小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 魔法やら魔物やらが普通に存在するこのハルケギニアにおいて、どこぞでドラゴンが山を1つ踏みつぶしただの、夜中トイレに行くと若い女性の不気味な声が聞こえるだの、現代日本で起きれば軽く騒ぎになるであろう怪奇現象の数々は、実はよくある日常の風景だったりする。


 「本当に見たんだったら!」


 しかし、そんな非常識極まりない世界に生まれ落ちた彼女達にとっても、やはり怖いモノは怖いらしい。
 異世界の住人であるサイトは、友人達を前に若干涙目になりながらテーブルを叩いて主張しているモンモランシーを眺めつつ、のんきにもそう思った。


 「寝ぼけてたんじゃないの?」


 その隣で頬杖をつきながら金髪少女を冷めた目で見つめるキュルケは、そう一言で断ずる。
 まあ、当然と言えば当然の反応だろう。事実、その場にいる他のメンバーも同様の意見のようで、ほとんどがうんうんと頷いている。約1名、興味なさげに読書に没頭している少女が、例外としているのだが。


 「寝ぼけてなんかないったら!」


 だがそれでも、モンモランシーは引き下がらない。縦ロールの長髪を振り乱して、その場の総意となったキュルケの意見を必死に否定する。


 「ホントにいたのよ! 怪獣が!!」


 あまりにぶっ飛んだ彼女の目撃談を再度聞かされても、信じる者はいなかった。







〜第39話 『真夜中の怪異』〜







 話は、この日の日の出前にさかのぼる。
 夜中に突然の尿意に襲われ、モンモランシーは目を覚ました。
 この学院の寮の個室には手洗いが設備されていない。すなわち、こういう場合は学院のいたるところに設置されている共同トイレを使用しなければならない。そんなわけで彼女も例によって、いったん部屋を後にして用を足し、再度戻ってきた。
 そこまではいい。問題は、その後である。
 ふと窓の外に目をやると、何やらとても明るいではないか。それも、妙な明るさである。空に星々が輝いていることを見ても、朝になったというわけでは断じてない。
 何事かと外をのぞき見る少女。しかしてその目に、信じられない光景が飛び込んできた。
 大蛇である。それも、尋常な大きさではない。胴回りだけでも学院の塔と同程度の太さがあり、その体長に至ってはもはや比較する対象すら思い浮かばないほどだ。しかもその身体は、燃え盛る炎によって形成されている。ともすれば通り道が、軒並み焼け野原になってしまうかもしれない。正真正銘の、バケモノだ。
 モンモランシーは咄嗟にベッドにもぐり込み、夜明けまでガタガタと震えていた。どのくらい時間が経ったかは分からないが、鳥のさえずりが聞こえてきたので恐る恐る窓の向こうを見てみると、怪蛇の姿はすでになく、代わりに朝日が顔を出していたのだという。


 「私だって夢だったって思いたいわよ! でも、ホントにいたんだから!」


 トイレまで歩いたことで眠気も吹き飛び、頭もクリアになっていた。寝ぼけて見間違えたなどあり得ない。再度テーブルを平手で打ち据えながら、少女はそう叫ぶ。


 「しかし、仮にその話が本当だったとして、少しおかしくないかい?」


 そこで、ジュリオがさりげなく話を切り出した。
 何気ないしぐさ1つとっても変に魅力的なあたり、さすがはアレクと人気を二分するイケメンだけはある。


 「そんな怪物がすぐそばに出没していながら、この学院の人間にまったく危害が及んでいないなんて」

 「う……」


 そのような前代未聞の怪物が出現しておきながら、この学院には死者はおろか、かすり傷を負った者すらいない。辺りを見回せば、皆が皆、いつも通りに生活をしている。これは少々不自然だ。


