早朝、学院に朝靄が立ち込める中、ルイズ、サイト、ギーシュの3人は馬の手綱を握りつつ、アンリエッタが用意すると言っていた護衛の人間を門前で待っていた。
少女の右手の薬指には、依頼を受けた際に王女から手渡されたトリステイン王家に伝わる秘法、『水のルビー』が輝いている。
「護衛の人って、そろそろ来てもよさそうなのに……」
ルイズのそんな呟きとほぼ同時、彼女達の前方に位置する地面から、巨大なモグラが顔を出した。
「ヴェルダンデ!?」
突然現れた自身の使い魔に、ギーシュが駆け寄り、熱い抱擁をブチかます。
「あぁ〜、ボクのカワイイヴェルダンデ!
この間、黙って湖に出かけてしまったから、また置いてきぼりにされると思って……なんていじらしいんだ……!」
「…やっぱビックリするほどアレクに似てんなぁ……」
互いの顔をこすり合わせる主人と使い魔。その光景に、サイトは思わず友人たる王子の姿を重ね合わせてしまった。
行動パターンのまったく違う2人ではあるが、自身の使い魔をちょっと危ないくらいに溺愛している点は、本当に酷似している。
「言っとくけど、ビッグモールなんて連れていけないわよ?」
ルイズがため息交じりにそう漏らした時だった。
「きゃあ!?」
何かを嗅ぎ付けたかのように、ヴェルダンデがルイズに飛びかかったのである。巨体にのしかかられ、少女はろくに抵抗もできず押し倒されてしまった。
「嫌ぁっ! ちょと! ドコ触ってんのよ!!」
ルイズは今にもめくれそうになっているスカートを必死で抑えるが、巨大モグラは執拗に、彼女の右手を嗅ぎまわっている。
「なるほど、指輪か」
「ゆ、指輪?」
その様子を傍観していた金髪少年の発言に、サイトが思わず声を漏らす。
「ヴェルダンデは、宝石が大好きなんだ。特に貴重なモノに目がなくてね」
「冗談でしょ!?
姫様に頂いた貴重な指輪を、モグラなんかに食べられてたまるもんですかぁ!!」
ギーシュは実に爽やかに言ってくれるが、ハッキリ言って冗談ではない。
この任務のためにとアンリエッタが渡してくれた指輪を、事もあろうにモグラのエサにできるものか。ルイズはジタバタと抵抗を続ける。
と、その時、突風が砂塵を巻き上げてで吹きすさび、ヴェルダンデの巨体を吹き飛ばした。
「だ、誰だ!」
今の突風は、魔法に相違ない。自身の使い魔を吹き飛ばされたギーシュが、杖を構えて術者を探す。
「! 上だ!」
サイトの声に上空を見上げると、霞の中から、ワシの頭部を持ち、その翼を広げた巨大な獣が舞い降りてきた。いわゆる、グリフォンというヤツである。
「き、貴様、何者だ!」
幻獣の背にまたがっている人影に、ギーシュが杖を向ける。
するとその人物は、マントを翻してグリフォンから飛び降り、かぶっていた羽帽子をとってにこりと笑った。
「アンリエッタ様から君達の同行を命じられた、グリフォン隊隊長、ワルドだ」
流れるような長髪と口髭が凛々しい、いかにも紳士といった風貌である。なかなかの美男で、外見から察するに年齢は30代後半といったところか。
「あ、あなたは……!」
「あの有名な、魔法衛士隊の……!」
ルイズとギーシュは、彼のことを知っているらしい。どうやらこの御仁、なかなかの有名人のようだ。
「ルイズ……」
と、その時、ワルドと名乗った男が、おもむろにルイズへと歩み寄った。
「おどかしてすまない。ボクの許嫁が、襲われているのかと思ってね」
「許嫁ぇ!?」
少女の手を取って紳士が口にしたその言葉に、サイトが目を見開いて驚愕の声を上げる。
その後ろではギーシュも同様に、あんぐりと口を開けていた。
「ふふ、相変わらず軽いな、君は。まるで羽のようだ」
そんな男2人など気にも留めず、ワルドはルイズの背と膝を支えにして言葉通りに軽く抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこである。
彼女も彼女で、特に抵抗もせず、顔を赤く染めておとなしくしている。どうやら、許嫁というのは、まんざらウソでもないらしい。
そんな様子を、霞に覆われた上空から、1羽の鳥が輪を描きながら眺めていた。
〜第22話 『2人の心』〜
出発してからというもの、サイトは終始仏頂面だった。どうやら、道中ルイズが馬ではなく、ワルドに抱かれたままグリフォンに乗っていたことが、気に食わないらしい。
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。それが、突然に現れたキザ野郎のフルネームである。あんな顔で、実は26歳という若者であるらしい。
風系統のスクエアメイジで、トリステイン王国の魔法衛士隊、『グリフォン隊』の隊長を任された、まさに、エリート中のエリートだ。
ギーシュはかの高名な隊長殿が自ら志願してまで護衛をしてくれるということで、ひどく感激している様子だが、サイトにしてみれば冗談ではない。この2人のスウィートな雰囲気を間近で見るのは、なぜだか気分が悪かった。
そんなこんなで、ぎくしゃくしながらも山道を抜け、ラ・ロシェールという町に一行はたどり着いた。土系統のスクエアクラスのメイジが岩から切り出して作った建物群が特徴の、アルビオンへと通ずる港町である。
ともあれ、長旅だった上に町に着いたのが夕方ということもあり、かの王国への出航は明日の夜へと持ち越しになった。今は、夕食の時間までそれぞれに別行動だ。
「あのね、言っとくけど……」
「なんだよ」
終始不機嫌そうなサイトに、ルイズが話しかけるが、彼の返事はそっけない。
「許嫁って言っても、親が決めたことなのよ?」
「ふーん」
また、返事はそっけなかった。
「…『ふーん』って何よ……?」
「…キザだけど、今まで会った貴族の中じゃ、アレクの次にまともそうだし…いい人じゃねぇか……」
ルイズに背を向けたまま、サイトは夕日を見つめてそう漏らす。
「ッ! そうよ……! 子供の頃から、ずっと憧れてたんだから……!
