小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 陽気が窓から差し込む中、少年と少女は室内に山と積まれた書類や書籍の束を整理していた。


 「まったく…お兄様ってば、変なところでだらしないんだから……」


 いくらやっても片付かない部屋の惨状を見渡しながら、アリスがため息をつく。貴族の令嬢に似つかわしくない三角巾やエプロンが、とても印象的だ。


 「…面目ない……」


 その横では、この部屋の主であるはずの少年が、肩身の狭い思いをしながら書類の整理に追われていた。







〜第40話 『貴公子の受難』〜







 事の始まりは、小1時間ほど前のこと。
 長らく大量の紙に支配されてきたこの寝室。足の踏み場すらないこの状態に、部屋主の妹がついに異を唱えたのである。


 「お兄様がお忙しいのは存じております。
  しかしこれは、いくらなんでもあまりにあんまりですわ!」


 とのことらしい。
 何しろ所狭しとそびえ立つ白い塔のおかげで、室内はベッドすら入らない有様なのだ。これでは『寝室』ではなく、『物置』。よく見積もっても、『研究室』である。
 そんなこんなで彼女の指揮の下、『寝室大掃除計画』は始動し、現在に至る、というわけだ。


 「……はぁ……」


 壁に掛けられた大きな肖像画を見上げて、アリスはまたしても溜息をついた。


 (もぅ……自分のことは、すぐないがしろにするくせに……)


 ホコリ1つかぶっていないそれに描かれているのは、5年も前にこの世を去った、兄の婚約者。
 執務と授業に追われて睡眠時間を削る生活の中でも、1日たりともその手入れを欠かしていないことは容易に想像できる。


 (それほどまでに…素敵な方だったのね……)


 当時まだ幼かったアリスには、額の中でこちらに微笑む少女、マリィ・アンの記憶はない。彼女が亡くなった後に、非公式ながらも最愛の兄の婚約者であったことや、幾度かアリス自身も顔を合わせたことがあることを、母から聞かされたくらいだ。
 だが、兄の彼女に対する愛情の深さは、誰よりもよく知っている。いや、『見せつけられている』と言った方が正しいだろうか。
 兄の様子から想像するに、マリィという少女は同性からですら憧れを抱かれるような、精霊のように素敵な人だったのだろう。


 (…憎たらしいこと……)


 だからこそ、アリスはマリィが好きになれなかった。死してなお、愛しい兄の心をつかんで離さず、独り占めにするこの少女が。
 彼女が死んで5年。決して短くはない歳月が流れた今でも、アレクは彼女しか見えていない。家族も友人も彼にとっては、姿なき婚約者の前では霞のごとくに空虚なのだ。
 優しい彼のことだ。見ようとはしてくれている。優しく微笑み、気遣うように語りかけ、必要以上に世話を焼く。もちろんアリスにも、大事にされているという認識はある。
 だが、自分と本を読んでいる時も、幼馴染であるルイズとお茶をしている時も、はたまたあのサイトという少年と話している時も、アレクの心は相手ではなく、マリィを見つめているのだ。


 (絶対に、お兄様をあなたから取り戻してみせるわ……!)


 人の心を癒すことができるのは、触れることすら叶わない死者などではない。すぐ隣で支えることのできる生者にこそ、その権利はあるのだ。
 誰にも、その役目は譲らない。なんでもこなしてしまう完璧超人に見えて、変なところで抜けているこの兄を支えるのは、妹である自分を置いて他にない。死んだ人間に、これ以上好き勝手されてたまるものか。
 そんな決意を心の中で固めたアリスの目に、ふと珍しい光景が舞い込んできた。


 「アレは…サイトさんと、銃士隊の……」


 窓から学院の中庭を見下ろしてみると、サイトとアニエスが木剣を交えているではないか。
 ケンカかと思ったアリスが、心配そうな視線を向ける。


 「あぁ、ミスタ・チェザーレが来られた頃から、ああやって、よくお2人で剣の稽古をしているのです」

 「…ルイズお姉さまが黙っていないのでは……?」


 アレクの説明に、アリスは思わず聞き返してしまった。
 ここから見る限り、かの少年の剣技はなかなかのモノである。少々無駄な動きがあるものの、王室の親衛隊長であるアニエスともほぼ互角だ。
 確かにあれほどの腕を持った剣士は、トリステイン中を探してもそうそういない。おそらくは剣を志す同レベルの者同士、互いの技をぶつけ合って切磋琢磨しようといったところなのだろう。
 しかし、彼女は仮にも女性である。ルイズに黙ってこんな朝早くから若い女性と2人きりで会っているなど、正直言って自殺行為だ。知られたら双方、タダでは済まない。