 「…そうね、もし万が一にもそれがあり得たとして、学院施設になんの被害もなかったなんて不自然だわ」


 ルイズもまた、ジュリオの意見には賛成のようだ。
 仮に学院の人間への被害を偶然たまたま万が一免れたとしても、それだけの巨体だ。否が応でもその痕跡が残る。具体的には、通った後の地面がへこんでいるとか焦げているとか、さらにはモンモランシーの目撃談の通りに学院敷地内に侵入していたのなら、外壁が崩れているとか。
 しかし、そのような報告は一切ない。あればたちまち学院中が大騒ぎだ。


 「やっぱさ、夢でも見てたんじゃねーの? モンモン」

 「だから私はモンモランシーだってば!!」


 何度目か分からないやり取りを交えながら、サイトがそう締めくくる。
 痕跡が一切残されていない以上、彼女の話を肯定することはできない。むしろ、否定する材料ばかりが増えていく。
 それでも納得がいかない金髪少女は、なおも反論を続ける。やいのやいのと口論をしていると、


 「何を騒いでいる!」


そんな怒声が飛んできた。
 貴族令嬢達はビクリと肩を震わせ、サイトとジュリオは突然の乱入者に顔を向け、例外としてタバサはなおも本にかじりついている。ある意味大物かもしれない。


 「やあ、ミシェル。ちょっと面白い話で盛り上がっていたところさ」


 ジュリオがにこやかに笑いながら、テーブルの前で仁王立ちしている青いショートカットの女性、ミシェルへと返答する。


 「面白い話?」

 「いや、モンモンがさ、夕べ怖い夢見たって言うんだよ」

 「夢じゃないし、私はモンモランシー!!」


 怪訝な顔で問いかけてくるミシェルに、世間話でもするかのような軽い口調でサイトが答えた。もはや彼の中では、金髪少女の体験談は夢として確定されているようだ。
 しかし、これには黙っていられないとばかりに、呼び方への抗議も含めてモンモランシーがまたも反論する。
 いい加減に呼び名の方は妥協してはどうかと思ってしまう一同であった。


 「ふん、下らん! 心が弱いから、そんなありもしない幻を見るのだ!」


 なんだかんだでショートカットの女性に詳しく説明すると、そんな返答が返ってきた。


 「たるんでいる証拠だ!
  貴様ら、今日の戦闘訓練では今まで以上にしごいてやるからな!」

 「「「えぇえぇ〜……!?」」」


 かと思えば、そんな急展開を宣言してくれたではないか。これには令嬢達はたまったモノではない。
 しかして、タバサを除く彼女達の避難など受け付けず、ミシェルはその場を後にする。あとに残された者達は、その後ろ姿を恨めしそうに眺めていた。


 「…相変わらずおっかねーなぁ、アイツ」


 頬杖をつきながら、そんな感想を漏らすサイト。
 ミシェルは、銃士隊の副隊長。すなわち、アニエスの副官に当たる女性だ。学院の女子生徒への戦闘訓練の教官を担っているのだが、ある意味隊長以上に厳格で、生徒達からは結構恐れられている。


 「なんだってアレクは、あんなのをそばに置いとくのかね」


 剣術の腕も相当で、仕事もそつなくこなす。優秀な騎士には違いないのだろうが、あのどこか近寄りがたい刺々した雰囲気が、サイトはどうも好きになれなかった。


 「仕方ないわよ。『銃士隊』はアンリエッタ様直属の親衛隊だもの。
  いくらアレクが国軍の最高責任者(トップ)とはいっても、陛下の命令で駐屯している以上、強く言えないのよ」


 しかしその疑問に、ルイズが冷静に返答する。
 武力を持って王家を守ることを使命とするエルバート家当主には、アルビオン王家とのパイプ役という役目の他に、代々国軍の最高責任者としての権力も受け継がれてきた。簡単に言えば、トリステイン王家が政治の実権を握り、分家であるエルバート家が軍事の実権を握っているのである。
 とはいえ、そんなエルバート家当主といえども、軍から独立した女王直属の親衛隊を自由に扱うことはできないのだ。