ご両親を早くに亡くされて、苦労して魔法衛士隊の隊長になったんだから!」
そんな使い魔の態度に苛立ったかのように、ルイズは言わなくていいようなことまで口にする。
高嶺の花だったアレクと違って、ワルドは素直に尊敬の対象だった。幼かった時分には、まるで本物の王子様のようにすら見えたものだ。
「アンタみたいな……ッ!?」
そこまで言いかけたところで、サイトが振り向いた。その瞳にあったのは、いつになく、寂しそうな光。
「な…何よ……」
「…まあ、アレだ…オレがついてくることも、なかったっていうか……」
「むしろ、邪魔だろ?」。そう言うかのように、肩をすくめて笑う少年。
「〜ッ! 使い魔なんだから、一緒に来るのは当然でしょ!!」
そんな彼に、ルイズはまたしてもそんな言葉しか送れない。素直になれない少女はマントを翻し、いずこかへ歩き去ってしまった。
1人残された少年は、力なく手すりにもたれかかる。
「なんだオメェ、ルイズに惚れてたのか」
そんな様子の相棒に、デルフが冷やかすかのように声をかけた。声色が、実に楽しそうである。一瞬、アレクの顔がサイトの頭をよぎった。
「惚れてねぇよ! 乱暴でわがままで、性格なんてひん曲がってるし……!」
手すりに立てかけた剣に目を合わせることなく、サイトは腕を組んでそう言い放つ。
「じゃ、なんでそんなに落ち込むんだ?」
「…………」
次いで紡がれたその問いに、彼は答えることができなかった。なぜだか、胸の中がモヤモヤする。今まで感じたことのないこの感情の正体を、推し量られずにいたのだ。
「…『オレが守ってやる』なんて、カッコいいこと、言わなきゃよかった……ただ、それだけだ……」
故に、少年はそう漏らす。
その言葉は、間違ってはいない。昨夜、小さな肩にかかる責任感に押しつぶされそうになっている姿を見かね、思わず自分が守ると励ました少女には、なんのことはない、すでに立派な王子様であり騎士様がいたのだ。ただの使い魔に過ぎない自分など、初めから勝ち目がないではないか。
そんなわけの分からない思考と共に、夕日はハルケギニアの大地に沈んでいった。
夕食を終え、ルイズはワルドとの相部屋で、彼とグラスを交わしていた。
今は、昔話に花を咲かせている最中だ。
「君はいつも、お姉さんたちと魔法の力を比べられて、あの小舟の中でいじけてたっけ……」
「もぅ…ワルド様……」
過去の恥ずかしい自分を思い出し、ルイズは頬を赤く染める。
当時の自分は、他者との才能の違いに劣等感を感じて、ただただ泣くばかりの、本当にダメな子供だった。
「でもボクは、あの頃から君が放つ、『誰にもないオーラ』を感じていたよ」
「『誰にもないオーラ』……?」
そんな子爵の発言に、ルイズは疑問符を浮かべる。
「そうだ。『神童』と名高き、あのアレク殿下にすらないオーラをね。
君には、君だけが持つ、『特別な力』があるんだよ」
「そ、そんなこと……」
あり得ない。恥ずかしそうにルイズはワルドの言葉を否定する。
今でも魔法は失敗続き。何を成そうとしても、結局は爆発して、それで終わりである。
そんな自分が、若くして『トリステイン一の魔法使い』とも言われる少年以上であるなど、信じられない。
「この任務が終わったら、結婚しよう」
「ッ!」
だが、ワルドの瞳の光は変わらなかった。
それどころか、さらに輝きを増して、直球ド真ん中の求婚の言葉が口から飛び出す。
突然の告白に、ルイズは思わず肩を震わせた。
「ボクは魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。
いずれは国を…いや、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」
ルイズの隣へと歩み寄り、彼はワイングラスを掲げて高々と宣言する。
結構な志だ。彼ほどの実力と努力する才があれば、いずれは現実になるかもしれない。ヴァリエール家の娘の婿としても、文句のつけようがないだろう。
だが、
「でも…そんな急に結婚だなんて……」
心の準備が、できていない。ルイズは、弱々しくそう呟く。
「ボクには、君が必要なんだ。ルイズ」
そんな少女の顎に手をやり、ワルドはくいっと彼女の顔をこちらに向ける。動揺する彼女に、最後の仕上げにと、小さく囁いた。
「君は、ボクが守ってあげるよ」
瞬間、ルイズの脳裏にとある少年の言葉がよぎる。
それはまさしく、昨夜寝る前に、重大な任務へのプレッシャーに押しつぶされそうになっている自分に、サイトが贈ってくれた言葉と同じだったのだ。
「サイト……」
「ッ!」
無意識に少女の口から呟かれたその名前に、ワルドの目が見開かれた。
「…君の心に、誰かが住み始めているみたいだね」
「ち、違うの! サイトは異世界から何も分からずに来たから……!
