小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 晴れ渡った空の下、魔法学院の中庭に、丸テーブルとイスを持ち出し、日傘を広げて、優雅なティータイムとしゃれ込んでいる少年がいた。


 「ふぅ……ボクとしたことが、うかつでした……」


 ため息交じりに、彼、アレクは己の不注意を嘆きつつ、雲1つない青空を見上げる。
 サイトとルイズは、今はこの学院にはいない。
 今朝方、モンモランシーやギーシュと共に、ラグドリアン湖に行ってしまった。
 事の発端は、惚れ薬誤飲の騒動から一夜明けた昨日のこと。シエスタの口から、惚れ薬は実は違法であるとの事実が、サイトにアッサリとバレてしまったのである。
 真実を知ったサイトが、違法な薬を作ったことを盾にモンモランシーを半ば脅迫し、解毒薬の作成を約束させた。
 そして、解毒薬作成に必要な秘薬である『精霊の涙』を手に入れるために、水の精霊が住まう件の湖へ向かったというわけだ。


 「しかし…彼の気持ちも分からなくはない……」


 当然、アレクは思いとどまるようにサイトを説得した。放っておいても元に戻るのだ。死ぬわけでもないし、わざわざ危険と苦労を伴う行動をとることはない。
 だが、彼は頑として聞かなかったのだ。「こんなのはルイズじゃねぇ」。そう言って、一路ラグドリアンへと馬を走らせていった。
 アレクは、思わず口元をほころばせる。
 いつもガミガミと怒鳴りつけ、ムチを振るって追い掛け回してくる少女が、急に素直でカワイイ態度を取るようになったのだ。普通ならば、その状態が長く続くのを望むだろう。痛い目にあうより、抱きつかれた方がマシである。
 しかし、彼はそれを否定した。それも、『彼女らしくない』という、至極簡単で純粋な理由で。


 「予想以上に、花芽は育っていたようですね……」


 いつの間にか、サイトはルイズという1人の少女のありようを、当然のように受け入れていたようだ。
 彼女が普段見せないような素直な面がもう見られなくなるのはさびしいが、所詮は薬による一時の夢想でしかない。それを望まないサイトの気持ちも、アレクには痛いほど分かる。ここは、諦めるとしよう。
 どのみち、薬の力など使わなくとも、2人がああなるのは時間の問題なのだから。数多くのカップルを見てきた経験が、そう告げている。
 ラブラブオーラをまき散らしてサイトに抱き着くルイズの姿を思い出しながら、紅茶を口に運び、少年は不敵に笑った。


 「あれ……? 殿下、お1人なんですか……?」


 と、そこへ、不思議そうな顔をしたシエスタが歩み寄ってきた。
 確かに、アレクが1人さびしく屋外で紅茶を飲むなど、珍しいことだ。いつもなら、何かしら理由をつけてでも、貴族・平民に関わらず近場にいる誰かを誘うのだから。


 「ええ、サイトさん達が所用で出かけてしまったので」

 「所用…ですか……?」


 シエスタは首をかしげる。
 実家に帰ったのならばうなずけるが、出かけた(・・・・)とはどういうことなのだろうか、と。


 「はい。
  ミス・ヴァリエールが誤飲してしまった惚れ薬を中和する薬の材料を調達に」


 その瞬間、シエスタの瞳が見開かれた。
 何やら、驚いているような、狼狽しているような、そんな表情である。


 「? どうかしたのですか?」

 「い、いえっ! なんでも! 失礼いたします!」


 アレクが問いかけるも、慌てたようにシエスタは立ち去ってしまう。
 まあ、顔色が悪かったわけでもないし、体調が悪いというわけではないのだろう。
 少年は、再びティーカップに口をつける。


