小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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「はぁ?」



 あたしと発六郎(はつろくろう)…いや速穂児(はやほこ)は同時に言った。



 それって…どういうこと!?



 村雨の正室は困惑したようにあたしたちを順繰りに見回した。



「速穂、あなた、いきなりいなくなったと思ったら、このような人たちを連れてきて…千集が心配していますよ。顔ぐらい見せてあげなさい。それに、この人たちは、一体どなたですか。あなたの妻ですか。もしや結婚の報告に…」



「妻!?い、いえ義母上、この人たちは…」



「村雨の奥方様」



 一気に挙動不審になった速穂児を押しのけて、あたしは膝を進めた。



「わたくしは、前田家の瑠螺蔚(るらい)でございます。突然このように押しかけ礼を失した振る舞い、誠に申し訳ありません。ですが、村雨家もあまりのなさりよう。こちらの理由はわかって頂けますね」



「まぁ、前田家!?」



 にわかに村雨の正室の表情が生き生きと輝きだした。



 なにやら話が通じていないぞと思った時、隣で速穂がそっと囁いた。



「瑠螺蔚。前田に手をかけた件、義母は一切知らない」



 それもそうか。自分の愛する男を殺されそうになってこんなにのほほんとしていられるわけがない。



「ええ、ええわかっております。それで、姫直々にいらして、ご用件は何かしら」



 あたしの手をとらんばかりの喜びように、あたしはふと憐憫(れんびん)の情をもった。



 夫を亡くしたばかりのかわいそうなこの人が、誰かにだまされているのは、もうほぼ間違いない。



 そしてその相手はきっと、この村雨の正室のことを、本当に愛しているわけではないのだろう…。



「村雨の御内室。こちらの人物に、見覚えはありませんか」



 あたしが指さす先、これまた状況のわかっていない父上を見て、村雨の奥方は首をかしげた。



「いいえ…申し訳ないですけれども、わたくしには…この方がなにか?」



「そう、ですか。ところで、父とはいつ出会われたのですか?村雨家と前田家は、これまであまり関わりもなかったように思いますが」



「ん?わし…」



「ちょっと黙ってて!」



 自分の話になったのを感じ取り、きょろきょろと所在なさげにしていた父上がここぞとばかりに話に入ろうとするのをはねのけて、あたしは村雨の正室に先を促した。



「瑠螺蔚姫。お父上から聞いてらっしゃらない?ああ、やはり自分の娘には言いづらいものですものね。忠宗(ただむね)さまがこちらに遠駆けにいらした際、落馬しておけがを負われてしまって、その際この村雨に立ち寄られたのです」



「いや、わしは」



「そうなのですね。父上は、村雨の御内室から見てどのような人でした?わたしは、家にいる父上しか知らないので…差し支えなければ、聞かせて頂けませんか。」



 あたしは父上を遮り、言葉を選びながら言った。



「忠宗さまは…とても…素敵な方で…優しくて…ええ、そう夫を亡くしたわたしにとても優しくしてくださって…」



なぜかそこで村雨の奥方はぼんやりと口を閉ざしてしまった。



「どうかなさいましたか?」



「…いえ、としをとるのは嫌ですね、わたし、忠宗さまのお顔、素敵すぎてよく思い出せないような」



 素敵すぎて、思い出せない?家を捨てる程好きな人の顔が?



 その場限りで誤魔化しているようには、みえない。



「その相手ってこんな顔じゃありませんでした?潰れたタヌキみたいな。ほらほら」



「ぐええ瑠螺蔚なにを〜」



 あたしは父上の顔をぐいと引っ張ると、村雨の奥方の方にずいと押した。



 奥方は心なしか身を引くと首を振った。



「いえ、忠宗さまは、少なくとももっとお顔周りはすっきりとしていて、瞳も大きく、年ももっと下だった、ような…」



「そうですか。つまりもっと美男子ですね」



 あたしはぽいと父上を放り出した。父上の恨みがましい目つきはいつものことなので、さらりと受け流す。



「それと、もうひとつ。父はいつからここにきていませんか」



「そういえば…もう、4月はたっている、ような…」



 薄ぼんやりとした村雨の奥方の答えを、あたしは頷いて聞いた。



「お騒がせしました。そろそろお暇いたします」



 あたしが立ち上がると同時に、速穂児も立ち上がった。



「速穂…」



 村雨の内室が引き留めるように速穂児を見る。



「あたし、父上だけ先に帰してくる。あんた、奥方と話したいことあるでしょう」



 あたしは小さな声で速穂児にだけ聞こえるように言った。



「話したいことなど、なにもない」



「いいから、ここで待ってて」



 あたしは村雨の内室に頭を下げた。



「御前失礼します。いくわよ、おじさん!」



「おじ…!?」



 あたしは父上を引っ張って速穂児が教えてくれた村雨家の抜け道を出た。



「瑠螺蔚なんだったのだ、まったく。わしは村雨の未亡人と会ったことなどないぞ」



「そうみたいね。とりあえず今日はありがとう。父上は先に帰ってて。元気そうで良かった。あとで説明するから、多分。それじゃ」



 ぶつぶつ言う父上を馬に乗せてあたしは送り出した。そもそも父上は馬が苦手だ。



 ひとりで遠駆けなんて、するわけがない。



 するとやはり間違いなく、父上じゃない誰か…。



 前田を騙(かた)るからには、前田家に恨みを持つ誰かが、村雨の奥方を陥(おとしい)れたことになる。



 それには、なんだか村雨の奥方の言動も疑問が残る、結構つかみ所のないものだったけど…無意識に庇ってる?ってこと?それにしてもなんか腑に落ちないな…。



「あなたが、いつか旅立つのは、わかっていました」



 あたしは歩みを止めた。いつの間にか、速穂児を残してきた居間へ、戻ってきていた。



「村雨家によく仕えてくれました。どこへでもおゆきなさい。あなたは自由です、速穂」



「義母上、長い間、お世話になりました。恩を返さぬ不肖(ふしょう)の速穂をお許しください」



「なにをいうの。親への恩は誰でも返しきれぬものですよ。そのぶん、あなたの子に注いでおあげなさい。…でも、そうね…。あなたは、千集と同じで、わたしも共に在った時間が長いから…やはりわかっていても、寂しいものですね」



