小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 重く閉ざされた扉を、アレクは開く。
 その向こう側には、陽光がわずかに照らし出す広々とした空間が広がっていた。
 規則的に並び立つ、幾十幾百もの棚の数々。ここは、トリステイン魔法学院が誇る書物庫である。
 古今東西、様々な歴史書や魔導書の類いから、料理本やらハウトゥー本までがそろっているこの空間は、彼にとってはさながら楽園であった。


 「さて、今日はどの棚から制覇しましょうか……」


 幼少の頃から文字を読むのが大好きで、おかげで『神童』とまで言われるようになった少年だ。さながら新しいおもちゃを手に入れた子供の様に目を輝かせ、棚の間を進んでいく。
 最近は用事やら戦争やらでめっきり来られなくなった分を取り戻そうと、アレクは心の中で強く決心していた。


 「…おや?」


 そこでふと、見慣れた青い髪を見つけて足を止め、


 「またお会いしましたね、ミス・タバサ」


にこやかに歩み寄り、彼は声をかけるのだった。







〜第32話 『それぞれの進展』〜







 「おはよう」


 少女は読んでいた書物から視線をこちらに向け、実に簡潔な返事を返してきた。


 「今日はいったい、どのような書物を?」

 「これ」


 差し出された本の表紙には、『ハルケギニアに住まう怪物について』と銘打たれている。


 「…変わった本ですね」


 他人の趣味にとやかく言うのは失礼だとは思いつつも、アレクはそう呟かずにはいられなかった。
 年頃の少女が読むには、あまりにもマイナーな図書である。


 「ちょっと、調べたくて……」


 そう呟いた瞳に、一瞬暗い光がよぎるのを、アレクは見逃さなかった。


 (…わけあり…のようですね)


 思えば、彼女が留学生であること以外、自分は彼女のことを何1つ知らない。タバサという名前も、おそらくは偽名だろう。
 そこまでして己を隠さなくてはいけない理由がなんなのかは分からないが、おいそれと聞いていいことではない。少年はそのまま、言葉を胸の内に仕舞い込んだ。


 「…あなたは、何を持っているの?」


 と、そこでタバサが、アレクが小脇に抱えている本に目を移して、逆に問いかけてきた。


 「ああ、この前ここで借りたモノを、返そうと思いまして……」

 「…『イーヴァルディの勇者』……?」


 それは、このハルケギニアにおいて最もポピュラーな英雄譚だ。
 始祖ブリミルの加護を受けた勇者・イーヴァルディが、剣と槍を用いて敵を倒していく冒険活劇である。主人公が平民であるため、貴族よりは平民に高く支持されている物語だ。
 原典が存在しないために書物によって登場人物や筋書きに違いがあり、物語に多くのバリエーションが存在するが、その中でもこの本は、アレクの1番のお気に入りなのだ。


 「この本の一節に、このようなセリフがあるのです。
  『君は私の友だ。私が君を救う理由に、それ以上のモノは必要ない』……!」


 少年は本を持つ左手を大きく広げ、右手を胸にあててそう語る。
 その姿を間近で見ていたタバサは、あまりの感情の込め具合に、まるで芝居の1コマを見ているかのような錯覚に襲われた。


