小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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遠くで馬の嘶(いなな)きが聞こえた。



それを呼び水に、意識がゆっくりと覚醒する。



え…っと…なに、してたんだっけ…。



なんだか最近、こんなことが多いような…。



目を開けると、土臭いにおいと共に、そぞろに生えた草がとびこんできた。草…草!?



あたしってばなんてところで寝てるのよ!



あわててがばりと起き上ると、固く握りしめた左手に気がついた。指を開こうとしたけれど、余程強く握りしめていたのか痺れていて動かない。感覚のない指をやっと開くと、あたしの掌の真ん中にくすんだ皮紐のついた瑠璃色の勾玉があった。



なんで、あたしはこんなものを握っているんだろう?あたしの?こんなの持ってたっけ?



あたしは首を捻りつつそれを首にかけた。胸元に収まった勾玉を、指先で抓んでくるりとまわしてみる。



瑠璃色。深い、蒼(あお)の…。



はっとあたしは顔をあげた。



兄上!



怒涛のように記憶が戻ってきた。青ざめた顔の兄上。瑠璃色に光る瞳。その兄上がマホとかノチヨとか、なんだかよくわからないことを口走って、それから?



さーと血の気が引いて行くのを感じた。



え、待ってあたしなんでこんなところにいるの?火事、って誰かが叫ぶのが聞こえたのよ。そしたらまた兄上がわけわかんない事を言いだして…。



それからの記憶がない。



慌てて周りを見渡したあたしの目に明々とした炎が目に入ってきたとき、凍ったように呼吸が止まった。



轟々と燃え盛るその炎の中心は、間違いなく前田家だった。



あの中に、兄上がいる!



確信を持ってあたしは悟った。



そう思ったその一瞬で反射のように飛び起きた。



その目の前に、ふいに馬の脚があらわれた。あたしは目を瞑った。蹴られる…!



けれど、あたしは蹴られなかった。かわりに馬上の人が馬に振り落とされていた。あたしに気づいて咄嗟に手綱を引き、驚いた馬に振り落とされたのだろう。



男は盛大に舌打ちしてすぐに起き上った。何かを叫んだが、聞こえなかった。



その口の開閉で何かを叫んでいることはわかるのだろうけど、聞こえない。音がない。あたしの裸足の足が地べたの砂利と擦れる音も、騒然とする人のざわめきも、燃え上がる炎の音も。



あたしは目の前の男を突き飛ばすように走りだした。



あたしの心はただ兄上に向かう。あの炎の間中(まなか)にいる兄上へと。



やけに自分の動きがゆっくりに感じて焦れた。はやく、はやく。はやく助けないと。



兄上には霊力があるから大丈夫と、そんなことも頭をよぎったけれどなぜか不安だけが増した。



そうだあたしは不安なんだ。なぜか。そしてなにか抗えないものに惧(おそ)れている。あたしの力ではどうにもならないようなことに、絶望している。



いや、違う。あたしは絶望してしまわないように今走っているんだ。



誰かにあたしはぶつかって、その人と一緒にもんどりうって転げた。体を支えようとついた手のひらを強かに擦ったけれど、あたしは即座にはね起きてまた走りだそうとした。その時、腕を掴まれた。



