小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 予想外の光景を前にして、アレクは目を見開き、息を飲んだ。
 あれから、ゼロ戦が墜落しかける事件もあったが、なんとかこのラドグリアン湖までたどり着くことはできた。機体は、不時着したまま今も水面に浮かんでいる。
 あとは、ここに向かっているという賊を迎え撃ち、アンリエッタを救出するのみ。そう、思っていた。


 「まさか…君が来ているとはね」


 白馬からアンリエッタと共に降り、口元に笑みを浮かべるその人物を、自分はよく知っている。
 そんなバカなと、心臓が早鐘を鳴らしたてる。


 「…ウェールズ……?」


 目の前にたたずむ少年、10年来の親友の名を、震える声で呟いた。







〜第34話 『誘惑の貴公子』〜







 「こ、皇太子様!?」

 「な、なんでアンタが……!」


 アレクの隣にいるルイズやサイトも、驚きを隠せない様子だ。
 当然だろう。自分達はあの日あの時、目の前で見ていたのだから。彼が、ワルドの剣に胸を貫かれ、絶命するその瞬間を。


 「…何者かは存じませんが、女王陛下を返していただきましょうか」


 とにかく、事は緊急だ。アレクは杖を構え、ウェールズの姿をした何者かに警告する。
 が、


 「おかしなことを言うね、アレク。見ての通り、ボクはウェールズだ。
  そして、彼女は自分の意思でボクと一緒に来たんだよ」


目の前の彼はそう言って、アンリエッタの肩を抱く。
 女王に、嫌がるそぶりは見て取れない。その身体を取り巻く魔力も、声や口調も、本人のソレ。誰かの変装とは考えにくい。となれば、残る可能性は1つ。


 「…動く死体(リビングデッド)……あなたは、アンドバリの指輪で蘇った……。そうなのですね?」

 「「!!」」


 アレクの言葉に、サイトとルイズが驚愕で顔を染める。
 そういえば昨日、かの指輪が何者かに盗まれたとアレクに聞かされた。そして、その能力の1つは、


 「…アンドバリの指輪、か……聞いたことはあるよ。
  死者に偽りの生命を与える、マジックアイテムだそうだね……」


死者をあの世から連れ戻し、その心と体を指輪の持ち主の意のままに操ること。


 「本当だとすれば、怖い話だな」


 不敵に口元を歪め、怪しく笑う皇太子。
 頭上で、稲妻が轟音と共に閃いた。ポタポタと、天からしずくが振り始める。


 「姫様! こちらにいらしてください!
  その者は、ウェールズ様ではありません! 皇太子の亡霊です!!」


 もはや、考える必要もない。
 ルイズは必死に、亡霊の胸に抱かれるアンリエッタに語りかけた。
 だが、


 「ルイズ! おかしなことを言わないで!
  亡くなったのは、ウェールズ様の影武者だったのです!」


若き女王は、まったく聞き入れようとしない。1歩前に出て、「ここにいるのは本物だ」と言い張る。
 おそらくは、彼の口から飛び出したウソを真に受けているのだ。いや、必死に信じようとしているようにも、アレクには見える。