 「…そういえば…君に会ったのも、こんな日だったね……」


 初夏の風が、銀色の三つ編みをさらい、広げられた日傘の布地を揺らす。


 「ねぇ…マリィ……」


 風の流れる空を見上げ、アレクはそう呟いた。







〜第20話 『誓い』〜







 それは、今から10年ほど前にさかのぼる。
 幼き日の天才少年は、父親と共に、屋敷の応接間で客人を待っていた。


 「よいか、アレク。お前は分家とはいえ、王家の世継ぎ。
  客人に、失礼のないようにな」

 「はい。心得ております、父上」


 7歳児とは思えない利発な返答に、少年の父親、アルバート・ラグ・モン・ド・エルバートは満足げにほほ笑む。
 この子は昔から、他の子供達とは何かにつけて一線を画していた。
 生まれて1年も経たぬうちに2本の足で歩き始め、3度目の誕生日を迎える頃には読み書きをマスターし、今では小難しい古文書の類いを、時間を見つけては読み漁っている。
 もはやその知識は、『博学』と謳われるこの父にすら届こうとしているほどだ。
 魔法も覚え始めてからわずかに2年ながら、すでに火と土のラインスペルを使いこなし、風と水もドットスペルならば使用できるようだ。この分では、将来どうなることやら。
 まさに、『天才』という言葉が服を着て歩いているような息子だ。その才覚は、始祖ブリミルの再来と言ってもいい。本家に産んでやれなかったことが、今でも悔やまれる。


 「旦那様、お客様をお連れいたしました」


 と、そんな思考にふけっているうちに、執事であるセルバートの声が扉の向こうから聞こえてきた。


 「お通ししてくれ」


 アルバートのその言葉に従うように扉が開かれ、顎ヒゲを蓄えた金髪の紳士が入室してくる。


 「よくぞ来られた、ルーヴェルディ殿」

 「エルバート公、お久しぶりにございます」


 銀と金、2人の紳士は握手を交わし、友人との再会を喜び合った。
 と、その時、


 「おや……?」


アルバートの視線が、友人の背後へと移る。
 そこには、ルーヴェルディ伯爵の背中に隠れるように身を縮めている、1人の少女がいた。年の頃は、アレクと同じだろうか。


 「これは失礼いたしました。私の娘で、マリィと申します。
  お恥ずかしながら、人見知りが激しい子でして……」


 どうやら、この屋敷を訪れると決まった頃から、こんな様子であるらしい。


 「いやいや。そういえば、こちらも息子の紹介がまだでしたな。アレク」

 「はい」


 ここはまず、緊張をほぐすためにも同年代の息子と話させた方がよさそうである。そう思い、アルバートはアレクを自身の前に立たせた。


 「お初にお目にかかります。アレクサンドラ・ソロ・モン・ド・エルバートと申します。
  以後、お見知りおきを。可愛らしいお嬢さん」


 エレガントに頭を下げ、笑顔を送ることも忘れない。
 お辞儀の教本があったなら、おそらくはこのような挿絵が描かれていることだろう。それほど、少年の作法は完璧だった。
 伯爵は目を白黒とさせ、その後ろに隠れている少女は、思わず見惚れてしまっている。
 それも当然か。少年の纏っている空気は、もはや7歳児のソレではなかったのだから。


 「…は、初めまして……。
  マリィ・アン・ド・ワネット・ド・ルーヴェルディ…です……。
  お、お会いできて、うれしいです…アレクサンドラ王太子殿下」


 少女もまた、はにかみながらも自己紹介をする。
 精一杯に挨拶の言葉を覚えてきたのだろう。ところどころつっかえてはいたが、キチンと最後まで言うことができた。
 そこで、アレクが少女に手を差し伸べる。


 「アレク、で結構ですよ。呼びにくいでしょう?」

 「え…いや、でも……」


 少年の言葉に、マリィは戸惑いを見せた。


 「ボクも、マリィと呼びますから」

 「えと……その……」


 ついには、父親である伯爵の顔を覗き始める。おそらくは、ここに来るまでに失礼のないようにと、言い含められていたのだろう。
 伯爵はにっこりとほほ笑み、少女に頷く。それを見た彼女の顔が、ぱあっと明るくなった。


