小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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 真秀(まほ)と名付けられた人生、生きとし生ける全ての者に必ず終わりが来る。



 いくら強大な霊力(ちから)を持っていようと、命の潰えはきた。



 肉体は滅びても、魂は廻(めぐ)る。



 瑠璃(るり)と名付けられ、人の世に生まれ落ち、縁(えにし)を手繰(たぐ)り、再び灯(ともしび)は消え、そして。



 あたしは生を受ける。



 戦国(いくさのくに)、前田家の瑠螺蔚(るらい)姫として。











 途轍もなく長い長い時間を過ごしたような気分だった。



 生と死を何度も経験したような、感覚。



 ぱっと暗闇が弾けた。



 現実が、戻ってくるー…。



 深緑の襟元が見えた。それを上に辿ると、鎖骨が見えて、傷一つない白い喉が目に入った。



 あの時あたしが放った矢は、まっすぐここに突き刺さった…。



「ますみ」



 言葉は考えるより早く唇から落ちた。



「真澄(ますみ)!」



 あたしは目の前の首元に顔を埋めて泣いた。



「真秀」



 真澄は優しくそう言った。



「ああ真澄…!本当ね、真澄なのね…!」



「そうだよ、真秀」



「ここは後世なのね。佐保(さほ)も息長(おきなが)も和邇(わに)もない!」



「そうだよ」



「真澄…」



 あたしは真澄がいる実感を噛みしめた。真澄がいる。生きて、ここにいる。また、会えた。



「ねぇ真澄、あたしを残して死んだりしないでね?もう、離れたくない…」



 真澄は薄く笑っただけだった。あたしは不安に駆られた。



 なぜ、答えないの。



 流れ込む煙の量が先刻よりも大分多くなってきていた。あたしは苦しくなって咳き込んだ。



 真澄は静かに言った。



「この世でも、真秀は佐保彦(さほひこ)のものになる」



「なぜ!?あたしが、佐保彦のものになるなんて、そんな…」



 あたしは苦しさも忘れて叫んだ。



 けれど真澄はまた、微笑むだけで答えない。



「ずるいわ真澄。こたえて」



「真秀、はやくここを出るんだ。じきにこの部屋にも火がまわる」



「もう少し話していたいわ。霊力で煙や火をこの部屋にこないようにして」



 変わらず煙は一寸先も見えない程燻ったままだったが、そう言うと同時に目の痛みと息苦しさがすっとひいた。



「ありがとう。あたしがすればよかったかな。いつもの癖で、つい兄さんに頼ってしまうわ」



 あたしは霊力をつかおうとした。けれど、何の手応えもない。



「…真澄にはあるのに、あたしに霊力はないの?」



「今の真秀にはないよ。真秀は僕の甦りを願う時、僕の身を守れるくらいの霊力を併(あわ)せて流し込んだんだ。逆に真秀は自分が死ぬ時霊力の潰えを願った。だから僕だけ使えるんだ。覚えてる?」



「覚えて、ないわ…ただ悲しくて…必死だったから」



 思い出すと、胸が心臓を握りつぶされたかのように痛む。



 あたしは真澄を救うことができず、この手で殺したのだ…。



「もうあんな思いはしたくない。あたしたち、ちゃんと甦(よみがえ)ったのよね?幸せになるために…」



 言いながら語尾は小さく消えた。何の因果か、瑠螺蔚(あたし)と兄上(ますみ)は、実の兄妹として生まれてしまった。母も、今度は父も同じ…。



 瑠螺蔚(あたし)は、兄上のことを恋愛対象としては一切見ていなかった。同母(いろ)の兄妹として生まれた以上仕方がないけど…。



 それでも、あたしにとって誰より大切な人なのは変わらない。



「真秀」



 その言葉と同時に強く抱きしめられた。



 触れた身体は、氷のように冷たかった。



「真澄!」



 あたしは思わず声をあげた。



「きっと目覚めたらすべて忘れてしまうだろうけど、命を費やしても最後に思い出してほしかった。この、一瞬の間だけでも」



 真澄は笑った。儚い笑みだった。真澄は、何かを覚悟している。なにを?



