小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 夜の闇に包まれた、学院の一室。怪しげな魔法薬が多数保管されているその部屋で、1人の少女が複数の薬品を調合している。


 「できたわ。ふふ、ふふふふふふ……」


 細い試験管の中で反応を起こした薬品を覗きこみ、金のブロンドの向こうで不敵に笑う少女。
 ランプの明かりに照らされた影が、怪しげに揺らめいていた。







〜第19話 『それぞれの恋模様』〜







 「はぁ〜……生き返る〜……」


 月明かりが照らし出す中庭の一角。その場所で、サイトは昼間手に入れた大釜に水を張り、下から薪で火を焚いて入浴していた。
 熱く熱せられた鉄鎌の底に身体が触れないよう、木でできた浮き蓋の上に乗っている。いわゆる、五右衛門風呂というヤツだ。


 「やっぱりさ…日本人は、風呂だよなぁ〜……」


 2つの月が浮かぶ夜空を見上げ、少年は久しぶりとなる湯船の感触を堪能する。


――――――――――――――――――殺されてしまったのです。ご自身の、ご婚約者を――――――――――――――――――


 ふと、老紳士の言葉が頭をよぎった。
 彼はもう、この学院にはいない。アレクの過去を打ち明けてから間もなく、領地に帰っていったのだ。


 「……アイツも…いろいろ苦労してんだな……」


 思い浮かべるのは、いつも笑顔を絶やさない、さわやかな貴公子然とした友人の姿。
 愛する少女を亡くしてから、たった5年。たった5年で、あそこまでの笑顔が作れるものなのだろうか。
 サイトには、本当に笑っているようにしか見えなかった。悲しいはずなのだ。それでも無理に笑顔でいようとするのは、苦痛ではないのだろうか。


 「なんかあるなとは、思ってたけどさ……」


 思えば、今までにもアレクのそんな過去をにおわせる出来事が多々あった。


―――――――――――――――――これ以上女性が不幸になるのは、悲しいですから……―――――――――――――――――


 モットの手からシエスタを救い出した後にアレクが口にした、あの言葉は、


―――――――――――――――――――――ボクは、ある選択肢を迫られました―――――――――――――――――――――


舞踏会で細々と呟いたあの話は、全て5年前に行われたというルーヴェルディ伯爵親子の処刑へとつながっていたのだ。
 思い出したくないはずの、忘れたままでいたかったはずの忌まわしい過去を、何も知らなかったとはいえ掘り起こしてしまった自分が、サイトは許せない。


――――――――――そして残ったのは…どうしようもない無力感と、重くのしかかるような後悔だけでした……――――――――――


 あの日この目で見た、一筋の涙が脳裏をよぎる。


 「…ほんと…バカだよな、オレ……」


 ある日突然異世界に召喚されて戸惑っていた自分を、彼は笑顔で迎え、支えてくれた。彼がいなければ、主人であるルイズともケンカしたままで、今のように打ち解けることなど、ましてや彼女のために戦うことなどなかったかもしれない。
 恩人だ。恩人なのだ。そんな彼にあのような顔をさせてしまったことを、少年は心から悔いた。
 グルグルと、暗い考えばかりが彼の脳内を駆け巡る。
 するとそこへ、


 「サイトさん?」

 「ッ!?」


背後から急に声をかけられ、驚きのあまりに、サイトは思わず湯船の中で飛び退いてしまった。
 後ろを振り返ってみると、

 「って、シエスタ!?」


そこにあったのは、ティーカップや食器を盆に載せている、見知ったメイド少女の姿。


 「ご、ごめんなさい、驚かせちゃって……。でも、そこで何をなさっているんですか?」


 律儀に頭を下げてくるも、少年の行いに興味があるのか、シエスタはそう問いかける。まあ、お湯を煮ている鍋の中に人が入っている状況を見れば、誰でも疑問の1つくらいははさみたくなるだろう。


 「ぁ…ああ、コレ? オレの国の風呂だよ。つっても、大分昔のスタイルだけどさ」


 別段、隠すようなことでもないので、サイトは素直にそう答えた。


 「お風呂…ですか……?」

 「す、捨ててあったの見つけて、作ってみたんだ……」


 まじまじと見つめてくる少女の視線に耐え切れず、少年は身体を180度反転させて背中を見せる。
 いくら夜とはいえ、目を皿にするほど凝視されては、色々と見えかねないからだ。


