一夜明け、日も高く昇った魔法学院の学生寮の1室を、1人の女性が訪ねていた。
「なんですって!? それは本当ですか!?」
来訪者から報告に、部屋の主は弾かれたようにイスから立ち上がる。
「申し訳ございません! 現在、総力を挙げて捜索しておりますが、一向に……!」
流れるようなプラチナブロンドの輝く頭を深々と下げて、謝罪の言葉を紡ぐ女性。その顔には、悔しげな表情が張り付いていた。
報告の内容は、王宮の地下牢から、土くれのフーケが脱獄した、というものだ。相手は成り行きとはいえ、エルバート家当主を殺害しようとした極悪人。大勢の兵士を動員して捜索しているも、依然として発見できていないとのこと。
――――――――――――――――ちょうどいいから、王太子の命でも貰おうかと思ってねぇ……―――――――――――――――
瞬間、少年の脳裏に、フーケの言葉がよぎった。
あの時、盗賊の討伐に自分が加わったのは、完全に偶然だった。しかし彼女は、もしかしたらあの場にいなかったかもしれない自分の殺害も、目的の1つだったとばかりの発言を残したのだ。今更ではあるが、少々不自然である。
先日送られてきた、親友からの手紙の内容。昨日の早朝、護衛を伴ってアルビオンへ向かった友人達。そして、あたかも狙い澄ましたかのように、このタイミングで脱獄したフーケ。果たして、偶然なのだろうか。
「…ッ! まさか……!」
エメラルドの瞳が、一層大きく見開かれる。1つの可能性に思い至り、少年は空の彼方、雲の向こうを見上げるのだった。
〜第23話 『引き裂かれた絆』〜
夕日が沈む。
小高い丘の上の手すりに寄りかかるように、サイトは赤く染まった夕暮れを見つめていた。
―――――――――――――――――――――――君ではルイズは守れない―――――――――――――――――――――――
今朝方ワルドに言い渡されたその言葉が、少年の心に、深々と突き刺さる。
結論から言えば、サイトは決闘に敗北した。彼は元々剣術とは無縁の生活を送っていたのだ。いかに身体能力が上がろうと、素人の繰り出す太刀筋は、戦闘のプロであるワルドにしてみれば躱せないことはない。そして逆に、正式に剣術を学んだものであるならば、自分より素早く動く敵を切り伏せる技術も、当然持っている。
結果、戦闘経験の差が浮き彫りになった形で、勝負は決したのだ。
自然とその目には、熱いしずくが浮かんでいる。
「サイト!」
そんな時、聞き慣れた少女の声が耳に届いた。
「こんなところにいたの」
「…どこにいたっていいだろ!」
咄嗟に腕で目をこすり、流れかけた涙をぬぐう。
「もしかして…泣いてるの?」
「ほっとけ!」
知られたくない事実を、あっさりと看破されてしまった。自然と、返す言葉も刺々しくなる。
「相手は魔法衛士隊の隊長よ? 王家を守る守護隊長なのよ? 負けたって……」
「そんなんじゃねぇよ……!
空眺めてたら、もう一生帰れねぇのかなって、情けなくて涙が出てきただけだ!」
ルイズにしては珍しい気遣いの言葉が、今は心に痛かった。
だから、心にもない虚勢と、口から出まかせを吐いてしまう。
本当は、悔しくてたまらない。衛士隊だとか隊長だとか、そんなことは関係ない。ただ、自分の居場所を奪われたようで、悲しかった。
「とにかく! このハルケギニアにいる間は、私の使い魔なんだからね!
