小説『利己主義者の世界』
作者:キリン(ストラムメッセンジャー)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 *

夕飯時、商店街は活気づいている。
食材を買い求める主婦たちに混ざって、柳と大和は八百屋の店先で野菜を選んでいた。

――待ち合わせをした2人が向かった先は、デートスポットでも洒落た店でもなく、大和が一人暮らしをしているアパートの近くにある商店街だった。
滅多なことがない限り、外食をしない2人は大抵この商店街で夕飯の用意を買っては自炊をしている。

「今日は? 何にするの?」

柳が尋ねると、大和は白菜を指差した。

「白菜安いし、鍋だな」

「肉? 魚?」

「魚」

「わかった」

「あとは、ネギと、きのこと、にんじんか?」

不良じみた格好をしている大和が真剣に野菜を品定めしている姿は、いつも柳の笑いを誘った。
鋭い三白眼を細めてえのき茸を探している大和を見て、柳はくすりと笑みをこぼした。

アンナなんかに言わせれば「なんで外食じゃなくて自炊なわけぇ? 商店街で買い物するのなんてデートっていえないし。ないわー、絶対いや、ありえなーい」といったところだが、いつもならば大学が終わった後、すぐさまバイトに行ってしまう大和と過ごせる時間は、それだけで柳にとっても大和にとっても貴重だった。
商店街で買い物だろうと、夕食が自炊だろうと、そんなことは柳にはあまり関心がなかった。
それに、大和がバイトで貯めた金を使うことができないのも柳は知っていたし、柳自身、手持ちが豊富にあるわけではなく、外食なんて贅沢ができる状態ではなかった。

「野菜買ったし、魚買ったし、こんなもんでいいだろ。柳、なんか買うか?」

「ううん、特にない」

「アイスでも買ってやろうか」

「アイス? ふふ、なあに、その言い方。おじいさんみたい、大和」

「何いってんだ。そこののぼりが目についたんだよ」

呆れ顔で大和が指差した方向に「ソフトクリーム100円」と旗が立っていた。大和は店に近寄ると、愛想の欠片もなくソフトクリームを二つ注文して柳の元へ戻ってきた。

「おい、それ、よこせよ」

そういうと、大和は柳が持っていた魚屋の袋を無理矢理引ったくる。

「いいよ、持てるもの」

「うるせえな、いいから黙って貸せ」

代わりにソフトクリームを2つ柳に渡す。

「…それで、自分はどうやって食べるつもり?」

呆れ半分で柳は苦笑した。
最初から大和が持っていた八百屋の袋と、柳から取った魚屋の袋とで、大和の両手は塞がっている。大和は右手ですべての荷物を持つと、空いた左手で柳からソフトクリームを受け取った。

「ほらな、どうにかしようと思えばどうにでもなるんだよ」

「ふふ、変なの」

「何がだよ」

「よくわからないけど可笑しい。なんか笑いたい気分」

大和は憮然とした表情で「なんだそりゃ」と呟いた。柳は答えないままソフトクリームに口をつける。

周りを見れば、母親と買い物に来たらしい幼児が柳と同じようにソフトクリームを食べている。母親のほうは店先で他の主婦と話し込んでいたが、幼児はじっと柳の顔を見つめていた。
ああやって、親と一緒に買い物に来たことなんてなかったな、と柳は何となく思った。

…買い物っていったら、いつも神那と一緒に来たっけな。
神那はせっかちだから、さっさとしろっていって、よく腕引っ張られてた気がする。
大和はどうだろう。大和も、弟と一緒に歩いたりしていたんだろうか。

柳が大和を見つめると、大和は「なんだ、もっと食いてえのか?」と首をかしげた。

「俺のはもう全部食っちまったよ」

呆れて「違うよ……」と答えたら、なんだかどうでもよくなった。

その時、先ほどから柳を見ていた幼児が「ママー」と母親の服の裾を引っ張った。

「ママ、見て、あのお姉ちゃん、お人形さん」

幼児の人差し指は紛れもなく柳を差していた。瞬間的に、周囲にいた人間の目がすべて柳に向いた。
自分の顔から血の気が引いていくのが柳にもわかった。思わず柳はうつむく。
大和だけは平然とした調子で「今更だけど、お前、なんだってそう目立つかな」といって、柳の肩に手を置いた。
母親は「こら! 他の人指差しちゃだめっていってるでしょ!」と幼児を怒鳴り付けていた。
それから柳に向かってすまなそうに会釈する。

