小説『利己主義者の世界』
作者:キリン(ストラムメッセンジャー)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

放課後の誰もいない校舎を歩き回るのは、柳の趣味ともいえないささやかな楽しみである。
以前に拾った鍵の束がどこの部屋のものなのか調べるのが楽しかった。
1つは屋上の鍵だった。それがわかってから、柳たちは屋上で昼食を食べるようになった。
わりと新しい銀の鍵は、体育館の裏にある倉庫、鈍い金色の大きな鍵は使われなくなった古い音楽室、似たような金の鍵は音楽準備室、小さな金の鍵はその音楽室のグランドピアノ、それから、昼でも暗い北階段の下にある扉、そこから地下に降りた階段の先にある物置。

…こんなあちこちの鍵の束を落とすなんて、うっかりどころかただの馬鹿だわ。

部屋の鍵をこっそり開ける度、柳はそう思う。この柳のささやかな探索をおもしろがったアンナが自分もやりたいといいだし、暇があればアンナと柳は学校中の鍵を開けて回っていた。



――この日、柳は1人で人目を避けながら校舎の最上階を探索していた。
なんの為に使われていたのかよくわからない教室の扉を開けて、なんの為にあるのかわからないホルマリン漬けを見つけて柳の探索は終了した。

校庭に面した廊下の窓から外を覗けば、サッカー部と野球部が練習にいそしんでいた。
日が暮れかけているが、練習が終わる気配はない。それは体育館も同様で、カーテンが引かれた窓からオレンジの光が漏れていた。

…まだ帰るには早い。

また大学の練習室を借りてピアノを弾こうかと柳は考える。
大学の施設を借りることができると知ってから、柳は高校の練習室よりも大学の練習室に通うようになった。理由は単純、高校の練習室のピアノはアップライトで、大学のピアノはグランドピアノだったから。
うまく時間を工夫すればまず使用可能であることもわかった。

…どうせ弾くならグランドピアノ、アップライトは家のピアノで十分よ。

前期試験の課題曲の練習でもしておこうかと考えて、柳は教室へ戻る。立て付けの悪い木製のドアを開けようとして、手を止めた。
誰もいないはずの教室から声がする。中を覗くと、女子生徒が4人、椅子に座って話し込んでいた。