 「はい! よろしくお願いします、アレク殿下!」

 「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします、ミス・マリィ」


 互いに手を取り合い、改めて挨拶を交わす。
 それが、後の『トリステイン一の魔法使い』と、『トリステイン一の美少女』の出会いであった。







 時は流れ、それから3年。


 「婚約だと!?」


 食事中の息子の発言に、アルバートは思わず大声を上げてしまった。傍らでは妻であるセレーナも、目を見開いている。


 「はい。ボクは、マリィと婚約します」


 再度、アレクの口から飛び出た言葉に、エルバート夫婦はため息を漏らした。


 「…悪いことは言わん。考え直せ」

 「アレク、あなたはまだ10歳なのよ?」


 彼が、通常では考えられぬほど早熟であることを差し引いても、あまりにも早すぎる。両親の意見は一致していた。
 仮にも王族の長男、それも、齢10にして火と土、そして水のトライアングル、風のラインにまで上り詰めた『神童』の婚約者が、こんなにも早い段階で、しかも本人の独断で勝手に決まるなど、あってはならないことだ。
 間違いなく、国中の貴族が大混乱に陥るだろう。誰もがあわよくば、自分の娘を将来アレクの元へ嫁がせようと狙っているのだから。


 「もう決めたのです。
  いくら父上・母上のお言葉でも、こればかりは譲れません」

 「なぜだ!?
  社交場の都合が分からぬお前ではないだろう! それをなぜっ……!」


 つまらない大人の都合だ。薄汚れた風習だ。だが、この世界では、この国ではそれが何よりも大切なのだ。教えるまでもなく、優秀すぎる息子はそのことをよく理解している。
 なのになぜ。アルバートの疑問はもっともだ。
 しかし、そんな彼の言葉を、テーブルを平手で打ち据える音が遮った。


 「愛しているのです! 出会った時からずっと!」


 イスから立ち上がっての息子の宣言に、アルバートもセレーナも押し黙ってしまった。
 これほどまでに感情を表に出し、声を張り上げるアレクの姿を、彼らは見たことがなかったのだ。


 「彼女も同じ気持ちだった! 僕を愛していると言ってくれた!
  初めて文字が読めた時も、初めて魔法が使えた時も…こんなにうれしくはなかった!!」


 人生で初めて経験した、至上の喜び。右腕で虚空を切り裂き、まさに天にも昇る心地だったと、少年は熱弁をふるう。
 それはおそらく、誇張表現でもなんでもないのだろう。ただただ純粋な感情を、そのまま口に出しているに他ならない。両親を見つめる瞳が、充分過ぎるほどにそう訴えかけている。


 「ボク達はもう、互いの存在なしでは生きられない!
  いずれ誰とも知らない貴族の子女と婚約するくらいなら、家の名を捨ててでも、彼女と結婚します!!」


 それは、いわゆる駆け落ちである。
 エルバート夫妻は開いた口がふさがらない様子で、高らかに宣言する息子を呆然と見つめていた。
 長い沈黙が、広い室内を支配する。壁際に控えている執事やメイド達が、事の結末を心配げに見つめていた。


 「……分かった」

 「あ、あなた……!」


 そしてついに、アルバートが折れた。セレーナが驚いた様子で、夫の顔を見る。
 問題は多いが、トリステインの『武』をつかさどるエルバート家の優秀な跡取りを、このような形で失うわけにはいかない。


