品評会前日、学院の門の前には、学院中の生徒と教師が列を成していた。理由はもちろん、今日訪れるトリステイン王国王女、アンリエッタ・ド・トリステインを歓迎するためである。
多くの護衛を引き連れた馬車の中から姿を現した姫君に、生徒達は歓声でもって歓迎の意を表す。
藍色のボブカットを風に揺らし、空から舞い降りた天使のようなその美貌で、全ての者に祝福を与えんばかりに微笑む。その姿に、男女を問わず、全ての者が見惚れていた。
それは、彼女と並ぶほどの美貌を誇るアレクも決して例外ではない。学院長・オスマンの下へと歩み寄るアンリエッタに、敬愛と親愛の眼差しを送っている。
「……!」
ふと、王女と貴公子の視線が重なった。
微笑みながら口元に人差し指でフタをする姫君の仕草に、アレクは思わず苦笑する。アレは間違いなく、まだ幼かった頃よく使った『合図』だ。
「やれやれ…成長して少しはおとなしくなったと思っていたんですが、やはりお転婆姫はそう簡単に変わらないようですね……」
彼女の意思を理解し、『了解』の合図を送る。最近、王女としての自覚が出てきたと思っていたのだが、人間の本質はそうそう変わらないようだ。
「ま、なんとかしてみましょう」
しかし考えてみれば、彼女のお転婆に振り回されるのも久しぶりだ。たまには、子供の頃のように無茶をしてみるのも一興だろう。
光に満ち満ちた過ぎ去りし日を懐かしむかのように、銀の貴公子は笑みをこぼすのだった。
〜第10話 『トリステインの王族』〜
「え〜、それでは小話を一席」
その夜、ルイズの寝室では、使い魔により奇妙な催し物が開かれていた。家主である少女は、ベッドに腰を下ろしてその模様を眺めている。
「なぁデルフ、聞いてくれよ」
「いきなりなんだよ相棒」
なんだかよく分からないが、サイトはその手に握る剣と対話をし始めた。
「オレさぁ、このままでいいのか少し悩んでるんだよなぁ……」
「何がだ?」
「毎日朝から晩まで雑用ばっか押し付けられてさぁ……。正直うんざりしてるんだよね」
「ま、相手があの娘っ子じゃ仕方ねぇわな」
ルイズの耳と眉間の眉が、一瞬ピクリと動いた。
「だからさ、オレ独立して店でも開こうかと思うんだよ」
「ほうほう、そいつぁ面白れぇ」
「でさ、ちょっと練習に付き合ってくれねぇか?」
「おぅよ。望むところだ」
そこで話はいったん途切れ、サイトはデルフを壁に立てかけて数歩ほど離れた位置に立つ。
「ちょいとごめんよ」
最初に口を開いたのは、剣の方だった。
「へい、らっしゃい」
それに、少年が何かを手でこするようなような演技を交えつつ答える。
なんのことはない、これから劇を演じるようだ。どうやら、デルフが『客』、サイトが『店主』という役割を担って話を進めていくらしい。
「オメェも朝から晩まで大変だなぁ」
「いやいや、コレも仕事っスから」
「…つぅかよ、独立してまで洗濯屋って…それでいいのか?」
「いや〜…なんせ、トリステインに来てからコレばっかりだったもんで、クセになっちゃって……」
「ま、ワガママな貴族娘の付き人やってたんだ。それもしゃーねぇわな」
迫真の演技で、談笑する1人と1本。
「でもよ、とっくに縁を切った主人の下着まで洗ってやらなくてもいいんじゃねぇか?」
「いやまぁそうなんスけど…あの人、自分じゃなんにもできないから」
それを見る少女の肩は、小刻みに震えている。
「見てくださいよこの下着」
「ほぅ、なかなかいいデザインだな」
「でしょ? あの人、アレで結構オシャレなんですよね〜」
「…あの体型でか?」
「それ言ったらカワイソウっスよぉ」
談笑どころか大いに笑い合う剣とその使い手。
「アンタらは特技を見せたいのか、私をバカにしたいのか、いったいどっちなのよぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉおおッ!!」
