小説『利己主義者の世界』
作者:キリン(ストラムメッセンジャー)

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 *

照明をすべて消した部屋のなかで、白い裸体が2つ、うごめいていた。
もう何分こうしていたんだろうか。
ベッドサイドで淡く青い光を放つデジタル時計に柳は視線を巡らせる。一応、時間は確認したが、何分経過したのか、計算まではできなかった。

どちらのものかもわからない汗が、肢体にまとわりつく。
足が、腹が、胸が、肌を重ね合わせている部分が、じっとりと濡れ、柳は不快感から大和の胸板を押す。はねのけるつもりが、まったく力もはいらず、逆に大和に腕を押さえつけられてしまった。

「自分から動きたくなったのか? なんならお前、上に乗る?」

嘲笑うように言われて、柳は違うと叫ぼうとした。が、柳の口から溢れたのは、大和の動きに悦んでいるとしか思えない嬌声だった。
空気を求めて開いたままになっている柳の口を、大和は自らの舌でもって塞いだ。

大和の余裕が憎らしかった。もっと憎らしいのは、だらしなく喘いでいる自分自身だった。

いかなる大和の動作も必ず柳に快感をもたらし、腹立たしさも憎たらしさも、身体に与えられる心地よさと共に霧散した。
口を手で塞ぎ、歯を食い縛っていた柳を見下ろして、大和は冷たい微笑を浮かべる。
大和に何かいってやろうと柳は散り散りになった思考を手繰り寄せていたが、ある一点を大和が突いた途端、頭の中が真っ白になり、身体がびくびくと痙攣した。
同時に一際高い嬌声があがる。

「ここか……?」

確認するように問いかける大和の声色にもなんとなく余裕がなくなっていた。
おそらくは他の箇所よりも敏感であろうその部分を、浅く擦ったりかき混ぜたりする度に、柳は喘いできつく大和を締め付ける。
気が狂いそうな感覚を必死で抑えながら柳は大和を仰ぎ見る。
どうやら限界寸前なのは柳だけでもないらしかった。息を荒げ、堪えるように顔を歪める大和がこの上なく妖艶に見え、柳は大和の姿を直視することができなかった。
不意に自分の姿から目を反らした柳に、大和は不満そうな声をあげる。

「…どこ見てんだよ、ちゃんと、こっち、向かねぇか」

「だって……」

「なんだよ」

「大和、が」

「ん?」

「大和、顔が、色っぽくて……見てると、だめ、だめだわ、変な気分になるの……」

予想もしていなかった柳の答えに大和は爆笑する。柳に恨みがましい目で睨め付けられても、大和は涼しい顔で更に柳に迫った。

「…ははっ、俺の顔が? 色っぽいって!!?
それで、何よ、見てると、興奮しちゃうってか?」

なんという恥辱、屈辱だろうか、と柳は思いながらも小さく頷く。そんなこと聞いて何が楽しいの、そう柳は抗議の声を上げたが、すぐに愚問だったと悟る。

…楽しいのだ、この男にとっては。

大和は自身を柳から引き抜くと、柳の身体を抱きかかえて起こした。
まだ笑いを含んでいる大和の表情を見て、柳はとてつもなく不安になる。大和の表情は、何か嫌な悪戯を考えついたような、そんな表情だったからだ。

「なあ、お前、上に乗れよ」

えっ、と思わず柳はひきつった声を出した。それから、できない、とぶっきらぼうに答えを返す。
大和の笑みは悪魔の笑みそのものだった。鋭い瞳を細め、薄い唇を横に引いて、にやにやと笑っている。
何故か柳は急に、蛇に睨まれた蛙の気持ちがわかったような気がした。

大和は柳の首に優しく口付ける。腕は背中に回し、背筋から肩甲骨の辺りを指先でなぞる。
達する寸前で中途半端に熱を残された柳は、ただそれだけで冷や汗が吹き出して、身体が震える。

「できないって話もねえよなぁ?」

耳元に吐息を感じる。掠れた低い声で囁かれると、どうしようもなくなって、柳は大和を睨み付けながらも頷いた。
挿入されることには慣れていても、自ら挿入することには慣れていない柳からしてみれば、大和の上に腰を下ろすことは羞恥と恐怖の体験だった。
大和の先端を感じただけで、柳は歯を食い縛って甘い息を途切れ途切れに漏らす。
柳に睨まれても大和は涼しい顔をしている。
「変態……」と柳が謗れば、大和はねっとりと絡み付くような視線を柳に向けて笑って見せた。
自らの身体に食い込む異様な感触に柳は呻きながらゆっくり、体重を大和の上へ落としてゆく。
大和にしてみればあまりにじれったいものだから、「さっさとしろよ」と罵ってもよかったが、ここは紳士的にいこうとどうでもいい決意をしていた。
ただ柳の姿を眺めているだけでもそれはそれで一興だと思った。