呼び出したのも私だし…責任が……!」
少女の顎から手を離し、ワルドはため息交じりにそう漏らす。
ルイズは必死に言いつくろうが、その顔はもはや真っ赤だ。
「いいさ。今、返事をくれとは言わない。
この旅が終わるまでには、君の心はボクに傾いているはずだからね」
肩をすくませ、ワルドは部屋の外へと歩いていく。
「もう1部屋借りることにしよう。おやすみ、ルイズ」
そう言い残し、羽帽子の紳士は夜の廊下へと消えていった。
「……なぁ、デルフ」
「なんだ相棒」
ちょうどその頃、用意された部屋に戻るなり、ベッドの上に寝転がっていたサイトは、壁に立てかけてあるデルフに語りかけた。
ちなみに、部屋はギーシュとの相部屋なのだが、彼は現在ここにいない。ガールハントしに行くと言って、胸を張って夜の町へと繰り出していった。
「『ガンダールヴ』って、知ってるか?」
「何、今さら言ってやんでぇ」
何気なく問いかけたその言葉に、錆刀は呆れたとばかりに返してくる。
「オメェがガンダールヴでなくてなんだってんだ。
6千年前も今も、オレの相棒は、ガンダールヴに決まってらぁな」
今この剣は、さらっととんでもないことを口にした。つまりは、デルフは6千年前に作られていて、さらに当時のガンダールヴの持ち物でもあったのだ、と。
衝撃の事実に、サイトは思わずデッドから跳ね起きた。
「武器屋のバーゲン品を、たまたま買ったんだぞ? 偶然にしたって……」
そう、あの日あの時、たまたまルイズの手持ちがさびしかったから買ったただの錆刀が、伝説の使い魔の持ち物であったなど、偶然にしてもできすぎている。
「この世に『偶然』なんてねぇ。オメェさんはオレの相棒だ。
だから、オレはここにいる。当たり前のこったろ?」
しかし、そんなサイトの言葉を、デルフはあっけらかんと否定した。
それがアレクであったならば、こう言っただろう。すべては、起こるべくして起こった、『運命』であり、『必然』なのだ、と。
「じゃあ、なんで今まで黙ってたんだよ?」
「聞かなかったじゃねぇかよ」
ならばもう少し早く言えとサイトは抗議の言葉を漏らすも、そんなふうに返されてしまった。なるほど、確かにその通りである。
反論の余地をなくし、少年は肩を落とした。
「…武器を自在に操る力…か……」
デルフ曰く、それが『ガンダールヴ』の能力であるらしい。
とはいえ、その対象は『武器として作られたモノ』に限定される。以前に振るっていた金ピカの剣は、元々が飾り物として作られていた。故に、モット邸に乗り込んだ時には、力を発揮できなかったし、フーケのゴーレムと対峙した時も、簡単にへし折れたのである。
「……お前を抜けば、勝てるのかな……」
ふと、そんな呟きと共に、ワルドの顔が脳裏をよぎった。
実を言うと、先ほどの夕食の席で、サイトはかの親衛隊長から、腕試しという名の決闘を申し込まれていたのだ。
ワルド曰く、ギーシュとの決闘やフーケの捕縛など、これまでにサイトが挙げてきた功績を耳にし、少なからず興味を抱いていたとのこと。それらは本来ならば機密扱いの情報なのだが、親衛隊の長であるという立場上、様々な情報が入ってくるのだとか。
出航の時間は明日の夜。それまで何もせずにただ待つのも退屈極まる。故に、暇つぶしがてら戦おう。要はそういう理屈だ。
その物言いに少々カチンときたサイトは、仏頂面を隠そうともせず、ルイズの制止も聞かずにその申し出を受諾した、というわけである。
ルイズやギーシュの話を聞くに、かなりの魔法の使い手のようだが、『ガンダールヴ』の能力があれば、勝てるのではないか。そう思ったのである。
「アホか。そりゃあ使い手次第だろ。武器は、使われるだけだ」
だが、相棒の返事はそんなモノだった。結局は、使い手であるサイト次第。金具をカタカタと震わせて、そう語る。
「そっか……。そう、だよな……」
少年は窓の外の星空を見上げ、静かにそう呟くのだった。