理子は名残惜しくもマリアから体を離した。

「・・・・・ありがとうねマリア。理子、頑張るから!」

ある意味では元気万倍となったのは間違いなく、理子はありったけの笑顔でそう宣言する。

「そうですか。お役に立ててなによりです、ご主人様」
「・・・・・・・・」

普段なかなか見せない微笑と共にそう言ってのけるマリアに、理子は特大のしっぺ返しをくらうことになった。
どれだけ犯罪を重ねても、世界最高の頭脳とその能力を受け継いでいても、この少女は生来の純粋さを捨てきれていない。

理子が口八丁で甘い汁を吸っているとは微塵も思っていない笑顔に、罪悪感が攻城弓レベルの矢となって理子の胸を貫いた。
またもや床に崩れそうになる体を必死に支え、テーブルの上にあるカメラを手に取った。

「じ、じゃあそこに立ってね〜。できればニャン子的ポーズをとってくれればグッジョブ」
「・・・・・・・それは、ちょっと」

さすがに困り顔を見せたマリアだったが、理子からすればその表情さえベストショット以外の何者でもない。
すかさずピントを合わせ、ネコミミメイドを激写しようと―――――
 
「・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」

しようと、して。
その時ふと、理子は妙な違和感を感じ取った。

軽い。何がと問われれば、手に持ったカメラが。
頼りなさげな軽量感というか、何かが欠落したような空洞的感触というか。

「・・・・・・・・まさか」

嫌な予感に従い、カメラの底部にあるカバーを開けて見てみれば、

「・・・・ない!!」

思わず叫び、己の痛恨のミスを自覚した。
あるべき物が嵌められておらず、空っぽになったその場所。

つまりは電池、バッテリー、エネルギー。
予備を探せば・・・・・と一瞬だけ考えたが、即座に思い出す。

夏休み中に繰り出したありとあらゆるサマーイベントで撮り尽くし、使い尽くした結果、今この部屋には使える電池がたったの一つもないのだ。
なら充電すればとも思うだろうが、そんな時間ずっと待ち続けるなど今の理子には考えられなかった。

となれば、答えは一つ。

「マリア、ちょっとこれからカメラの電池買ってくるから待っててね! 帰っちゃダメだよ! マリアは今日一日ネコミミメイドなんだからね!」
「あ、ちょっと・・・・・・」

静止の声もろくに聞かず、理子は部屋を飛び出して行った。
伸ばした手は虚しく宙をさまよい、マリアはネコミミメイドの格好のまま置き去りにされた。

いったいこの時間をどうしろというのか。マリアは人生でもなかなか感じたことのない、途方に暮れた状態となってしまったのだ。
特にどうしようかが思い浮かばず、しばらくぼーっと突っ立っていた。

―――そして、変化が訪れたのが僅か二分後のこと。

突然聞こえたインターホンの音に、マリアは思わずピクリと肩を震わせたのだった。















「・・・・・マリ・・・・ア?」
「・・・・・・はい」

唐突にやって来た金一さんの言葉に、私はなんとか頷くことができました。
何故だか彼の目を直視するのは躊躇われ、彼の服の襟やらボタンやらを凝視しています。

どうして彼が今こんな所にやってくるのか。なぜ無断で入ってきたのか。冷静に考えればすぐにわかりそうであるというのに、いまいち思考がまとまらない。
金一さんが先程から微動だにせず向けてくる視線を奇妙なくらいにはっきりと感じて、だんだん落ち着かない気分になってきた。

その時、首元にある鈴がチリンと音を立て、それに反応したように金一さんがハッとした顔を見せた。

「あ、その・・・・・・・ど、どうして、そんな格好を?」
「そ、それは、えっと・・・・・」

説明しようとして、なのに口が動かしにくい。
言うべき事は纏まっているはずなのに、話そうとすると崩れていく。

いったい私はどうしてしまったというのか。何か精神に異常をきたしているとしか思えない。
これは・・・・・・・この感覚は・・・・・・

(緊張・・・・・している・・・・?)

そう、緊張だ。
思えば曾お爺様を例外として、異性の目の前でこんな格好をしたのは、彼が初めてではないだろうか?

