小説『緋弾のアリア ―交わらぬ姉妹の道―』
作者:Pety()

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九十二話










その瞬間、彼女の体に駆け巡った戦慄はいかほどのものであっただろうか。
溢れる歓喜に身を震わせながら自室に帰ってみれば、そこには想像を絶する、なんて表現さえ生温い光景が広がっていたのだから。

部屋に上げた覚えなど皆目ないはずの男が、金髪碧眼の美少女ネコミミメイドを、肩を押さえつけて無理矢理に跪かせ、あまつさえ頭部を腰の前に持ってこさせるなどという、言い逃れのできない猥褻行為に及んでいたのだから。
しかも床にはなにやら微かに湯気を立てる液体が水溜まりを作っていて、それが男の下半身から滴っているともなれば・・・・・・・・・もう色々とチェックメイトだろう。

あまりの情報量に、怒りよりもまず絶叫が口から迸った。
よく見れば男が見知った面だとか、押さえつけているというより押し退けようとしているとか、普段の彼女ならば容易に気づくはずの情報は全く入ってこなかった。

あるだけ買い占めてきたカメラ用の電池が詰まった袋をその場で落とし、叫んだままに男の横っ面へ空中回転蹴りをお見舞いし、冷蔵庫に激突する男に目もくれずメイドを救出。
珍しく戸惑った様子のメイドに内心で萌えながらも、着せ替えに使用した部屋に強引に押し込み、素早くポケットに入れていた携帯で100当番通報――――をしようとして、寸前で猥褻男に携帯をかすめとられた。

仕方なく武力で制圧しようとした時点で犯人が遠山金一であることを認識し、ひとまず・・・・・・ほんっっとうにひとまずは矛を収める事になった。

「・・・・・・・で? 何か遺言があれば聞くけど? あ、三十字以内でまとめてね」
「いや、少なすぎるだろ。というか冤罪だ。俺は断じてやましい事はしていない!」

そして現在、リビングで床に正座状態の金一に対し、ソファーにどっかりと座る、閻魔大王もかくやという程のどす黒いオーラを纏った理子が死刑確定の尋問を敢行していた。
その手には既にワルサーが握られ、髪はナイフを携えながらうねうねと宙を漂っている。

問答無用で解除命令を出された金一の武器は、受け取った理子によってゴミ箱に捨てられていた。
無造作にポイ捨てされた時はさすがに抗議しようとしたが、ひと睨みで黙殺されてしまった。

「へぇ〜〜〜〜。それはつまり? いたいけなネコミミメイドを強引に跪かせるなんて自分にとっては大したことでも何でもない、むしろ日常茶飯事だ。と」
「曲解にも程があるだろう!? あれはマリアが紅茶を拭いてくれていただけで―――」
「ダウト。あたし見ちゃったんだよねぇ、マリアの手があんたのベルトに触れてたところ。メイド姿をばら撒くとか言って脅して―――されたくなければ・・・・・わかってるよな? ぐへへへ―――みたいに揺さぶったんでしょうが!!」
「自分で言ってて気づかないか!? そんなこと実際にしたら八つ裂きにされるだろ!!」
「はんっ、墓穴掘ったね? マリアは計画の都合上、あんたを殺せない。それを逆手に取って追い詰める事は可能ですぅー」
「くっ!」

なんとか理屈的解釈で誤解を解こうとするものの、逆に痛いところを突かれた金一。
至福のご褒美から一転した反動か、今の理子はいつも以上に平静さを失っていた。

ちなみに件の紅茶が溢れたズボンは履き替えられる事もなく、その下はズブ濡れ、肌は先程からヒリヒリしている。
しかし金一にとってはこの誤解を何とかすることが急務であり、さしあたっては目の前のロリータ裁判官を冷静にさせる必要がある。

「それならマリア本人に聞けばいいだろう。それで全部解決だ」
「嫌。もう一瞬たりともネコミミマリアをあんたの視界に入れさせてたまるもんか」
「うぐ・・・・・・」

目論みが砕かれて呻くが、それはマリアのメイド姿を見れないという気持ちと五分五分だった。
今思い出しただけでも顔が熱くなるが、頬が赤らむ瞬間を見られたらもう言い逃れは出来ないだろうと必死に耐える。

このまま平行線をたどるかと思われたのだが――――

「理子、金一さんは悪くありませんよ」
「「え・・・・・」」

二人は異口同音に声を漏らした。
振り向けば、そこには扉からひょっこり首だけを出してこちらを見るマリアがいた。ネコミミはついたまま。

部屋から出てはいけないという理子の言葉を律儀に守った上での行動だろうが、はっきり言って逆効果にしかならない。
傾いた頭からはさらさらの金髪が垂れているし、視線を少し下に向ければスカートの裾がはみ出している。