構わずドアを開けようとして、

「――柳ちゃんって」

もう一度、柳の手が止まった。かまびすしい女子生徒のおしゃべりが廊下まで聞こえてくる。

「柳ちゃんって、たまに、3年生と一緒にいるの見るけど、あの人はなんなんだろう。彼氏?」

「あー、バスケ部のさあ、色白くてさあ、背高い先輩でしょ。あの先輩かっこいいよね!」

「えっ! かっこいいかな、なんかあの人怖いよ……」

「それが渋くていいと思うんだけど。アタシ、チャラいの無理」

「ええ? でもピアス開いてんの見たよ。これって若干チャラい要素」

「今時、ピアスなんてチャラかろうがなんだろうが開けるじゃん」

「そうかなぁ」

「あの目付きがいいよ。大和魂を感じるね!」

「意味不明……」

「てゆうか、あれって彼氏じゃなくて、お兄さんらしいよ」

「嘘っ!!?」

「柳ちゃんから聞いたわけじゃないけど、兄妹なんだって、あの2人」

「そういわれてみれば似てるかもねー」

「でも、仲良すぎじゃない? 普通、兄弟と同じ高校に通うのって抵抗あると思うけどな」

「アタシ兄弟いないからわかんないけど、そういうもんなの?」

「アタシも兄貴いるけど、あんま仲良くないよ。てゆうかウザい。小学校同じだったのも微妙に嫌だったし」

「それは拒絶しすぎでしょ」

「ええ、そんなことないと思うけどなあ。だって家族が毎日学校にいるんだよ? 親父が毎日学校に来てたらどう思うって」

「そりゃ嫌だけど、兄貴と親父は違うでしょー」

「おんなじようなもんじゃん。小学校と中学校はまだ我慢できたけど、高校まで一緒なんてありえないわー」

「ブラコンでシスコンなんじゃん? なんか笑えるー」

「そういう感じにも見えないけどなー。もっと、こう、なんていうかなぁ」

「ねえ、本当に兄妹なの?」

「えー、本当だよぉ」

「実は彼氏ですとかじゃなくて?」

「違うと思うけどな。彼氏、どんなだかわかんないけど」

「彼氏いるの……ってゆうかあれだけ美人ならいないわけないかー」

「どんな人なのかな。うちの学校の人かな?」

「音楽科の男子ではないよね。音楽科はモヤシの巣窟だし」

「でも案外、七三分けの御曹司みたいな、堅っ苦しい真面目さんタイプかもよ! 黒ぶちの眼鏡とかかけてるような!」

「あはは、真面目御曹司! あり得そう」

「本人に直接聞いてみたいよね」

「柳ちゃんに? うーん、でも正直、話しかけにくいよね」

「なんかあの人、別世界の人間だよね。本当にアタシと同じ女なの!!? って思っちゃう」

「ちょっと怖いぐらいきれいだよね」

「もう、なんか、お人形さんだよねぇ」

完全にタイミングを逸した。何故、さっきすぐに扉を開けなかったのかと柳は激しく後悔した。
神那が彼氏だと思われていたことに関しては失笑するより他ないし、本当の恋人は真面目な御曹司どころか、金髪でバイクを乗り回す、見てくれはまるでヤクザのような男である。
長谷川大和の顔付きや目付きには人を怖じ気づかせる力があった。
粗野で品性に欠ける雰囲気や、時折見せる下劣な笑みを除けば大和も美男の部類に入るだけに、整った顔が嫌な迫力になお一層の拍車をかけていた。
外見だけならまだしも、中身もひねくれ捻れ歪んでいて、とてもじゃないが「見た目は怖そうだけどいい人なのよ」などといって紹介できるような人物ではない。

それから女子生徒達のかまびすしいおしゃべりは、音楽科の男子についての話題へと移行していった。
2組の男子はみんなモヤシだけど、1組はそれなりにしっかりしたのが揃ってる。それに金持ちの坊っちゃんが多い。特に、学年トップのナントカくんはかっこいい……等々。

今がこの時とばかりに、柳は勢いよく扉を開けた。
華やいだ空気が一瞬で凍りつくのを柳は肌で感じた。化け物でも見るような目付きで女子生徒達が柳を見ている。

「や、柳ちゃん……」

ひきつった笑顔を見せる女子生徒に、柳はどんな表情を返すべきか迷いに迷って、結局、いつも通り無表情で荷物をまとめ、さっさと教室から飛び出した。

「…き、聞かれたかな?」

後ろ手に扉を閉めると、すぐさま会話の続きが聞こえてきた。

「聞かれたって構わないよ、別に、悪口いってたわけでもないんだから……」

「それはそうだけど」

「あ、ブラコンとかシスコンとかいっちゃったりした気が」

「………」

「で、でも怖かったぁ、迫力あるよねぇ、迫力っていうか目力みたいな!」

柳はそっと自分の目元に手を当てた。廊下の窓に顔が写っている。
窓に近寄ってまじまじと自分の顔を見つめる。
誰もが美しいと誉め称える花のかんばせ。人形のような白磁の肌。細い鼻筋。黒い扇のまつ毛。滴り落ちる真っ赤な、唇。
しかし、誰も柳の顔を「可愛い」とはいわなかった。人形のような、あるいは美術品のような美しさを誉めそやすばかりで、かわいげがあるといわれたためしがない。
その原因の大半は自分の目にあると柳はなんとなく理解していた。
おそらく父親譲りであろう切れ長の瞳は、改めて観察すると、何やら剣呑な光を帯びていた。
大和や自分の兄の目が物騒なほどぎらついて眼光鋭く見えていたが、柳自身の目もなるほど、彼らと同様、鋭利な冷たさを放っている。

柳は窓ガラスに写る自分の顔にそっと触れた。そして、呼気を窓に吹き掛けるようにして囁く。

「冷たい」

-16-
Copyright ©キリン All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える