瞬間、何かが切れる音と共に、室内に特大の雷が落下した。
目の前の扉の向こうから聞こえてくる、風を切るかのような聞き慣れない音と、そのたびに聞こえてくる絶叫に、フードを目深に被った少女はノックするのを少しためらった。
「…失礼」
不安そうにする彼女の心情を読み取り、同じくフードをかぶって後ろに控えていた少年が、彼女の前に出てドアノブに手をかける。
扉を開いてみれば案の定、乗馬用の鞭を振り回すルイズと、あまりの痛さから犬のようにわめき声を上げるサイトの姿。室内には、そんな予想通りの光景が広がっていた。
「「…ッ!?」」
ローブに身を包んだ来客2人に彼らが気付いたのは、ほぼ同時。
家主である少女は杖を握り、使い魔たる少年は長剣を構えて侵入者と対峙する。
「あぁ、怪しい者ではありません。杖をお収め下さい」
すると、1人がおもむろに怪しげなフードを取った。
ランプの明かりに照らされて輝く銀の長髪。宝石のごときエメラルドグリーンの瞳。その姿はまさしく、
「アレク!?」
サイトの身分違いの友人にして、ルイズの幼馴染たる少年だったのだ。
少年が思わず声を上げてしまったのも、仕方ないと言えよう。
「じゃ、じゃあ…もしかしてこっちは……」
見知った幼馴染の顔を確認したことで、ルイズの脳内をとんでもない予想が駆け巡る。
主従2人の視線が集まる中、残る1人もフードを取り、その素顔が淡い光の下にさらされる。
「久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
「ひ、姫殿下……!」
その正体とは、今朝方、学院に到着したばかりのトリステインの王女、アンリエッタ・ド・トリステインその人であった。
声を上げたルイズはもちろん、サイトですら驚きのあまりに目を見開いている。何しろ、シエスタの言う国民の象徴的存在が、夜分遅くに突然訪ねてきたのだから。
「い、いけません姫殿下! こんな下賤な場所へ、護衛も付けずに……」
ハッと我に返り、ルイズがその場にひざまずく。
「そんな堅苦しい行儀はやめて? わたくし達は、お友達じゃないの」
「もったいないお言葉でございます、姫様……」
困ったようなアンリエッタの言葉にも、ルイズはただただ恐縮するばかりだ。
部屋の外の様子を確認しつつ静かに扉を閉めているアレクも、これには苦笑している。
「あのー…どんな知り合いなの?」
疑問に思ったサイトが、右手で口元を隠しつつ横からルイズに問いかけた。
この2人の態度に温度差がありすぎて、その関係がよく理解できていないようだ。
「幼少の頃からの幼馴染ですよ。
姫殿下とミス・ヴァリエール、そしてボクの3人で、よく遊んだものです」
その質問に、半ば混乱から覚めていないルイズに変わり、アレクが答えた。
なるほどと言わんばかりに、サイトはポンと手を打つ。
「あぁ、ずっと会いたかったわ、ルイズ……」
そう言うアンリエッタの目には、大粒のしずくが光っていた。その様子に、思わずルイズはギョッとしてしまう。
「ああ、ごめんなさい。
父上が亡くなって以来、なかなか心を開いて話せる相手がいなくて……。
あなたはもちろん、お兄様も学院に来てしまったから……」
なるほど、一国の姫という立場は、なかなか大変なモノらしい。自身とそれほど年齢の変わらぬであろう少女の様子から、そう結論づけたサイトであったが、そこでふと、疑問が生じた。
「何? 『お兄様』ってことは…、学院に王子が通ってんのか?」
未だにひざまずいている主に、そう問いかける。
これにアレクは、再び苦笑いを漏らした。そういえば、まだ何も言っていなかったな、などと、今さらながらの考えがよぎる。彼としては、てっきりルイズが説明していると思っていたのだ。
「申し訳ありません姫様!