 「…いい加減に目を覚ましなさい」

 「!?」


 そんな冷たい一言と同時に、皇太子の身体を、無数の石槍が貫いた。
 声にならないアンリエッタの悲鳴が、森にこだまする。
 しかし、


 「無駄だよ。何人たりとも、このボクを傷つけることはできない。
  それがたとえ、『神童』と謳われた君でもね」


ウェールズは、それでもなお立っていた。
 それどころか、身体に開いた無数の風穴が、見る間に修復していく。


 「ウェールズ様……」


 信じられない光景を目の当たりにしたアンリエッタの目が見開かれ、カタカタと肩が振るえる。
 サイトやルイズも、驚きを隠せないようだ。


 「見たでしょう。
  ウェールズは死んだ。ボクがこの目で…この手で確認した」


 ただ1人、アレクだけが冷静に現実を見ていた。
 言い聞かせるかのように、アンリエッタに語りかける。


 「ここにいるのは、ただのまがい物……。ウェールズの姿をした、バケモノだ!!」

 「……ッ」


 兄と慕っていた少年から突きつけられる、悲しい現実。知りたくなかった、あえて気づかないふりをしていた、無慈悲な真実。
 しかし、


 「いいえ…いいえっ! そんなはずないわ!
  だって、わたくしを…このアンリエッタを! 永遠に愛して下さると……!!」


それでも、アンリエッタは首を振る。まるで、何かから逃げるかのように。何かを、振りほどくかのように。


 「ッ! 目を覚ますのですアン! 君は騙されているのです!!」


 そんな彼女に、なおもアレクは叫ぶ。いつの間にか、呼び方や口調が幼い頃に戻ってしまっている。冷静さなど、欠片も残されていない。


 「あなたなら分かるはずだわ、お兄様!
  今も昔も! たった1人を愛し続けているあなたなら!!」


 が、悲痛なまでの女王の叫び声によって、思わず黙らされてしまった。


 「本気で誰かを愛したら! 何もかも捨てて、ついて行きたいと思うものよ! そうでしょうお兄様!!」


 かつて自分も、1人の少女と結ばれるために、家の名前すら捨てようとした。


 「これは、女王としての命令です! わたくしの、あなた達に対する最後の命令です! 道を開けて! 私達を行かせて!!」


 わめき散らすかのように叫ぶアンリエッタ。彼女の気持ちは、痛いほど分かる。
 だが、それでも…。


 「…寝言は寝てから言えよ」


 そこで、今まで黙っていたサイトが1歩前に出て口を開いた。


 「そんなのは、愛でもなんでもないだろ!」


 彼女の選択は間違っている。
 まがい物の妄言に流され、愛情を後ろ盾に自分のわがままを押し通そうとしているだけだ。皇太子との愛を言い訳に使って、現実から目を背けているだけなのだ。


 「…どいてください。もう決めたのです。ウェールズ様について行くと!」


 だが、アンリエッタは聞き入れない。まるで、子供のわがままだ。


 「…ならば、仕方がありません」

 「…ああ」


 アレクはサイトと視線で言葉を交わし合い、己が武器を構えて臨戦態勢を取った。


 「どうしても通ると言うならば……」

 「オレ達が止めてやる!」


 2人を、このまま行かせるわけにはいかない。決意の眼差しを持って、少年達は対峙する。


 「悪いことは言わない。手を引いた方がいいぞ。
  ボク達は、ここを通りたいだけなんだ」


 すっと、杖を握るアンリエッタの手に、ウェールズの手が重ねられた。
 顔に、不敵な笑みを浮かべて。


 「ッ! まずい!!」


 彼の意図を察したアレクが咄嗟に火球と風の刃を飛ばすも、時すでに遅し。


 「なっ!?」


 突如として発生した水と風の大竜巻によって、アレクの放った魔法は難なく消し飛ばされてしまったのだ。
 あまりに巨大なソレを前に、サイトが驚愕の声を上げる。


 「こっ…のォッ!!」


 周囲の大気を巻き込みながら迫りくる竜巻に、ガンダールヴは剣を突き立てた。
 本来、魔法を吸収することができるデルフが、吸収しきれないほどの魔力量。尋常ではない。


 「な、なんだこれ!? 抑えきれねぇ……!?」

 「『ヘクサゴン・スペル』です!」


 通常、魔法を行使できる上限は4系統(スクエア)までなのだが、ある例外が存在する。
 トライアングルメイジ以上の王族が協力することで実現する、極めて強力な6系統を組み合わせた魔法。それが、『ヘクサゴン・スペル』なのである。


