小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 ルイズは1人、雨が降り続く夜の町をさまよっていた。
 開演の時間が迫っているということで、店の営業は通常よりも早く終わったのだが、サイトの姿が見えないのである。スカロンや店員達に聞いても、空いた酒ビンを裏通りに出しに行ってから誰も見ていないらしく、こうして町中を探し回っているというわけだ。


 「…何かあったのかしら……?」


 少女は、小さくそう呟いた。
 何やら、嫌な予感がしてならない。使い魔が唐突に行方をくらましたことも理由の1つだが、以前、この町に来た時にはまったく見かけなかった王宮の兵士が、先ほどからあちらこちらにいるのだ。またしても何かの事件が起こったのかと、少女の中を不安と心細さが駆け巡る。
 そんな中、息を弾ませながら辺りを見回していると、見知った人影を見つけた。


 「……アニエス?」


 なんとそれは、自分とサイトを『魅惑の妖精亭』に呼びつけた張本人ではないか。
 彼女ならば、この状況について何かを知っているかもしれない。そんな期待を寄せて、ルイズは銃士隊隊長へと歩み寄るのだった。







〜第43話 『断罪への逃避行』〜







 自らの不甲斐なさに、彼女、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランは小さくため息をついた。
 肩越しに後ろを見れば、そこにはピンクブロンドの小柄な少女の姿。彼女が敬愛するトリステイン王国女王とその側近頭の幼馴染にして、彼女と同じく女王に仕える女官、ルイズ・フランソワーズが、そこにいた。
 とりあえずは、ある程度事情を説明し、何があっても騒がないように言い聞かせたが、なぜこうなったのだと、思わずにはいられない。


 (やれやれ…厄介なことになった……)


 いくつもの部屋が並ぶ宿屋。その中の狭い通路の向こうにいるヤセ形の青年を、曲がり角に隠れながら見張りつつ、アニエスは心の中で愚痴をこぼした。
 正直、今回の任務において必要だったのは剣士であるサイトだけで、ルイズは彼を『妖精亭』に呼び出す際のおまけのようなモノだった。彼女がかの使い魔少年の主であり、特務機関『ゼロ』における相棒である以上、彼女にも召集をかけなければ不自然だからだ。あと、2人で外出させた方が、かの神童の目をごまかせるかもしれないという算段も、一応あったりもする。
 まあともかく、ここでルイズと鉢合わせてしまったのは、アニエスにしてみれば予想外の事態であり、こうして共に行動しているのは、下手に騒がれて尾行対象に気取られては元も子もないからなのだ。


 「……!」


 そうこう考えていると、状況が進展を見せた。通路の先にある個室から口ヒゲを蓄えた男が顔を出し、尾行対象である若者と言葉を交わし始めたのである。


 「ご主人様が、いつもの劇場でお待ちです」


 青年の言う『ご主人様』とは、リッシュモンのことである。
 アニエスは彼を訪ねた後、帰ったと見せかけて、屋敷の近くでその動向をうかがっていたのだ。そして案の定、屋敷から馬を走らせて出てきたこの男を確認し、ここまで追跡してきたのである。


 「どうやら、女王が何者かに拉致されたらしく……」


 どうやら、リッシュモンに『女王がさらわれた』と思わせることに成功したらしい。計画は、予定通り順調に進んでいるようだ。男達の会話に聞き耳を立てながら、銃士隊隊長は口角を吊り上げる。
 その後、ヤセ形と口ヒゲは二言三言ほど言葉を交わし、中年は部屋の中へ、青年は元来た通路を戻り始めた。


 (! マズイ……!)