 「…ボクにも、こんなセリフが言えればよかったのですが……」


 後悔が、言葉となって口から漏れる。
 5年前のあの日、アルビオンでのあの瞬間、自分はその言葉を口にすることすらできなかった。


 「大丈夫」


 悲しげにその手の本を見つめる少年に、少女が慰めるかのような言葉をかけてくる。


 「あなたは、ちゃんと友達を助けた」

 「…そう、ですね……」


 こんな小さな少女の言葉に、救われてしまう自分が情けない。そう思いつつも、アレクは口元をほころばせずにはいられなかった。
 タルブ奪還から数ヵ月。戦艦を率いていたクロムウェルは王宮の貴族用独房に投獄され、彼が持っていたアンドバリの指輪も、一時的に王宮預かりになったのち、水の精霊に返却することが決まっている。
 まさかギーシュが殴って気絶させた相手が敵の大将で、自分が没収した指輪がかの精霊の持ち物であった代物だったなどと、今でも信じがたい。世の中、スゴイ偶然があったものだ。
 そして喜ばしいことに、近々アンリエッタが、トリステインの女王に即位することになった。本人は気が進まないようだが、国民達は皆それを望んでいる。部隊を率いてタルブを見事奪還した彼女は、もはや崇拝の対象なのだ。ここは、我慢してもらおう。
 ルイズやサイトもアレ以降、以前にも増してその距離を縮めているように思える。いいことばかりだ。
 未だにアルビオンとの膠着状態が続いているとは思えないほど、彼の周りは実に平和だった。


 「ありがとうございます。あと、すみません……」


 色々あったが、自分はあの戦場から、無二の友人達を無事に連れ帰ることができたのだ。
 想い人を救えなかった5年前、旧友を目の前で殺されたアルビオン。3度目の過ちは、犯さずに済んだのである。ここは、素直に喜ぶべきところだろう。
 少なくとも、自分が勝手に持ち込んだ話題で勝手に落ち込み、友人である少女を困らせるようなことをしていいところではない。


 「…あなたは、水のメイジとしても優秀だと聞いている」

 「え、ええ……仮にもスクエアですから……」


 不快にさせてしまったかと心配していたその時、唐突にタバサが話題を変えてきた。
 不思議に思いつつも、アレクは正直に答える。
 表情に出さずとも心根の優しい彼女のことだ。おそらく、気を使ってくれたのだろう。


 「『心を狂わせる薬』の解毒方法に、心当たりは……?」


 その問いに、アレクの眉がピクリと動いた。
 あまり聞いたことがない魔法薬だ。
 以前にモンモランシーが作った惚れ薬のように、作ったモノを誰かが誤飲し、その解決法を探していたのかとも思ったが、それにしては今読んでいる本の題名が不自然である。


 「…ないことはありませんが…大変難しい薬の調合が必要です。
  今から取り掛かったとしても、かなり時間もかかるかと……」

 「…そう……」


 不思議に思いながらも素直に答えると、タバサは表情を暗くして、いずこかに早足で歩いて行ってしまった。


 「…何か、いけないことでも言ってしまったのでしょうか……」


 数秒前までの自らの言葉を反芻し、アレクは首をかしげる。
 結果、何も思い当たらず、ため息を1つついて少年は再び歩き始めるのだった。







 今のは、かなり危なかった。
 書物庫の扉に背を預け、拍動の止まらない胸を押さえつつ、タバサは先ほどまでの自分の言動を悔いていた。


 「怪し…まれたかな……」


 彼、アレクサンドラ・ソロとは、あのようにたびたび会話をする仲である。この学院に来て以来、共通の趣味を通じてコツコツと関係を深め、ようやく今の状態にこぎつけたのだ。


 「焦っちゃ…ダメ……」


 ここで焦れば、今までの苦労が水の泡になってしまう。
 冷静に、チャンスを待つのだ。彼が、自分に真に心を開く、その時まで。
 メガネの下に表情を隠した少女は、暗い廊下の向こうへと消えていった。







 そして日は過ぎていき、アンリエッタの戴冠式当日の夕刻。


 「えー、というわけで、
  サイトさんとミス・ヴァリエールの前途を祝して…カンパーイ!」

 「「…かんぱーい」」


 ここ、『魅惑の妖精亭』に、2種類の声が響いた。
 一方は、これでもかというくらいに上機嫌な、普段の奥ゆかしい面影の残っていない王太子。そしてもう一方は、言わずと知れたゼロコンビ。相手のテンションについていけなくなっているサイトとルイズであった。


