小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 「ルイズッ!!」


 その声を耳にした瞬間、うつろだった少女の瞳に光が戻った。


 「サイト!!」

 「バ、バカな!? 呪縛が……!」


 ルイズはベールを脱ぎ棄て、扉の向こうに立つ少年の名前を叫ぶ。
 突然の訪問者に加えて、あり得ない展開。ワルドの顔には珍しく焦燥の色があった。


 「なぜ、ここが分かった!?」


 この場所は、任務の依頼者であるアンリエッタと、彼女から情報を与えられていたルイズ以外には知りようがない。サイトがこの場にたどり着くなど、万に一つもあり得ないのだ。
 しかし、そんな彼の疑問は、次の瞬間に目に飛び込んできた光景によって、アッサリと氷解した。


 「ワルド、あなたの計画もここまでです」


 サイトの背後から身を乗り出したその姿は、トリステインの第2王位継承者であり、ハルケギニアに名を轟かせる神童その人だったのだ。
 なるほど、両王家の仲介役を担い、情報を管理している彼ならば、この場所を知っていてもなんら不思議はない。もっとも、学院を出発した時にはいなかった彼が、なぜサイト達に合流しているかという疑問に関しては、ワルドには想像することしかできないが。


 「ふ、2人とも……も、もぅ少しゆっくり……」


 並んで仁王立ちする少年2人の後ろから、息も切れ切れといった様子のギーシュが、ヨロヨロと追いついてきた。
 大量の汗をかき、肩で息をするという体たらくだが、到着した際にバラの造花を口にくわえてポーズをつけるのだけは忘れない。


 「ア、アレク……? なぜ君がここに……」


 突然飛び込んできた親友の姿に、ウェールズは半ば唖然と呟いた。
 あり得ないのだ。彼の立場を考えれば、内乱中のこの国を訪れるなど。それを、自身の幼馴染であり、想い人でもあるアンリエッタが容認するなど。
 そして、その混乱は皇太子の心に、とんでもない隙を生んでしまった。


 「ッ! ウェールズ! その男から離れるんだ!」

 「!?」


 何かに気付いたかのような反応を見せ、血相を変えて叫ぶ親友。
 その意図をウェールズが読み取ろうとした、その時だった。


 ザシュ!!


 皇太子の胸を、冷たい何かが貫いたのは。







〜第25話 『心のありか』〜







 少年は、その光景が信じられなかった。彼の目の前、数秒も駆ければたどり着くその場所で、親友の胸に剣が突きたてられているのだから。血に濡れたそれを握っているのは、羽帽子とマントを纏った、新郎に他ならない。
 ウェールズの口から赤いしぶきがほとばしり、彼の瞳から生気が失われていく。
 深々と突き刺さっていた剣が引き抜かれ、力を失った皇太子の身体は勢いよく地に倒れ伏した。


 「ウェールズッ!!」


 トリステイン王国王太子の慟哭が、広い教会に響き渡る。


 「皇太子様ぁっ!!」


 最初にウェールズの下へ駆け寄ったのは、最も近くにいた花嫁。首の後ろに腕を回して抱き上げるも、彼はもはや虫の息だった。


 「おのれぇ!!」


 怒りに狂った甲冑達が、ワルドへと襲い掛かる。しかし剣を模した杖の一薙ぎによって、軽く吹き飛ばされてしまった。
 その威力は凄まじく、教会の入り口付近に立っていたはずのギーシュまでもが巻き添えを喰らってしまったほどだ。
 しかし、


 「何っ!?」


たった1人、風の魔法によって生み出された突風を、涼しい顔でかいくぐってくる者がいた。
 ワルドが驚く間にも、その人物はルイズの腕の中で力なく倒れている皇太子へと、疾風のごとき速さで歩を進める。


 「アレク! 皇太子様が……!」


 涙ながらに叫ぶルイズの手には、アルビオン王家に伝わるという『風のルビー』が握られていた。事情はよく分からないが、抱き上げた際にウェールズから渡されたのだろう。
 悲しげな笑みを浮かべて目をつぶる皇太子の額に手を当て、数瞬の後、アレクは首を左右に振った。


