翌日、サイト達は『精霊の涙』をその手に、学院へと帰ってきた。
「…思ったよりも早かったですね」
とは、アレクの談である。
しかしながら、短時間の割になかなか濃い体験をしたようだ。現在アレクは、サイトとのティータイムを満喫しながら、彼の冒険譚を聞いているところである。
「まいったよ。着いたはいいけど、精霊がめっちゃ怒っててさ……」
湖に着いてみると、水位が異常に上昇し、付近の民家までもが水没しているというありさまだったという。
夕方になるまで待ち、水の精霊を呼び出して交渉したところ、自身を襲撃に来る刺客を討伐すれば、身体の一部すなわち『精霊の涙』を分けてくれると約束してくれたのだとか。
「それで、その不届きな方々を打倒した、と?」
「いやぁ…それがさ……」
アレクの問いかけに、サイトはあいまいな返事を返す。
夜になり、確かにその襲撃者は現れたらしい。が、なんと驚いたことに、それはガリア王からの勅命を受けたタバサとキュルケだったのだ。なんでも、湖の水位を上げて人間に危害を加えているとして、水の精霊に討伐命令が下ったと言っていたのだとか。
「そんでさ、もう1度モンモンに精霊を呼び出してもらって、怒ってるわけを聞いたんだよ」
すると、気になる返答が返ってきた。精霊が守っていた、死者に偽りの魂を与え、人の心を操ることができる秘法、『アンドバリの指輪』が、何者かに奪われたのだという。
水の精霊は、水の中にしか存在できない。そこで、湖の水で全世界を覆えば、いつかは奪われた秘法が水につかり、奪還できると考えたのだとか。
「今にして思うと、気の長い話だよなぁ……」
「まあ、精霊は不死鳥と同じく不死の存在ですからね。我々人間とは、時間の感覚が違うのですよ」
イスの背もたれに体重を預けながらのサイトの呟きに、アレクは苦笑で返す。
まあともかく、理由を聞いた彼は、至極単純かつ困難な解決方法を見出した。すなわち、奪われた『アンドバリの指輪』の奪還である。
結果、サイトの寿命が尽きるまでに秘法を返却するという約束を交わし、『精霊の涙』の譲渡と、水位の減少を承諾してもらったのだという。
本来ならば精霊が人間との口約束を信じるなどあり得ないが、彼が『ガンダールヴ』であったことが、功を奏したようだ。
「…それで、手掛かりはあるのですか?」
「盗んだ奴の1人が、『クロムウェル』って呼ばれてたらしいんだ」
生憎と、聞いたことのない名前だ。これでは、手がかりなどないも同然である。先が長いどころか足元すら見えない道のりに、アレクはため息をついた。
なお、余談ではあるが、タバサやキュルケは再び、タバサの実家へと帰っていったため、今は学院にはいない。
「それはそれとして、そろそろ逃げた方がよろしいのでは?」
「へ?」
苦笑交じりの友人に背後を指差され、サイトは恐る恐る振り返る。
そこには、
「サ〜イ〜ト〜……!!」
顔を羞恥で真っ赤に染めた、ピンクブロンドの少女が立っていた。その手には、もはやトレードマークとなりつつある乗馬用の鞭が握られている。
「い、一生の不覚! 今生の恥だわ!
こっ、この私が、使い魔相手にあんなことやこんなことをぉおぉぉおおっ!!」
「だっ、だから落ち着けっちゅーの!
