小説『雲影の葬』
作者:雪篠(A BLANK SPACE)

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   *   *   *

 午後からは初子の計らいで、昨日の約束通り蔵の中を見せてもらうことになった。外がひどい天気だと聞きましたが、と礼太郎が遠慮の意を示すと、初子は、ふふっと微笑んだ。
「あそこに見える蔵へは、実は屋敷の中からも行けるんです。亡父が心配性で、自分の部屋から蔵への通路を作ったんです」
 なるほど、それならいつでも蔵の様子を窺いに行けるということか。そして、雨にも濡れずに蔵まで行ける。

 隠し扉のようになっている入り口をくぐると、薄暗い通路へと続いている。一本道なので迷うことはないが、蔵独特のひんやりとした冷たさが流れてくるらしく、こう暗いと少し気味が悪い。
 部屋から通路へ入る時と蔵の内部へ出る時と、その両方にそれぞれ違う鍵が掛けられている。いわば通路自体細長い部屋のようになっていて、非常時にそこへ立てこもることも可能なようだ。

「厳重なんですね」
「ええ、蔵へ侵入されるのもですが、蔵から屋敷に侵入されては困りますから」
 それはそうだろう。蔵が心配で部屋から行き来を可能にして、賊にそこから枕元に立たれたのではたまったものではない。



「この壺は?」
 蔵の中をあちこち歩いて礼太郎が見つけたのは、白緑(びゃくろく)に金と鮮やかな猩々緋(しょうじょうひ)とで花の文様の描かれた一抱えほどもある壺だった。薄暗闇にあっても優れた品であることのわかる美しい壺であったが、幾重にも厳重に封がなされている。
 初子は、はっとしたようにその壺を見、それから懐かしむような寂しいような複雑な表情を浮かべ目を伏せた。まるで、遥か昔に失くしてしまったものに想いを馳せる様にも似ている。

「蠱毒(こどく)を御存知ですか?」
「こどく、ですか?」
 突如問われた聞き慣れない言葉に礼太郎は眉を顰める。その様子を当然と取ったのか、初子はまったく気にした様子もなく言葉を継ぐ。
「巫蠱(ふこ)ともいいます。無数の蟲を壺に入れ、餌を与えずに封をし閉じ込めると、蟲達は腹を空かせ、互いに互いを喰らい始めます――そうして、最後に残った一匹を呪詛(すそ)に使います」
「呪詛……」
 初子の話は、彼女のような少女が口にするような話とは到底思えないものだ。礼太郎の背を冷たい汗が伝う。壺の中で犇(ひし)めき合う無数の蟲の姿を思い浮かべ、礼太郎は胸が悪くなった。

「最も強い毒虫が残ります」
 生への執着から他の蟲を喰らい、次第にただ喰らうという行為の方が目的となり、ひたすら貪欲に飢えを満たすことだけの生き物と化す。

 まさか、と礼太郎は吐き気を堪えるように口元に手を当て、ようやく呟いた。視線は正視できないものの壺へと向かう。ちらりと初子の方を窺うと、彼女は礼太郎を安心させるようにゆっくりと首を横に振った。目に見えて安堵した様子の礼太郎に、初子が微かに苦笑する。

「蠱毒の……最後の一匹は、どんな気持ちなのでしょうね」
 そう呟いた初子の目は、もう礼太郎を見てはいなかった。

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