 「ほらほら、元気出しましょうよ。
  これからはお互いに女王陛下のために活動する同志なのですから」


 今からそのようなテンションでは身体が持たないと、まくしたてるように言うアレクだが、正直なんでそんなにテンションが高いのかが疑問だ。


 「てゆーかさ、オレ達のことは機密事項なんだろ?
  そんな大声で言って大丈夫なのか?」

 「もちろん。ここの店員さんは、そーゆーことには知らん顔決め込んでくれますし」

 「そうよ! 私達は、そーゆー事には一切関知しないわ!」

 「だからもっと聞かせなさいよ!」


 サイトの意見ももっともである。
 が、そこはさすがに考えられているようだ。アレクの言葉に、スカロンとジェシカが賛同してくる。というか、仲間に入れろと割り込んでくる。
 加えて、時刻はまだ開店時間前。他の客がいないので、しゃべり放題というわけだ。
 なんでそんな時間に店に入れたのかというと、一重にアレクの顔利きのおかげである。アレクの頼みと聞くや否や、スカロンが快く店内の中央にあるテーブルを貸し出したのだ。


 「一応言っておくと、お2人の暗号名は、ミス・ヴァリエールの『虚無の力』が由来ですので」

 「いや…それどーでもいーから……」


 話をさかのぼること数時間前、サイトとルイズは王宮に呼ばれ、アンリエッタ自らの手によって、彼女直属の秘密機関の構成員に任命されたのだ。その名も、『ゼロ』。由来は銀髪少年の言うように、タルブ奪還戦の最中に覚醒を果たした、ルイズの『虚無の力』だ。なんとも分かり易い名前で結構である。
 なお、今回アンリエッタの女王即位に伴い、他にも色々と変化が生じた。
 1つは、彼女の親衛隊として、平民出身の女性騎士をメンバーとした『銃士隊』が結成されたこと。なんでも、ワルドの裏切り以降、アンリエッタが深刻な魔法使い不信に陥ってしまったことが、設立の理由らしい。隊長を務める女性は、アレクの古馴染みでアンリエッタの腹心であるとのこと。
 そしてもう1つは、アレクが正式に女王の側近扱いとなったことだ。アレクサンドラ王太子殿下改め、エルバート公アレクサンドラである。とはいえ、彼に親しみを感じている者は、相も変わらず『殿下』と呼んでいるのだが。特に、平民を中心に。


 「あくまでも、ボク達の目的は戦争の回避。
  万が一激化した際には、それを最小限にとどめること…よろしいですね?」

 「え、ええ……」


 急に真面目な顔で問いかけられ、ルイズは思わず肩を震わせる。
 今回新たに作られた『銃士隊』とは別に、彼女達が独自の機関として設立された理由もそれだ。
 先のタルブ奪還戦で勝利したことにより、国中が戦争一色に染まっている。国民しかり、軍しかり、宮廷しかり、である。
 そんな中で、和平による解決を望むアンリエッタは、ルイズとサイトに宿る伝説の力を頼ってきたのだ。虚無と、ガンダールヴの力を。


 「まあ、とはいえ、陛下からの指示はボクや銃士隊の方が伝えるので、お2人は今まで通りに学院で過ごしてください」


 かく言うアレクの行動拠点も、今まで通りに学院になるとのこと。公式の場では、彼はアンリエッタに次ぐ地位の持ち主だが、日常ではあくまでも学生なのだ。


 「あなた方の存在を、他の誰かに知られては問題です。どうやら敵は、王宮内部にまでもぐり込んでいるようですから」

 「…スパイが、いるってことか?」


 アレクの口から指示に次いで呟かれた言葉に、サイトが反応を見せた。
 銀髪の少年は、表情を暗くしながら頷く。


 「実は数時間前、貴族用の独房でクロムウェル卿が暗殺され、アンドバリの指輪も、戴冠式のドサクサで盗まれたようなのです」

 「「なっ……!?」」


 一大事である。
 魔法によるロックが何重にもかけられた独房へ侵入し、あまつさえ王宮の保管庫に厳重に保管されていた指輪まで盗むなど、解除の呪文を知る宮廷内の誰かが手引きしたとしか思えない。
 敵は、国のかなり深いところまで侵入しているようだ。


