モット伯爵の一件から数日、サイトは1人、中庭で大の字になって寝転がっていた。
「…いきなり『なんか芸』とか言われてもなぁ……」
雲が流れゆく青空を見上げながら、ため息交じりに愚痴をこぼす。
今朝方、主である少女から、とんでもない命が下された。曰く、早急に何かしらの特技を身に着けろ、とのこと。
なんでも、召喚した使い魔を学院中に披露する『品評会』という催しが、なんと明後日に迫っているのだとか。当初ルイズは『言葉を話せるので気の利いたスピーチでも』と考えていたらしいが、言葉づかいがダメすぎるので却下となり、結果として現在に至っている。
見世物になるなど断固拒否したい彼ではあったのだが、その行事は全員参加の毎年恒例となっているようで、サボタージュは不可能であるらしい。
「まぁ、せいぜい頑張ってくれや、相棒」
傍らに置いてあるデルフリンガーが、どこか投げやりな励ましの言葉を送ってくるが、頑張ったところでどうにもならない気がしてくる。
「なぁ、デルフ。お前剣なんだから、何かド肝を抜くような芸の1つくらい、知ってるだろ?」
「バカ言うな。生憎オレは、実戦用だ」
真っ赤に錆びついていて、実戦用も何もあったものではないと思う少年ではあったが、特に詮索はしなかった。
「あ〜……どうすっかなぁ……」
一時は、『剣技を披露する』という案も主人の口から出たのだが、モットの屋敷に黄金の剣を携えて殴り込んだ際には、ギーシュとの一件がウソのように何もできなかった。
あの時は、まるで翼が生えたかのように身体が軽くなり、半ば無意識のうちに体が動いたのだが、やはりあれは何かの間違いだったのだろう。そう少年は結論付け、こうしてため息と共に悩みを漏らしている。
その時、
「サイトさん、何してるんですか?」
1人しかいないと思っていたところに唐突に話しかけられ、サイトは咄嗟に跳ね起きた。
振り向くとそこには、漆を塗ったかのような黒いボブカット。学院のメイド服を身に着けた、シエスタが立っていた。
挨拶をしようとしたその瞬間、数日前の記憶が彼の脳裏に蘇る。モットの邸宅から彼女を連れ戻したあの日、別れ際に頬にされたキスの感触が。
「あっ! いやぁ…ちょっと……!」
急に気恥ずかしくなり、跳び上がって数歩ほど後ずさる。言葉がしどろもどろなのが初々しい。
「もしかして、品評会の練習ですか?」
「そ、そうそう! ソレ!
…でも、よく分かったな……」
シエスタの口にした予想は、確かに図星だ。
しかし、ハッキリ言おう。今サイトは、芝生の上で難しい顔をして寝転んでいただけである。そんな場面を見ただけで、よく分かったものだと感心してしまう。
「2年生の方は、皆さん、訓練に一生懸命ですから」
合点がいったとばかりに、少年はポンと手を打った。ルイズのみならず、その級友達が品評会に躍起になっているのは、この学院では周知の事実であるらしい。
「特に今年は、アレク殿下が参加される上に、アンリエッタ様がいらっしゃいますし……」
「あー…まぁ、不死鳥なんて、そーはお目にかかれないしなぁ……」
不死の象徴を肩に乗せて悠然と立つ少年の姿を脳裏に描き、サイトはうんうんと頷く。なるほど確かに、不死鳥などという超レアモンスターを使い魔に持つ者が参加するとなれば、芸の1つでも仕込まない限りは目立てないだろう。
「…って、アンリエッタ様……?」
納得した様子の彼だったのだが、少女の口から聞こえた聞き覚えのない名前に若干遅れて反応を示し、少年は疑問符を乱舞させた。
〜第9話 『品評会前夜』〜
中庭から少し場所を移動してみれば、そこでは魔法使い達が各々の使い魔に芸を仕込んでいる最中だ。
その特性を生かした特技を開発する者、おしゃれをさせてみる者、果ては使い魔そのものに絶大な美を見出す規格外のナルシストまでいる。
「なるほどね。お姫様が見に来るのか」
シエスタから聞いた話を一言でいうならば、つまりはそういうことだ。
今朝のルイズの妙な慌てぶりも、どうやらソレが原因の1つであるらしい。
「アンリエッタ様は、陛下がお亡くなりになって以来、国民の象徴的存在なんですよ」
とはシエスタの談。なるほど、なかなか人気者の姫君のようである。