 「へぇー、素敵ですね。私も入りたいな」

 「じゃ、じゃあ、一緒に入る? なーんて……」


 シエスタの言葉を受けて、サイトは冗談交じりに、そんなことを言ってみた。


 「いいんですか?」

 「ぅえっ!?」


 が、どうやら冗談では済みそうにない。
 返ってきた言葉に驚いて振り返ってみると、そこではすでに少女がメイド服を脱ぎ始めているではないか。


 「ちょ、ちょっと! まずいよシエスタ……!」

 「誰も来ませんし、真っ暗ですから大丈夫ですよ」


 確かに、この時間帯ならばそうそう人が来ることはないだろうし、仮に来たとしても夜の暗闇では着替えの様子など見えないだろう。しかし、問題はそこでは断じてない。


 「あの、シエスタさん……? オレ、一応男なんですけどっ……!?」


 そう、彼は紛れもない少年であり、彼女は少女なのだ。仮にも結婚前の年若い男女が混浴など、常識の範疇から逸脱している。もしもこの場に、かの純情王太子がいたなら、即刻気絶していることだろう。
 もちろん、サイトも混浴が嫌というわけでは決してない。彼も年頃の男子。それなりに異性に対して興味がある。しかしながら、そこは倫理感やら理性やらが、多分に関わってくるのである。


 「サイトさんは変なコトする人じゃないって、分かってますから」

 「…そんな簡単に分かられるのも複雑なんですが……」


 衣服をたたみながら屈託のない笑顔で言ってのける少女の言葉に、少年は内心複雑だった。
 彼女はもしや、自分を異性として見ていないのではないか、と。







 双子の月の下で、同じ湯につかる、2人の男女。その光景を、両の窓から、エメラルドの瞳が見下ろしていた。
 立ち上る湯気で2人の姿がよく見えないのは幸いだったと言えよう。何しろ、一方は女性なのだ。一糸まとわぬ今の姿が見えようものなら、この距離でも直視などできない。


 「サイトさんの国って、どんなところなんですか?」


 最初こそ互いに恥ずかしがっていた少年少女だが、時が経つにつれて慣れたのか、今では普通に会話を楽しんでいるようだ。
 女性の胸元を見ただけで脳がオーバーヒートを起こしてしまうアレクにしてみれば、そんな彼らが非常にうらやましく思えた。


 「そうだなぁ……月が1つで、魔法使いもいなくて……その代わり、大抵のことは電気でなんでもできて……」


 サイトの口から飛び出た、彼の故郷たる異世界の情報を耳にし、トリステインの神童は絶句する。
 『魔法使いがいない』ということはすなわち、『貴族という階級が存在しない』ということだ。道理で貴族と平民という階級制度に疎いと思っていたら、彼の故郷はそんなモノとはまるで無縁の場所だったのである。
 全てが平等で、一切の差別がない世界を想像し、アレクは心から憧れた。
 しかし、それはあくまで『サイトが異世界人である』という前提知識を有していた場合の反応だ。


 「サイトさん! 月が1つで、魔法使いがいないなんて…村娘だと思って、からかってるんでしょう!」


 それを知らなければ、当然こうなる。シエスタは、世間知らずをバカにされたと思ったのだろう。心外だとばかりに、サイトに詰め寄っている。


 「か、からかってなんかないよ!」


 ついにはふて腐れたかのようにそっぽを向き始めた少女に、両手をパタパタと振って必死に弁明する少年。
 本人は必至なのだろうが、離れた場所から眺める貴公子は、あまりに微笑ましいその光景に、思わず笑ってしまっている。


 「なんだか、私のひいおじいちゃんの話みたいですね……」

 「ひいおじいちゃん……?」


 サイトが故郷の文化を一通り伝え終えたところで、思い出したかのようにシエスタがそんなことを言い出した。


 「私が生まれる前に、亡くなっちゃったんですけど……。
  自分は遠い異世界の住人だとか、空から落ちてきたとか、そんなことばかり言っていたそうです」


 瞬間、アレクの眉がピクリと動く。
 ハルケギニアの常識で考えれば変人のそれである男の発言。そしてその曾孫である少女の、ハルケギニアでは珍しい髪と瞳の色合い。サイトとの共通点が多すぎるのだ。これは果たして、偶然なのだろうか。