使い魔ごときに知らせるまでもなしと、これまで黙っておりましたので!」
「あぁ、そうだったのですか」
深々と頭を下げるルイズの姿に、納得した様子のアンリエッタ。サイトはわけが分からないといった様子で、フクロウのように頭をひねっている。
まだ気付いていないようだ。まあ、それも仕方のないことと言えよう。少女2人は学院に王族が通っていると証言するが、実際には『トリステイン』などと、国の名前をそのまま背負った人間など在学していない。混乱するのは至極当然である。
と、そこで、アンリエッタに促され、アレクが彼女の隣に立った。
「使い魔さん、ご紹介いたします。
こちらは、アレクサンドラ・ソロ・モン・ド・エルバート殿下。
我がトリステイン王国の、第2王位継承者です」
サイトの中で、一瞬、時間が止まる。
アンリエッタとアレクの笑顔が揺らめくろうそくに照らされ、ルイズは額を押さえて盛大にため息をついていた。
そう、彼こそが学院に通うこの国の王太子であり、アンリエッタの言う『お兄様』なのだ。
だが、サイトの中にはまだ疑問が残っていた。
「ちょ、ちょっと待ってください。だって、苗字が……」
トリステイン王家の姓は、その名の通り国の名前。しかしアレクの姓は『エルバート』。まったく違うのだ。どういうことなのかと、疑問を挟むのも当然だ。さらに彼は混乱のあまり、アレクに対して思わず敬語で話してしまっていた。
しかし、
「実に簡単なことです」
当の本人は、笑顔でそう語る。
多く、名家というモノには、分家というシステムが存在する。本家に後継者が生まれなかった際、またはソレが急死した際の、いわゆる『保険』だ。何かしらのトラブルが発生した時に、分家の人間を本家に呼び寄せ、世継ぎとするのである。
そしてそのシステムは、トリステイン王家においても健在のようで、すなわち、
「王家の分家…ボクは、その長男なのです」
と、いうことであるらしい。
苦笑しながらのアレクの言葉に、サイトは半ば放心状態だ。予想外の展開に、脳がオーバーヒートを起こしてしまっているようである。
とはいえ、冷静に考えれば、これまでにもヒントはいくらでもあったのだ。やけに偉そうにふるまっていたギーシュが敬語を使っていたし、モットなどは頭を床にこすり付けていた。さらには会う人すべてが、彼を『殿下』と呼んでいたのだ。むしろ気付かない方がおかしいとすら思えてくる。
「って、だったらなんでルイズは、普段その王子様とタメ口なんだよ?」
「そ、それは……」
サイトにしてみれば、アンリエッタにこれほど頭を下げる彼女が、アレクに対して普段は普通の貴族に対するのとなんら変わらない態度を取っているのが、不自然に感じたのだろう。または、普段から礼節がなんだと言われているため、不平等に思ったのかもしれない。
「ボクがそのようにお願いしたのですよ。
王子と言っても、所詮は『保険』……実質的には、少し位の高い貴族程度の権限しか持っていないのです。
第1の継承者であられる姫殿下にならばいざ知らず、ボクにまで恭しく接するのはやめてほしい、とね」
納得できないとばかりに、サイトがルイズに詰め寄ると、言いよどむ彼女に変わり、事の発端であるアレクがそう答えた。
アンリエッタの『お兄様』という呼称も、子供の頃からの、いわばクセのようなもので、実際に兄妹に当たるわけではない。強いて言うならば、『遠い親戚』である。
そもそも、『第2王位継承者』という立場すら、先代国王の妃、すなわち王女の母親が王位継承権を破棄したため繰り上がったに過ぎない。
ならば、立場上は他の貴族と変わらない。だから、普通に接してほしいと、三日三晩の説得の末、ようやく現在の状態に持ち込んだのである。
とはいえ、次期女王と目されているアンリエッタへの態度と敬愛は変化しようがなく、また、公の場では、アレクに対しても『第2王位継承者』として敬語で接しているのだ。