とはいえ、
「ホーホッホッホッ! 王宮からの贈り物はアタシのモノね!」
「あぁ、恩賞が目的のヤツも、いるわけね……」
高笑いを上げているキュルケのあの様子を見る限り、全ての人間がアンリエッタ王女目当てではないようだ。これにはサイトも思わず乾いた笑みを漏らす。なんと分かりやすいことか。
「私達も、お迎えの準備で大忙しなんです」
一国の姫が訪れるのだ。学院の使用人達は、文字通りてんてこ舞いなのだとか。
「…サイトさんも、頑張ってくださいね」
「あ……う、うん」
引き留めても悪いのでお礼の言葉と共に別れようとしたのだが、唐突に手を握られ、激励の言葉を贈られてしまった。彼女も気恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしてそそくさとその場を去ってしまう。
先日の記憶がまだ頭にちらついているのか、サイトはそんなとりとめのない返事を、駆けていく少女の後姿に返すことしかできない。
柔らかな風が、2人の間を優しく吹き抜けていった。
「おやおや、なかなかおモテになりますね、サイトさん♪」
「どぉおおぉおおぉおあ!?」
次の瞬間、なんの脈絡もなく背後からいきなり声をかけられ、少年は驚きのあまりに飛び退いてしまう。
大きく波打つ胸を押さえつつ振り向けば、そこにあるのは笑顔の絶えない、貴公子然としたアレクの姿。
「おぉおおぉおどかすんじゃねぇよ! 心臓止まるかと思ったじゃねぇか!」
「ははは、申し訳ありません。
姿を見かけたので、普通に近づいて普通に話しかけたつもりだったのですが。
それとも、何か聞かれてはまずいような話でも……?」
邪気のないそんな問いに、うっと、サイトは押し黙る。
別段、後ろめたいことは何もやっていないが、なんとなくバツが悪い。あの日、シエスタにキスされたことを、誰にも言っていないのもそのためだ。
とりあえず、できる限り平静を装い、「なんでもない」と答えておく。それよりも問題なのが、
「てゆーか、『見かけた』って、どこからだよ……」
これである。
確かに見られてもどうということはないのだが、やはりなんとなく気になるのだ。
「そうですね…『いきなりなんか芸とか言われてもさ……』、辺りからですけど」
「しょっぱなのしょっぱなじゃねぇか!!」
ビックリである。これほど目立つ銀色の髪の存在に、まったく気が付かなかった。この少年、実は暗殺者の才能でもあるのかもしれない。などというくだらない思考がよぎるのも仕方ないと言えよう。
悪気はないのだろうが、目の前でクスクスと笑うその仕草が、今だけはなんだか不気味で仕方ない。
「そ、そうだ、この前はありがとな。お前のおかげで、シエスタを助けられたよ」
このままではあの夜のことまで感づかれかねないと、サイトは慌てて話題を変えた。まだお礼をしていなかったし、機会があればしようと思っていたことも事実だ。別に不自然ではないだろう。
「いえ、サイトさんの行動がなければ、貴族による横暴を見過ごすところでした。
何より、これ以上女性が不幸になるのは、悲しいですから……。
感謝しているのは、むしろボクの方です」
するとなんと、アッサリと話題の変更に乗ってくれた。しかも、逆に感謝されてしまったではないか。
何やらキザっぽいセリフがさらっと飛び出たのは、この際無視するとしよう。曰く、王宮でも貴族の平民に対する横暴が密かにささやかれており、それには彼も頭を悩ませているのだとか。
「……もしかしてさ、前にも似たようなことがあったのか?」
「え……?」
ふと、サイトはそんな質問をした。
「いや…今、『これ以上女性が不幸になるのは―――』って言ってたからさ……」
それは別に、大した質問ではなかった。確かに、この国における平民達の立場が気にならなかったわけではないが、少年にとっては世間話程度の話題のつもりだったのだ。
しかし、
「当たらずとも遠からず…といったところでしょうか……」
そう言って悲しそうに笑うアレクの顔が、とんでもない地雷を踏んでしまったのだと、サイトに訴えかけてくる。
「…ま、まあいいや……! それよりさ、こんなのんびりしてていいのか?