 「…もう、手遅れです……」


 絞り出すかのような声。しかしその呟きは、静まり返った教会に、殊更よく響いたという。
 まただ。また自分は、救うことができなかった。
 湧き上がる自責の念と後悔をこらえるかのように、歯を強くかみしめる。その音は、ルイズの耳元にまで届いた。


 「ア…アレク……っ」


 顔を上げた彼女の目に飛び込んできたのは、憤怒とも憎悪ともつかない表情を浮かべながら、大粒の涙を瀑布のように流す、銀髪の貴公子の姿。
 彼のこんな表情は、今まで見たことがない。修羅のごとき形相に恐怖すら覚えたルイズは、思わず肩を震わせる。


 「さすがは『神童』と謳われるだけのことはある。
  どうかな? 冥土の土産に、手合わせなど」


 彼の背後に歩み寄ったワルドが、三つ編みの流れる背中に杖を突きつけながらそう言った。


 「…手合わせ……?」


 そんな男に、アレクはゆっくりと首だけを回し、視線を送る。


 「笑わせてくれる……。
  裏切り者風情が…ボクと対等の勝負ができるとでも……?」

 「ッ!?」


 どこまでも人を見下すかのような、さげすむかのような瞳。
 その瞳を見た瞬間、裏切り者の背筋にゾクリと悪寒が走った。それまで感じたことのない、圧倒的な『殺気』に、本能が警鐘を鳴らしたのだ。


 「ワルドォオォオォオオ!!」

 「!」


 と、その時、硬直していたワルドの背後から、サイトが剣を振りかぶって襲い掛かってきた。
 間一髪で一閃を避け、離れた場所に着地する。


 「テメェ……許さねぇ!!」

 「…ふん、どう許さんというのだ?」


 鼻息を荒くして睨みつけてくる使い魔を前にして、笑止とばかりにワルドは杖を振るう。


 「ぐああぁああぁあっ!」


 生み出された突風がサイトを襲い、彼を軽々と吹き飛ばした。少年は教会に並べられた長椅子にぶち当たり、苦悶の声を漏らす。


 「『命を奪え』と命じたのだがな……。あの女、手を抜きおって……」

 「…ッ! やっぱり、フーケはお前の……!」


 仲間だった。
 忌々しいとばかりに呟かれたワルドの発言が、その仮説を真実へと変える。


 「ルイズ、来るんだ。一緒に世界を手にしよう」


 剣を支えに片膝をつく使い魔を一瞥し、裏切り者の新郎が花嫁へと手を差し伸べる。


 「嫌よ! あなたはもう、私の知っていたワルド様じゃない!」

 「ボクはボクさ。時は人を変える……君にもいつか分かる日が来る」


 ハッキリとした拒絶の言葉にも構わず、ワルドはなおも語りかける。
 まるでそれが、運命だとでも言うように。
 もう我慢の限界だとばかりに、アレクが何かを叫ぼうとしたその時、


 「よくも……!」


地の底から響くような声が、耳に届いた。


 「よくも、ルイズの気持ちを弄びやがったな……!!」

 「サ、サイト……」


 音源へと目を向ければ、そこにはゆらりと立ち上がる、傷だらけの少年の姿。
 その瞳には、明らかな怒りの感情が渦を巻いている。


 「…ふん、叶わぬ恋か……」


 くだらないと吐き捨てるようなワルドの言葉に、ルイズがわずかながらに肩を震わせた。


 「平民の貴様が貴族の娘に恋とは……愚か者が」

 「知るかよ……!」


 なおもあざけるような言葉を並べたてるワルドに、やかましいと言わんばかりにサイトが叫ぶ。


 「オレには、平民も貴族もねぇ……! 家族も家も、何もねぇ……!」


 左手に刻まれたルーンが、一層強く輝き始めた。広い教会内が、その光に照らされるほどに。


 「あるのは……」

 「な、なんだこれは……!?」


 予想外の光景に、ワルドが思わず後ずさった。


 「あるのは……!」

 「来たぜ相棒! もっと! もっとだ!!」


 再度剣を正眼に構えた少年に、デルフがまくしたてるように金具を震わせる。


 「あるのは! ルイズの使い魔だってことだけだ!!」


 誓ったのだ、必ず守ると。
 その彼女の心を弄び、あまつさえ望みもしない結婚を強要し、苦しめた。そんな男を、断じて許すわけにはいかない。
 魂の叫びに共鳴するかのように、伝説の紋章がさらにまぶしい光を放つ。
 次の瞬間、錆だらけだった長剣の刀身が、新品のごとき輝きを取り戻していった。