(……なんか、いろいろとメンドクセーな……)
平民出身の使い魔少年は、心の中でそう呟いたという。
「って! 何、姫殿下の前でボケッと立ってるのよ!!」
「ぐぉおおぉおおぉお!?」
その時、ふと思い出したかのようなルイズに頭を掴まれ、サイトは床に額を押しつけられてしまった。ゴスンという鈍い音が聞こえ、王太子は若干顔を歪める。かなり痛そうだ。
「よいのですよ。楽にしてください、使い魔さん」
「ボクも、今まで通りに接してくれるとありがたいです」
そんな使い魔少年に、王族2人はそう言ってにこやかに笑いかける。
不思議なことだが、トリステインでは下級貴族よりも王族の方が偉ぶらない傾向にあるようだ。
(カ、カワイすぎる……。それに、アレクはやっぱイイやつだなぁ……)
そんな少年少女に、まるで心のオアシスでも見つけたかのような目で見つめるサイト。彼の中での2人に対する好感度は、もう、うなぎ登りだ。
「何ジロジロ見てんのよ!」
が、再びルイズによって額を床に押し付けられることになる。今度は先ほどよりも強く押さえつけられ、床すらがミシミシと弱音を吐き始めていた。
「お許しください! まったく礼儀知らずで……!」
「あのモット伯に、盾突くくらいですものね」
どうやら、先日の一件はアレクがうまく治めたとはいえ、彼女の耳にも聞こえているらしい。
「あなたにも、会いたかったのよ?
貴族に立ち向かう使い魔さんって、どんな人かな、って……」
サイトの前にしゃがみ込み、そう語る。
まあ、そのような平民、ひいては使い魔は、確かにそうそういないだろう。普通ならば、相手が貴族だというだけで、皆ビクビクしているのだから。彼女が興味をそそられるのも、当然なのかもしれない。
「ルイズは、よい使い魔を召喚したわね」
「とんでもない! こんな下品で変な生き物、一生の不覚ですわ!」
「痛い…痛い……! 痛いって言ってんだろぉ……!」
アンリエッタは好評を呈するが、ルイズはあくまでもそう言う。
色々文句を言いたいサイトではあるが、彼もそれどころではない。断続的にあまりにも強く頭を押し付けられているせいで、今にも頭蓋が割れてしまいそうだ。
そんな主従の様子を少し離れたところから眺め、アレクはただただ苦笑を漏らすのだった。
友人2人と別れ、アレクとアンリエッタは足早に学生寮の廊下を歩いていた。コッソリ抜け出してきたことに護衛が気付く前に、戻らなければならない。
「…やはり、自由の身とはいいモノです。
そうは思いませんか? 姫殿下……」
「そうですわね。とても、楽しそうでした……」
2人の脳裏に蘇る、去り際のルイズとサイトの姿。
サイトがアンリエッタの前で格好をつけようとキザったらしいセリフを吐き、それにルイズが激怒してムチを振るう。慣れた様子でひたすら避けるサイトと、これまた日課のようにムチを振り回すルイズという、はたから見れば危ないことこの上ない光景。
しかし、あの2人はどこか、楽しそうだった。互いに本音をぶつけ合い、あるいは本気でぶつかっていく。何の気兼ねもない、純粋な友情の姿を、アレクとアンリエッタは目の当たりにした。
「……お兄様……」
ふと、自分に寄り添って歩く、実の兄にも等しい少年の顔に、アンリエッタは暗い影を見た。
常に他者を安心させるような、優しく頼りがいのある顔ではない。暗闇の先にある『何か』を見つめる、野心にも似た感情を宿した瞳に、年若い王女は身震いした。
いつからだろうか。彼が、心の底から笑わなくなったのは。いつになるのだろうか。彼が、まだ幼かったあの日の笑顔を取り戻すのは。
「…どうしても……止まってはくださらないのですか……?」
「…………」
返事はない。
悲しかった。何か答えてほしかった。昔のように、ただ一言にすら子守唄のごとき安らぎを乗せたその声で。
沈黙を保ったまま、ろうそくに照らされた石畳を抜け、少年は夜の闇へと消えていくのだった。