その人に初めて会ったのは、いつ頃のことだっただろうか。今となっては、よく覚えていない。
とりあえず記憶に残っているのは、
「カワイイわぁ! どこの坊ちゃんかしら」
そう言って目の前で体をくねらせるその姿が、当時の自分にはどう見ても不審者のソレにしか見えなかった、ということくらいだ。
〜第16話 『潜入捜査・前編』〜
ルイズは、目前に広がる光景に、口元をヒクつかせていた。
「いいこと? 妖精さん達」
『はい、スカロン店長!』
「違うでしょ〜!?
店内では、『ミ・マドモアゼル』と呼びなさいと、いつも言ってあるでしょ!?」
『はい! ミ・マドモアゼル!』
色々と露出の多い服を着た店員の少女達と、あまりにも露出過多なオカマ店長の間で繰り広げられる、そんな会話。
なんともアレな光景ではあるが、ここ、大衆酒場兼宿場である『魅惑の妖精亭』では、ごくごくありふれた日常であった。正直、頭が痛い。
彼女は今日から、使い魔である少年と共に、ここで働くことになっている。サイトは厨房の皿洗い、ルイズは目の前の少女達と同じ接客要因だ。
「ルイズちゃんはね、おとっつぁんに博打のかたに売り飛ばされそうになったところを、お兄さんと町まで逃げてきたかわいそうな子なの!」
そして今は、純白のウェイトレス姿に身を包んだ彼女が、新入りとしてスカロンの手で皆に紹介されている最中。
もちろん、店長のスカロンがハンカチで涙を拭きながら語る内容は、真っ赤なウソである。
彼女達は現在、『親の横暴から逃げてきた気の毒な兄と妹』という偽りの人物像を演じている。もちろん、ルイズは貴族の身分を隠し、2人とも平民であるという設定だ。
「る、るるるルイズなのです。よ、よよよっよろしくなのです!」
噛みまくりの自己紹介にもかかわらず、店の少女達から惜しみない拍手が送られる。
悲惨な身の上話に、その愛らしい外見も相まって、すぐにでも店員達のマスコット的存在になってしまいそうだ。当の本人は、乾いた愛想笑いを浮かべるのが精一杯の様子だが。
なぜ、彼女らがこんな状況に陥っているのか。話は今朝までさかのぼる。
フーケの一件からいくらか日が上った今日、2人は王女と王太子に、王宮へと招かれた。その目的は、
「あなた方に、しばらくの間町に出て、調査を行ってもらいたいのです」
いわゆる、潜入捜査の依頼である。
アンリエッタ曰く、最近になって、一部の貴族による平民に対する横暴の噂をよく耳にしているのだが、周囲の人間はそれをかたくなに否定するのだという。『貴族は平民の規範であり、そんなことはあり得ない』と。
しかし、以前のモット伯爵の一件を見ても、根も葉もない噂だとは思えない。加えて、平民との親交が深いアレクの証言を踏まえると、そういうことが以前から少なからずあったと思えてくる。
故に、どちらの意見が真実であるのか、中立の立場であるルイズ達に、しばらくの間、町で生活してもらい、その実態を掴んでほしい、ということだった。
「申し訳ありません。本来ならば、あなた方には関係のない事柄なのですが……」
とは、王女のそばに控える王太子の談。
本音を言うと、彼も幼馴染とその使い魔を、王宮、ひいては自分の都合に巻き込みたくはなかったのだという。しかし、コッソリと大衆の中に潜り込み、情報を集めるには、彼やその部下達は貴族の間で顔を知られ過ぎていた。正体の割れている潜入捜査など、まるで意味がない。
そこで、信用のおける人物で、かつ公式に顔があまり知られていない彼らに、白羽の矢が立ったのだ。
「難しい任務ではありますが、どうかお願いします。ボク達に、お力をお貸しください」
そう言って頭を下げるアレクに、ルイズは快く承諾したが、正直に言ってこの頃から、サイトは不安だらけだったという。
そして案の定、事件は起こった。
王宮発行の身分証明書と、王女から受け取った生活のためのわずかばかりの賃金を片手に、町に打って出るまではよかったのだ。だが、サイトの懸念通り、名家のお嬢様はやれ着る服が地味だの、馬が必要だの、安い部屋では眠れないだの、限りある資金という上限を知ってか知らずか、文句を垂れる始末。
挙句の果てには、
「ぜっ…全部スったぁぁああぁぁあ!?」
ちょっと目を離している間に、残り少なくなった金を増やそうと手を出したカジノで、一文無しになってしまったのだ。驚愕の声が少年の口から飛び出したのも、仕方ないと言えよう。
そんなこんなで、任務開始初日からつまずいて途方に暮れているところに、1人の男が声をかけてきたのだ。
「見ての通り、私は怪しい者じゃあ〜りません!」
しかし、そう語るその男の姿は、とてもではないが普通の人間ではなかった。
ボディービルダーではないかと思えるような、筋肉質な身体。角ばって顎の割れた、海賊船の船長を連想させるヒゲ面。やけにピチピチのノースリーブシャツとブルマのような短パンに身を包み、腰をくねくねと動かしているその仕草。紅をさしている厚い唇に、野太くも艶のある口調。
「いや…見るからにと、言った方が……」
どこをどう見ても、怪しさ満点である。それこそ、変質者といっても過言ではない。