身の回りの世話もしてもらうし……」
ルイズは顔を赤らめながら、言葉を紡いでいく。
「私を、守ってもらわないと……」
いつしか感じ始めた、無礼極まる使い魔との絆。それを、確かめるかのように。
「…ワルドに守ってもらえばいいだろ……」
しかして、そんな少女の想いを、少年はハッキリと拒絶した。
一瞬、ルイズの顔に影が落ちる。
「…やっぱり負けたこと気にしてるんじゃない!」
「うるせぇっ!!」
意を決して肩に手を置くも、それは強引にふり払われてしまった。
振り返ったその顔に張り付いていたのは、今まで見たこともない形相。怖かった。見知った少年が突然、どこかに行ってしまったように思えたから。
サイトも、そんなルイズの顔を見て、再び悲しげに茜色の空へと視線を戻す。
2人の間に、気まずい沈黙が流れる。
「……ウソつき……」
少女は蚊の鳴くような呟きを残して、その場を後にするのだった。
空が暗く沈んでもなお、サイトはその場を動いていなかった。
「サイト! 何グズグズしてるんだ。もうすぐ出航の時間だぞ」
「あぁ、そうかよ……」
しびれを切らしたギーシュが呼びに来ても、この有様である。もはや、魂を抜かれた抜け殻のようだ。
ギーシュが呆れかえっていると、突如として、辺りに地鳴りが響き渡った。
「な、なんだ? 地震か?」
「! ギーシュ! 後ろだ!」
サイトの声に後ろを振り向いてみると、そこには巨大なゴーレムがそびえ立っていた。
「アハハハハハハハ! 久しぶりだねぇ!!」
なぜ、こんなところにゴーレムがいるのか。わけが分からないと言った様子の2人の耳に、高らかな笑い声が届く。
「フ、フーケ……!」
声の音源、ゴーレムの頭部へと目をやると、そこには見慣れた女盗賊の姿。
牢獄に入れられたと聞いていたが、脱獄でもしたのだろうか。
「何しに来やがった!」
サイトが剣を構えて、そう叫ぶ。
ギーシュはというと、そんな彼の背中に隠れていた。なんとも情けない男である。
「何って、牢屋に入れてくれた、お礼を言いに来たのよ!」
フーケが杖を振るうと同時、ゴーレムの腕が2人を襲う。
が、それはあっけなくデルフリンガーの一閃によって斬り落とされる。
「やるじゃないか…だが!」
フーケが再び、杖を振るう。
するとどうだろう。辺りの岩肌を吸い寄せ、失われたゴーレムの腕が見事に再生してしまったではないか。
『破壊の杖』奪還任務の時と、同じ状況である。
「ボクだって土のメイジだ……! 行けっ!」
今度はギーシュが杖を振るい、6体の青銅のゴーレムを召喚した。以前、サイトと決闘した時の、アレである。
「何をしても無駄よ!」
が、それらは巨大な岩のゴーレムの激烈な拳によって、あっけなく全滅してしまった。
ギーシュは再び、サイトの後ろに隠れる。つくづく、頼りがいのない男である。
旗色の悪くなった彼らに、ゴーレムが1歩、歩を進めた。
その時、
「ぐぅっ!? な、何!?」
術者の驚愕の声と共に、ゴーレムはその動きを止めた。
余裕をかましていたフーケの頭上から、燃え盛る火の粉が降り注いだのだ。
「あ…アレは……!」
「ホークスか!?」
ギーシュが指差す先を見てみると、そこには虹色の炎と化した羽を現在進行形でまき散らしている、1羽の若鳥。
間違いなく、アレクの使い魔である鳥の王、ホークスである。
「なんの騒ぎだ!?」
と、そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけた住人達が集まってきた。まあ、これだけ派手に暴れまわれば、当然の結果だろう。
「チッ! まぁいい、足止めはできた……!」
そろそろ潮時だとばかりに、舌打ちを1つ残して、フーケは夜の闇へと消えていくのだった。
「やれやれ…助かったな……」
九死に一生を得たとばかりに、額の汗をぬぐうギーシュ。断っておくが、彼は今回、何もしていない。
「お前…どうしてここに……」
そんな役立たずのことなど気にもせず、サイトは自分の前に舞い降りてきた不死鳥を見て、驚愕の声を漏らす。
彼女は、アレクの使い魔であるはずだ。それがここにいるということは、すなわち、
「申し訳ありません。少々、遅くなりました」
「ア、アレク殿下っ!?」
その主人である彼も、ここにいるということである。
いるはずのない、というか、いてはいけないはずの人間が突然物陰から姿を現し、ギーシュが素っ頓狂な声を上げた。
「お、お前なんで……!?」
今回の任務は、彼ですら知らないはずである。アンリエッタ自らが、彼に知られないように極秘裏に事を起こしていたはずなのだ。それなのに、なぜ。サイトの疑問は当然と言える。
「そんなことよりも、気づきませんか? この、猛烈な違和感に」
しかし、そんなことなど気にするなと言わんばかりに、アレクはサイトの瞳を見る。
その時だった、彼らの頭上を、巨大な帆船が空気を切り裂く轟音と共に通り過ぎていく。
「アレが、あなた達が乗るはずだったフネです」
「『船』って……飛んでるじゃないか!」
「当たり前だろう。アルビオンは浮遊大陸だぞ」
何を今さらとでも言うように、ギーシュが呆れたような口調で言う。
めまぐるしく明かされる真実に、サイトは空いた口がふさがらない状態だ。
空飛ぶ船に、天空に浮かぶ島まで存在するとは。異世界の住人である彼には、想像の範疇を超えていたのだろう。
「って、ちょっと待て! アレが、オレらが乗るはずだった船ってことは……!」
「ええ、先ほど、確認を取ってきました」
そこで、ふと気づいたかのようにサイトが叫ぶ。
彼の予想を肯定するかのように、アレクはゆっくりと頷いた。
「『付き人はここで引き返す手はずになっている』と、ワルド子爵は港の窓口に、そう説明していたようです」
そして、彼はルイズと共にあのフネで旅立っていった。サイトとギーシュを、置き去りにして。
「なっ…なぜ、子爵はそんなことを……」
わけが分からないとばかりに、ギーシュはフネが飛び去って行った方向を見る。
その時、サイトの瞳がはっと見開かれた。
「…フーケのヤツ……!