 「シエスタ、それって…どあッ!?」


 その話にはサイトも興味をひかれたようで、曾祖父とやらの話をさらに聞こうと口を開ける。が、シエスタが突然立ち上がったため、咄嗟に顔をそむけた。気持ちはわかると、アレクは涙ながらに同情する。


 「そろそろ、戻らないと……」

 「そ、そうだね……」


 風呂から上がり、少女は慣れた手つきでメイド服を着用していく。
 少年の顔が真っ赤に染まっているのは仕方がない。


 「とても楽しかったです。お風呂も、素敵だったし……」

 「そ、そりゃよかった」


 そんなふうに言われ、サイトは照れながらもそう返した。なんだかんだで、自分の故郷の文化を喜んでもらえたならば、彼としてもうれしい限りなのだろう。
 彼女が服を着たことで、まともにその姿を見られるようになったのも大きいのかもしれない。
 そして、


 「あの…でも……1番ステキなのは…あなたかも……」


そんな告白じみたセリフを残し、シエスタは足早にその場を去っていった。その表情は、直前まで風呂に入っていたからなのか、ほんのりと桜色に染まっていた。
 あとに残された少年は、唖然とその姿を見送ることしかできないでいる。彼にとっては少々、刺激の強すぎる体験だったようだ。まあ、仮に自分が同じ立場であったとしたら、即刻意識を手放す自信が、アレクにはあるのだが。


 「…しかし問題は、この後でしょうね……」


 少しばかり視線を動かし、銀髪の貴公子はそう呟いた。
 その先には、先ほどまでの一部始終を間近で目撃していた、ピンクブロンドを持つ幼馴染の姿。何やら肩を震わせて、学生寮へと戻ってくるのが見える。
 この後起こるであろう恒例行事を思い浮かべ、王太子は哀れな少年の身を案ずるのであった。







 しかし、事態はそんな予想の斜め上へと発展していく。
 主の部屋に戻ったサイトは、驚愕のあまりに言葉を失った。
 その理由は、


 「バカバカバカ! サイトのバカァ!
  どうして私をほっといて、あんなコと一緒にいるのよぉ!!」


さながら恋人に浮気された乙女のように、目に涙をためて胸にしがみついてくるピンクブロンドの少女である。
 少年としても、文句を言われるのは慣れている。伊達にこれまで、ワガママお嬢様の世話をしてきたわけではない。だが、そんな彼にとっても、この状況はハッキリ言って異常だった。
 おそらくは、先ほどシエスタと混浴していた現場を目撃したのだろうが、事あるごとに鞭を振り回す、普段の高圧的な態度が微塵も見えないこの様は、いったいどういうわけなのだろうか。


 「こ、これって、どーゆー冗談!?」


 サイトの口から思わずそんな言葉が飛び出たのも、仕方のないことと言えよう。


 「冗談なんてひどいわ! 私がこんなに大好きなのにぃ! うえぇ〜ん!!」」


 しかし、少年の胸元をポカポカと叩きながら涙を流すその姿は、どうしてもウソや冗談を言っているようには見えない。
 そもそも、プライドの塊のようなこの少女が、たとえウソでもこのような行動に出るなどあり得ないだろう。
 もはや、サイトは完全に混乱していた。世界の終りの前触れなのではないか、とか、縁起でもない思考が脳裏をよぎる。と、その時、室内に響く、扉がノックされた音。


 「あ、はい!」


 半ば反射的に入室を促すと、ゆっくりと扉が開き、


 「あ〜…やっぱり……」

 「やっぱり……?」


やってしまったと言わんばかりの表情で肩を落とす、金髪縦ロールの少女がそこに立っていた。







 「ほ、惚れ薬!?」

 「ちょっとした手違いで、ルイズが飲んじゃったのよ」


 サイトが驚愕の声を上げ、モンモランシーが説明に捕捉を加えた。ルイズはその間も、恋人に甘える乙女のように、サイトに抱き着いている。
 目の前で繰り広げられている光景に、アレクは目を丸くした。何やら面白そうな予感がしたので、コソコソとルイズの部屋を訪ねる金髪カップルの後をつけてきたのだが、まさかこのような事態に陥っていようとは。