こんなコスプレ染みた、それこそマニアックな部類に入るであろう衣装を身に付けている所など、一年以上パートナーだったキンジさんにも見せた事はなかった。
意識してみれば、確かに恥ずかしいと思っても何ら不思議ではない場面だった。

納得すると同時に、余計に顔が熱くなっていく。
普段よりはるかに視線を敏感に感じて、どこを見られているのかが手に取るようにわかる。

なぜかはわからないけど、首の鈴に異様なくらい集中していた。

「その、理子に普段から色々と世話になっているお礼というか。等価交換と言いますか。とにかく、そのようなもので、決して私がこういった趣味を持っているわけでは・・・・・」

言葉の最中に話が脱線していることに気づき、口を閉じた。
余計な情報を無意識に与えようとするなんて、本当に今の私はどうかしている。

彼が私の趣味をどう勘違いしたところで、何の関係もないというのに。

「な、なるほどな。・・・・・しかし、当人がいないようだが?」
「カメラの電池がないようで、充電する手間も惜しいと飛び出していきました」
「・・・・・・・なるほど、な」

まじまじと私を見て、どこか納得したように頷いた金一さん。
時間が経てば経つほど焦燥感が増していき、背後の部屋に引っ込みたい衝動にかられる。

というか、いつまで見ているのですか。
こちらが恥じらっているのは見ればわかるでしょうに、こうもまじまじと観察するのは趣味が悪いとしか思えない。

それともあれですか、フリッグの時に私がした事への腹いせか何かですか。
許してもらおうだなんて傲慢な考えは持っていませんが、この羞恥は耐えられるものではありません。

「あの・・・・・・そんなに、見ないでください」
「っ――――!」

強めに言おうとしたのに、不覚にも声が弱々しくなってしまった。
嫌がっている事を示すために腕で前を隠してみたけれど、こうなると恥ずかしがってる印象しか与えられないではないか。

内心で歯噛みしながら金一さんの反応をうかがうと――――

「あっ、その、すまない! なんというか・・・・・・・つい、見入ってしまって」

・・・・・それはつまり、滑稽な姿につい凝視してしまったというわけですか。
ああそうですね、そうでしょうとも。言われずとも自覚はしています。

こんならしくもない格好、私だって理子の頼みでもなければ一生しませんよ。

「・・・・・そうですか。それはお目汚しをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「は? いや、そんなことは―――」
「それはそうと、理子に用事があるのでしょう? 待っている間にお茶でも飲みますか? ご主人様」
「ごしゅ!? ちょっと待ってくれマリア、いったいどうしたんだ!」

慌てて詰め寄ろうとする金一さんをスルリと避けて、私は台所へと入っていく。
無性に、非常に、今は彼と顔を合わせたくない気分でした。

こんな感情優先の行動を取る自分に些か驚きを隠せなかったけれど、ある意味仕方ないと言える。
だって・・・・・・

もうすぐ(・・・・)消えてなく(・・・・・)なるものだから(・・・・・・・)・・・・)

本能がそれを理解して、寸前までさらけ出そうとしているのだと思う。
少し前から、妙に感情が表層に出る機会が増えているから。

姉さんに抱きつく事に抵抗を感じなくて、理子の頼みに仕方ないと苦笑して、金一さんの悪評に苛立ちを覚えてる。
こんな、まるでどこにでもいる普通の女の子のような情緒がまだ残っていたのだと、どこからか感慨深く見つめる自分がいる。

気を抜いたら飲み込まれそうなほどに事態は進んでいて、それを防ぐために誰かと行動を共にする日常を送り続けている。
さっきまでは、理子の興奮が空気に残っていたからまだ無事だった。

だから今も、少し人と離れただけで意識が黒く染まり始めて・・・・・・

「―――マリア、少し様子が変だぞ?」

こうやって肩に触れてもらえれば、なんとか持ち直すことも出来るようになる。
・・・・・・けれど、気のせいでしょうか?