舐めるような目付きで見上げてくる大和に、柳は耐えきれず声を上げた。

「見ないで……」

すかさず大和が答える。「何を?」

口惜しい、と柳は思った。
飄々としていて恥知らずなこの男には、何かいうだけ無駄なのだ。口に出せるわけがないだろう。
大和をくわえ込む私を見るなと、その結合部分を見るなと、快感に歪む顔を見るなと、揺れる乳房を見るなと、誰がそんなことを口にできるというのだ。
わかっているくせに、しれっとした顔でいう大和を柳は睨む。

「焦らしやがって、お前を見なかったら他に何を見てろってんだ」

そういうと、大和は柳の腰を掴んで、一気に下へ降ろした。急に自分の奥底を貫かれ、柳は背を反らせて悲鳴を上げた。白い喉が妙に艶かしかった。

「腰使え!」

半分怒鳴るようにいわれて、柳は目尻に涙を溜めながら腰を上下させた。その動きはまったく板についておらず、大和に悦楽を与えるには不十分だった。
しかし、柳が自ら腰を振っている姿は大和にしてみれば妙に新鮮で視覚的には十分に楽しめた。
しかも、柳の動きは大和に快楽をもたらす為にしているというより、自分自身が感じる場所を擦り付けているようで、柳が大和を使って自慰をしているかにも見えた。

焦らされるような形になっている大和は戯れに柳の胸に手をかける。柳が呻いて、強く大和を締め付ける。ゆっくり、時に強く柳の乳房を揉みしだき、指先で乳首を刺激する。
自分でやれ、と大和がいいながら手を離すと、柳は上気した顔で自らの乳房を刺激しだした。
腰を振り自らの手で乳房を愛撫する柳の姿は非常に倒錯的で、その眺めに大和の興奮は頂点に達していた。

「や、大和、もう……」

もうだめ、と柳がいう前に、大和はくるりと身体を反転させ、柳を自分の下に組み敷いて、上から強く突いた。
腰の骨が軋むかというほどの動きに柳は息を荒くする。喘ぎ声の合間に柳はやめて、と呟く。

「その顔たまんねぇな。もっとひどいめにあわせたくなる」

鋭い八重歯を覗かせて、大和が下品な笑みを浮かべる。

…いちいち嫌なことをいう男だ。

柳はそう思って顔をしかめた。

「目ぇ開けろ!」

大和の指先が輪郭をなぞる。親指が唇に触れる。
いわれた通りに柳は大和の目を見つめる。真下から射るように、じっと瞳の奥を見つめる。
その間も大和は強く腰を打ち付け、柳の身体を蹂躙する。堪えきれずに柳が目を瞑るとすかさず大和が怒鳴る。

「だめだ、閉じんな!」

柳の目から涙が溢れる。大和は柳の目尻に唇を寄せ、こぼれ落ちる雫を舌で拭った。
何か言いたげな表情で大和は柳を見下ろしている。
なんとなく悲しげなその表情に、柳の心はざわつき、焦燥感にも似た痺れが足の先まで駆け抜けた。

…どうしてそんな顔をするんだろう。

半ば乱暴に抱かれていても、大和の表情が気にかかった。そんな途方にくれた子供のような顔をしないでほしかった。可哀想だった。慰めてやりたかった。
しかし、可哀想だなんて、大和にそんなことをいったら激怒されるのは必至で、結局柳はよくわからない気持ちを抱えたまま大和の成すがままにされていた。

「ああ……大和、大和……!」

うわ言のように柳は繰り返し大和の名を呼ぶ。答えの代わりに大和は思うさま柳の身体の最奥へ、何度も何度も自身を突き立てた。
お互い、限界が近かった。
最後の瞬間まで、柳は目を閉じなかった。ひたと大和を見据えたまま悲鳴ともとれる嬌声を上げて、身体を痙攣させた。

大和も「うっ」と一声呻くと、柳の身体をきつく抱きしめた。柳も大和の背中に手を回してしがみつく。
喘ぎ声を漏らす柳に自身の唇を重ね、舌を絡ませる。2人の間を隔てるものは、薄いゴムだけだった。それすらじれったかった。
びくん、と大和の身体が硬く緊張したのが柳にもわかった。射精の瞬間はいつも男の肉体と女の身体の力の違いをあらためて柳に実感させた。

大和の腕の力が強すぎて、柳は苦しげな声を上げる。その声も塞がれた口から大和の中へ吸い込まれてゆく。
一分の隙もなく2人は繋がり、そして、共に果てた。



大和は柳の身体から離れて、手で汗を拭う。それから深くため息を吐いた。柳は乱れた呼吸が整うまで、大和の前に無防備な裸体を晒していた。しばらくの間、2人は無言だった。

