アレクは、その目に映る光景が信じられなかった。
今まさに自分目がけて火球を吐きだそうとしていたドラゴンが、唐突に血しぶきをまき散らして、あさっての方向に墜落して行ったのだから。
「こ…これは……」
そして、次いで耳に届いてくる爆音。先ほどまでは砲弾の爆発音で聞こえなかったそれが、はっきりと聞き取れる。
瞬間、
「……!!」
彼の目の前を、緑色の物体が風を切り裂き目にも止まらぬ速さで通り過ぎて行った。
間違いない。この爆音の正体は、そして竜騎士を墜落せしめた不可思議な現象の原因は、大空を飛び回るソレに他ならない。
「まったく…やけに遅いのでヒヤヒヤしたじゃありませんか……」
そして、ガラス張りになっている狭苦しい空間に座す黒髪の少年の姿を認め、アレクは口元を緩めるのだった。
〜第30話 『絆、再び』〜
上空では、見たこともない竜の登場に、アルビオンの竜騎士達が大混乱に陥っている。
「はぁい、無事みたいね」
その様子を見上げるアレクの下へ、シルフィードに乗ったタバサとキュルケが降り立ってきた。
「ビックリよねぇ。
あの『竜の羽衣』、シルフィードでも追いつけないんだもの」
大空を見上げながらそう呟くキュルケ。
彼女の言う通り、前方に取り付けられた風車を回して進むソレは、速度と機動力において明らかに火竜のそれを凌駕していた。
ドラゴンの吐く火炎を難なく避け、一瞬の内に後ろを取ったかと思えば、両の翼から火花が飛び散り、ことごとく竜騎士達を叩き落としていく。
その姿はまさに、戦場に舞い降りた救世主である。
本隊のアンリエッタやその護衛の騎士達も、もろ手を挙げてその登場と功績に歓喜していた。
「このバカ! なんで来ちゃうのよ!!」
たった1人の、少女を除いて。
「何やってんのよ! 早くしないと帰れなくなるのよ!?」
いつの間にかアレクの下まで馬を走らせてきたルイズが、空を舞う羽衣目がけて怒鳴り散らした。
はるか上空に目を移してみれば、もう、月と太陽が重なり始めている。こんなことをしていては、あの少年は元の世界に帰れなくなってしまうのだ。何を考えているのか。
「アレク! サイトに何か言ったの!?」
そしてその怒りは、いつもいらぬ助言をしてくる幼馴染にも飛び火した。
おせっかいな彼のことだ。サイトに何かしらの伝言でも残していたに違いない。でもなければ、今のこの状況の説明がつかない。
「いいえ、ボクは何も」
「ウソよ! だったらなんで、アイツはここにいるのよ!?」
あっけらかんとした否定の言葉にも、ルイズは納得を見せない。何も知らないのならばなぜ、そんなに落ち着いていられるというのだろうか。少女は思わず、アレクの胸倉に掴み掛る。
「それは、あなたが1番よくご存じのはずですが……?」
しかし、言い聞かせるかのようなその言葉に、少女はそのまま固まってしまった。
そうだ。彼はいつだって、自分のために剣を振るってくれた。ぶつくさ文句を言いながらも、なんだかんだで世話を焼いてくれた。ルイズ自身が、それが使い魔の役目だと、勝手に押し付けたから。
だからこそ、彼はこうして帰還の可能性を潰してまで駆け付けたのだろう。全部、自分のせいだ。
「うわぁああぁあ! も、もうダメだぁああぁぁああ!!」
その時、果てしなく緊張感に欠けた声と共に、アレク達の下へとギーシュが大慌てで走ってきた。
そのはるか後方には、
「あははははは! 竜なんぞいなくても、私1人で蹴散らしてやるよ!!」
巨大なゴーレムの肩に乗る、フーケの姿。
その言葉の通り、最前線に立っていた騎士隊は、すでに全滅しているようだ。逃げ帰ってきたギーシュを除いて。
「で、殿下! 撤退です! 撤退を!!」
なんともまあ、ある意味たくましい男である。
アレクの前まで逃げ延びてきた彼は、もはや勝ち目はないとばかりに、早く逃げようとまくしたてる。
「落ち着いてくださいミスタ・グラモン」
そんな友人を、笑顔のまま鎮めようとするアレク。その表情に、もはや先ほどまでの焦燥の色は映っていなかった。
「そうよギーシュ。あんなオバサン、どうってことないわ」
腰に左手を当てたキュルケも、右手をひらひらとさせて余裕の表情だ。
サイトのおかげで敵の竜騎士が全滅した今となっては、自分自身にタバサ、そして何より万全の状態のアレクがそろって、年増1匹追い払えないなどあり得ない。ありありと、顔にそう書いてある。
しかし、
「そうですね。
しかしながらミス・タバサ、ミス・ツェルプストー、あなた方には、サイトさんの援護に向かっていただきたい」
アレクが空を軽く指差し、ショートカットの少女にそう依頼した。
見上げてみれば、そこでは新たな竜騎士と、サイトが駆る竜の羽衣が、熾烈な空中戦を繰り広げている。
どうやら騎士が駆っているのは、攻撃力がない代わりにスピードの点で優れる『風竜』であるらしく、さすがの竜の羽衣も苦戦している様子だ。加えて、魔力切れでも起こしたのか、両の翼から一向に火花が飛び散らない。
少なくとも、旗色が決してよくないことは一目で分かる。
「でも、それではあなたが危険……」
しかし、タバサの言うように、彼女達が抜ければ、今度はアレク達が危険にさらされる。残されたギーシュとルイズだけでアレクの加勢をしようなど、まず不可能だ。