今の接触だけ、ほんの少しだけ、いつもより素早く戻ってこれたような気がしたのは・・・・・・・。
インスタントの紅茶を用意しながら、視線を金一さんに向ける。

肩の手はそのままに、心配そうな顔をしてこちらをうかがっている。
突き放したのはこちらだというのに、ここまで根の根からお人好しだと逆に人付き合いに支障が出る気がしてならない。

「なんでもありません。さっきは失礼しました」
「いや、いいんだ。俺もその・・・・・・誤解させてしまったようだから」
「?」

何故か顔を赤くしながら目を背けた彼を、無意識に覗き込んでしまった。
ちょうど互いに見つめ合うような状態で――――彼は、言った。

「その格好・・・・・・・とても、似合っている。見惚れてしまった」
「・・・・・・・・・・・・」

一瞬、時間が止まったような錯覚に陥った。
体が硬直して身動きができず、真っ赤になった彼の顔を見据えることしかできなくて。

そして、気づく。
彼の瞳に映った自分の顔も、同じくらいに赤くなっている事に。

そんなことが目で見えるくらいに、私達の顔が近い場所にあることに。
それを認識した瞬間、私は飛び跳ねるようにして後ろへと距離を取った。

「っ! そ、それは、どうもありがとうございます。ご主人様」
「いや、べつに・・・・・。というか、そのご主人様というのは?」
「理子からの要望で、私は今日一日メイドになりきるのです。あまりこなせている気はしませんが」
「・・・・・・まあ、うん。俺も詳しいことは知らないから何とも言えないが」

むしろ知っていたら付き合いを考えるところでした。
男女差別をするつもりはありませんが、個人的な印象が変動するのは避けられない現象なのです。

なんとなく気まずい雰囲気となってしまい、私は黙々と紅茶を入れることしか出来ません。
いったん仕切り直してリビングに戻る必要があると思い、カップを持って台所を出ようとしました。

そして、そうしようとすれば当然、金一さんの横を通らなければならないわけで。
この時の私は、完全に注意が散漫になっていたとしか言えない。

「あっ!」
「っ!」

金一さんが声を上げたのと、私達の足が引っ掛かったのがほぼ同時だった。
もちろんその程度で転ぶほど柔な鍛え方はしておらず、即座に体勢は立て直した。

しかし、おそらく金一さんが私を支えようとして伸ばした手が、運悪くカップを持つ手と衝突してしまい、中身が盛大に零れる結果となった。
溢れた紅茶は惜しみなく金一さんのズボンへと降りかかり、適温とはいえ人の肌に触れるに危険な熱が彼を襲った。

「つっ・・・・」
「あ、すいません!」

流し台の横にあったタオルを素早く押し当て、出来る限り紅茶を吸い取る。
冷やしたものであれば良かったけれど、かぶった範囲が大きくてカバーしきれない。

だから、

「金一さん、ズボンを脱いでください。シャワーで冷やした方が早いでしょう」
「なっ!? いや、ちょっと待ってくれ! 後は自分でするから!」
「何を言ってるんですか。ここで脱いでも手間は変わらないでしょう」

よく見れば手にもかかっていたようで、少しばかり赤くなっている。
早急に冷やさねばと思い、私はズボンのベルトに手をかけた。

「待てマリア! はやまるな!」」

しかし肩を抑えて抵抗してくる金一さん。
何やら妙な対抗心が沸き上がり、意地でも脱がさねばという、使命感にも似た感覚を呼び起こされた。

「早く冷やさないと後で後悔しますよ」
「だから自分で出来る! 女性が男のズボンを脱がそうなんてするな!」
「健全な医療行為ですから問題はありません」
「俺にはあるんだ!」

押し合いへし合い。一向に進む気配がありません。
いい加減実力行使にしましょうか・・・・・・と考えた時、忘れていたこの部屋の主の気配を感じ取った。

「マーリアー! おっ待たせ〜〜〜〜・・・・・・・・・って・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」

不気味なくらいの静寂が、台所を満たした。
ぱちぱちと目を瞬かせた理子は、私と金一さんの顔を交互に見て、床に溢れた紅茶を見て。

最後にもう一度私を見て。
そうして、思い切り息を吸って――――

「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁあああぁぁああああああああーーーーーーーーー!!!」

断末魔のごとき絶叫を、女子寮内に轟かせました。

-92-
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緋弾のアリア Bullet.2 [Blu-ray]
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