ある程度身体に力が入るようになると、柳は上半身を起こして、ベッドサイドに置かれたミネラルウォーターに手を伸ばした。
ペットボトルは結露で濡れていた。柳が触れると、冷たい雫が指先から腕へ流れていった。
そんなことを気にするつもりにもなれないくらい、喉が乾いていた。一気に水を呷る。

大和は横目で柳の姿を見ていた。上下する白い喉を、肌を伝う玉のような水滴をじっと見つめていた。
乾いた喉を潤して、柳はほっと安堵したような息を漏らす。それから大和の視線に気付いて、ペットボトルを差し出した。

「飲む?」

大和は柳の手の上からペットボトルを掴み、喉を鳴らして水を飲んだ。ペットボトルから口を離すと、大和はぼんやりとした表情で柳を見た。

「なに……?」

首を傾げる柳に、そっと触れるだけの口付けを落とす。びく、と柳が震えた。
手とボトルを一緒に掴んだまま、大和は空いている手を柳の背中にまわし、自分の方へ引き寄せた。それから、もう一度、今度は少し強く唇を食んだ。

誰に促されるでもなく2人は舌を絡め合わせた。
距離が縮まって、柳の乳房が大和の胸板に当たる。柳は身を引こうとするが大和はそれを許さない。
柳が逃げられないように身体を固定してから大和は顔を離して、水を口に含んだ。
そのまま柳の口へ流し込む。柳は呻いて水を飲む。それをもう一度、もう一度、と執拗に繰り返す。途中で柳が困ったような声を上げた。

「も、もう、いらな……」

「飲め」

「そんな……」

「全部だ、飲め」

「やだ、大和、や――」

柳の口から水が溢れるのも構わず大和は口移しで水を流し込む。柳は苦悶の表情で水を飲み続ける。溢れた水は柳の顎を伝い、首から胸へと流れた。
ペットボトルの水をすべて飲み干す頃には、すっかり胸元が濡れてしまっていた。
大和は水滴を舌で舐め取ると、そのまま柳の乳房を吸った。柳は「ひっ」と喉をひきつらせて、弱々しく大和の肩を押した。

「な、なんで……また……」

「なんでって、別に何回ヤったって構わねえだろ。ゴムなら腐るぐらいあるしよ」

お前が失神するまで犯してやろうか、と大和が呟き、柳は必死で首を横に振った。
比喩でもなんでもなく、大和なら柳のことなどお構いなしに本当にやりかねないし、実際にできるからだ。

「冗談に決まってんだろ」

大和は愉しそうに笑うと、胸に顔をうずめ、一言「柳」とつぶやいた。
うん、と柳も小さな声で返事をする。糸のように細くて柔らかい大和の髪を指で撫で梳かしながら、柳は窓から射し込む月の光を見つめていた。

「…お前はさ」

「何……?」

「確かに可愛くねえけどよ。でも、別にいいじゃねぇか。それに、たまにならよ、可愛いときも、あるし……」

大和の言葉は最後のほうでぐずぐずと崩れて散った。意外なことを言い出すものだと柳は目を見張る。
柳は上ずった声で「ありがとう」と答えた。照れを悟られないようにしたかったが、無理だった。

カーテンを閉めていない部屋は微かな月明かりで青白く染まっている。
お互いの呼吸音だけが暗い夜の底で響いていた。

「ねえ……すごく静かね……」

大和は答えない。

「…大和?」

もう寝たのか、と柳は呆れた。動かない大和の頭を撫でながら、柳はぼんやりと夜空を見上げた。
大和と共に寂然とした闇に包まれていると、柳の心にも緩やかな安寧がもたらされた。
自分の部屋にこもって、身体を固くして過ごすよりも、大和と2人で過ごす夜のほうが余程安心できた。

“あの男”や“あの女”に脅かされる心配もなく、 夜の闇の中で何も考えずにいられることがこの上なく幸せだった。

「…このまま、こうやって……ずっと、静かに、眠っていられればいいのに」

誰にも知られずに、何者にも脅かされずに、闇に落ちて静かに。

「――そうだな」

独り言のつもりで呟いた言葉に、思いの外はっきりとした調子で返事が返ってきた。

「起きてたの……!!?」

「寝てほしけりゃ黙ってろよ」

大和は頭を上げて苦笑した。柳の顔にさっと朱が上る。顔を隠そうとした柳の腕を、大和が掴む。

「離して……」

暗闇の中で、大和は真摯な表情を浮かべながら柳の頬に手を寄せた。

「なあ」

「何?」

「寝るか? ずーっとよ、一緒に」

「え……?」

「二度と起きなくてもいいように……眠るんだよ」

息を飲んで柳は大和の瞳を覗き込んだ。闇の中で、大和の目だけが浮かび上がっていた。
大和はすぐに、

「…冗談に決まってんだろ」

と呟いた。苦衷を滲ませたその大和の声が、いつまでも闇を、柳の心を、揺らし続けていた。

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