 笑顔を浮かべるあたしの頬が引きつる。



「な、に言ってるの?命って、最後って、真澄…」



「真秀、僕はいつでも真秀の幸せだけを願っている。忘れないで」



 額に真澄の唇が触れた。それが頬を辿り、あたしの唇と重なった瞬間、身体が引っ張られるような浮遊感に包まれた。霊力!



 真澄はあたしを翔ばそうとしている!



 あたしはそう直感した。



 ここで離れたらもう二度と会えない思いに駆られて、必死で真澄の着ていた濃緑の衣を意識してしがみつく。



「やめてーーーーー!真澄!」



(真秀。僕の身体はもう、持たない)



 あたしの意識も朦朧としてきた。淡々と聞こえるその声すら、薄い靄(もや)の向こうから聞こえてくるようでしかない。



「嘘!」



(本当だよ。霊力の限界を超えてしまったんだ。でも、こうなることはわかっていた)



「うそよ嘘!そんなの絶対に信じない!」



(ずっと一緒に、生きていたかった。真秀)



「やめて!これからもずっと一緒よ、そうでしょう!?そうと言って!」



 体の感覚がどんどんなくなってくる。けれど絶対にこの手だけは離したりしない。



 最後なんて信じない。



(真秀。…神夢(かみむ)を見たんだ。この世でも、真秀は佐保彦(さほひこ)と)



 空気が弛(たゆ)む。見えないけれども、真澄が微笑んだ気がした。



 真澄。嘘でしょう、真澄。



 折角また会えたのよ。なんで。なんで、あたしたち、また離れなければならないの。



 真澄は諦めている。生きることに。多分、神夢を見たというそれ故に。なぜなの。佐保彦の名は、確かにあたしの胸を苦しく締め付けるけれど。



 あたしがまた、この世でも佐保彦と逢う?



 そんなことはない。そんなことはないはずだ。



 だって、それならどうしてあたし達は夜見返(よみがえ)ってこうして巡り会ったの。真澄を見送る時、あたしは願った。今度は、正しい運命を歩みたい。あたしたちは別々の旅(うから)に育ち、巡り会い、争うべき憎しみも、傷つけ合う悲しみも持たず、ただ慈しみあう心だけを支えに幸せになりたいと。



 佐保彦を知らなければ、佐保彦に逢わなければ、あたしは真澄と御影(みかげ)しかいない世界で、ふたりだけを愛していられた。



 真澄を失いたくない。蕾(みかげ)はもう死んでしまった。御影とも母と子として会えた。でも、もういない。真澄まで、いなくならないで。



 そのためなら、あたしは高彬(さほひこ)を望んだりしないから。



(そういえば)



 真澄の声が優しく響く。それは懐かしい過去を語るような柔らかい口ぶりだった。



(前にも、似たようなことがあったね。あの野洲(やす)の邑(ムラ)で)



 あたしはどきりとした。



 真澄と御影とあたしがいた館に火がまわった事があった。真澄はひとり残りあたしと御影を安全なところへ翔ばした。けれどあたしは真澄のところへ舞い戻り、そして。



 胸が痛い。苦しい。どうして、思い出すだけでこんなに苦しいのか。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息が詰まる。



 そして、その時に気づいたのだ。佐保彦が愛しいと。



(今度は、戻ってきてはいけないよ)



 いいえ、真澄!



 あたしは戻る。何度だって。真澄があたしのことを想うように、あたしだって真澄のことを大切に想っているのだから。



(真秀)



 声が一層遠くなる。混濁する意識を引き留めようとあたしは唇を噛み潰した。



 絶対に、この手を離したりなんてしない。



 神夢なんて何よ。まだ見ない未来に絶望なんてしないで。生きているのは今でしょ?あたしは誰のものでもない。



 だから生きることを諦めないでよ、真澄!



(真秀、巫王(ふおう)の血脈は跡絶(とだ)えない)



 真澄の声だけが響く。凜々と。悠久に…。



「真澄…!」

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