 「ただし、7年間は婚約自体を秘密にする。
  公式な発表は、周辺の関係を整理してから、折を見てすることとしよう」

 「……それで、ボク達の夢が叶うならば」


 安いものだ。
 イスの背もたれに文字通りもたれかかる父親を見て、アレクは口元をほころばせるのだった。







 「これは……?」


 少女の手から差し出された純銀製のリングを手に取り、アレクは首をかしげて問いかけた。


 「『証』です。私達の、婚約の……」


 そう言って、マリィは胸元から、チェーンに通して首輪にしたリングを取出し、恥ずかしそうに頬を赤らめる。


 「そんな…こんなモノなくとも、ボクの気持ちは……」


 「一生変わらない」。たとえ婚約が非公式であったとしても、他の女性にアプローチされても、彼女以外を愛するなどあり得ない。
 口にしかけたその言葉を、少女の人差し指が遮った。


 「分かっています。……これは、わたくしのわがままなのです」


 目を泳がせ、どこか言いづらそうに言葉を紡ぐ。


 「殿下との婚約を、『形』に残したい…そう、思っただけなのです……」


 決して、アレクを信じていないわけではない。彼の一途さは、他の誰よりも理解している。
 ただ、『証』が欲しかったのだ。彼との婚約を確かめられる、目に見える形で。
 ぽろぽろと、少女の瞳からしずくがこぼれる。


 「ごめん……。
  大手を振って公表できればいいのだけれど…どうやらそれは難しいらしい……」


 そんな彼女を慰めるかのように、アレクは小さな身体を両手で優しく包み込んだ。


 「存じております……。殿下の立場ならば、むしろ当然のこと……。
  謝らなければならないのは、わたくしの方ですわ……」


 極秘裏の内の婚約は、マリィ自身の願いでもあった。
 それを、今さらになってこんなことを言い出すなど、まだまだ子供の気分が抜けないらしい。
 わがままなで、自分勝手な女だと思われたらどうしよう。そんな不安が、ふと少女の脳裏をよぎる。


 「謝る必要なんてない。これは、わがままなんかじゃないんだから」


 だが、アレクは違うと首を振る
 それは、愛。
 恋い焦がれる相手を想い、手を伸ばそうとする衝動。それは純粋な、人間の本能であり、この上なく清純な感情でもある。
 断じて、『わがまま』などという言葉で片付けてよいモノではない。


 「ありがとう。このリング、大切にするよ。
  ボク達の、愛の証だ」

 「…はいっ……!」


 陽光を水面が反射する湖畔で、2人は抱き合う。
 互いの存在を確かめ合うように。その間にある、目に見えぬ『絆』という名の鎖を、確認し合うかのように。







 「…………」


 1本の鎖に通された2対のリングを胸元から取り出し、陽光にかざす。
 彼女との婚約から、わずかに2年後。少女は帰らぬ人となってしまった。
 処刑執行の1週間前、秘密裏に送り届けられた封筒に、ラドグリアンの湖畔で確かめ合った絆のリングが、手紙と共に同封されていた。
 できるならば墓穴まで持っていきたいが、互いの名前が彫り込まれたこの品を持っていては、アレクにまで危害が及ぶかもしれない。それだけは、どうしても耐えられないと、震えるような文字で手紙に書き連ねられていた。
 許されるのなら、その指輪を自分と思い、そばに置いてほしい、とも。
 最後の1行が、殊更記憶に焼き付いている。


 「『どうか、お幸せに』…か……」


 最期の最期まで、純粋に、愛のために生きた少女だった。自分を、心の底から愛してくれた少女だった。
 そんな彼女に、自分は何をしてあげられたというのだろうか。
 何かをこらえるように、少年は歯を食いしばる。


 「願わくは…生きとし生ける全ての者に、報われる愛のあらんことを……」


 自分の幸福は、彼女と歩む未来の他には存在しない。
 この心の穴が埋められないのならば、せめて、周囲を愛で満たそう。
 愛の中でなら、自分は生きていけるから。


 「…そして……」


 ただならぬ決意の眼差しと共に、少年は再び、この空に誓いを立てるのだった。

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ゼロの使い魔 三美姫の輪舞 ルイズ ゴスパンクVer.
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