ハイそうですかと、行くわけにはいかない。
「ご安心を。少しの間足止めができれば、すぐに片が付きます。
ミスタ・グラモンさえいてくれるのならば、足止めは可能です」
だが、当の少年は実にアッサリと言ってのけた。
ギーシュの実力を過大評価しているのか、はたまた真実にその通りなのか、彼1人でもゴーレムの足止めはできると思っているらしい。
「そっ、そうだとも! あ…安心してサイトの加勢に行くがいい!」
ギーシュもギーシュでバラの杖を構えて格好つけているが、顔が一切笑えていない。いくらアレクの判断とはいえ、一層心配になるタバサであった。
「のんびり話をしている時間はありません! さあ! 早く!!」
前方を見れば、ゴーレムは残った騎士達を弾き飛ばしながらこちらに迫ってくる。
上空を見れば、風竜に乗っている騎士が風の魔法で龍の羽衣をじわじわと追い詰めつつあった。
「…しょうがないわね。行くわよタバサ!!」
「……うん」
確かに、悩んでいる暇はない。キュルケはなおも何か言いたそうなタバサの腕を引っ張って、シルフィードの背中に飛び乗った。
「待って!」
そして、シルフィードがその翼をはばたかせようとしたその時、ルイズの叫びがその場に響く。
「私も行くわ! サイトのところに!!」
少年少女が言葉を失う中、ただ1人アレクだけが、穏やかな表情のまま口元をほころばせていた。
「くっそ……!」
サイトは誰ともなく悪態をついた。
現在彼は、ワルドが操るドラゴンとの交戦の真っ最中である。
彼の竜はどうやら火炎が吹けない種類のようだが、その代わりに速度の点で、先ほどまで難なく撃ち落せたドラゴン達とは格が違っていた。しかも、凄腕のメイジであるワルドが、その魔法を持って攻撃力を補っている。
「やっぱ武器がなくちゃ、話になんねぇっ……!」
魔力を吸収できる伝説の剣・デルフリンガーのおかげで、次々と打ち出される風魔法を防げているが、先の戦闘で60年前の当時から残されていた弾丸を撃ち尽くしてしまい、攻撃ができない。
よって、こう着状態が続いているのだが、それでも徐々にゼロ戦の機体が傷つき始めていた。このままでは、撃ち落されるのも時間の問題である。
「!?」
と、その時だった。
ワルドの上空から炎を巻き込んだ竜巻が襲い掛かり、ドラゴンの横顔を強く打ち据えたのである。
体勢を崩した竜は主を乗せたまま、はるか下の地面に向かって急降下していった。
「アレは……!」
竜巻の発生源へと目を向けてみれば、そこには力強く羽ばたくシルフィードと、その背に乗るタバサとキュルケの姿。
どうやら、学院から後をつけてきたらしい。
「サイト!!」
そして次の瞬間、サイトは目を見開いた。
2人の影から姿を現した桃色ブロンドの少女が、何を思ったのか躊躇なくこちらに向かって飛び降りてきたのだ。なんという命知らずな行動だろうか。
「なっ…何やってんだあのバカ!?」
どうやらタバサが浮遊の魔法をかけたようで、ルイズはゼロ戦のわき腹付近でゆらゆらと飛んでいる。
「危ねーだろーが!!」
とりあえずは一安心だが、このままの状況というのは非常にまずい。
無茶な行動を取る主人に叱咤を交えつつ、使い魔少年はコックピットから身を乗り出して少女へと手を伸ばした。
「そっちこそ、勝手なことばっかやってるじゃないの!!」
「勝手はどっちだ!!」
ルイズの切り替えしに、サイトは心外だとばかりに叫ぶ。
ようやく手が届き、少年は半ば力任せに少女をコックピットへと引きずりこんだ。
「なんだってこんな無茶なマネ……!」
「だって…アンタが私のせいで危ない目に合ってるのに、ほっとけるわけないじゃない!!」
目にうっすらと涙を浮かべて詰め寄ってくる少女に、少年はもはや何も言えなくなってしまった。
瞬間、2つの月と太陽が、完全に重なる。
「! 来たっ!」
その時だった。バランスを崩して急降下していたはずのワルドが、体制を持ち直して襲い掛かってきたのは。
タバサにゼロ戦から離れるように指示し、自らもすばやくその突進をかわす。
「ガンダールヴ! 今度こそ、その伝説と共に葬り去ってやろう!!」
ワルドはすぐさま反転し、なおもこちらに向かってきた。
ルイズを奪えなかったことへのイラ立ちか、はたまた左腕を斬られたことへの憤怒か。なんにせよ、よほどサイトに執着があるらしい。
「…オレには…伝説も貴族も、平民も関係ねぇ……」
伝説の使い魔の称号など、異世界からの漂流者である自分には、無用の長物。あっても、うっとうしいだけだ。
家も家族も、故郷も持たない。そんな自分にできること、胸を張って誇れること、それは…。
「ルイズを守るだけが取り柄の……」
いつの間にか、そばにいるのが当たり前になっていた。彼女の隣が、自分の居場所になっていたのだ。
もはや自分には、この手に握る剣と、守るべき少女がいれば、それでいい。他には、何もいらない。
「なんにもねぇ…ゼロの使い魔だ!!」
誓ったのだ、必ず守ると。彼女に、そして自分自身に。
右手に剣を握り、左手で少女の肩を抱き、伝説の守護者は高らかに宣言する。
「サイト……」
少女の胸を、何か暖かな感情が満たしていく。頬を伝う涙が、止まらない。
瞬間、
「「!?」」
暗く閉ざされた空の下で、ガンダールヴの刻印が、一層強く輝いた。