一言で言えば、可愛らしいことこの上ない絵面になっているのだった。
途端に自分の胸を抑える理子と、再び彫像のように固まる金一。

二人の様子に疑問符を浮かべつつ、マリアは事の顛末を説明していった。

「―――という次第で、非は私にあるのです」
「むぅ・・・・・・」

ちゃっかりカメラでマリアを撮影しつつ、理子は唸り声を上げた。
理解も納得もしたにはしたが、面白くないのには違いない。

自分だけが堪能できると思っていたご褒美を、図らずしも金一にまで見せてしまった己の失態。
現在が夜中の十時で、約束の時間まであと二時間程度しか残っていないのだから。

というかこんな時間に女の部屋に来てんじゃねぇよこんちくしょう。と、心の中で悪態をついてしまうのは仕方のないことだろう。
日頃から夜遊び上等な自分の事は完全に棚上げである。

「でもこいつのせいで時間が減ったのは事実だしぃー」

よって、苦しい言い分で反抗するのは、半ばヤケクソみたいなものだった。
なんとなく、このまま金一が無罪放免になるのは面白くなくて。ご褒美の時間が減ったのが悲しくて。ちょっとだけ駄々をこねたい気分だった。

だからこそ、

「なら、明日もここでこれを着るということでどうですか?」
「・・・・・・・・・・・え?」

一瞬、なんと言われたのか理解できなかった。

「もちろん、これ以外にと言うのであれば極力応えます。もともと、理子が満足できなければ意味がありませんから」

それではダメでしょうか? と、マリアは首を傾げた。
グサリッと何かが胸を貫通するような感触を覚えつつ、ほぼ反射的に理子はマリアの姿を写真に収めていた。

そして即座に立ち上がり(その拍子に金一を蹴り倒し)、上半身を床と平行に折り曲げて頭を下げていた。

「よろしくお願いしまぁっす!!」

こうして、金一の疑惑は完全に晴らされると共に、理子が極上の天国への切符を得ることとなった。
この日からしばらく、理子の機嫌は常にメーターを振り切っていたのは言うまでもないだろう。















8月31日。夏休みの最終日。
夕陽が沈み、ゆっくりと夜の帳が降り始めた頃―――――それは、やって来た。

―――バァンッ!

図書室に突如として響き渡ったその音に、里香は本から視線を外して顔を上げた。
他にも何名か残っていた生徒が、一様に驚いた顔で扉の方へと目を向けている。

肩で息をして、今にも倒れそうな勢いで汗を流している女生徒がいた。
特徴的なツインテールが、本人の動きに合わせて揺れている。

どこに行っても浮くだろう緋色の髪は、轟音の犯人を嫌でもその場の者達に理解させた。
非難を込めた視線が向けられるが、顔を俯けているから気づいてはいないだろう。

その轟音の主―――アリアは、室内を見回すでもなく、真っ直ぐに里香へと歩を進めた。顔を上げる事もなせずに、だ。
その時点で何事かあったのは無関係の他人でも分かるが、声に出して確認できるような雰囲気ではなかった。

「・・・・・・・里香、ちょっと来て」

すぐ隣まで来た第一声がこれで、実際には名前の時点でがっしりと腕を掴み、問答無用とばかりに出口へと歩き始めたアリア。
半ば引きずられるようにして図書室を後にした里香だったが、特に問いただすようなことはしない。

(予想通り、ではあるのですけど・・・・・・・)

今日がレキの告白日であることを知っているからこそ、理由など聞くまでもなかった。
―――アリアの頬を伝う雫が、汗ではないことさえも。

我慢するようにして、止めきれないものが溢れているようだった。
途中からは並行して歩く里香に、腕を掴んでいた手でしがみつき、縋り付くようにして歩くアリア。

一言も言葉を交わすことなく、二人はアリアの部屋に向かった。
誰にも見られたくない姿も、誰にも聞かれたくない話もある。

女子寮につくまでに何人もの生徒に目撃されたが、それすら今の二人にはどうでもよかった。
ドアを開けてリビングに入り、ソファーに座っても、アリアは里香を放そうとはしなかった。