 「貴様ぁああっ!」


 咆哮と共に裏切り者が雷撃を放つも、それらが少年を打ち抜くことはない。


 「魔法を吸収だとっ……!?」


 眩しいばかりに光を反射するデルフの刀身に、ことごとく飲み込まれてしまったのだ。さすがは、先代ガンダールヴが使っていたという伝説の剣である。
 ワルドが怯んだ隙を見て、光り輝く大剣を振りかぶり、扉付近の地面を蹴り上げ、サイトは高く高く跳躍する。
 そう、戦うのは武器ではない。錆刀だろうが伝説の聖剣だろうが、それを携えて戦場を駆けるのは、人。(ガンダールヴ)の心が、武器を振るい、闘争と平穏をもたらすのだ。


 「いつの時代も、いかなる状況においても……最後の一手を決めるのは、人の心なのです……!」


 その瞬間、アレクのそんな言葉が、ルイズの耳に届いたという。
 いかに巧みな技術があろうとも、強大な力があろうとも、それを扱うのが心を持つ人である以上、その精神状態が大きく影響する。
 『大いなる志』。『不倒不屈の精神力』。訓練などではなかなか培うことのできないそれらが、何事においても最後の勝敗を分けるのだ。そして、それらを手にし、存分に発揮した者だけが、時代の中で勝者と呼ばれ、語り継がれる存在になり得るのである。
 何も、『伝説の使い魔(ガンダールヴ)』だけではない。全ての人間に、その理論は当てはまるのだ。


 「これでどうだ!!」

 「あぁああぁぁぁぁあああっ!!」


 ぶつかり合う雷撃の竜巻と、光を纏った大剣。それは、両者の心と心の激突。
 勝敗は、一瞬で決した。
 静まり返ったその場にあったのは、立ち位置の逆転した2人の姿。
 剣を振り抜いているサイトと、左腕から血を流すワルド。勝者は、誰の目にも明らかだ。


 「貴様の負けだ、ワルド」


 サイトの元へと歩み寄ったアレクが、敗北者に事実を突きつける。
 いつの間にか、ルイズもサイトの腕の中に抱かれていた。


 「…ふっ…まぁよい……。これで3つの内、2つの目的は果たせた」

 「目的……!?」


 負け惜しみとも取れるワルドの言葉に、ルイズが疑問符を浮かべる。


 「1つは潜伏中のウェールズを亡き者にすること」


 瞬間、アレクが拳を固く握りしめた。悔しげに、憎々しげに額にシワを寄せてワルドを睨みつける。


 「もう1つは…コレの入手!」


 そうして振り返った彼の右手には、1通の封筒が握られていた。


 「いつの間に……!?」


 ルイズが、驚愕の声を上げる。
 それは、紛れもなくアンリエッタから回収せよと言われていた、例の手紙だ。少女がなんらかの方法で心神喪失している間に、あらかじめ奪い取っていたのだろう。なんとも、抜け目のない男だ。


 「最後の目的は…ルイズ、君だったのだがな……」


 口惜しいとばかりに、ワルドは呟く。


 「もしや、このまま逃げられるとでも思っているのか?」


 背を向けて入口へと歩きだした裏切り者に、アレクが冷徹な言葉を投げかけた。
 その瞳は、血だまりの中に横たわる親友を悲しげに映している。


 「…消し炭と変えてくれる……!!」


 隠すことのない、大気が震えるかのような強大な憎悪と殺意。彼の背後にいるはずのルイズとサイトまでもがその奔流にさらされ、数歩後ずさった。
 瞬間、神童と謳われた少年の足元から、渦巻く紅蓮の業火が立ち上る。