ルイズが呆然と立ち尽くし、サイトが後ずさりながらそう漏らすのも、仕方ないと言える。
「あなた方に、ウチの部屋を提供してあ〜げましょうか?」
しかし、宿屋の主人だと名乗る男は、少年のツッコミなど意に介さずそう切り出してきた。
「本当ですか!?」
現在進行形で、今日の生活にも困っている少年は、願ってもない申し出に、目を輝かせながら食いついた。
正直あまり関わりたくない人種だったが、野宿をするよりかはいくらかマシだ。背に腹は代えられない。
「た・だ・し、条件が、1つだけ……」
というわけで、2人はスカロンの宿で世話になることになり、その代りの条件として出されたのが、彼の経営する『店で働くこと』だった、というわけだ。
店が開店し、ルイズを含む店員達は、ホールで客の接待を始める。なかなか人気のある店のようで、開店直後から常連と見られる客で店内は大賑わいだ。
「カワイイ妹さんだね」
「ど、どうも」
そんな中、使い魔の少年はというと、厨房で皿洗いをしながら、ジェシカと名乗る少女と会話を交わしていた。流れるような黒い長髪と、素朴ながらも整った顔立ちが印象的なこの少女、実はスカロンの実の娘で店の看板娘だったりするのだから驚きだ。
なんであんなボディービルダーの遺伝子から、こんな少女が生まれるんだとか、サイトは心の中でツッコみを入れるが、おそらくは母方の遺伝子なのだろう。
「ふ〜ん……」
「えと…何か……」
ジト目で見つめてくる彼女の視線と態度が気になり、少年は恐る恐る問いかける。
まさか早くも正体が露見したわけではないだろうが、色々とツッコミどころが満載の『身の上』なので、怪しまれているのかもしれない。
「うぅん。なんでもない。
店で分かんないことがあったら、なんでも聞いて」
「あ、はい、よろしくっス」
が、次の瞬間には少女は優しく微笑み、そう言ってくれた。どうやら、珍しい名前と顔立ちが、気になっただけのようだ。
その時、ホールにいたはずのルイズが、血相を変えて厨房に入ってきた。
「? 何やってんだよ」
「しっ! 静かにして!」
仕事を放り出してどうしたのかとサイトが問いかけるも、少女は黙るようにジェスチャーを交えてそう言うのみ。
不思議に思った皿洗い2人がホールを覗くと、信じられない光景がそこには広がっていた。
「トレビア〜ン! 殿下がいらっしゃるなんて、光栄ですわぁ〜!」
「いやいや、スカロンさんもお元気そうで何よりです」
「いやぁ〜ん!
『ミ・マドモアゼル』とお呼びになってと、いつも申しておりますのに!」
なんと、ホールの中央に設けられたテーブルを囲み、アレクとスカロンがグラスを酌み交わしているのである。
心なしか、本当に仲が良さげだ。あのアレクにしては珍しく、笑い声が厨房まで聞こえてくる。
「あ…あれはいったい……」
「何? 知らないの? かの有名な王太子殿下じゃない」
ジェシカは実に軽くそう言ってくれるが、問題はそこではない。なぜ、王子である彼が、よりにもよってこの店に来ているのか、という点だ。
「この店は、貴族もよく来るのよ。
殿下もよくこうやって、遊びに来てるってわけ」
何を今さらとでも言うように、ジェシカはそう語る。
「って言っても、女の子相手に話してるところなんて、見たことないんだけどね」
かと思えば、ため息交じりに愚痴りだしてしまった。
なんでも、彼は店に来るたびに顔なじみであるスカロンと飲むだけで、店員の女の子達には見向きもしないのだとか。
(ま…あのカッコじゃなぁ……)
(仕方ないわよね……)
とはいえ、サイトとルイズにはその理由が何となく理解できる。
おそらく、というか確実に、肌を露出した店の制服を直視できないでいるのだ。つくづく、イケメンのくせに純情な少年である。
「それにしても殿下、今日はいつにも増して上機嫌じゃありませんこと?」
「ははははは、最近友人が増えたので…そのおかげかもしれません」
「あら♪ そんな世界一の美貌だなんて…殿下もお上手なんだからぁ!」
「…一言も言っておりませんが……」
そして知らぬ内にもアレクとスカロンの会話は進んでいく。微妙にかみ合っていないのは気のせいだろう。
「…アレクが帰るまで、ルイズ厨房に回してもらっていいかな……?」
「…かまわないけど…なんで……?」
とりあえず、彼に自分達がこの店で働いていることを知られたくないサイトは、ジェシカにそう問いかける。
今は開店直後で、それほど忙しい時間ではないため、ジェシカも承諾はするが、さすがに理由が気になって質問を返した。
「…なんとなく、顔を合わせづらいというか、なんというか……」
「?」
そんな少年の返答に疑問符を浮かべるしかない少女。実際、その言葉は事実であるので、仕方ないと言えば仕方ない。
今日の朝、勇んで町に打って出たというのに、もらった金を使い込み、酒場で働いているなど、ハッキリ言って恥以外の何物でもないだろう。顔を合わせたくないのも当然だ。
その後、アレクが帰路に着くまで、厨房ではケンカをしながら皿を洗い続ける2人の姿が目撃されたという。
「じょっ…冗談じゃないわ!