悪いのは、惚れ薬を作ったモンモンと、飲んじまったお前で……!」
「お黙りぃぃいいぃぃぃいい!!」
なんというかまあ、微笑ましい限りだ。
鞭を振り回すルイズと、それを必死に避け続けるサイト。やはりこの光景が、彼らには1番似合っているのかもしれない。
そんなことを考えながら、アレクは紅茶を口に運びつつ、目の前で展開している微笑ましい光景を、満足げに眺めるのだった。
〜第21話 『王女からの依頼』〜
それは、その日の夜のこと。
「ひ、姫様!?」
月明かりが辺りを照らすその時間。ルイズの寝室に、家主である少女の驚愕の声が響いた。
「夜分遅くにごめんなさい。極秘裏に、それも火急に、あなたたちに、お願いしたいことがあるのです」
その理由は、驚きのあまりに目を丸くする彼女の手を取ってそう言う、1人の人物。第1王位継承者であるアンリエッタが、護衛も付けずにお忍びで尋ねて来たのだ。
曰く、彼女は近々ゲルマニアに嫁ぐことになったのだとか。
小国であるトリステインを守るため、隣国であるゲルマニアと、強固な同盟関係が必要になったのだ。いわゆる、政略結婚というヤツである。
「わたくしはトリステインの王女。
国のために、この身を投げ出すことなど、いといはしません」
王族である以上、それくらいは覚悟していたと、アンリエッタは語る。
だがしかし、婚約を結ぶ前に、彼女にはやり残したことがあるらしい。
「わたくしが、アルビオン王国のウェールズ皇太子にあてた1通の手紙を、回収してきてほしいのです」
「アルビオン……!」
その国名を聞いたルイズが、目を見開いた。
「その手紙の内容が世間に知られれば、この縁談は破談になってしまう……」
トリステイン王国の未来のためにも、それだけは、どうしても避けなければならない。
「ごめんなさい……。
親友のあなたに、こんなことを頼むなんて、間違っているとは思います……」
現在、アルビオンは、情勢不安定で、非常に切迫した状況にある。
貴族達が反乱を起こし、激しい内戦が続いているのだ。一部の情報によれば、すでにアルビオン大陸のほとんどが反乱貴族の支配下に置かれ、王侯派は王宮を追われて、どこか地方に潜伏しているという。
その王家の最後の生き残りであるウェールズ皇太子に内密に接触するなど、常識で考えれば自殺行為である。
「ですが、今のわたくしには、あなた達以外に、頼める人がいないのです……」
しかし、悲しいことにアンリエッタには、あまりにも味方が少なかった。
アレクという相談相手はいるが、彼もまた、分家とはいえ王族だ。むやみやたらに、国外に出るわけにはいかない。内戦中の国が行先であれば、なおさらだ。
となれば、残る候補はルイズと、その使い魔であるサイト以外にはいなかった。涙ながらに、アンリエッタはそう語る。
「ありがとうございます、姫様!
そのような重要な任務を、このわたくしめに命じてくださるなんて…この上なき幸せにございますわ……!」
だが、ルイズには、危険な任務がどうとか、そんなことは関係なかった。
敬愛するアンリエッタが、自分を信じて頼んでいるのだ。これを受けずして、なんとするのか。
少女は恭しくひざまずき、快諾の言葉と共に頭を下げるのだった。
そんなこんなで、アンリエッタも夜の闇にまぎれて王宮に帰り、サイトは日課となっている洗濯にいそしんでいた。
「結局、ギーシュまでついてくんのかよ……」
自然と、口から愚痴が漏れる。
あの後、扉の外で話を盗み聞いていたギーシュがアンリエッタに進言し、結果として仲間は多いに越したことはないということで、彼も今回の任務に同行することになったのだ。昨日の湖の一件しかり、色々と首を突っ込んでくる少年である。
王宮からの護衛を1人つけると言っていたが、心優しい姫君にしてみれば、それでも幼馴染を危険な地へ向かわせることを、不安に思っていたのだろう。
考えながら、洗い終わったルイズの下着を、グイッと引っ張る。
「? 今、なんか音が……。ま、いっか……」
その際、何かが切れるような音が耳に届いたが、見たところ布地に異常は見られないので、サイトは気にすることなくカゴの中へと放り込んだ。
と、その時、
「あの……」
「? ああ、シエスタ」
おずおずと、メイド服の少女が歩み寄ってきた。
「すみませんでした……」
と、思えば、少女はいきなり頭を下げてくる。
サイトはわけが分からず、若干混乱気味だ。
「惚れ薬のこと…本当だったって、アレク殿下から聞いて……私、サイトさんに失礼なことを……」
「そんな…気にしなくていいって。ルイズも元に戻ったしさ」
シエスタの謝罪の言葉に、なんだそんなことと言わんばかりに、サイトは答える。
実は先日の騒動の際、シエスタはルイズが惚れ薬を飲んだということを、サイトのウソだと断じて、まったく信じていなかったのだ。
平民ですら知っている、『人の心を操る薬は違法』という事実から、そんな代物を誤って飲むなどあり得ないと、そう思っていたのである。
ところが昨日、たまたまティータイム中のアレクに真実をあっけらかんと暴露され、今回慌てて謝罪に来た、というわけだ。
―――――――――――――――――――――ガンダールヴならば、信ずるに値する――――――――――――――――――――
「……また、『ガンダールヴ』か……」
「え……?」
惚れ薬の一件が話題に上ったことで、ふと、湖で精霊の口から出た言葉が、サイトの脳裏によぎる。
『ガンダールヴ』。この世界に来てから、何度か人は自分をそう呼んだ。精霊の話ぶりから察するに、どうやら昔の人物の名前のようだ。
「あのさ、この学校で、歴史に詳しい人って誰かな?」
発言の意味が分からずに疑問符を浮かべているシエスタに、サイトは尋ねた。
このまま疑問を疑問として片付けてしまうのは、何かと気持ちが悪い。昔の人物なら、歴史に詳しい人間に聞くのが1番である。
「歴史…ですか?