逃げる時、『足止めはできた』、とか言ってやがった!」
「な、なんだって!? それじゃ、フーケと子爵は……!」
吐き捨てるようなサイトの言葉に、ギーシュは驚愕の声を上げる。
女盗賊の襲撃と捨てゼリフ、そしてそれに示し合せたかのようなワルドの独断行動。それらが指す真実は、もはやバカにでも予想できる。すなわち、2人は共謀者である、と。
「確証はありませんが、これで彼が裏切り者であるという可能性は、限りなく高くなりました……」
「う、裏切り者……!?」
2人の少年の予想を肯定するかのように語るアレクの言葉に、ギーシュはまたも驚愕の声を上げる。
「お前…何か知ってるのか……!?」
サイトの問いかけに、アレクは懐から1通の封筒を取り出す。
「そ、それは……?」
「古い友人からの、密書ですよ」
ギーシュの疑問に、銀髪の貴公子は爽やかにそう答えるのだった。
夜が明けたアルビオン大陸。
地上から3千メイルの高さに浮かび、下半分が白い雲に覆われているその大陸に、ルイズとワルドは降り立っていた。
現在は、王侯派が密かに隠れ住んでいるという、教会の前まで来ている。
「…………」
ついに、課せられた使命が終わる。そう思った時、ルイズは急に心細さを覚えた。
サイトとギーシュは、昨夜、ラ・ロシェールから学院に引き返していったらしい。ワルドがサイトに理由を聞いても、さびしそうに笑うだけで、何も答えずギーシュを引きずっていったのだとか。
なんだろう。ワルドはサイトよりも、ずっと頼りになる騎士のはずだ。それなのに、どうして自分は、こうも不安なのだろう。なぜ、こんなにもさびしいのだろう。
そんな思考に浸っている間にも、ルイズはワルドに導かれ、教会の中へと足を踏み入れていく。
「…誰も、いないわ……」
中は、ひっそりと静まり返っていた。ステンドグラスから差し込む陽光だけが、薄暗い室内を照らしている。
アンリエッタの情報は、もしかして間違っていたのだろうか。
「いや……!」
しかし、ルイズの漏らした言葉を、ワルドの一言が否定した。
不思議に思った少女が彼の目線の先を見ると、
「ひっ……!?」
武骨な甲冑でその身を頭まで覆った騎士が、物陰から次々と姿を現して来るではないか。
そのうちの1人が、ゆっくりと近づいてくる。
「こちらはトリステインからの特命大使、ラ・ヴァリエール嬢だ。
ウェールズ皇太子に、お目通り願いたい」
ルイズの前に1歩踏み出したワルドが、甲冑の主にそう語りかける。
が、
「トリステインからの使い……? もう少しマシなウソを言うんだな」
相手はまったく信じていないようで、ワルドののど元に剣を突きつけた。
声から判断するに、若い男のようだ。
「ここを知る者が、あの国にいるはずはない」
いや、いるにはいるが、その人物がこの状況で使者をよこしてくる意味がない。
甲冑の騎士達が、一斉に戦闘の意思を示して抜刀する。
「ア、アンリエッタ王女から聞いたのよ!」
その時、ルイズがワルドを押しのけて、気丈にも甲冑男の前に足を踏み出した。
その名を聞いた甲冑が、ピクリと肩を震わせる。
「あなた達に用はないわ! ウェールズ皇太子は、どこにいるの!?」
何かを振り払うかのように、右手を振り抜く。その薬指には、アンリエッタから授かった指輪が輝いていた。
「! その指輪は……!」
その光を見るや否や、目の前の甲冑男は剣を収め、自身の右手を覆っていた手袋を外す。その薬指には、ルイズのモノとよく似た指輪がはめられている。
「さあ!」
そう言って、右腕を、というより、はめられた指輪を突き出してくる甲冑男。
ルイズは、わけが分からないと言った様子で、指輪と甲冑の仮面を交互に見やった。
「指輪を前に出すんだ。さあ……!」
どこか優しげなその言葉に、ルイズは恐る恐る指輪を前に突き出す。
その時、2つの指輪の間の空間が、虹色に輝きだした。
「こ、これは……!?」
「この指輪は、アルビオン王家に伝わる、『風のルビー』。そしてそれは、『水のルビー』」
目を見開いての少女の疑問に、甲冑騎士が優しく説明してくる。
「水と風は虹を作る。王家にかかる虹を……」
指輪の主は自らの兜に手をかけ、武骨なそれを脱ぎ去った。
その素顔を目の当たりにしたルイズが、あっと声を上げる。
「失礼した、大使殿。
私が、アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
そこには、優しげな微笑みを浮かべる、アレクに勝るとも劣らない金髪の美少年の姿があった。