「義母上…」



「千集にも会ってあげてください。あの子はあなたを実の兄のように慕っていた」



「いいえ」



「なぜ」



「もう行きます。二度と会うことはないでしょう。義母上、村雨は今が正念場です。父上が亡くなられて辛い気持ちはわかります。ですが人はいつまでも夢の中では生きていけない。私も苦しみました。でも、許してくれる人がいた。だから、こうして一歩踏み出せた。義母上、若は戦っています。村雨は憎しみで目が曇っている。支えてあげてください。母として」



「あなた、好きな人が出来たの?」



 唐突で思いもかけない質問だったのか、部屋の中の音が消える。



 中に入っていける雰囲気でもなく、あたしは障子の外で佇(たたず)んでいた。



「…はい」



 えっ!



「そう…恋は女を変えると言うけれど、あなたも守るべきものが出来たのね」



「義母上。あなたの恋しているお相手は、前田の忠宗どのではありません」



 今度不意を突かれたように黙るのは、村雨の正室の方だった。



「若と話をしてください。沢山。私たちは、命を奪うことに慣れすぎた」



「待ちなさい、速穂!それはどういう…」



 すっと障子が開いた。荒れる大海原を睨み付けているような厳めしい顔の速穂児が、さっとあたしの背を押しながら歩き出した。



 ちらりと見たその後ろでは、村雨の奥方が放心したように座り込んでいた。



「行こう」



「…いいの?」



「いい。言うべきことは言った」



「速穂!」



 そのとき、あたしさえびくりと肩を聳(そび)やかすような鋭い声が、速穂児の足を止めた。



 肩越しにみると、般若のような顔をした男が、ずかずかとあたしたちに近づいてくるのが見える。



 速穂児はあたしの体をくるりと返すと、その胸に抱き込んだ。



 ええ、なっ、なに!



「顔を出すな。若は前田瑠螺蔚の顔を知っている」



 あ、そういうこと。



「おまえ、どこへ行っていたんだ!…なんだ、その女は」



 動かない方が良いと判断して黙っていると、首の後ろに速穂の硬い手の平を感じた。



「…若。お暇を頂きに参りました」



「よく言う。俺と会わずにまたどこかへ行くつもりだったのだろう。速穂、忍の足抜けは、なにと引き替えか、わかって言っているんだろうな」



「はい」



 だめ!



 あたしは藻掻いた。大丈夫とでも言うように、速穂児はあたしの肩を一度叩いた。



「わかっているなら、戻れ。今ならまだ許してやる」



「若にも、義母上にも、わたしは返しきれない程の恩が在ります。救って頂いた命、ここで返せというのなら、返しましょう」



 だめだったら!



「…おまえ、変わったな」



 ぽつりと小さい声で、千集は言った。それはなにかに傷ついたような力ない声だった。



「おまえの命なぞ貰っても何の役にも立たん。言ってみただけだ。父上にも言われていた。おまえはいつか旅立つと。そのときは決して引き留めるなと。知っていたか、父が忍の術(すべ)を教えたのは、おまえがひとりでも生き延びていけるようにだ。ただ、まぁ、少しだけ、長く居すぎたな、おまえは」



 千集の声が遠くなった。こちらに背を向けたらしかった。



「ねぇ」



 あたしの顔に速穂児の掌がまわった。喋るなと言うことのようだ。顔を覆う掌は力なく添えられている。あたしは声を出さず速穂児を見上げた。



 ねぇ、速穂児。千集、泣いているんじゃないかな。



 涙は流していないかもしれない。でも、きっと心が啼いている。別れの寂しさに。



「行こう」



 速穂児に背を押され、あたしは歩き出した。



「村雨を出れば、おまえは知らなくて良いことまで知る」



「覚悟の上です」



「バカな、やつだ」



「若。本当の敵は、前田ではない。もう若は、村雨の主です。感情に目を曇らせることなく、強くなってください。何者にも負けない程」



 千集がなにか言ったが、もうこちらには聞こえなかった。



 速穂児の歩みが、知らず大きくなる。



 あたしは振り返った。遠くなる千集の背中。小さくなっていくそれは、萎れた老人のようだった。



 それは、変化という濁流に翻弄され呑み込まれる村雨家の衰退を思わせた。



「ねぇ」



「何も言うな、瑠螺蔚。俺が自分で決めたことだ。この村雨で生きてきた18年間、俺は常に全てのことに流され従ってきた。今初めて俺は自分の足で歩いているんだ。だから、何も言うな」



「…うん」



 この男も、きっと泣いている。



 涙を流して泣くのではなく、心が啼いている。



 速穂児は自由を得るために大切にしていたものを手放す覚悟を決めたのだ。



 不器用だ。男の人は。



 あたしは、前を向いたまま速穂児の横にそっと寄り添った。

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