な、なんで公爵家の娘が、あ、あああぁああ……!」
「まあまあ」
その夜、割り当てられた部屋で、ルイズは顔を真っ赤に染めて興奮気味に文句を垂れていた。
本人曰く、あの後ホールに復帰したのだが、店内でいやらしい客にとんでもないことをされかけたらしい。もっとも、すかさずスカロンが割って入り、その客をうまい具合にあしらったのだが。
何はともあれ、サイトはそんな少女を、必死になだめている。
「とりあえず、宿と飯の確保はできて、その上、金だってもらえるんだからさ」
まさに、一石二鳥。いや、三鳥である。これ以上何かを求めるのは、贅沢というモノだ。
「宿ってどこよ? この物置みたいな屋根裏部屋?」
しかし、ルイズはこのホコリだらけで小さなベッドくらいしかない宿泊先が、どうも気に入らないらしい。やはり、公爵家息女のプライドが許さないのだろう。
だが、この『魅惑の妖精亭』には貴族の客もよく来るとジェシカが言っていた。実際、アレクが来ていたので、その信憑性は折り紙つきである。
情報収集の場としては、極めて理想的だ。これで、今回の任務中における大半の問題がほぼ解決したことになる。あとは、身分を隠して偵察を続けるだけ。多少のことには目をつぶらなければなるまい。
「アンタはいいわよ……。あんな娘とヘラヘラ楽しげに……」
「娘?」
「な、なんでもないわ!」
ふと、少年は彼女が口をとがらせつつ呟いた言葉が気になった。いつものようにそっぽを向いたその顔には、わずかながらの赤色が差している。
「第一、貴族の私をこんなところで寝させる気?」
が、すぐさま不機嫌そうな表情の中に隠れてしまう。
「寝たくなければ勝手にすれば?
今日は色々ありすぎたから、疲れたよ」
サイトは、床に布を敷いて作った敷布団にもぐり込みつつ、そう切り出した。
雨風をしのげて、快適とは言い難いが暖かな布団まである。これ以上の贅沢は、ハッキリ言って罰が当たるというモノだ。
というか、彼的には1つしかないベッドを譲っているので、文句を言われる筋合いはない。
「アンタ、なんでそんな簡単に順応できんのよ……!?」
「ま、それだけが取り柄だし。それに、いつもとあんま変わんねぇし」
そう言って、少年はアッサリと夢の世界に旅立っていった。
いつもワラの上で寝ているだけあって、劣悪な環境で過ごすことに、なんの抵抗もなくなっているらしい。ハッキリ言おう、これは、明らかにルイズのせいである。
「……ふぅ……」
話し相手すらいなくなったホコリが舞う夜のボロ部屋の中で、ルイズは深いため息をついた。静かな室内に、窓から聞こえる虫の音だけが小さく響く。
仕方がないとばかりに、意を決してホコリくさいベッドにもぐり込むも、一向に眠れない。
横を見下ろすと、使い魔はいつの間にか気持ちよさそうにイビキまでかきはじめていた。
(まったく…ご主人様があんな格好させられて、なんとも思わないわけ……?)
見知らぬ男達に、不必要に肌を露出した格好を見られたのだ。少しは怒ってしかるべきである。
にもかかわらずこの使い魔は、こともあろうに厨房で平民の娘とヘラヘラ談笑していた。思い出せば思い出すほど、なんだかモヤモヤとした気分になってくる。
その時だった。不審な物音を聞き取り、音源である天井へと目をやる。
「きゃあっ!?」
そこには無数のコウモリがぶるさがっており、突然、翼をはばたかせて襲い掛かってきたのだ。
思わずベッドから跳ね起き、転がり落ちるように床に避難する。
目の前には、気持ちよさそうに眠るサイトの姿、そして天井には、どこか自分を狙っているかのように見つめるコウモリの群れ。
数秒の思案の末、ルイズは顔を赤らめながらもサイトの同じ布団に、その小さな身体をもぐりこませるのだった。