そうですね…アレク殿下なら、ご存じではないかと……」
顎に手を当てて、少女はそう答える。
幼少の頃から、古今東西の専門書の類いを読み漁っていたらしい。それを聞いたサイトは、どんな子供だと、全力でツッコんでやりたかった。
「あぁ…できれば、アレク以外の人で……」
だが、サイトはその人選を、アッサリと拒否した。
アンリエッタから、しばらくの間は、アレクに接触しないでほしいと頼まれていたからだ。何かのはずみで今回の任務のことが彼に知られれば、彼は必ず自分も同行しようとするだろう。そのことは、フーケの一件を見ても一目瞭然である。
王族の人間が軽々しく他国に、それも内乱中の国に渡るのは、どうしても避けたいのだとか。
「そ、そうですか……? えっと、それなら……」
シエスタは再び顎に手をやり、思考の果てに1つの答えを導き出した。
そして、その翌日。サイトは中庭の片隅にたたずむ、小屋を訪れていた。
「魔法は、火・水・風・土の4系統ではなく、元々は5系統あり、それぞれが五芒星の頂点を指していたといわれておる」
何やら怪しげな機材が所狭しと棚に並べられているその中で、この小屋の主である学院の教師、ジャン・コルベールは、フラスコ内部の液体を混ぜながらそう語る。
どうやらこの場所は、彼の研究室であるらしい。
「その、失われし頂点の一角こそ、『虚無』の系統。
『ガンダールヴ』とは、伝説の『虚無の魔法使い』の、使い魔の名前なのだ」
1度実験の手を止め、コルベールはサイトを見つめて言葉を紡ぐ。
「君の手に現れたルーンは、ガンダールヴのソレと非常によく似ている」
とはいえ、現在において、『伝説』の名の通りに、虚無系統の魔法は確認されていないとのこと。虚無の魔法使いが存在しない以上、サイトが『ガンダールヴ』であるという確証もまたない。すべては、推測でしかないと、コルベールは語る。
「ま、主人が伝説どころか、アレだからなぁ……」
そんな教師の言葉に、サイトもまた肩を落とした。
伝説の魔法の使い手どころか、ろくに魔法も使えないような主人である。自分の手に刻まれた紋章も、眉唾と判断したのだろう。
と、そこで、サイトの目が机の上に置かれた1つのフラスコに止まった。
「…なんかくさいと思ったら…これか」
「あぁ、それは、龍の血液だ」
フラスコの中の液体をまじまじと見つめるサイトに、コルベールはそのように説明した。
曰く、60年ほど前の日食の日、すさまじい雄叫びと共に、2匹の竜が天空より現れ、1匹はその場から消え去り、残るもう1匹はいずこかへ降り立ったのだという。
「その時に流したという血液を、偶然入手してなぁ。
その、複製に取り組んでいる最中なのだよ」
「これが、血液……? でも、この匂い……」
この際、どうやってそんな代物を入手できたのかとか、そんなツッコミは後回しだ。
サイトは、この匂いをよく知っているような気がしてならなかった。この独特の匂いは、確かに嗅いだ覚えがあるのだ。しかし、どうしてもその正体が思い出せない。ガラスの向こうにある水面を見つめつつ、少年は唸り声を漏らすのだった。
その夜、ランプの淡く炎が照らす室内で、1人の少年が窓の外を眺めていた。
「……!」
何かを見つけ、ゆっくりと右手を天にかざす。するとそこへ、赤い翼をはためかせながら、彼の使い魔たる若鳥が舞い降りてきた。その足には、白い封筒が握られている。
「ご苦労様です」
働き者の使い魔をねぎらい、少年は渡された封筒の中から1通の手紙を取り出した。
素早い手つきで幾重にも折りたたまれたそれを広げ、その内容に目を通す。
「…なんということを……」
送り主である親友を思い浮かべ、その高潔かつ愚かな決断に、複雑な思いをはせる少年。アンリエッタがこれを見れば、いったいどれほど嘆き悲しむだろうか。
すでに似たような経験をしている彼には、その悲しみが痛いほどに分かってしまう。
「…こうなっては、もはや彼に託すしかありませんね」
愛しい幼馴染とその使い魔たる少年がアルビオンへと旅立つのは、明日の朝だと聞いている。己が使い魔と、優秀な部下からの情報だ。間違いはないだろう。
ならば、彼に命運を託してみよう。常に自らの信念に忠実で、常識はずれの型破りが服を着ているかのようなあの少年に。
彼ならば、頑固な親友の悲痛な決断を、覆してくれるような、そんな気がするから。
「ッ!?」
双子の月が鎮座する空の下を、一陣の夜風が吹き抜ける。突風にあおられて銀の長髪が暴れ、室内に積まれた書類の山が一斉に舞い上がった。
この後に待ち受ける悲惨な運命を、部屋の主に訴えかけるかのように。