 と、その時、アニエスはある重大な事実に気づいた。
 周りを見渡しても、あるのは狭い通路と、等間隔で壁に存在する扉だけ。隠れられるような場所は、一切ないのだ。
 しかも、出入り口まではかなり距離があるので、今から慌てて外に出ようとしても、足音や姿を相手に聞かれたり見られたりする恐れがある。とはいえ、この場所に留まれば、青年が角を曲がった瞬間に鉢合わせるのは必至。
 少しでも先ほどの会話を聞かれたと疑われれば、今回の計画は全て失敗に終わる。なんとしてでも、それは阻止しなくてはならない。
 どうしたものかと、彼女が冷や汗をかきつつ思考を回転させていると、


 「!」

 「?」


うろたえる自分を不思議そうに見上げてくる、少女の顔が視界に飛び込んできた。
 その瞬間、銃士隊隊長の脳裏に、この危機的状況を突破する唯一の策がよぎる。
 思い立ったら即実行。彼女はルイズの顔を両手でガッチリとホールドすると、


 「ッ!」

 「〜ッ!?」


意を決したように自らの唇と少女の唇を重ね合わせた。
 常軌を逸した女性の行動に、無垢な少女は顔を真っ赤に染め上げ、声にならない悲鳴を上げる。
 そして、一瞬遅れてやって来たリッシュモンの従者たる青年は、


 「……! いっ……!?」


驚愕に目を見開きながらも、見ていないふりをしながらその横を素通りしていった。
 まあ、廊下の角を曲がっていきなりレズビアン、それもかなりの美人同士のキスシーンに鉢合わせれば、驚きもするだろう。


 「…………」


 男の姿が廊下の向こうに消えるのを確認し、アニエスは胸をなでおろした。どうやら、怪しまれずに済んだようである。


 「な、ななっ何すんのよ! に…逃げられちゃったじゃない!!」


 唇を離すと、ルイズは涙目で彼女に怒鳴り散らした。いきなり唇を奪った挙句に、『裏切り者』の手下を逃がすとは何事か、と。


 「私も好きでやったわけではない! ヤツには、何事もなく主人の下へと帰ってもらわねば困るのだ!」


 しかし、アニエスは頬を赤らめながらもそう反論した。
 所詮、今の青年は下っ端も下っ端。このまま泳がせ、リッシュモンに『無事、任務を終えた』と報告してもらわねばならない。さもなくば、ずる賢い狐は巣穴の中に潜ったまま尻尾を見せないだろう。


 「とにかく、これで準備は整った。あなたは例の宿屋に戻れ」

 「あっ……ちょ、ちょっと……!」


 そう言い残し、アニエスは足早にその場を去っていく。
 慌ててルイズが追いかけるも、体格も違えば鍛え方も違う彼女に追いつくことなどできない。結果、宿屋から出たところで見失ってしまった。


 「あら? ルイズちゃんじゃない。もうお芝居始まっちゃうわよ」


 しかも不運なことに、そこで小道具やらなんやらを荷車に乗せたスカロン達と遭遇してしまったのだ。そのまま少女は、半ば引きずられるような形で劇場へと向かうのだった。







 その頃、サイトとアンリエッタは、町のはずれにひっそりとたたずむ小さな宿屋の1室に身をひそめていた。2人は簡素な造りのベッドの上で、背中合わせに横になっている。


 「姫様…なんのために、こんなことを……?」


 今までなんとなく聞けなかった質問を、背中越しに投げかけるサイト。
 実際、不自然なことだらけだ。アレクには知られるなと厳命したり、ルイズも一緒に待機させておきながら店から連れ出されたのは自分だけだったり。
 アレクのような天才的な頭脳を持ち合わせていなくとも、その不自然さには気が付くというモノだ。


 「『裏切り者』をいぶり出すため、わたくしが失踪したという情報を流しました……」


 その問いに、若き女王は静かに答えた。
 しかし相手は、偽りの情報に易々と引っ掛かるような、可愛げのある子悪党ではない。そこで、実際に彼女自らが王宮から逃げることで、『女王の失踪』を現実のものとしたのだ。いわゆる、『おとり捜査』というヤツである。


 「ちょっと待ってください!
  姫様自らそんなことをして…万一のことがあったら……!」


 国中が大混乱である。国民の誰もが、深い悲しみに襲われるだろう。アレクやルイズが泣き崩れる姿が、ありありと想像できる。


 「ですから、サイトさんに護衛をお願いしたのです。
  …守ってもらいたかったのです……ルイズのように……」


 正直、うらやましかった。すぐそばに頼りになる誰かがいてくれる、手を伸ばせばすぐに届く、幼馴染の少女のことが。
 自分が伸ばしたい先は、手を取ってほしい相手は、簡単に振り向いてはくれないから。そしてその理由を、痛いほどに理解しているがゆえに、アンリエッタは表情を暗くする。