 「なるほど、噂以上の素晴らしい力だ……」


 片腕の自由を奪われ、さらに相手はトリステイン最強の魔法の使い手。絶体絶命の窮地に立たされたワルドはしかし、口元に笑みを張り付けていた。
 瞬間、


 「だが! 今回はそれがアダになったな!」

 「「「ッ!?」」」


アレクの足元から教会の床全面に見る間に亀裂が入り、建物全体が大きく揺れ動く。
 3人の少年少女が動揺する間にも、そこかしこに火の手が上がり始めていた。


 「奥の手とは、最後の最後まで取っておくものだ。
  君達には、ここで消えてもらおう!」


 おそらくは、万が一にも起こりうる最悪の事態を予想して、教会全体に魔力感知式の術式トラップを仕掛けていたのだろう。一定値以上の巨大な魔力を感知した瞬間、建物全体が焼け落ちるようになっていたのだ。
 捨て台詞を言い残し、裏切り者はマントを翻して教会を後にする。
 そのすぐ後に、崩れてきた燃え盛る柱や天井が、唯一の出口である扉をふさいでしまった。いわゆる、絶体絶命というヤツだ。


 「ど、どうする!? このままじゃ、みんなそろって蒸し焼きだゾ!?」

 「って、ミスタ・グラモン…今までどこに……」


 顔を青く染めて頭をかきむしる自称プレイボーイに、アレクは冷ややかな視線を向けた。
 危機的状況なのに、イマイチ緊張感に欠けるやり取りである。


 「きゃあ!?」

 「ルイズ! おい! しっかりしろ!!」


 焼け落ちた柱や梁が、次々と4人に襲い掛かる。
 転んだ拍子に頭でも打ったのだろうか。ルイズの意識は次第に遠のき、サイトの度重なる呼び声も、だんだんと遠くに消えてく。
 燃え盛る教会の中で、少女は夢の中へと旅立っていった。







 水面に浮かぶ小舟の上で、幼い少女は1人泣いていた。


 「ボクのルイズ……。大丈夫さ」


 そこに降り立った、1人の少年。そっと涙にぬれた頬に手を添え、慰めるように語りかけてくる。


 「オレがついてる」


 そこにいたのは、憧れだった王子様ではなく、自分が誰よりも信頼を寄せる、使い魔の少年だった。


 「ッ!」


 その瞬間、少女は目を覚ました。
 目の前には、自分を抱きかかえ、目をつぶりながら唇を重ね合わせてくる、夢に見た少年の顔。
 少女の顔が、急激に赤みを増す。


 「やれやれ、さすがは殿下。おかげで助かりました」

 「いえ、お礼ならホークスにも言ってあげてください。
  いくら天井を壊して脱出路を確保できたとはいえ、彼女の助けがなければ、とてもとても……」


 ちらりと横を見てみると、そこには一息ついていると言わんばかりの、アレクとギーシュもいる。
 話ぶりから察するに、アレクの魔法で教会の天井をぶち破り、そこから『浮遊』の魔法とホークスの怪力を併用して脱出してきたらしい。


 「……というより、ヴェルダンデさんに穴を掘ってもらえば、ここまで苦労せずともよかったのでは?」

 「…あ゛……」


 今さらといった感じで思い出したかのように呟く王太子の言葉に、金髪少年がそう言えばそうだと声を漏らす。2人の間には、なんとも言えない気まずい空気が垂れ込めはじめていた。
 まあ、そんなことはともかくとして、教会は焼け落ちてしまったが、とりあえず4人とも生きている。加えて、気まずい2人組みは自分達のこんな状態にまったく気付いていない。不幸中の幸いとは、このことだろうか。
 となると、後はこの使い魔の処遇なのだが、


 「…………」


今回ぐらいは大目に見よう。なんだかんだで主人を助けに駆けつけた使い魔に、褒美の1つは与えなければ。
 そう思い至り、少女は無言のままに再び瞳を閉じる。
 空に浮かぶ双子の月が、ようやく心の通い始めた小さな恋人達を、見守るかのように照らし出していた。

-25-
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