むしろより強くしがみついて、体を預けてくる。
小刻みに震えている肩を、里香は空いている方の手で抱いた。

「・・・・・・・・ねえ、マリア」

やがて、アリアがポツリと呟いた。
蚊の鳴くような声だったが、二十センチと離れていない距離では十分に聞き取れた。

「曾お爺様は、生きていると思う?」

話題は、一見すると関係がないようなもの。

「あの人は、昔からそう言う癖があるでしょ? 今回も・・・・そうだと思う?」
「・・・・・・・・さあ」

もしかしかしなくとも、それを望んでいるであろう姉の言葉に、マリアは余計な希望は与えなかった。

「曾お爺様の寿命が迫っていた事は、紛れもない事実です。元より緋弾で長らえていた命。少なくとも私の『条理予知』は、間違いなく彼は死んだと答えを出している」

言葉は淡々としていて、まるで他人の書いた文章を読み上げているかのよう。
だが、アリアの持つホームズの直感が、その奥に潜む感情に微かな反応を見せていた。

「とはいえ・・・・・戦闘ならばともかく、あの人の行動を全て予測するのは、私の未熟な推理では不可能ですが」
「・・・・・・そっか」

再びの静寂。
時計の針の音だけが聞こえる室内は、しかし痛々しいものではなかった。

話していても一向に顔を上げないアリアだったが、既に体の震えは止まっていた。
愛しい家族の体温は、今のアリアにとってこれ以上ない安心感を与えてくれる。

マリアがいなくなり、母親と引き離されてからの数年間、一時も感じることのできなかった暖かさを、手繰りよせるようにして噛み締める。
今のこの時間が、どれだけ危ない均衡の上で成り立っているのか、いかに考えるのが苦手なアリアでも理解していた。

触れ合うことにすら周囲の目を気にしなければならず、間違っても他者のいる空間で妹扱いなどしてはならない。
昔と違い、会いに行くのも、甘えるのも、こうして寄り添おうとするのも、自分だけだと分かってる。

幼い頃は少しからかっただけで涙を浮かべていた妹は、あのロボット・レキにも引けを取らないくらいに無表情になった。
しかし、その瞳の奥に何かしらの想いが覗いているのは気づいている。

昔から何となくの感覚だけでしか役に立たない直感が、ことマリアに関してだけは異様なくらいに力を貸してくれる。
心の中では――――なんとなく笑ってくれている気がする。困っている気がする。疲れている気がする。戸惑っている気がする。気遣ってくれている気がする。

朧気であるにも関わらず、間違いないと断言出来るという矛盾。
奥底でくすぶるように揺らめいているそれは、何故だかとても弱々しいと感じるのだ。

―――まるで、今すぐにでも消えてしまいそうなくらいに。

「・・・・・・ママの裁判がね、もうすぐ始まるの」

思考を塗り潰すために、口を動かした。

「証拠も集まったし、早くて九月には高裁判決が出る。そこで無罪になって、検察が上訴しなければ――――釈放される」
「そうですか」

変わらず、他人事のような返事をするマリアに、アリアは内心でクスリと笑った。
話を切り出す際にちゃっかりマリアの横顔を見ていたアリアは、マリアの瞳の揺らぎを敏感に捉えていた。

もっとも、他人が見たところでわかりはしないだろう。それくらい微量で、刹那の一瞬だった。
・・・・自分がこの話をすると予想していたくせに、反応せずにはいられないのだ。この子は。

そう思った瞬間、胸の中に暖かいものが広がる。

(変わってないよ。マリアは・・・・・・変わってない)

誰に何と言われようと、アリアはそう思う。文句など言わせないし聞く耳も持たない。
立場とか、今までやってきたこととか、表面的な性格だとか、そんなものは本当に些細なことだ。

そんなもの、武偵でなくたって、犯罪者でなくたって生きていれば変わるものだろう。
変わらないものはある。今までも、これからも、変えさせてなんかやるもんか。

そう心に強く誓い、マリアの腕をより強く抱き締めた。

「そうしたら、ロンドンに帰ると思う。イ・ウーも解散したし、あたしが日本に来た理由もなくなったしね」
「・・・・・キンジさんとは、どうするのですか」
「っ・・・・・・」

呟くようなその問いに、アリアは口を閉ざした。
なるべく早口で捲し立てようとしていたが、絶妙な間隙を突かれてしまった。

聞いて欲しくはなかったけれど、避けられないとも思っていた。

「そりゃあ・・・・・パートナーは解消ね。キンジじゃ外国でなんてやっていけないだろうし。あいつ馬鹿だから、英語すら満足に出来ないし、あの訳わかんない状態になんないと鈍臭いし、それに・・・・・・・・・」

終始キンジを小馬鹿にするような言葉だったが、間もなくそれは尻すぼみになっていく。
収まっていた震えが戻り、涙が滲みそうになる目をぎゅっと閉じた。

「それにあいつ、レキとつ、つ、付き合ってる、みたい、だし。信じられないわよね。あのレキとこ、こい、恋人、だんてね。あの子はそういうの、興味ないんだと思ってたけど」