「だって、あのお姉ちゃん、お人形さんみたい、ねえ、ママ、ねえってば!」

と幼児は粘っていたが、母親にポカッと頭を叩かれると静かになった。
「感心な母親じゃねえか」と大和が小声で囁く。

大和は軽く辺りを見回して、惚けた顔で柳を見つめる中年のサラリーマンを睨み付けた。
サラリーマンは慌てて目をそらして足早に立ち去る。同じようににやにやと柳を見ていた男達も怯えたように目をそらした。

「…私」

うつむいた柳の顔は気の毒なほどに蒼白だった。

「そんなに見せ物みたいな顔なのかしら」

大和は肯定しなかったが否定もしなかった。

呪いだ、と柳は思った。“あの女”の真っ赤な唇が目の前をちらついた。

『柳ちゃん』

甘ったるい高い声が聞こえる。ふっくらした真っ赤な唇はいつも艶やかで、開いたり閉じたりして男を誘っている。
柳の唇は“あの女”のように肉厚ではなかったが、色合いだけはまったく同じで、口紅を塗らずとも異様に赤かった。

大和はため息をついて一言「バカ」と吐き捨てた。何がバカなんだ、と抗議の意味もこめて柳は大和を見上げる。
大和は苦笑してさっさと歩いていく。

「いいから、ほら、帰るぞ」




大和が住んでいるのは、ワンルームのアパートだった。ワンルームとはいえ、間取りも広めに取ってあり、バス、キッチン、トイレ付きで、それなりに小綺麗だった。
家具の類いがほとんどないことも影響して、1人で暮らすにはいささか広すぎるような印象すらあった。

昔、何気なく柳が大和に、このアパートについて聞いたところ、大和がここに住もうと思ったのは、一重に家賃の安さに惹かれたからだといわれた。

「そんなに安いアパートには見えないけれど」

と柳がいうと、大和は、

「幽霊がでるとかでないとかっていうもんだから、不動産屋が家賃3分の1にしたんだよ」

とどうでもよさそうに答えた。

「幽霊って……嫌じゃないの?」

「すっげえいい身体の女の霊だったりしたら、むしろ歓迎だろ。おっさんなら塩でも撒いとく」

「じゃあ、すっげえいい身体の幽霊が出たとして、それでどうするわけ……」

「幽霊とヤれんのか試してみる価値あるじゃねぇか」

柳は呆れたが、若干感心もしてしまった。



鍋、と決められていたその日の夕食の下ごしらえに2人で取りかかる。しかし、肝心の鍋が見当たらない。柳は台所の戸棚を片っ端から開けて頭を突っ込んでいたがなかなか見つからない。

「大和、鍋は? ないじゃない、どこにしまったの?」

魚をさばいていた大和は「そこじゃねえか?」と戸棚の一番下を顎で指した。

「ないわ」

「ないわけねえだろ」

「ないって……あ、あった」

「だからあるっていってんじゃねぇか。おい、柳、生姜。あと酒」

生姜と調理酒を渡すついでに柳はひょい、と大和の手元を覗き込む。
大和は慣れた手つきで魚の腹を開くと、内蔵を取り出して水で軽く濯いでいた。

「服に血ついても知らねぇぞ」

魚をぶつ切りにしながら大和がいう。
使い込まれているのか、大和が握っている包丁には砥ぎあとが無数に走っていた。
大和の外見と合わせてみると、何か犯罪に使われた包丁なのではないかというような気もしてくるが、さすがにそうではないらしい。

「ふふ、さすが大学生ね、上手上手」

「何いってんだ、大学生かどうかは関係ねえだろ」

苦笑する大和に、柳も笑って答える。魚をさばき続ける大和のそばで、柳も野菜を鍋に盛り付ける。

「あ、そうだ、味付けはどうするの?」

「お前に任せる。その辺にあるので適当に」

「じゃあ味噌使おうかな」

「冷蔵庫」

「うん」


さして時間もかからないうちに鍋は完成した。2人で鍋を囲む。ダシの良い香りが部屋中に漂っていた。
白菜の緑の中に、柳が飾り切りにした人参が花びらのように散っていた。単なる輪切りよりも見栄えがいい。
大和は「料理番組じゃねえんだぞ」と、完全にあきれ顔だったが、無視して柳は人参を花の形に切った。
『料理は見た目も含めて味わうものだろ』という兄の言葉の意味が少しわかったような気がした。

「美味しそうだけど……なんだろうこれ、何鍋?」

「魚鍋だな」

「そのままじゃない……」

「仕方ねえだろ……」

いただきます、と2人は揃って手を合わせてから鍋に箸を伸ばした。

-7-
Copyright ©キリン All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える