「離してっ!」



振り払った腕をまた掴まれた。強く。何か叫んでいる。やめてよ離して!あたしは我武者羅に腕を振り回した。



次の瞬間、頭に響く強く激しい衝撃で、あたしははっと動きを止めた。頬にじいんとした痺れが熱く広がる。



「瑠螺蔚(るらい)さん!」



一気に世界が音を取り戻した。ばきりという屋敷の崩れる音、切羽詰まった人の声、入り乱れる足音、そういうものがすべて一斉に溢れだした。



あたしは腕を掴んでいる人を見た。高彬(たかあきら)だ。



あたしはカッとなって腕を振るったけれど高彬は離さなかった。



「離して!」



「しっかりしてくれ!どこへいくんだ、瑠螺蔚さん!」



「兄上がまだいるのよ、あの炎の中に!」



あたしの言葉に高彬は険しい顔のまま、ぴくりと眉を動かした。



「俊成(としなり)殿は無事だ」



そう、静かに言った。



「うそよ」



その言葉は口をついて出た。そう思って言ったわけじゃなく、考えるまえになぜか零れた言葉だった。



嘘。



涙が流れた。



悲しみが、堰を切ったように心に渦を巻いた。



「嘘じゃない。だから、とりあえず佐々家でもいい。どこでもいいから、安全なところに…」



「嘘よ。あんたは、嘘をついている。あたしにはわかる。離して!」



あたしは思いっきり高彬の頬を打って突き飛ばした。



高彬が驚いたようによろけて、その手があたしから離れた。



あたしはすかさず走り出そうとしたけれど、高彬に肩のあたりを掴まれそうになってごろごろと転がった。



すぐさま起き上ろうとしたけれど、高彬に馬乗りになられて肩を押さえつけられた。



ばたばたと手足を暴れさせてもひっかいても叩いても高彬は動かなかった。



自分の無力さに涙が出た。



「なんで邪魔するのよ!どいて、はやく!」



「しっかりするんだ瑠螺蔚さん!落ち着いて」



「あの中に!兄上がいるのよ!兄上が!」



「瑠螺蔚さん!」



あたしは高彬を睨みつけた。今まで、こんな気持ちを高彬に抱いたことはなかった。



あたしを邪魔する高彬が、いま、憎いんだ!



胸元が、カッと熱くなった。



「どいて!」



あたしが叫んだら、何もしていないのに、ふわりと高彬の身体が浮き近くの塀に叩きつけられた。



「キャーーーーーっ!?」



悲鳴が聞こえ、あたしは走りだした。もう屋敷は目の前なのだ。どこもかしこも炎に巻かれて門すら入口ではないけれど、兄上待っていて、助けに行くから!



「誰か瑠螺蔚姫を止めろっ!絶対に行かせるなっ」



高彬が後ろからそう叫んだ途端に、あたしは4人の男に次々と体当たりをされて地面に押さえられた。



高彬が近付いてくる。ぶつかった衝撃か、髪がほどけて散らばっていた。



高彬は、地に這(は)い蹲(つくば)るあたしの目の前に立った。煌々と燃える炎で、熱くその髪が煽られる。



「…」



あたしはすくっと立った。上に男が4人も乗っていたというのに、物ともせず。男たちはばらばらと落ち、あたしを恐怖で満ちた目で見た。



常識では考えられないこと。あたしは兄上のような霊力もないし、なんでこんなことができるのかわからない。けれどそんなことは今のあたしにとってはどうでもいいことだ。



「どきなさい高彬」



高彬は苦しそうな顔をしていた。



あたしは高彬の目の前に立ち、もういちど、弾きとばそうとしてー…目を見開いた。



「ごめん」



高彬は、本当に苦しそうにそう言った。その手は、あたしの腹部に食い込んでいた。



猛烈な吐き気と、息が詰るように意識が朦朧としてくる。



あたしは高彬の腕の中に倒れこんだ。



「…ごめん」



吐き気はあっても、吐くものがない。7日間も眠っていたらしいあたしには。



あたしはどろどろとした液体をえずきながら吐きだした。



目の前には、轟々と燃える炎の海がある。あの中に、兄上がいる。



気を失ってはだめ。兄上を助けなければ。



走りたい。走って、あの炎の中に飛び込んで、兄上を助けだしたい。



なのに、身体が動かない。悔しい。悔しくて、悔しくて、あたしの頬を涙が溢れた。もう瞳も開けないのに、涙だけが後から後から伝った。



「あに、う、え」



かすれた声で呟いた、それが最期かもしれなかった。

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