 「いやまぁ…頼りにしてくれるのは正直嬉しいですけど……それだったらやっぱり、アレクの方が……」


 サイトは怪訝な顔をしながら、そう呟いた。
 女性関係では色々頼りない面も見せるが、実際、彼以上のボディーガードは、この世界(ハルケギニア)に存在しないだろう。それは、幾度となく共に戦った自分が、1番よく知っている。
 もちろん、幼馴染であるアンリエッタも、そのことは当然承知しているはずなのだ。それも、もしかしたら自分以上に。
 それなのになぜ、わざわざ厳命してまでアレクを遠ざけようとするのか。アルビオンへの渡航任務の時の様に、外国に行くわけでもないのに。


 「…今回だけは…お兄様に知られるわけにはいかないのです……」


 出来得るならば、アンリエッタもそうしたい。子供の頃のように、頼もしい彼の胸に顔をうずめながら、その腕の中で守ってほしい。しかし、どうしてもそうできない理由が、彼女にはあるのだ。


 「え……?」


 かすかな少女の呟きを聞き取ることができず、サイトは思わず疑問の声を漏らした。今何か、とても気になる言葉が呟かれたような気がしたのだが。


 「……時間ですわ。そろそろ参りましょう」


 肩越しに問いかけるような視線を向ける少年に答えることなく、若き女王は立ち上がり、サイトにそう語りかける。


 「いやあの……どこへ?」

 「劇場です」


 雨もすっかり上がった夜空に赤い翼が羽ばたく中、アンリエッタはそう宣言するのだった。







 奇しくも決戦の場は、スカロン達が芝居を演ずるという劇場であった。1度はバラバラになったはずのルイズとサイトも、舞台裏で合流している。
 アンリエッタとアニエスは、観客に交じって件の裏切り者、リッシュモンの動向を探っているところだろう。
 そうこうしているうちに始まった劇だが、その内容はやはり古くからある物語をそのままに、『身分を隠して城の外に出た王子と、町娘のラヴロマンス』である。
 なお、スカロンの意向に沿って、サイトとルイズもそれぞれの配役で本当に出演している。ルイズは、どこぞの童話に出てくる少女のように頭巾をかぶった村娘、サイトは、例によって鎖につながれた犬である。どこまでも扱いがぞんざいな少年であった。


 「では、女王はまだ……」


 観客達が芝居の内容に一喜一憂する中、きらびやかな舞台などには目もくれず、何やら怪しい会話を交わしている人物が2人。


 「左様。まだ見つかってはおりません」


 宿にいた口ヒゲの中年男と、高等法院の長・リッシュモンである。
 ニヤニヤと口元を歪ませるその様は、どうプラスに解釈しても、国主の失踪を憂えている者のソレではない。


 「攻め込むなら、今ということですな」

 「ふふふ…女王も今頃どこにいるやら……」


 雲行きの怪しい会話が紡がれる中、リッシュモンがそう言いかけたその時、


 「ここにいますわ」


彼らの背後から、聞き慣れた女性の声が投げかけられた。
 2人が咄嗟に後ろの席を振り向くと、そこにはなんと、失踪した女王が座っているではないか。


 「話はすべて聞かせていただきましたわ。リッシュモン殿!」

 「へ、陛下……!」


 何者かにさらわれたはずの彼女が、なぜここに。そんな疑問がよぎるが、姦計に秀でた彼は、瞬時にその理由を思い至った。


 「…なるほど……お姿をお隠しになられたのは、私をいぶり出すための作戦だったというわけか……」


 らしくもなくうかつな行動を取った自らに、リッシュモンは軽く舌打ちする。
 よもや女王自らが危険を承知で姿を隠してまで、それも国家最強を誇る側近頭を遠ざけてまで自分の尻尾をつかもうとするなど、思いもよらなかったのだ。まあ、だからこそ彼は、このような軽率な行動をとってしまったわけなのだが。
 予想外の展開に、リッシュモンの頬に汗が伝う。