他のヤツらなんか、躍起になってるぞ?」
サイトは慌てて、中庭の一角で使い魔に芸を仕込んでいる一団を指差しながら、再び話題を切り替えた。
知り合ってからそれほど長くはないが、常に笑顔を絶やすことのなかった貴公子のこんな表情を見たのは初めてだったのだ。過去に何か、苦い経験をしたことがあるのだろう。
「こんな直前に何かしたところで、大して結果は変わりませんよ。
やっている人は、召喚したその日からやっているのですから」
すると、たった今見せていた悲しげな顔が、一瞬で跡形もなく消え去った。そのあまりに素早い表情の変化に、『先ほどの表情は見間違いだったのでは』などという思考すら、使い魔少年の脳裏によぎったほどだ。
サイトが若干狼狽していると、アレクがおもむろに右手を頭上に伸ばし、どこからか彼の使い魔・ホークスが舞い降りてそこへ静かに止まった。
そのまま彼が腕を胸の前までおろすと、不死鳥は主人の首筋にもたれかかるように顔を摺り寄せる。はたから見れば、まるで仲睦まじい恋人同士のような仕草だ。
「それに何より、ボクにはできない……!
こんな愛らしい彼女に、犬猫のように芸を仕込むなんて……!」
「そ、そっスか……」
どうやら、この不死鳥はメスであったらしい。
先ほどの悲哀溢れる表情とか、不死鳥に雌雄が存在するのかとか、色々ツッコみたい少年ではあるが、目の前で繰り広げられるスウィートなやり取りを前に、気分がなえてしまった。どこか、金髪ナルシストとその使い魔を髣髴させる光景だ。
1人と1羽のそのやり取り自体が、もはや芸であると、本人達が気付くのはいったいいつになるのだろうか。
「当日は、門の警備に当たるように」
日の光の届かない塔の中。
コルベールが、宝物庫の前に常駐している警備兵にそう命じ、兵士は了承の言葉を残して立ち去っていく。
「ミスタ・コルベール」
そこへ、学院長秘書のロングビルが歩み寄ってきた。
「宝物庫の兵士を、門の警備に回すのですか?
『土くれ』のフーケが、ここの宝物を狙っていると聞きましたが……」
急にアンリエッタ王女が品評会に訪れることになり、人手がまったく足りないとはいえ、少々無防備が過ぎるのではないか。真面目な秘書はそう語る。
「いや、とはいえ、姫殿下の護衛が目を光らせておる時に、わざわざ入り込む賊もおりますまい」
確かに一理ある。だが、その裏をかく、という可能性も、ないわけではない。
「もっとも、この宝物庫の扉には、トライアングルクラスのメイジでも、歯が立たんでしょう」
が、どうやら彼は、この学院の宝物庫の防備に、絶対の信頼を寄せているようだ。そこは、学院長も同じ見解なのは彼女も確認済みである。
「聞き及んでおります。個人で破れるとすれば、アレク殿下以外にはまずいない。
その殿下ですら、破れるかどうかは五分と五分だと」
「ええ。そもそも我が校の衛士も、王宮に対して、体裁を繕っているようなものですからなぁ……」
油断していると思われるかもしれないが、事実なので仕方がない。
単純な火力において、1人のメイジは10人の兵士にも勝るのだから。凄腕の魔法使いが集い、あまつさえ最強の名をほしいままにする神童が在学中のこの学院において、警護の兵など、ハリボテも同然なのである。
年の離れた2人の男女は、巨大な扉を前にして、そう笑い合うのだった。