 「なんとかならないのか!?」

 「できないこともありませんが…ウェールズ(かれ)をどうにかしないことには、同じことの繰り返しです!」


 さすがに、そう何度もヘクサゴン・スペルの相手などできない。
 あの亡霊をどうにかしないことには、いずれこちらの魔力と体力が尽きるだろう。考えをめぐらせるが、名案はなかなか浮かばない。


 「おい、あんちゃん!」

 「あ、あんちゃん!?」


 その時、デルフリンガーにそう呼ばれ、アレクは目を丸くした。
 彼とはまともに会話したことがなかったが、まさかそのような呼び方が定着していたとは。


 「娘っ子に伝えろ! 祈祷書を使えってな!」

 「!?」


 その言葉を受けてルイズを振り向くと、その手には昨日渡した王家に伝わる宝物。
 ピコンと、アレクの頭上に電灯が灯った。


 「ミス・ヴァリエール!」


 こうなれば、一か八か、伝説の力にすがってみるしかない。
 自分は竜巻を無効化するための呪文を唱えながら、背後にいる少女にそう叫ぶ。


 「そ、そんなこと言ったって…何も書いてなんか……ッ!?」


 そう言いながら慌てて白紙のページをめくっていくルイズの目に、そのページが飛び込んできた。


 「何これ…『ディスペル』……?」


 昨日見た時は、こんなモノは書かれていなかった。しかし今は、しっかりとページ一杯に呪文らしき文字が刻まれている。


 「そいつだ。『解呪』だよ!」

 「! なるほど!
  ミス・ヴァリエール! ソレで、ウェールズの魂を縛っている魔法を解くのです!」


 それは、ありとあらゆる魔術の類いを無効化する呪文。この状況において、これほど望ましい魔法はなかった。


 「わ、分かったわ!」


 デルフとアレクに促され、ルイズは祈祷書に記された呪文の詠唱に取り掛かる。


 「ってオイ! こっちなんとかしろアレク! オレ1人じゃさすがに無理だ!!」


 そうこうしている間にも、サイトは押され気味だった。次第に、竜巻もこちらに近づいてきている。
 このままでは、ルイズの詠唱が終わるまで持たない。


 「分かっています!」


 瞬間、ちょうど詠唱を終えたアレクが杖を振るった。螺旋を描く白い柱が、天を貫く。


 「…竜巻だと……? 無駄なことを」


 それを見ていたウェールズが、無駄なあがきをする『神童』を、憐れむかのような目で見つめる。
 いかに彼が全系統を極めた史上初のスクエアメイジであろうとも、ヘクサゴン・スペルには遠く及ばない。何をしようとも無駄なのだ。
 だが、


 「何ィ!?」


巨大な水の竜巻とアレクが生み出した竜巻が激突した瞬間、2つの竜巻は混ざり合い、一瞬の内に凍り付いてしまったのである。
 美しい螺旋を描きながら天にそびえ立つ氷の竜巻。その様は、さながらガラス細工のような美しさを纏っていた。


 「このように凍らせてしまえば、さすがの『ヘクサゴン・スペル』も無意味。
  女王陛下が『火』のトライアングルでなくて助かりました」

 「って、うぉい!!
  カッコつけるのはいーんだけどよ、オレまでちょっと凍ってんぞ!?
  もっと他に方法なかったのかよ!?」


 今回は、『水』の部分を凍らせることで、竜巻全体を凍らせることができたのだ。
 さすがに『ヘクサゴン・スペルで』作られた炎の竜巻を凍らせることはできないので助かったと、笑顔で語るアレク。そしてその隣には、彼の魔法に巻き込まれたことで若干凍りついた剣と両腕を見せながら文句を言うサイトの姿。
 緊張感の欠片もない光景である。


 「おのれっ……!」


 人を小バカにしたかのような少年達の言動を前に、ウェールズは怒りをあらわにする。
 しかし、


 「チェックメイト」


杖を振るおうとしたその時、氷の柱の向こう側に見えるアレクの唇が、そう動くのを彼は見た。
 瞬間、天より降り注ぐ雷撃が、皇太子の身体を貫く。
 2人の少年の後方では、桃色ブロンドの少女が、降りしきる雨の中で、今まさに杖を振るったところであった。







