小説『利己主義者の世界』
作者:キリン(ストラムメッセンジャー)

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(1)

『何が少年を凶行に駆り立てたのか。真面目な少年の心の闇は。』

もしも俺が人を殺したら、俺につけられる見出しはこうだろうか。
訳知り顔の評論家が雑誌で、テレビで、俺の心の闇とやらについて語るのだろうか。

例えば俺に、猟奇的な映像を見て喜ぶだとか、動物を解剖してまわるだとか、そんな趣味があれば「いつか殺ると思ってた」といわれもするところだが、あいにく俺にはそんな趣味はない。
俺の部屋をいくら探したって、俺の精神の異常性を説明できるようなものは出てきやしない。

ないものはないのだから、出てきようがない。

それできっと、俺が殺人を犯したのは「心の闇のせい」がどうのこうのということになる。

心の闇。おかしな言葉だ。

さも事件についてわかったような顔をしている言葉なのに、本質を何も捕らえていない。
だというのに、心の闇といわれれば、なぜだか漠然と納得させるだけの力がある。


自分の名前が嫌いだなんだと文句を垂れるつもりはさらさらないが、事実を1つ言うと、俺はこの名が原因でいじめられたことがある。
神那、というのは文豪からとった名だとか、どこぞの武人の名だとか、妖怪を退治した退魔師の名だとか、それなりに理由ある名前らしいが、詳しいことは俺の知るところではないし、もう知ることなどできないし、知ったからといってこの名が珍妙であることに変わりはない。

もう何年前のことであろうか。
よく覚えていないが、“カナ”というどこからどう考えても女の名前にしか聞こえないこの名は子供の間で嘲笑の的となっていた。

幼い時分は周囲の人間に名前で蔑まれることが嫌で嫌で仕方なかった。
親が子に授ける最初の贈り物が名前だというなら、俺にとってこの名前は一番最初に授けられた呪いであった。

俺のアイデンティティーを示すもっともシンプルで根元的な記号、神那という名前はいつも烙印として俺についてまわった。

当たり前だが俺は今も神那という名だ。
しかし現在はこの名前が呪いであったなどとは思わない。思っていない。思わないことにしている。

何故なら俺がこの名前について悩むこと、これこそが呪いであって、悩めば悩むほど、気に病めば病むほど俺は呪いの術中にはまりこんでいっていることになる。

この泥沼から脱け出す方法はいたって簡単で、俺がこの名を呪いだと考えないようにすることである。
自分には呪いがついてまわっている、という思考から逃れられないこと、こんなに不幸なこともあるまい。

もちろん、急に意識しないようにしようと思ってできたわけではない。
俺がこの呪いから抜け出すことができたのは、ある出来事がきっかけだった。

野蛮なことだと思うだろうか。
ある日、俺は普段から俺を笑っていた連中を殴り付けた。
弁明も申し開きもしない。奴等が俺を罵っていたとしても、普段からつまらない嫌がらせをしていたとしても、俺が奴等を殴ったことは揺るがない事実だった。

その時の気持ちを俺は今でも覚えている。

頭に血が上って、という感覚はまったくなかった。むしろその逆で、頭の芯の部分はひんやりとしていた。
こいつらを殴る。そしてこいつらを黙らせる。ただそれだけだった。
もっといえば、俺はそいつらを殴りたいと思っていた。「暴力はよくない」などどいう考え方は微塵も浮かんでこなかった。

俺には心の闇なんて曖昧なものはない。暴力をふるうなら、そこまでに至る過程と理由がある。
それはどこまでも明快で、闇などと呼ばれる筋合いはない。

俺の中にあるのはエゴだけだ。ただ1つ、そのエゴがあるから俺は殴るし、殺すし、それを望むだろう。
俺は誰にも誓わない。誰にも祈らない。俺は俺の頭を信じる。

「本当の不幸とは何か」

そんなこと、俺にはどうでもよかった。

誰の為でもない。俺は俺の為に、ただエゴを満足させる為に、“あの男”を殺すだろう。

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