 「というよりあの殿下のことだから、そんなことは気にも留めないで普通に受け入れてるんじゃないかな?」

 「…それはないって言えないのが怖いわね……」


 そんな何気ないジュリオの意見に、モンモランシーが乾いた笑みを漏らしながらそう呟く。
 あのお人よしが服を着て歩いているような少年のことだ。ミシェルのあの性格も、文句すら思いつかずに受け入れてしまっているのかもしれない。「マジメなのはいいことです」なんて、笑顔でのたまう純情少年が目に浮かぶようである。


 「てゆーか、本題は結局どうなったのよ」

 『あ……』


 そんなキュルケの呆れたような一言で、一気に当初の話題を忘れていたことを思い出す一同。
 その後、訓練開始間際まで、同じところをグルグルと回り続ける実りのない論争は続いたという。







 しかしてその夜、正確には翌日の夜明け前のこと、事態は思わぬ形で解決を見せることになる。


 「サイト! サイト!!」

 「んぁ……?」


 未だ空に星々が輝くその時間帯に、サイトは主人によって肩をゆすられ目を覚ました。


 「ンだよこんな時間に……」


 寝ぼけ眼を手でこすりつつ上体を起こし、安眠を妨害してくる少女に文句を垂れる。


 「まだこんなに暗いじゃ……」


 そこまで言ったところで、少年は言葉を飲み込んだ。
 窓の向こうは明らかに星明りではない光源によって、まるで火事場のように赤々と光り輝いているのだから。昨日のモンモランシーの供述と、面白いぐらいに状況が一致している。
 もしやと思い外を覗いてみれば、


 「なんじゃこりゃぁああぁああ!?」


案の定、そこでは巨大な炎の大蛇が狂ったように暴れているではないか。あまりにも巨大なその姿はもはや、『蛇』と言うより日本や中国で言うところの『龍』のようである。
 絶叫が、サイトの口から思わず飛び出した。


 「ど、どーすんのよ! まさかホントにいるだなんて……!」

 「いや、どーするっつったって、あんなんどーしよーもねーだろ!」


 突然の怪獣大出現にパニックに陥る主従の2人。まあ、この状況で冷静になれる人間など限られてくるのだろうが。


 「そ、そうだ! 『目には目を』! 『バケモンにはバケモンを』だ!!」

 「何よそれ!?」


 と、そこで、サイトが突如として名案を思いついた。
 わけが分からないと文句を垂れる主人を引っ張り、デルフを背負いながら蹴破るかのような勢いでドアを開けて、暗い廊下へと躍り出る。
 石畳を走り抜けて着いた先は、この学院最強の男の寝室であった。


 「ま、まさかアンタ、アレクに怪物(アレ)の相手をさせようっての!?」


 あまりにも恐れ多い使い魔の案とやらに、全力で抗議するルイズ。
 仮にも一国の女王の側近頭であり、自身も軍を統括する立場にいる少年を、バケモノ相手に戦わせようという根端なのだ。不敬罪も甚だしい行為である。


 「アイツ以外にあのバケモンの相手できるようなヤツ思いつくってのか!?」

 「そ…それは……」


 しかし、次いで紡がれたサイトの反論に、少女は思わず押し黙ってしまった。
 確かに、彼の意見はもっともなのだ。ドラゴンですら丸飲みにしてしまいそうな大蛇を相手に戦える人材など、トリステインはおろかハルケギニア中を探し回ったところで、最強の魔法の使い手と目される彼以外に思い浮かぶはずもない。


 「つーわけで起きろアレク! お前の犠牲は無駄にはしないぜ!!」

 「他に言い方ってモンがあるでしょアンタは!!」


 そんなこんなで、またしてもドアを蹴破らんばかりに開けるサイトと、その際の無礼かつ縁起でもない言い回しに盛大にツッコむルイズ。
 相も変わらず、何年もコンビを組んだお笑い芸人張りに息の合ったボケ・ツッコミではあったのだが、