 「まぁ…初日は、それはもうすごかったですが……」


 訓練している内に足がもつれたのかどうしたのか、サイトがアニエスを押し倒してしまい、その現場をルイズがたまたま目撃したことでいらぬ誤解を招いてしまったのだ。
 かつて中庭で巻き起こった爆発の雨あられを思い出し、アレクは遠い目で窓の外を見つめる。


 「しかし、あの2人の関係によく気づきましたね。
  学院に来て、まだ日も浅いというのに」

 「だって、見ていてバレバレなんですもの」


 くっついたり離れたりを繰り返しているサイトとルイズを思い浮かべ、苦笑交じりに語りあうアレクとアリス。あの2人が真に距離を詰めるのは、いったいいつのことやら。
 他人の色恋沙汰には変に敏感な、極めてよく似た兄妹であった。


 「…? おや?」


 そこでふと、兄の視線が妹の手元へと移る。


 「あぁ…どうやら、お父様の日記帳のようです」


 アレクの視線に気づいたアリスが、手に持った古い冊子を差し出しながら説明する。
 が、少年はその手帳にまるで見覚えがない。


 「…妙ですねぇ……。そのようなモノを持ち込んだ覚えはないのですが……」

 「え……でも、確かにそこの書類に埋もれて……」


 顎に手を当てながら日記を受け取り、アレクはそう呟く。
 妹がウソをつくとも思えない。おそらくは何かの資料に紛れて、知らぬうちに持ち込んでしまったのだろう。
 何の気なしにページを開き、


 「……?」


その瞬間に猛烈な違和感に襲われた。


 「? どうかなさったのですか?」

 「いえ……。文字の配列や文章の構成が、ところどころ不自然なもので……」

 「……そう、でしょうか……?」


 不思議に思って覗き込んでくるアリスにそう説明するものの、彼女の反応はイマイチだ。
 違和感があまりに微細すぎて、気にも留めていないようである。


 (日記だから手を抜かれたのか……?
  いや…それにしてもあの(・・)父上が文章に妥協するなど……)


 内容は、取り留めのない日々の出来事が、ヨレヨレの紙面につらつらと書かれているだけだ。普通ならば、ごく個人的な文章であるために、多少の違和感に目をつむって書き下したと考えられなくもない。
 だが、これを書いたのは、『トリステイン一の博学』とまで謳われた、あの父である。
 厳格を型にはめたかのようなあの人が、たとえ私的な文章であっても、たとえ常人が見過ごしてしまうようなわずかな違和感であっても、無意味にそのままにするとは思えない。


 (…何かある…と見た方がいいですね……)


 そこに何があるのか、どのような意味が隠されているのかは分からない。
 だが、父が公に文章に起こそうとせず、さりとてその頭の中に仕舞い込んだまま抹消できなかった何かが、ここにある。
 息子として、興味がわかないわけがない。


 「…解いてみますか……」


 コレはともすれば、父が息子にあてた謎かけであるのかもしれない。
 根拠も何もなくそんな予想が頭をよぎる中、少年は日記に隠された秘事の解読に取り掛かるのだった。


 「お兄様、部屋を片付けてからにしてください」

 「…はい」


 ただし、最優先事項である部屋の整理が終わった後で。







 「こんな時間に、いったい何をしようというのですか?」


 燭台を片手に暗い廊下を歩きつつ、アレクは隣のサイトへと問いかける。
 すでに日も沈み、多くの人間が自室で眠りに就いている時間帯だ。事実彼も、例の日記帳の解読を中断し、寝ようとしているところだった。


 「まあ、なんつーか…アニエスに協力しろって言われてさ……」


 まさにその時だった。この少年が、部屋を訪ねてきたのは。
 話を聞けば、オスマンがアンリエッタから預かっていたという風のルビーと水のルビーが、学院長室の金庫から何者かに盗まれてしまったのだとか。使い魔に異変を知らされたオスマンが駆けつけたのだが、相手が実に身軽であったため、まんまと逃げられてしまったのだ。
 だが、何者かがこの学院内から脱出した痕跡も、侵入した痕跡もなかったため、犯人は学院内部にいると断定された。そんなこんなでサイト達は、こうしてその盗人を見つけるべく夜の廊下を徘徊していると、こういうことらしい。