 「あらま〜ん! それって大丈夫なのかしら……」

 「てゆーか、話聞いた限りかなりマズいんじゃ……」

 「あぁいえ、あなた方が気にすることではありません。
  話題を少し変えましょう」


 スカロンとジェシカまでもが深刻な表情を作り出したので、アレクはあくまでもにこやかにほほ笑みつつ、話題の転換を図るべく懐に手を入れた。
 余談ではあるが、こんな時でもスカロンに関しては相変わらずクネクネトと体を揺らしていて、深刻な場面なのに見ている方は気分が悪くなる。さすがは変態(オカマ)とでも言うべきなのだろうか。


 「ミス・ヴァリエール、コレをあなたに……」

 「? 何よコレ?」


 そう言って、アレクが差し出してきた品物に、ルイズは疑問符を浮かべた。
 見た感じ年代物のようなそれは、手帳のようにも見える。


 「始祖の祈祷書。
  トリステイン王家に代々伝わり、我がエルバート家が管理してきた、始祖ブリミルの持ち物であったとされる代物です」


 オスマンの研究によれば、虚無の呪文が書いてあるはずなのだとか。
 しかし、


 「って、何も書いてないけど……」

 「申し訳ありません。
  元来そういうモノであるらしく、ボクにはなんとも……」


中を見てみれば、まったくの白紙であった。それはもう、清々しいくらいの。


 「! もしや……!」

 「どうかしたのですか?」


 と、そこで、サイトが何やら思い至ったらしい。


 「白紙とはすなわち『無』!
  『無の境地で戦いに挑め!』、ということでは……?」


 至極真面目な顔で、そう言ってのけるサイト。ついでにその瞳も、キランと一瞬輝いた。


 「「…はぁ……?」」

 「なるほど……!」

 「トレビア〜ン!」


 ルイズとジェシカはその発言に疑問符を浮かべ、アレクはポンと手を打ち、スカロンは相変わらず身をよじっている。なんとも反応はまちまちだ。
 というかアレク、今のでなぜ納得できるのか、非常に聞いてみたい。


 「あぁ…いや、マンガによくそんなセリフあるじゃん……?」

 「マンガ……?」


 わけが分からないといった女性陣に、サイトは苦笑いを浮かべながらそう説明するが、ルイズはなおも首をひねった。


 「…そういや、ずっとマンガも読んでねぇな……」


 何かを思い出すかのように腕を組み、店の天井を見上げるサイト。
 話ぶりから察するに、『マンガ』なるモノは、彼の世界の読み物の1種のようだ。


 「……サイト…やっぱり、帰ればよかったとか…思ってる……?」

 「まぁ…そりゃあ少しは……」


 表情を暗く沈めて問いかけるルイズの言葉に、彼女の顔を見ることなく彼はそう答えた。
 しかし、「でも」とサイトは言葉を区切り、


 「お前をこんな危険なところに…残してなんていけねぇよ……」


至極真面目な顔で、そう漏らす。
 少年の口から飛び出したその言葉に、少女の顔は耳まで赤く染まってしまう。心なしか俯いたその表情が、喜びに満ち満ちていた。
 相も変わらず、クサいことを平然と言ってのける少年である。


 「ちょっと、なんかアレな雰囲気じゃない? コレ」

 「トレビア〜ン!」

 「青春ですねぇ」


 そんな年若い2人を、離れたところから見つめる3人。
 いつの間に移動したんだアンタら。そのニヤニヤとした目つきをやめろ。というか、スカロンはそれしか言うことがないのか。
 しかし悲しいかな、彼らの言動にそんなツッコミを入れる者はなく、このやり取りは店が開店するその瞬間まで続けられたとかそうでなかったとか。

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