「アンリエッタ姫殿下からの密書です」
王侯派たちの隠れ家となっている、森の中にたたずむ建物。ウェールズのためにと割り当てられた薄暗い室内で、ルイズは1枚の封筒を差し出す。
その封緘には、間違いなくトリステイン王家の紋章をかたどった封蝋が用いられていた。
「……分かった。ではコレを……」
封筒の中から手紙を取出し、その内容に目を通すと、ウェールズは息を1つ吐いてタンスの中から1枚の封筒を探し出し、ルイズへと差し出してくる。
「あの…皇太子様……!」
「なんだね?」
目的の手紙を受け取り、ルイズは意を決してウェールズに話しかけた。
「アンリエッタ様は…亡命をお勧めになったのではありませんか……?」
その問いに、ウェールズの眉がピクリとわずかに動く。
「……勘ぐりすぎだ、ミス・ヴァリエール。
そのような内容は、この手紙のどこにも記されてはいない」
が、返ってきたのは否定の言葉だった。偉大なる始祖に誓って、アンリエッタは亡命など勧めてはいない、と。
「で、ですが……!」
「たとえ、そうだとしても、私はこの地を離れるつもりはない」
納得できないとばかりにルイズはなおも詰め寄ろうとする。アルビオンの情勢不安定は、もはや佳境に迫っている。このままでは、ウェールズは間違いなく、戦乱の中で命を散らしてしまうだろう。
しかし、目の前の美少年は断固たる意思を示した。
「この戦いは、単なる王侯と貴族の闘争ではないのだ……!」
〜第24話 『裏切りの結婚式』〜
「『レコン・キスタ』……? なんだそれ?」
雲の上を泳ぐフネの中で、アレクの口から飛び出した単語に、サイトが疑問符を浮かべた。
結局あれから3人は、明け方に出航した次の船便に乗って、アルビオンへと向かっている。いかに怪力を誇る不死鳥といえども、身体が小さいため、人間3人に巨大モグラ1匹を1度に掴んで飛ぶなどという芸当は無理があるのだ。
ホークスがモグラを掴み、その下にアレク達3人がぶるさがれば運べないことはないが、アルビオンまでの長距離をそんな状態で移動して、人の腕力と体力が持つはずもない。途中で力尽き、空の藻屑と化すのが関の山である。
「アルビオンの内乱で影から糸を引いている、とある集団の名です」
友人の疑問に、アレクは表情を引き締めてそう語る。曰く、かの大陸で反乱を起こしている貴族達は、その集団に踊らされているだけなのだとか。
「し、しかし…どうやってそんな組織の存在を……」
あまりの事実に、デマか何かをつかまされたのではないかと疑うギーシュ。
実際、アルビオンが情勢不安に陥ってから、かの王国とトリステインはまともな外交を行っていない。そんな状態で、なぜ国の内部でうごめくという謎の秘密結社の存在を突き止められたのか。疑問は当然と言える。
「古き友人の、命をも惜しまぬ尽力のたまものです」
その疑問に答える少年の手には、1通の手紙。それが入っていた封筒には、紛れもなく、アルビオン王家の紋章をかたどった封蝋が残されていた。
「元来、我がエルバート家は、トリステインとアルビオンとの架け橋的存在。
代々の当主は、独自の情報網を駆使し、両王家をつなぐ仲介役を担ってきました」
それはさながら、風と水が大空に作り出す、七色に輝く虹のように。
そして、その情報網は、内乱が勃発した今でも細々と生きている。だからこそ、アンリエッタはアルビオン内部の情勢不安をいち早く察知でき、さらには皇太子の潜伏先までも把握できたのだ。
「内乱勃発後も、ウェールズ皇太子とボクは、互いにそれとなく密書を交わしていたのです」
ひとまずの予備知識を語り終え、本題を切り出すアレク。
「そして最後に送られてきたこの手紙で、その存在を知らされました」
手紙には、こう記されていたという。
『私はアルビオンの王子として、この国を守らねばならない。その結果、この命が失われることになろうとも、最期の瞬間まで、王族としての責務に身を投じる』、と。
「姫殿下は、おそらく書状で亡命を促したのでしょうが……彼は聞き入れないでしょうね……」
悲しそうに、窓の外に広がる雲の海を見つめるアレク。
その様は、親友が選んだ誇り高くも愚かな選択を、嘆いているかのようだった。
「…って、ちょっと待てよ……? このタイミングでこの騒ぎってことは……!」
はっと、何かに気付いたかのように顔を上げるサイトに、アレクは無言のまま静かに頷くのだった。
ウェールズの部屋を後にしたルイズは、受け取った封筒を胸に抱き、扉の前で悲しげに顔を俯かせた。
「お考え直してください! 死ぬと分かっていて戦地に赴くだなんて……。
姫様は…きっとアレクだって悲しみます!!」
「……そうかもしれない。だが、これは私に課せられた使命なのだ。逃げ出すわけにはいかない」
先ほどまでの皇太子とのやり取りが、少女の脳裏にフラッシュバックする。
「このまま易々とレコン・キスタに国を明け渡せば、ヤツらはすぐさまトリステインへ侵攻を始めるだろう……。
我が国の不祥事が、他国にまで被害を及ぼすなど、あってはならないことだ」
しかし、現状を見れば政権を奪取するのはほぼ不可能。いずれはこの島国を、レコン・キスタが支配するだろう。
「ならばせめて、わずかでもヤツらの戦力をそぎ、時間を稼ぐ必要がある……。
トリステインが、来るべき侵略に対抗しうる軍備を整えるまでの時間をね」