 「アニエスさんやミス・ヴァリエールは別行動ですか?」

 「…アニエスはそうだけど、ルイズにはこのことは言ってない」


 アレクの何気ない質問に、サイトは若干表情を曇らせながらそう答える。
 オスマンの証言によると、犯人は土の魔法を使っていたらしい。よって、学院にいる教員生徒その全員が容疑者であり。犯人の捜索は、平民出身の隊士が集う銃士隊と、魔法使い(メイジ)ではないサイトとジュリオによってなされることになったのだ。


 「…なるほど……」


 アレクは、バツが悪そうに話すサイトを見て、納得の表情を見せる。
 ルイズは虚無の担い手であり、土系統の魔法など使えない。本来ならば、容疑者からは外れる。にもかかわらず、アニエスが彼女に犯人捜索の協力を要請しなかった理由。
 それはすなわち、


 「彼女のお姉さま方にも、疑いの目が向けられていると……」

 「…ああ……」


少女の2人の姉、エレオノールとカトレアが、容疑者として挙げられているからに他ならない。肉親(ルイズ)の口から、捜査の情報が漏れることを恐れたのだ。


 「まあ…妥当な判断と言えなくもありません……」

 「ッ! お前まで疑うのかよっ!?」


 彼女達の父、ヴァリエール公爵は、以前から此度の戦争には反対していた。強国アルビオンに自ら責めに出て、敵うわけがない、と。
 そこで、2つの指輪を証拠品としてアンリエッタとウェールズのスキャンダルを暴露し、この戦が正義のためではなく復讐のためであるとでっちあげるのだ。そうすれば、彼女を確実に失脚させることができる。
 おそらくはアニエスも、そのように考えたのだろうが、これにはサイトが納得いかない。仮にも身内を疑うなど、心根が真っ直ぐな少年には酷だった。
 そしてそんな世迷言を、寄りにもよってルイズの幼馴染が信じているということも信じられない。思わず、胸倉をつかんで抗議する。


 「いいえ」


 だが、鋭い視線で睨みつけてくる親友に、アレクはアッサリと否定で返した。


 「客観的に見れば、お2人が疑わしいのは確か……。
  事実私も、ヴァリエール公爵から、陛下をなんとか説得して戦争の回避を図ってほしいと頼まれてきました」


 彼女達の父が、周りの意見に流されている女王の政策に納得がいっていないのも事実。そんな時に彼の娘達が、特別講師として脈絡もなく学園に転がり込んできたのも事実。
 状況を客観的かつ理論的に見れば、この学園内で最も疑わしいのはエレオノール達だ。


 「とはいえ、ボクもあの方達とそれほど浅い付き合いをしてきたわけではありません。
  彼女達の性格や人柄を、あなたよりも熟知しているという自負はあります」


 何しろルイズにカトレアの病状を聞かされて以降、今年に入るまでほぼ毎日のようにヴァリエール家の屋敷に通い詰めて彼女の治療を行ってきたのだ。ヴァリエール家の人々の人柄は、下手な貴族よりも知っているという自信がある。
 そして、だからこそ言える。


 「彼女達は、犯人ではありません」


 その瞳に宿るのは、知り合いの無実を信じてやまない真っ直ぐな光。ロウソクに照らされる闇の向こうを見つめてそう言い放つアレクに、サイトは安堵の表情を見せた。


 「まあ、そんなことを言ったところで、身内のひいき目と断じられるのが関の山。
  だからこそあなたも、こうやってミス・エレオノールの部屋を訪ねているのでしょう?」


 しかしながら、彼の言うことも至極もっともだ。自分達がなんと言おうとも、2人が疑われていることに変わりはない。となれば、その疑いを晴らすしかない。
 目の前にたたずむ扉を前にして、サイトは静かに頷いた。


 「さて、成り行きでここまでついて来てしまいましたが……どうやって判別するのですか?
  さすがにボクでも、手がかりも何もなしに特定人物を割り出すような魔法は、心当たりがありませんよ?」

