小説『バイカ』
作者:今田()

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  *


 裏庭は山だった。

 この屋敷自体山の中にあるのだからおかしな表現かもしれないが、裏は普通に杉の木が生えた山の続きが広がっていた。

 垣根はない。

 屋敷と山の間の、前の庭に比べれば微少な裏庭には、薪が積み重ねてあった。

 薪割りの途中だったのか、大きな切り株の上に割られる前の丸太と、それに半ば食い込んだ斧が置かれている。

 木と屋敷に挟まれ、日の光は届かず薄暗い。

 今いる場所だけでなく、今いる時間も分からなくなる。

 古い木壁と軒下に山になった薪、斧。

 時代すらも分からない。

「誰かいませんか?」

 古く冷たくよどんだ空気を振り払おうと、声を大にしてみる。

 初めから期待はしていなかったが、やはり返事がない。

 裏庭にこれ以上いても意味はない。いたくもない。


  *


 おかしい、誰もいないのはどうしてだろう。

 屋敷の周りを一周したのに、誰とも出会わない。

 あの少女はどこへ行ってしまったのか。

 張りつめた空気の中、濃密な梅の香りだけが屋敷の周りにまでただよう。

 だれも彼もが梅の花の海に溶け込んでしまったのではないか、または自分自身が香りの海に深く沈んでしまったのではと、現実離れした不安が生まれる。


  * 


 そもそも、本当に屋敷を一周したのだろうか。

 どうしてこれだけ歩いているのに、あの誰かを迎え入れようとしていた玄関にたどり着かない。


  *


 家の中はどうなっているのだろう。

 家の主は何をしているのだろう。

 きっとあの薄暗い、しんと張りつめた家の中で、迷路に迷った旅人を静かに眺めて楽しんでいるのだ。

 少女を追って、鬼ごっこの鬼になってしまった哀れな少女を。

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