 いつしか雨は上がり、ラドグリアンの湖畔には、力なく倒れるウェールズと、それを涙ながらに抱きかかえるアンリエッタの姿があった。
 もはや、アルビオン王国皇太子に意識はない。ルイズが放った虚無の魔法は彼の魂を呪縛から解き放ち、何者かの操り人形と化していた貴公子は、真に天に召されたのだ。


 「……女王陛下」


 サイト達と共にそれを見つめていたアレクは、数度躊躇しながらも、悲しみに暮れる女王に話しかける。


 「想い人を2度も亡くしたあなたの心中を、私ごときが理解できるなどとは思っていません」


 人が人の気持ちを『理解する』など、ハッキリ言って夢物語の戯言だ。
 人にはそれぞれ、違った価値観がある。全く同じ体験をしても、感じ方は各々でまったく異なるのだ。故に、他者の感情を理解などできるはずがない。よしんば読心術の心得があり、その人の心に触れることができたとしてもなお、それは『理解』とは程遠い。
 知ることはできる。感じることもできる。しかし、その感情を真に理解できるのは、世界でただ1人。その事象を体験した、本人しかいないのだ。
 それは、彼ら2人も同様である。マリィを亡くしたアレクの心境をアンリエッタが理解できないように、アレクもまた、想い人を亡くした女王の悲しみを理解できるわけがない。


 「でも、あなたが今どんなに辛いか…それは分かっているつもりです」


 長らく恋心を抱いていた相手が目の前で死んで、正気でいろというのが無理な話だ。
 繊細な少女の心はヒビ割れ、今にも砕け散りそうになっているのだろう。


 「しかし…それでもあなたは、前に進まなければならない」


 だが、それを分かっていながらもアレクは、その言葉をうなだれる若き女王に送る。
 あなたはトリステインを統べる女王であり、悲しみに暮れている暇は、微塵もないのだ、と。


 「ボクも、かつてはそうでした。
  最愛の人を亡くして、この世の全てを呪いたかった……」


 アンリエッタの前に片膝をつき、


 「ですが…ただ悲しんだところで、死んでしまった人は返ってこない……。何も、始まらない……」


彼女の手に自らの手を添えて、語りかける。
 泣き腫らした双眸で、女王は目の前の側近頭の顔を見た。


 「泣いてください……今は、心の赴くままに」


 そこにあったのは、かつてのように自分の全てを包み込んでくれるかのような、優しい笑顔。


 「そして笑顔で、ウェールズを弔ってあげましょう。
  きっと彼も、それを望んでいるはずですから」


 なぜだか一瞬、兄と慕った目の前の少年が、想い人の姿に重なった。


 「進みましょう、少しずつ……。
  あなたのために…そして、あなたが愛した彼のために……」


 アレクの顔が、にじんで見えなくなる。
 滝のごとき涙が、濡れた頬をさらに濡らした。


 「それまでボクが、あなたの側で支えます。
  あなたが、自分で道を歩んでいける、その日まで……」


 もはやアンリエッタは、耐えることなどできなかった。
 兄も同然の少年の胸に飛び込み、人目もはばからずに泣きじゃくる。想い人との別離が悲しくて。兄の優しさがうれしくて。
 ただただ、湖畔に泣き声を響かせる少女と、そんな彼女をあやすかのように抱きしめる少年。


 「「…………」」


 そんな2人の姿を、サイトとルイズは無言で見守っていた。
 想い人の死という想像を絶する経験をした少年少女に、自分達が贈れる言葉はない。それを、悲しいほどに分かっていたから。


 「…願わくは…ボクと同じ道だけは、選んでほしくはありませんが……」


 日が差し始めた湖のほとり。耳元で聞いていたはずのアンリエッタにも聞き取ることができないほど小さな声で、瞳に悲しい炎を灯した少年は呟いたという。

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