 「あ〜……なんつぅか……」


 今さら気味なアレクの問いかけに、サイトは後頭部をガシガシとかきながらあいまいな声を漏らす。


 「ま、とりあえずはだな」

 「へ?」


 おもむろにガッシリとアレクの胸倉をつかみ、空いた手でドアのノブを握るサイト。


 「ぅわぁああぁっ!?」


 そんな親友の行動に疑問な声を上げる間もなく扉は開け放たれ、少年は部屋の中へと投げ入れられてしまった。


 「なっ…何をするんですかっ!」


 あまりにも乱暴な扱われ方に、さすがに納得がいかないとばかりに抗議するアレク。
 部屋の外には、申し訳ないとでも言うかのように、両手を合わせて謝罪のジェスチャーをしているサイトの姿。
 その時、


 「…殿下……?」

 「ッ!?」


寝ぼけているかのような声が耳に届き、アレクは恐る恐る後ろを振り返る。
 そこには、目をこすりながら寝間着姿でこちらを見下ろしてくるこの部屋の主が立っていた。


 「あ…いやその…これはですね……」


 夜、年若い未婚の女性の部屋に、本来ならばいるはずのない男がいる。この状況をこの場面だけ切り取って見た者は、10人が10人とも同じ答えに行きつくだろう。すなわち、『夜這い』だ。
 マズイ。非常にマズイ。ルイズ以上に気性の荒い彼女がその答えに行きついたならば、自分はとんでもない目にあってしまう。命の危険を感じ取ったアレクは、ろくな言い訳すら思いつかず、目を泳がせながら部屋の外のサイトに視線で救援を求めようとした。
 だが、


 (って、いないぃいいぃいぃいっ!?)


当の親友の姿は、もはやどこにもなかった。アッサリと見捨てられたようだ。


 「殿下……」

 「はっ、はひッ!!」


 心の中で絶叫を上げていると、不意に後ろからエレオノールに話しかけられた。思わず、肩をビクリと振るわせて変な声を上げてしまう。


 (ああ…マリィ……ボクもすぐそっちに行くよ……)


 などという縁起でもない考えが浮かぶのも、今の彼には仕方がないことなのかもしれない。
 今までの出来事が鮮やかに脳裏に浮かぶ。これが走馬灯というモノなのだろうか。
 しかして、死を覚悟した少年を襲ったのは、予想の斜め上をいく女性の反応であった。


 「やっとその気になってくださったのねーっ!!」

 「えっ!? ちょっ……!?」


 何がどういうわけなのか分からないが、号泣したかと思うと、なぜか紅潮した顔でおもむろに抱きついて来たのだ。
 一瞬、酔っ払っているのではないかという考えが、アレクの頭脳によぎった。そうでもなければ、気難しい彼女がこんな行動には出ないだろう。


 「あ、あのっ、落ち着いてくださいミス・エレオノール」


 しかし、それはそれで好都合だ。このまま寝かしつけて、この窮地を脱出しようではないか。酒に酔っているならば、容易く眠ってくれるだろう。
 そう思い至った少年は、とりあえずエレオノールを自分の身体から引きはがしにかかる。


 「いいえ! 落ち着いている場合ではありませんわ!
  夜は思っているよりも短いんですのよ!?」


 が、彼女は落ち着くどころか、なぜか興奮して鼻息を荒くしながらそうまくしたてる。発言の意味も、まるで分からない。


 「ではさっそく!」

 「え……? えっ!?」


 思考が一向に追い付かない中、アレクはエレオノールによってベッドへと手を引かれていく。
 まさかな、という思考が、純情でありながら耳年増な少年の脳裏によぎる。


 「2人の愛を確かめ合いましょう!!」

 「ちょーっ!?」


 大正解である。全く嬉しくない大正解である。
 この女性、酔いのあまりにとんでもない行動に出ようとしている。いわゆる、夜の営みというヤツだ。
 さすがにそれはマズイと、アレクは顔を真っ赤に染め上げて絶叫した。
 が、エレオノールの暴挙は止まらない。おもむろに、少年の衣服をはぎにかかる女性。というか、自分もいそいそと脱ぎ始めている。もう完全に、行為におよぼうとしていた。


 「ちょっ…おちっ落ち着いて…いやぁあぁああぁああっ!!」


 夜の魔法学院に、顔をユデダコみたく赤く染めた哀れな少年の断末魔がこだましたという。

-40-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える