付き合ってる。恋人。いちいちビクビクしながら話すアリアを、マリアは止めない。
全て吐き出すのを待つように。爆発することを許すように。

「ママの裁判も終われば、ロンドンに帰るわけだし・・・・・・・どの道もうお別れよ。また忙しくなって、あまり学校にも来られないし、たぶん今日が最後になったかもしれない・・・・・・のにっ・・・・・あたしっ」

キツく引き結ばれた口は、もうこれ以上は言わない、言えないというようにその先を語ろうとはしない。
しかし、

「―――姉さん」

それは非情なのか、それとも別の何かか。
何より心の内を暖める存在は、だからこそ、その殻を容易く打ち破る。

「キンジさんは―――――良いパートナーでしたか?」
「っ―――――」

ビクリッ、と、アリアの体が大きく跳ねた。
意地でも流すまいとした涙が溢れ出し、堅く閉ざした口から嗚咽が漏れ始めた。

「そん・・・・なのっ・・・・・っ、当たり前、じゃない! もう絶対っ・・・・・あんな奴、見つかんないわよ! 見つけられるわけないっ」

今にも崩れ落ちてしまいそうなアリアの頭を、マリアがそっと抱き寄せる。
マリアの肩に顔をうずめて、アリアは静かな慟哭を流し続ける。

「無理矢理巻き込んだのに、キンジは一緒に戦ってくれたっ。文句ばっかりだったし、面倒くさそうだったし、あたしのこと鬱陶しがってたけど・・・・・・・最後はいつも助けてくれた。武偵やめたがってたのに・・・・・ボストーク号の時に、あたし裏切ったのに、連れ戻しに来てくれた事がすごく嬉しくて」

涙で制服が濡れるのを、肌で直接感じた。

「忘れたくなくて・・・・・・忘れて欲しくなくてっ・・・・・でも、どうしていいかわかんなくて。そしたら・・・・・二人が、あんなことしてたの見て、わけわかんなくなって・・・・」

思い出すだけで苦しくなる胸の内を、どうすれば治せるのか。
どこまでも不器用に、自分の気持ちを持て余す姉に、マリアは息をはいて目を閉じた。

いつの間にか腕ではなく体に抱きついていたので、左手で体を支えつつ右手でアリアの頭を撫でる。

「最高のパートナーでしたよね」
「・・・・うん」
「離れたくないですよね」
「うん」
「―――大好きですよね」
「―――うんっ!」

答えるごとに腕の力が強くなる。
きっと、最後の応答に自覚はしていないだろう。

勢いというか、心がいっぱいでまともに聞こえてすらいまい。

「ごめん・・・・・ごめんねマリア。約束したのに、あたし・・・・」
「・・・・・ふふ」

弱々しい謝罪に、マリアは思わずといった様子で笑った。

「先に破ったのは私の方じゃないですか。姉さんが謝る必要なんてないですよ」
「・・・・でも、それでも、ごめん。もう、キンジ以外に考えられないから」
「その通りです」

遮るように肯定され、アリアの方がピクリと動いた。

「姉さんのパートナーはキンジさん。キンジさんのパートナーは姉さん。誰も文句は言いませんし、私が言わせません。ホームズの相棒は唯一無二。代替なんてどこにも存在しないのだから」

まるで、それが世界の法則だとでも言うように、マリアは朗々と語る。
あまりにもハッキリと断言する妹の態度に、アリアは少しづつ安らいでいくのを感じた。

―――その通りも何も、キンジはレキが好きなのに・・・・・。
そんな反論が頭の隅に浮かんだが、出かかるわけでもなく消え去った。

ずっと奥底で、誰かに言って欲しかったのかもしれない。
ワガママで、身勝手で、独占欲丸出しもいいところな願いを・・・・・それで良いと、頷いて欲しかった。

「だから今は、とりあえず全部吐き出してしまいましょう。余計なものを抱えていては、面倒が増えるだけですから」
「・・・・・・・マリアぁ・・・・・う、ぐすっ・・・・・うあぁぁ」

少しずつ、確実に、やがて大きな声を上げてアリアは泣いた。
体を完全にマリアに預ければ、半端な姿勢だった二人はポスンとソファーに倒れ込む。

泣きじゃくるアリアを、ゆっくりと撫でてあやすマリア。
それは何分、何十分も終わることなく。泣きつかれたアリアが眠るまで続くのだった。

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緋弾のアリア 神崎・H・アリア (PVC塗装済み完成品)
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