小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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「なんですって!?本当に父上が、そんなこと…」



 あたしは呆然とつぶやいた。



 話を聞いてみれば、こうだった。



 なんの気紛れか知らないけど、うちの父上が村雨家の正室に手を出して、しかも村雨の正室がその気になってしまったらしい。



 しかし折(おり)悪く、村雨家は未亡人になった正室に次の夫を決めた直後だった。一途な正室はどうしても前田家に嫁ぎたいと折角決まった縁談を蹴ろうとしてしまう。



 仰天したのは村雨家の実権を握る重鎮や息子達。好いた惚れたじゃ生き残っていけない戦国の世。村雨の正室は言うことを聞かないし、手を出された恨み辛みも相俟(あいま)ってこうなったら悩みの元凶前田の当主を亡き者にしてやろうと発六郎に命令が下ったらしい。



 それにしても…よくそれだけで前田家に手を出そうなどと思ったものだ。言っちゃ悪いけど、前田と村雨は月と鼈(すっぽん)ぐらいの石高の差がある。あれ言い過ぎたかな。そこまでいかないとしても、うちが嚔(くしゃみ)すれば飛んでいくぐらいの差はある。



 うちから言わせれば、逆恨みも甚(はなは)だしいわよ!



「父上はまぁ女好きだ…けど、義母上様がいたからにはそんなに他の女に手を出すようなこともしていないと…思うんだけど。村雨の正室は本当に、相手が前田家の当主だって言ったの?大体何でわかったの?前田と村雨って一切交流ないじゃない」



「忍んできた本人が、はっきりそう言ったらしい」



「そんなの!」



 あたしは叫んだ。



「本当に父上だって証拠ないでしょ!?」



「いや、前田家の証を持っていたらしい。それが何かは若が問いただしても頑として口を割らなかったらしいが」



 そうなってくるとあたしも「父上じゃない!」と言い張る自信がなくなってくる。今までの所行(しょぎょう)からして心当たりはなくもないし…。



 もし、本当に父上の浮気心が動いて、そんなことをしでかしてしまったのなら。



 事が事だけに、今度の今度は許さないわよっ!



「よし刀貸しなさい発六郎。いっぺん殴らなきゃ気が済まないっ!」



「いや真剣で殴ったら即死だと思うが」



「問答無用!」



「それに俺は今刀を持っていない。起きた時にはなかったから、おまえ持っているんだろう?」



「そりゃそうでしょ。それだけのことはしてる自覚ぐらいあるでしょ」



「まぁな。むしろおまえが俺を助けてくれたことすら夢かと思うが」



 発六郎はそう言って褥(しとね)の横に置かれた盆に目を落とした。



「なぜ、助けた」



「助けたつもりはないわ」



「そうか」



「そうよ」



「そうか」



「…あんた、何しに来たの。目的は父上?あたしじゃなくて、父上を殺しに来たの?」



「いや、村雨を出てきた」



 発六郎は落ち着いた声で言った。



「はぁ?なんでよ!」



「なんで、だろうな。もう嫌になった。前田に火をつけたのは俺じゃない。若だ。若は止められなかったが、何人か助け出せた…だがおまえの兄と母は、間に合わなかったようだ。すまない」



「やめて!謝らないで。謝られたらあたしは許すしかない。あんたを許したらあたしは…誰を憎めば良いの。こんなこと言わせないで、やだ…」



「すまない、瑠螺蔚(るらい)。いいよ、俺を憎め」



「なんで謝るの!あんたのせいじゃないんでしょ?あたし今あんたに酷いこと言ってるのよ!怒りなさいよ!なんで…」



 あたしは唇を噛みしめて俯いた。



 もう、やだ。あたし、汚い。心がどんどん汚れていく。



 誰かを憎まなきゃ生きていけないなんて悲しすぎる。あたしにはちゃんとあたしの足があるのに。



「もう、いい。わかった。あたしあんたを許す。今あんたが話してくれたことを信じる。あたしは誰かを憎み続けて生きていたくないから。兄上にも生きると誓った。あたしがこんな汚い心のままじゃきっとみんなが悲しむから、許す。あんたを、許すわ。だから、あんたも死ぬなんて物騒なこと言わないで前向きに生きなさいよ。何が嫌になったか知らないけれど、家出してないで、家族の元に戻りなさいよ」



「俺は、村雨の本当の子じゃない。家族はいない。だから、今となっては行くところもない。名すら、俺のものではない。だから瑠螺蔚、今後は俺のことを速穂児(はやほこ)と呼んでくれ」



「速穂児?村雨での名は、速穂だったじゃない。かわらないわ」



「いや、いいんだ」



「ええ?」



「いいんだ」



 速穂児は笑った。初めて見た気がする、憑き物が落ちたような優しそうな笑顔だった。



 そんな顔も、出来るんじゃないの。



「よし!とりあえずこの件をはっきりさせましょ。もうこっそり父上連れて村雨の正室に会いに行ってくるわ」



「俺も…」



「あんたは大丈夫よ?」



「いや、俺も行く。村雨へ穏便に忍び込むには勝手を知るものがいたほうがいいだろう」



「でも」



 身の安全は保証できない。あたしたちもだけど、速穂児は忍でありながら村雨を出たと言っていた。忍の足抜けは…あまり、例がない。守られるべき秘密を知っている忍びがその任を解かれる時は、その命と共に奪われることが多いからだ。



 そんなところへのこのこと戻っていくのは、わざわざ殺してくださいと言わんばかりではないか。



「危険なことはしない。大丈夫だ」



「…そう」















 でも。



 父上に会った村雨家の正室が発した第一声は



「この方、どなたですか」



 だったのだ。



 あれれ?

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