 「リッシュモン高等法院長! あなたを、国家反逆罪の現行犯で逮捕します!!」


 アンリエッタの言葉と共に、どこに隠れていたのかアニエスを含む銃士隊の隊員達が、彼女の後ろにズラリと並んだ。
 観客席に、突然の出来事に喧騒が飛び交い始める。


 「さあ、幕は下りましたわ。リッシュモン殿!」


 素直に投降するよう、リッシュモンに呼び掛けるアンリエッタ。
 だがしかし、彼の口元には不気味な笑みが宿っていた。


 「よくぞ私をハメた、と言いたいところだが……詰めが甘いな、アンリエッタ!」


 その言葉と共に、リッシュモンの背後にも兵士達が立ち並んだ。その手には、闇の中で光る剣が握られている。
 何10年と、他者を蹴落としのし上がってきた男だ。いついかなる時でも、万が一を考えて保険くらいは用意している。


 「陛下をお守りしろ!」

 「かまわん! アンリエッタを斬ってしまえ!」


 かくして、剣と剣がぶつかり合い、劇場内は戦場の様相を呈し始めた。
 観客達は巻き添えを恐れ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている。


 「陛下! お覚悟!!」


 その混乱に乗じ、銃士隊の警護をすり抜けた1人の兵士が、アンリエッタに向けて刃を振り上げた。
 一瞬の後に自身を襲いくる激痛に脅え、姫君が目をつぶった次の瞬間、


 「させるかぁっ!!」


劇の衣装のまま駆け付けたサイトが、間一髪のところで振り下ろされた白刃を愛剣で受け止め、弾き返していた。
 心強い護衛がそばに来たことで心に余裕ができたのか、アンリエッタはリッシュモンを探し始める。


 「きゃあっ!?」


 幼馴染の悲鳴を耳にし、サイトと共に彼女が舞台の上に目を向けてみると、裏切り者がルイズを突き飛ばして壇上を駆けていた。


 「この劇場は私の管轄! 逃げ道くらいは用意してある!」

 「待ちなさい! リッシュモン!!」


 勝ち誇りながら高らかに宣言する反逆者。
 このままでは逃げられてしまう。アンリエッタを焦燥感が襲ったその時、


 ドオォオオオォオォオオオォオオン!!


 「なぁっ!?」


 リッシュモンが目指していたと思われる舞台中央の床が、いきなり爆ぜたのだ。
 咄嗟に飛び退いたことでリッシュモンは事なきを得たようだが、地下通路に続いていると思われる縦穴からは、地獄の業火のごとく燃え盛る火柱が立ち上っていた。
 もはや劇場の屋根すらも吹き飛び、大穴からは雲が立ち込めた夜空が見て取れる。


 「そ、そんな……どうして……」


 その火柱を前に、アンリエッタはヨロヨロと後ずさった。
 周りで剣を交えていた銃士隊や兵達も、突然降って湧いた出来事に面食らい、唖然と固まっている。


 「つれないじゃぁありませんか、女王陛下……」


 炎が収まると同時に、劇場にそんな声が響き渡る。
 その声の主はどこかと皆が辺りを見回していると、立ち上っていた炎が収まり、ぽっかりと空いた縦穴から、赤と銀が飛び出してきた。


 「お前は……!」


 その姿を認めたリッシュモンが、忌々しげに叫ぶ。


 「こんな楽しそうな舞台に、ボクを呼んでくれないなんて……」


 風に踊る三つ編みの銀髪、宝石の如く輝くエメラルドの瞳、女性と見まがうほど柔らかなその物腰。
 赤い翼に導かれ、その場に降り立ったその姿は、ハルケギニアにその名を知らぬ者なき『神童』。四大の精霊に愛されたがゆえに『七色』と呼ばれ、不死の体現者すら従えた、稀代の大魔法使い。


 「…お兄様……」


 アンリエッタが、この場に居合わせることを何よりも恐れた人物。アレクサンドラ・ソロ・モン・ド・エルバート、その人であった。

-43-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える




ゼロの使い魔F Vol.4 [Blu-ray]
新品 \5452
中古 \2169
(参考価格:\7140)