 「って、あるェ〜……?」

 「な…なんでいないのよアレクったら……」


室内に観客たる少年の姿はついぞ見当たらず、代わりに山と積まれた書類が一棟、バサバサと音を立てて崩壊しただけであった。


 「ど、どーすんのよ!? アレクなしであんなのと戦えっての!?」

 「オレに聞くなよ!
  つーかなんだかんだ言って、お前だってアレクの力あてにしてたんじゃねーか!!」


 最大戦力の不在を知り、みっともなく口論を再開する少年少女。一応今は夜中なのだが、そんなことを気にしている余裕などないのだろう。


 「ちっくしょぉ! こーなったらヤケだ! 行くぞルイズ!!」

 「ア、アンタに言われなくたって分かってるわよ!!」


 このままではどのみち、自分達はあのバケモノの餌食である。ならばいっそのこと、派手に暴れて無様に抵抗しようではないか。もはや言葉通りに自暴自棄となったサイトは愛剣を鞘から抜き放ち、ルイズもそれに続くかのように杖を取り出す。
 寮塔から1歩外に出て、2人は思わず喉を鳴らした。
 目の前には、巨大な塔のようにそびえ立つ炎の身体。玉砕覚悟で出てきたはいいが、やはりそこは元現代日本の高校生と戦闘経験などほとんどない貴族のご令嬢。あまりに巨大な敵を前にして、足がすくんでしまうのも無理からぬ話である。


 「…あなた方はそんなところで何をしているのだ?」

 「「ッ!?」」


 するとその時、背後から突然声をかけられ、サイトとルイズは反射的に飛び退いてしまった。
 そこにあったのは、腰に手を当ててジト目でこちらを見てくる銃士隊隊長の姿。


 「夜中に寮を抜け出して何をしようとしているのかは理解しかねるが、
  とりあえずは女王陛下に仕える者として恥じぬ健全な行動を所望する」


 顔を赤らめながら咳払いを交えて、アニエスは2人にそう語りかける。
 いったい何を想像しているんだとか、そのようなツッコミはさておいて、


 「お前はアレ見てなんでそんな平然としてられんだよ!?」


今最も問題と言えるツッコミを、サイトはほとんど条件反射でぶっ放すのだった。


 「? いつものことだろう? さして珍しくもない」

 「コレのどこがいつも通りで珍しくないってゆーのよぉっ!!」


 が、隊長殿はどこ吹く風といった様子でそうのたまう始末。思わずルイズもツッコんでしまったのは仕方がないと言えよう。
 実際、冗談ではない。夜な夜な長大な怪蛇が学院に現れて暴れ回っており、それが普通のことなのだと語られては、おちおち眠れやしないではないか。


 「…まさかとは思うが…エルバート公から聞かされていないのか?」

 「何をだよ!? 
  『明日、超巨大な大蛇に世界は滅ぼされるのじゃあ』とか、アイツが言ってたっつぅのか!?」


 呆れたかのようなアニエスの言葉に、サイトが占い師風のコスプレをしながら水晶玉を覗き見るジェスチャーを交えて、盛大に反論する。
 どこにそんな服や小道具を持っていたんだとか、そんなツッコミはさておき、彼の叫びはもっともと言えた。それくらいに、金髪ショートの親衛隊長の話は要領を得ないモノなのだ。


 「アレは怪物でもなければ、この世の終わりを告げる破滅の使徒でもない」

 「「…はぁ……?」」


 三度(みたび)紡がれたアニエスの言葉に、わけが分からないと言った様子のサイトとルイズ。
 まあ、それも致し方ない。身体を炎で構成した大蛇が踊り狂っているという異常事態を前にして、何を言っているんだという話だ。
 しかし、2人がふと大蛇の足元に目を移したその時、彼らは彼女の言葉の真意を半ば強制的に理解することになる。