そう語るウェールズの瞳を見たルイズは、思わず身震いした。そこにあったのは、物腰柔らかな貴公子のそれではなく、死を覚悟した戦士の危うい輝きだったのだ。
「2人に伝えてくれ。すまない、と」
少女はもはや、何も言えなかった。あまりにも悲壮で頑なな決意を前に、かける言葉など見当たらなかったのだ。
皇太子に促されるままに部屋を後にし、こうして何をするでもなく、閉ざされた扉の前で立ち尽くしている。
悲しい運命によって引き裂かれた2人の男女。思わず、アレクサンドラ・ソロと、マリィ・アンを連想してしまう。
形は違えども、社会という波に飲み込まれていった、または飲み込まれつつあるこの2組のカップルは、実によく似通っていた。
「それが、例の手紙だね?」
「っ!」
扉のノブを握ったまま、そんな思考にふけっていると、ワルドの声が耳に届いた。
振り返ると、そこにあったのは建物の柱に背を預ける彼の姿。
「これで任務は終了だな。
…そろそろ、返事を聞かせてくれないか……?」
少女の元へと歩み寄り、ワルドはそう問いかける。
そう、彼の求婚に対する返答を、彼女はまだ返していなかったのだ。
「…………」
この青年は、自分にはもったいないくらいの男性だ。
魔法の腕は間違いなく一流。顔も美形で、アレクとはまた違った凛々しい空気を纏っている。冗談交じりとはいえ、親同士も彼ならばと、半ば認めているほどだ。
「……私……」
それなのに、なぜだか違うと思えてしまう。
彼と2人きりだった航路でも、瞳を閉じれば、浮かんでくるのは一人の少年の笑顔。
無作法で、口が悪くて、文句ばかり言うダメな使い魔だけれど、大切なことを思い出させてくれた、自分の存在を否定せずにずっとそばにいてくれた、かけがえのない存在。
「私、ワルド様の求婚……お断りさせていただきます……!」
いつの間にか、自分はこんなにも彼に惹かれていたのだ。こんなにも、彼を好きになっていたのだ。
それに気づいた瞬間、少女はもはや迷わなかった。深々と頭を下げ、謝罪と、拒絶の言葉を口から紡ぎだす。
「……そうはいかない」
「え……?」
不意に耳に届いたその言葉に、ルイズは思わず疑問符を浮かべた。
顔を上げようとした次の瞬間には、少女の両腕はワルドにつかまれ、身動きができなくされてしまう。
「なっ…何を……!?」
突然豹変した紳士の行動に、ルイズは半ば混乱していた。
「君はボク…いや、我が『レコン・キスタ』に必要なんだ」
「レ、レコン・キスタ……!?」
一瞬、少女の脳裏に稲妻が走った。
混乱で沸騰しかけていた思考が、急激に冷却される。
この男、ウェールズの言っていた秘密結社の一員だったのだ。今回、護衛に志願したのも、その目的が関係しているに違いない。
「だっ、誰か…むぐっ!?」
人を呼ぼうと叫ぼうとしたが、ワルドの大きな手によって口を塞がれてしまう。
それでも逃れようと暴れる少女の前に、金髪をカールさせた見知らぬ男が現れた。
「逃げられはせぬ……虚無の末裔よ」
鷲鼻の下の口が、不敵に歪む。彼が突き出してきた左手の中指には、埋め込まれた大きな宝石が怪しげに輝く指輪。
(虚……無……?)
その輝きを目にした少女の意識が、急激に薄れ始める。
闇に落ち行く意識の中で、誰とも知れぬ男の呟きが、彼女の脳裏にこだましていた。
夕暮れに染まる教会に、鐘の音が響き渡る。
「では、始めよう」
巨大なステンドグラスを背にして立つウェールズがそう告げ、教会の扉から祭壇までズラリと2列に並んだ甲冑の騎士達が、天に突き立てるかのように剣を構える。
そこに生まれたバージンロードの先、ウェールズの目の前には、2人の男女が並び立っていた。
「新郎、子爵、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。
汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻にすることを誓いますか?」
「誓います」
媒酌を務めるウェールズの言葉に、ワルドは即答で返す。
そして、ウェールズの視線は、彼の隣に立つ『新婦』へと向けられた。
「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
この者を敬い、愛し、そして、夫とすることを誓いますか?」
純白のベールで顔を覆った、桃色ブロンドの少女へと。
「ち…ちか……ちか…い……」
「……新婦?」
唇を小刻みに振るわせるルイズを見て、ウェールズが不思議そうに問いかける。
「申し訳ありません。新婦は少し、緊張しているようでありまして」
そんな皇太子に、ワルドは申し訳なさそうに説明した。
「さもあろう」
ウェールズは、新郎の言葉に、納得だとばかりに頷く。
これぞまさに、乙女の一大事だ。まだ10代の少女が、人生のターニングポイントに立っているのだから、緊張のあまりに言葉をうまく発せられないのも当然である。
「では、今1度問う」
しかし、彼は気づくべきであった。
ベールに隠された少女の瞳が、まるで意思のない人形のように淀んでいることに。そして、教会の数多ある柱の陰から、怪しく輝く指輪を手にした男が、不敵な笑みを浮かべていることに。
「ち、誓い……」
再度のウェールズの問いかけに、今度こそルイズの唇がその言葉を口にするかと思われたその時、
「ルイズッ!!」
けたたましい足音と共に教会の扉を蹴破った少年の叫び声が、この茶番に終止符を打った。