 「モ、モンモランシー…それって、もしやこのボクに飲まそうと……?
  あぁ…なんていじらしい……。
  そこまでして、ボクの気持ちを捕らえようとするなんて……!」

 「…ふん! 別にあなたじゃなくてもいいのよ?
  ただ、私は浮気されるのが嫌なだけ……」


 どうやらルイズが誤飲したという惚れ薬は、元々はモンモランシーが浮気の絶えないギーシュの心を射止めようと作ったモノであるらしい。もっとも、それがどういう手違いでルイズが飲むに至ったのかは、想像することしかできないが。
 自分の隣で大げさに感激するギーシュに、モンモランシーは憎まれ口を叩きながらも頬を赤らめる。なんだかんだで、彼女はこの自称イケメンが好きなのだ。


 「微笑ましいですねぇ……」


 そんな2人の姿に、アレクはいいモノを見たとばかりに満面の笑みを浮かべている。


 「浮気なんかするわけないじゃないか…ボクは、永遠の愛の奉仕者なんだから……」


 恋のキューピッドが笑顔で見守る中、元凶となった2人は、いつの間にかストロベリーな空気をまき散らし始めた。
 ギーシュがモンモランシーの手を取り、ラブロマンスもかくやといった調子で、互いに見つめ合っている。


 「後にしろ」


 あまつさえ、キスをしようとしたところで、いい加減にしろとサイトが割り込んだ。
 羞恥で赤く染まった顔を隠した指の間からその模様を見ていたアレクは、とても残念そうにため息をつく。


 「やい、モンモン!」

 「私はモンモランシーよ!」


 どうやら、サイトは彼女の名前を間違えて覚えているらしい。本気なのかそれともわざとなのかは不明だが、とりあえずモンモランシーは怒る。


 「早くルイズを元に戻せ!」

 「え〜……」


 サイトの要求に、アレクが思いっきり不平そうに言葉を漏らした。別に死ぬわけでもないし、今のままでもいいのではと、彼は思うのだ。


 「そのうち効果が切れるわよ」

 「いつだよ?」


 そんなイケメン王子のことなど無視し、サイトとモンモランシーは会話を続ける。


 「1カ月後か…1年後か……」

 「……待ってくれ…君はそんなモンをボクに……」

 「な、なんと素晴らしい……!」


 モンモランシーの口から飛び出した薬の期限に、ギーシュはもしも自分が口にしていたらと、青い顔をする。
 対してアレクは、これからのサイトとルイズの生活の情景を思い描いているのだろう。背景にバラの花が咲き誇らんばかりに喜んでいた。
 同じ言葉を聞いて、こうも反応が違うモノなのだろうか。


 「じょ、冗談じゃねぇぞ!」


 サイトが講義するも、薬の製作者は知らぬ存ぜぬを続けている。これでは、らちが明かないと見た彼は、最終手段に打って出た。


 「ア、アレク! お前なら、解毒薬作れるよな!?」


 ワラにもすがる思いで、サイトは恋の押し売りキューピッドたる少年に詰め寄る。
 彼ほどの魔法使いであるならば、惚れ薬を中和させる何かしらの薬を作れるかもしれない。先ほどの反応を見る限り、あまり乗る気ではないようだが、頼み込めばなんとか了承してくれるだろう。そう、淡い期待を込めて。


 「…作れないことはありませんが」

 「な、なら、早くその薬を……!」


 顔の前で両手を合わせ、使い魔少年は拝むようにして頼み込む。


 「嫌です」


 だが、真顔でキッパリと拒絶され、彼は文字通り固まってしまった。


 「だってこんな光景、めったに見られないじゃないですか!
  今の内に、キッチリ脳内保存しておかないと!」

 「ちょっ……!?」


 サイトは、アレクの過去を知っている。あまりに悲哀に満ちたそれには同情もできる。
 だが、目の前でうっとりとした表情で小躍りを始めているその姿は、彼にはどうしても変態にしか見えない。
 唯一の希望までもがついえ、サイトの周りには、味方と呼べる人間は存在していなかった。哀れな使い魔の声にならない絶叫が、夜の空に響いたとか響かなかったとか。

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