 「…オイオイ…まさかとは思うけどさ……」

 「…アレクよね…どう見ても……」


 燃え盛る炎の身体に幾重にも囲まれたその場には、天空に杖をかざす『神童』の姿。
 だが、とてもではないが、怪物と死闘を繰り広げる英雄、といった様子ではない。彼の振るう杖の動きに合わせて、巨大な蛇が身をくねらせている。その様はまさに、人形を操る人形師にも、楽団を指揮する指揮者にも似ていた。


―――――――――――――おかしくないかい? この学院の人間にまったく危害が及んでいないなんて―――――――――――――


 死者どころか、ケガ人も出ないはずである。


――――――――――――――――――学院施設になんの被害もなかったなんて不自然だわ―――――――――――――――――


 被害など、出ようはずがない。
 なぜなら、


 「大蛇(アレ)は、エルバート公のお力によって生み出された、れっきとした魔法だ」


目の前に存在するソレは、心優しき天才によって、その動きの細部までコントロールされていたのだから。


 「…魔法って、こんなこともできるのな……」

 「…アレクくらいよ…こんなのできるの……」


 真相が分かればひどく単純な話だ。ため息交じりにサイトとルイズは肩を落とし、猛烈に疲れたとばかりに言葉を漏らす。今の今まで死を覚悟していた自分達は、いったいなんだったのだろうか。


 「私も初めてお見かけした時は驚いたよ。
  曰く、戦時に備えて秘密の特訓なのだそうだ」


 息を1つ吐き、親衛隊長はそう語る。
 誰もが寝ているようなこの時間に、魔法の練習をしているなど、いったい誰が予想するだろうか。考えてみれば、ひどく迷惑な話である。


 「なんだってわざわざこんな時間に……」


 だからこそ、少年の口からこんな愚痴がこぼれるのも無理はないと言えよう。別段悪事を働いているわけでもあるまいし、昼間に堂々とやればいいのだ。


 「そういうわけにもいくまい。
  男子がこぞって軍に収集されたとはいえ、昼間は多くの職員や生徒が学内を行き来しているのだからな」


 しかして、そんな呟きはアニエスによって否定されてしまった。
 人が多く行きかうそんな時間に、このような大魔法を行使したならば、巻き込んでケガ人を出してしまうかもしれない、と。故に、確実に人気がなくなるこの時間帯に行うより他にないのだ、と。


 「でも、それならそうと私達にぐらい言ってくれても……」


 自分達は友人同士のはずなのだ。幾度となく窮地を乗り切ってきた仲間のはずなのだ。にもかかわらず、こんな隠し事のようにコソコソとやられるのは、気分が悪い。ルイズは拗ねたようにそう漏らす。


 「知られたくなかったのだろう。ご自身の心に、迷いと不安があることを」

 「「え……?」」


 次いで紡がれた銃士隊隊長のそんな言葉に、少年少女はそろって間の抜けた声を上げてしまった。


 「もはやアルビオンとの戦は避けられん。
  女王陛下やエルバート公はなおも反対しておられるが、国中が打倒アルビオンへと動き始めてしまっているからな」


 アンリエッタが統治する王宮も、アレクが統率する軍も、それを見守る国民ですら、アルビオンへの開戦と勝利を心待ちにしている。反対派の人間など貴族・平民をまとめてもごく少数だ。政治と軍事を統括する2人といえども、そろそろ開戦を渋るのは厳しくなってきているのが現状である。


 「開戦と(そう)なれば、戦の総指揮は他でもないエルバート公が執ることになる。
  それは、何万と言う兵士達の命を預かるということだ」

 「「!」」


 戦をするということは、キレイごとではない。たとえ勝利したとしても、その影には散っていった命が必ず存在する。戦闘が大きくなればなるほど、激しければ激しいほどに、その数は比例するのは自明の理。
 そして、死んでいくのは味方のみではない。敵も当然命を落とすことになる。敵とはいえ、この世に生を受けた命であることに変わりはない。戦争の指揮をするということは、彼らを殺す命令を下す、ということなのだ。
 あの双肩に、敵も含めて多くの命の行方がかかっている。王族とはいえ齢17の心優しい少年には、相当のプレッシャーだろう。


 「さらには、その結果は全て国の統治者である女王陛下の責任ともなる」


 すなわち、完全な板ばさみだ。
 味方も敵も、殺したくはない。しかし、殺さねば戦争には勝てない。戦争の回避はもはや不可能。そして自分の取った行動の全ては、国を統治するアンリエッタの責任でもある。敗北は許されない。立ち止まることも敵わない。しかし、このまま進みたくはない。
 そんな矛盾に満ち満ちた思考が、グルグルと少年の頭の中を駆け回っているのだ。下手したらウツにもなりかねない。


 「そして人の上に立つ者である以上、苦悩と動揺を表に出すことは許されない」


 指揮官の心の揺らぎは、結果として部隊全体の戦意を低下させ、より多くの犠牲者を出してしまうかもしれないからだ。
 よって、彼に迷いは許されない。心の弱さをさらしてはならないのである。たとえそれが、どれだけ仲のよい友人であったとしても。


 「しかし、そうは言ってもため込むだけでは船は沈没してしまう。
  アレは、あの方なりの息抜きなのだろう」


 もしくは、気を抜けば襲われる猛烈な不安を紛らわそうとしているのかもしれない。
 そう語るアニエスの顔を見て、言葉を聞いて、サイトはふと疑問に思った。


 「…なんだ?」

 「あ、いや…ずいぶんアレク(アイツ)のこと分かってるなぁ、ってさ……」


 無意識にじっと見つめていたことを目線で咎められ、咄嗟にそう答える。
 ルイズも少なからずそう感じていたようで、親衛隊長へと問いかけるような視線を送っていた。


 「…何、あの方とも長らくお付き合いさせていただいているからな……。
  ただ、あなた方が知っているモノとはまた違う面を見てきただけの話だ」


 一呼吸おいて、アニエスはそう答える。その表情は、主君に仕える騎士のソレではなく、昔馴染みの少年を見守る1人の少女のようであった。
 なるほど、学院の中でしか顔を合わせることのなかった2人と違って、女王の側にいる者同士、何かと関わることも多かったのだろう。
 特に彼女は、銃士隊結成以前からアンリエッタに仕えていたという話を、いつかアレクがぽろっと言っていた気がする。その時からアレクとも面識があったのなら、普段は見せない彼の一面を知っていたとしても不思議はない。


 「まぁなんつーか…アイツにも悩み事とか心配事とかあったんだな……」


 自然と、そんな呟きがサイトの口からこぼれた。
 この世界に来てからそれなりに長くあの少年とは付き合ってきたが、彼はいつでも自然体で、どんなことでも涼しい顔で乗り切ってしまうような、そんな印象しか持ち合わせていなかったのだ。
 しかしアニエスの話を聞いた今となっては、それも少し変わった。『神童』と呼ばれたかの少年は、もしかしたら周りが思うほどには完璧などではないのかもしれない。
 自分と同様に悩み、苦しみながら、それでも誰かのために突き進む。異世界から召喚された少年には、その姿があまりにも素朴で、あまりにも泥臭く、そしてとても愛おしいモノに思えた。
 それはどうやら、隣にいるルイズも同じようで、息を1つ吐きながら複雑な視線を向けている。
 自分達になんの相談もせずに1人悩んでいた水臭さは後々追求するとして、今は完璧超人の珍しい一面をそのまま堪能しようと考えていたのだが、


 「って、あれ? お2人ともどうしてここに!?」


人気のない場所で普通に会話をしていて、アレクが彼らの存在に気付かないはずがない。
 結局、人がいては危険だということで、今回の特訓はお開きとなった。身内にひたすら過保護と言う点は、当初からの印象と全くぶれない少年である。
 なお、余談ではあるが、この後彼は事の次第をサイトとルイズの口から全て聞き、朝1番でモンモランシーその他に謝罪の言葉を送ったらしい。彼らにひたすら頭を下げる側近頭の図は、なかなかにシュールだったと目撃者は後に語る。

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